月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

おっさんたちのスタンド・バイ・ミー③

ロザリー・レイクを後にすると、スイッチバック(九十九折のこと)で丘を下った。昨日はほぼずっと登りだったから、はじめて下りの筋肉を使ったような気がする。
ほどなくして、昨日の本来の目的地だったシャドウ・レイクに出た。このトレイルでは次々と湖に出くわす。水のある景色というのは、それが川であれ、滝であれ、湖であれ、人を和ませるものがある。僕は海にはたまに恐怖を覚えるのだが。
僕たちはすでにギラついている朝日に目を細めながら、また写真を撮った。

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陽光を受けて目に沁むほど白い花崗岩の道を登っていく。左手には川が流れていて、ビーバーの巣があったり、滝が轟音とともに岩肌を洗っていたりして、目を楽しませてくれる。が、とにかく暑い。今日も天気が良すぎる。

昨夜なかなか寝付けなかったり、大谷さんが迷子になったりでいろいろあったので、充分に回復できていない上、行動食を制限しているから体力が落ちていく。いつもなら五〇分歩いて一〇分休憩を取るところを、頻繁に休むようになった。
休憩中に川原まで降りて、手ぬぐいを濡らし、焼けた首元を冷やした。他の三人は、川の水を浄水器に入れて、冷たい雪解けの水をガブ飲みした。岳ちゃんはその後、何度も小便をしていた。そうやって体温を下げようとしていたらしい。

途中の分かれ道に立てられた標識の前で、アメリカ人三人組の男たちに道を訊かれた。
「アグニュー・メドウへはこっちでいいのか?」
「おぉ、そう言えば、シャドウ・レイクの手前で案内板があったから、このまま行って、それに従えばいいはずだよ」
「サンキュー。……その、手首に付けてるのはなんだ?」
僕はフマキラーの「どこでもベープNo.1未来セット」というふざけた製品名の、腕に装着する除虫剤を着けていた。電池でファンが回って、薬剤を拡散するタイプで、パッケージには「世界最高水準」「5倍効く!」と書いてあった。
「これは、蚊のため」
除虫剤を英語でなんて言うのか咄嗟に出てこなかったので”mosquito thing”と言ったのだが通じたようだ。正確には”insect repellent”というらしい。

「わはは、見ろ! 彼の周りには蚊がいないが、こっちの彼には蚊がたかってるぞ! 効いてる!」と、男は僕と大谷さんを指さして仲間たちに冗談を言った。ほんまに、効いてるんかいな、これ。

蚊は相変わらず大量にいて、僕たちを終始困らせた。タイツの上から刺されるので、今日は僕も大谷さんも着脱可能なズボンの裾を付けて長ズボンにしていた。アメリカ人のほとんどは半袖、短パン姿で、タンクトップの女性とかもいる。どういうことなのだろう……。ハナから防御しようという気はないのだろうか。
インポからハゲまで、なんでも錠剤で解決しようとするアメリカ人は、近い将来「飲むと蚊に刺されなくなる錠剤」を開発するのではないだろうか。

今朝のハンモックの一団のおじさんが言っていたように、雪が残った一帯があった。斜面なので、足跡をたどるように気をつけて渡ると、ガーネット・レイクが見えてきた。

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ここで長い休憩を取ることにした。地図上ではすぐに見えるのに、朝九時に出発して、もう三時になっていた。僕はここで湯を沸かしてチキンラーメンを食べ、大谷さんは昼寝をした。
休憩を終えて、ガーネット・レイクから離れる時に出会った中年カップルの女性は、
「ここからトレイルがわかりにくい場所があるわよ。私たちは間違えて湖の向こうの方に出ちゃって苦労したわ。あなたたちGPS持ってるの?」
と注意してくれた。
「いや、紙の地図だけですが、まぁ気を付けます。大丈夫です」
先へ進むと、トレイルは岩山を急登していくのだが、確かにわかりづらい箇所があった。しかし、それよりもとにかく苦しかった。酸素も薄い上、岩道の登りで日陰が少なく、この日はつらかった記憶しかないくらいだ。大谷さんは「ここが一番キツかった」と、後日話した。一番若くて体力のある滝下は、すぐに僕らを引き離していく。

足の裏、太腿だけでなく、バックパックの重量がのしかかる腰も両肩も、痛んだ。

さらにルビー・レイク、エメラルド・レイクという小さな湖を通って、ようやくサウザンド・アイランドレイクに到着。ここはJMT全体で見ても、ハイライトと呼べる絶景の湖だそうだ。

倒れるように荷物を置き、テント用に小石がどけてある水辺のスポットを四人分見つけてテントを張った。もう六時を過ぎて、陽も落ちかけていたが、岳ちゃんはまた魚釣りに挑んだ。
僕は川に足を浸してしばらく冷却した。気持ちがよかった。

