月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「六〇〇マイルって言われてもわかんないよ(サウスダコタ篇)」

モンタナを眠ったまま出て、ワイオミング州へ。モンタナ州が「リバー・ランズ・スルー・イット」なら、ワイオミング州は男と男の、いや人間と人間の永遠の愛に心が痺れさせられる「ブロークバック・マウンテン」に描かれた土地だ。
これがまた強烈な場所。なんーにも、ない。なんにもないのレベルが半端ではないのだ。前も後も地平線で、木々や山々もない乾いた草原が広がっていて、見たこともない大きな空に、見たこともない量の雲が敷き詰められている。
視界の下から三分の一あたりに水平に地平線を引き、上が空で下が地面。そんなシンプルな世界を猛スピードで真っ直ぐに走っていると、「空に向かって落下していっているような」錯覚に陥ってゾッとする。
下り坂では、その落下感が益々強く感じられ、登りでは「この坂の向こうに道がなかったら」という想像を掻き立てられ慄然とする。おそらく太古より何も変わっていない原野。ハイウェイ以外の人工物は視界にない。神様が作ったまんまの荒涼とした平原。本当に神様がいつ降りて来てもおかしくないような、神に近そうな場所。神も降りて来られるし、なんならUFOだって降りてき放題だろう。
東へと走る僕らの背後には、雲の隙間から夕焼けが覗き始めた。次のジレットという町に泊まるとしよう。ジレットを逃したら、しばらく町はない。
ところが、ジレットを逃すどころか、辿り着けるのかというガソリンの残量になっていた。途中の適当な地点で補給できるような所はなかったようだし、僕が寝ていた間にも相棒の神市(仮名)の運転でかなりの距離を走っていたようだ。
こんなところで、陽が沈んでガス欠になり、立ち往生なんてしたらたまらない。助けを呼ぶにしても、何の目印もないのに自分たちの居場所を英語で説明することすら難しいだろう。それだけは避けたい。
ここからは運転を僕に代わり、なるべく一定の抑えめのスピードで、エコドライブを心がけた。真剣な表情、祈るような気持ちで、もどかしい一本道を進んでいく。登り道が来ると舌打ちしてしまう。底に届きそうなガスメーターは、また一ミリほど減ったように見える。
陽は完全に落ちてしまった。
予め、夜は走らないと二人で決めていたのだが、やむを得ない。急いでアクセルを踏むわけにもいかない。ジレットまでは実際のマイル以上に遠く感じられた。
やっと遠くの空に町の明かりらしきものが浮かび上がり、安堵する。ジレットだ。いくつかある出口のうち、初めの出口で早々に降り、何はともあれガソリンを満たす。自分すらも、渇いたノドに水を流し込んだような満たされた気分になった。
この晩は、この旅で初めて、ウェイトレスがオーダーを訊きにくるようなファミリーレストランでゆっくりと食事をした。
モーテルは普通のデイズインにもかかわらず、百ドルを越えた。しかし、町がここしかないのだから仕方ないだろう。遊園地の中の缶ドリンクが高いのと理屈は同じだ。
モンタナ州へレナから、走行距離は六〇四マイル(九六六キロ)。
次の日はサウスダコタ州のマウント・ラシュモアを訪れる予定。四人の大統領の顔が岩に刻まれた、有名な観光地だ。なのに、朝から雨。ちょっと残念だが、例日通り七時頃に出発。
マウント・ラシュモアに行く前に、サウスダコタ州に入ってすぐにあるスピアフィッシュという町で寄り道に入る。ここには、スピアフィッシュ・キャニオンという峡谷があり、そこを通る「scenic byway」があるという。「景色の良い横道」という意味になるが、モンタナで通ったベアトゥース(シニック)バイウェイですっかり味を占め、近くにシニックバイウェイがあると知って、そこを通らない手はない。
スピアフィッシュ・キャニオンは、片側一車線の道路の両側に切り立った崖が屹立していて、ちょっとしたアドベンチャー気分が味わえた。僕らにとっては残念な雨でも、木々にとっては慈雨なのだろう。緑が雨に濡れ、笑っているように輝いている。途中に滝があったり、岩があったり、キャンピングエリアがあったり、ウネウネとカーブを曲がる毎に目を楽しませてくれる。
途中のリードという町で郵便局を見つけ、家族や友人に絵葉書を送った。局員のおばちゃんが着ていたTシャツに神市が興味を持ち、欲しいと言う。紺地で、確か胸に「シンプルに、郵送しましょう」みたいなコピーがあって、かわいらしい(日本でいう)ゆうパックの箱がプリントされていた。
  • 「そのTシャツは売っていないのですか?」
  • と訊いてみると、そんなこと言われたことないのであろうおばちゃんは、
  • 「え? このTシャツのこと? これ? これが欲しいの?」
  • と驚いた様子。奥の同僚に大声で確かめてくれる。
  • 「グレッグ! ねえ、このTシャツは売ってるのー!?」
  • 姿の見えないグレッグの声が返ってくる。
  • 「ノー、ウィードント!」
そっか、残念。郵便局のおばちゃんがかわいいTシャツを着て働いているということ自体が僕らには新鮮である。いいじゃん、それで。
雨が降り続く中、田舎道を走り続けると、マウント・ラシュモアへの表示案内が出てくる。観光地らしく、ちょっとした町があり、土産物店とかレストランが並んでいる。どこも古き良き時代の雰囲気を模した造りになっていて、観光地特有のチャチさはあるものの、それはそれで楽しめる。
マウント・ラシュモアは山の上に位置しているようで、広い山道を登った先にある。入場に七ドル払って、駐車場に車を止める。レインウェアを羽織って外に出ると、奇跡的に、今までずっと降っていた雨が止んでいる。空も紺碧の清々しさを取り戻しているではないか。そんな好運もあって、気分が高揚してしまった。
岩の中から遠くを見つめるプレジデンツにカメラを向け、何枚も写す。雨が乾き切っていないため、涙のような筋が顔に走っている。
神市が見知らぬアメリカ人に、話しかけている。
「あの四人は誰ですか?」と尋ねると、そんなことも知らんで来たのか、とでも言いたそうな、不思議そうな顔で教えてくれたそうだ。
ワシントン、ジェファソン、ルーズベルトリンカーン
日本でなら、誰と誰の顔を彫ったらいいのだろう。候補者は、聖徳太子源頼朝徳川家康勝海舟、もしくは坂本龍馬伊藤博文吉田茂あたりだろうか。なんにせよ、歴史が長過ぎて、統一感がないし、チョンマゲは強度的に問題があるし、何よりも、誰を選んでも反対意見が噴出しそうな複雑怪奇な国だ。
アメリカみたいな単純さ、明快な愛国心というのは、ある意味羨ましい。
昼食には、麓の町でバッファローの肉を喰った。噛み応えのある肉だが、想像したほどの臭みはない。ただし、神市曰く、「その後数日は体臭が違った」とのこと。ほんまか。
マウント・ラシュモア以降のサウスダコタは、もう拷問のようなドライブ。地図で見てもうんざりするほどの、真っ直ぐなハイウェイ。
砂丘のない鳥取県、琵琶湖のない滋賀県を想像してほしい。そして、面積はその何倍もデカいのだ。失礼だが、観光資源としてマウント・ラシュモアに頼りきりの州である。
観光案内所にも、パンフにもラシュモアだらけ。
運転を神市に任せて、再び寝る。振り返ってみると、このあたりの僕は、神市もアメリカでの運転に何の問題もないと知るや、結構任せたままでいた気がする。
ふと目が覚めると、豪雨に打たれた車体がバシバシ鳴っていて、前方の視界すらほとんどない。寝起きの僕は、
「神市、停めろ、停めろ!」
とパニックになった。でも、神市はすでにレストエリアに入っていたところで、ひどい驟雨の中、独りで奮闘していたようだ。
休憩していると雨は止み、空は急に晴れ出した。もしかして……、と期待して待っていると、やはりそうだ。虹が出た! しかも、見事なアーチ。遮蔽物がないから、始まりから終わりまでの全貌が見える。でも、大きすぎてどれほど下がってもカメラには収まり切らなかった。
やがて、アーチが二重になった。
退屈なはずのサウスダコタ州の横断だったが、天気がドライブをエキサイティングなものにしてくれた。神様が虹まで用意して、僕らを歓迎してくれている。そんな風に思えた。
天気はその後も何度か表情を変え、雨の境目まで見ることができた。遠くの空の一部に、ドス黒い雨雲が立ち込めていて、よく見るとそこから雨の筋が斜めに走っているのがわかるのだ。
シオウ・フォールズという町で、ほぼ三日間走ったハイウェイ九〇号を去り、二十九号の南向きに乗り換える。八十マイルほど行った先のシオウ・シティでこの日を終えた。
実は、この三日間のドライブは毎日時刻変更線を越えるため、一時間ずつ「損していく」ことになる。シアトルはパシフィックタイム、モンタナはマウンテンタイム、そしてサウスダコタの途中で、セントラルタイムに入ったのだ。
だから、こちらは夜八時まで走ったつもりでも、実際の時刻は九時になっているのだ。
シオウ・シティでは、到着が遅過ぎて、どこも店が閉まってしまった。仕方なく、僕は買っておいたカップ麺にコーヒーメイカーで湧かした(湧いてない)お湯を注いで食べた。温度が足りないから麺がうまくほぐれない。しかし、これしかないからとにかく食べる。
神市はガススタンドで買ったサンドイッチを。疲れすぎて会話もほとんどない。
モーテルのシャワーの水圧が弱すぎて、爽快さが全くない。僕はだいぶ不機嫌になって、ただベッドに潜った。
この日は走行距離六一八マイル(九八八キロ)。全行程中の最長となった。
(つづく)