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疲れ果てた僕らは、翌日から二手に分かれる相談をした。滝下が地図を睨んで、このままトレイルを北上して、ドノヒュー・パスを越えて一泊し、トゥオルミー・メドウまで出る本来の道程のほかに、ここの湖から東へ分かれて、比較的平坦な道を南東へ下りていく「パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)」のルートを見つけていた。

僕と大谷さんの四〇代チームは、迷わず後者を選んでいた。
「すまんが、もう無理や……」
「このままでは明後日トゥオルミーに着くこともできないぞ」

滝下自身は「僕はどっちでもいいんですけどね」と言っていたため、PCTで帰るプランが有力になっていたが、岳ちゃんは「元のプランで行きたい」と言い出しづらくなっていたようだ。
そこで翌朝から二手に分かれるよう計画をし直した。四〇代チームはとにかくPCTで山を降りる。バスで町へ戻り、クルマを回収してモーテルに泊まり、翌日君らを下山口まで迎えにいく。
これはスリルもあり、なかなかのプランだと思い、僕たちはサウザンド・アイランドの畔に立てたテントに潜って寝た……。

ところがその夜、ドドドと雷が鳴り出し、空が光った。雨がテントの生地を叩く。
僕は、どうせ雨も降らないし、誰も来ないと考え、テントの中を狭くする大きなバックパックを外に出して寝ていた。そんな時に限って、雨は本降りになってきたので、慌てて中へ引き入れた。
湖畔というのは落雷の危険度は最悪レベルだ。昨夜に続いて、またもや僕たちは深夜にテントから這い出した。湖の向こうの丘の中腹にヘッドライトの光がチラチラ動いた。他のキャンパーも怖れて起きてきたのだろう。どこかに落雷した音が鳴り響くと、僕たちは恐怖で身を縮めた。
大谷さんにとっては、二日連続で夜中に岩陰で身を潜めることになるという、災難続きのテント泊であった。

翌朝、僕たちは残りの食糧を二チームで分け分けして、湖のすぐ先で別れた。岳ちゃんと滝下はまっすぐ、大谷さんと僕は右へ。

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パシフィック・クレスト・トレイルというのは、ジョン・ミューア・トレイルと一部を重複しながらも、南北にもっともっと長く伸びるトレイルだ。

僕たちが歩いたトレイルに関して言えば、起伏を越えることによるダイナミックな景観は少ないが、花が風に揺れ、鳥がさえずり、リスが木の幹を走り回るような牧歌的なハイキング・コースであった。森の中を一時間半ほど歩いたのち、山の斜面を横切って作られたトレイルを、谷の向こうの山々の連なりや、一昨日泊まったロザリー・レイクが谷間に小さく見えるのを眺めながら歩いた。すれ違うのは、女性のソロハイカーが多かった。

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小さく水たまりのように見えるロザリー・レイク

十キロちょっとのこのコースは、滝下と岳ちゃんが行ったJMTの続きよりはずっと楽なはずだったが、それでも、二日間の疲労が蓄積している僕たちには充分こたえた。
地図で見る限りほぼ平坦だと思っていても、坂道がグググッと曲がりながら続いていたりすると気が遠くなる。最後は九十九折で一気に下りていく予定だったが、それがなかなか出てこない。
「やった! 最後の下りだぞ!」と思っても勘違いで、またトレイルは角度を上げていくということが何度か重なった。
九十九折に辿り着いた時には、それは見紛いようもなく、きれいにくの字の折り返しの連続で、下るとようやく人工物が見えてきた。木材を扱う作業場のようだった。人影はないが、人里に下りてきた実感が湧いて安堵した。アスファルトを少し歩いて、バス停を見つけた。

疲労困憊で、蚊のせいであちこちが痒く、重たい荷物も不快であった。ほどなくしてやって来たバスでマンモスレイクスの町に戻ると、駐車したままのレンタカーを探し出し、僕たち二人は何はともあれ手近なオープンカフェでビールやコーラを飲んで、モーテルを手配した。晩メシは出発の前日とまた同じ店でチーズバーガーだ。幸せだった。笑いが止まらなかった。

とにかく、ベッドで寝られるというのは最高だった。体力が余って余って仕方がない人たちはよしとして、なんで凡人の僕たちがこんなキツイ思いをしてまで山登りをするのか、こういう日には我ながらまったく理解できない。なのに、またなぜか行きたくなるのが不思議なものである。

滝下と岳ちゃんは、ドノヒュー・パスという峠を無事に越えて、安全などこかでテントを張ることができただろうか……。

 翌朝、モーテルを出発すると、大谷さんが、
「あのー、恥ずかしいんですけど、またウェルカム・センターに寄ってもいいですか?」
と告白した。何事かと思って問うと、
「実は……、Sサイズを買ったTシャツが小さくて、Mを買い直したいんです……」
わははは! 大谷さんはこの何年か体重が増えているから、僕たちは「アメリカンサイズだけど、Mですって」と助言したのだが、「いや、Sで大丈夫!」と跳ねつけて買ったのだ。

途中、ヨセミテ公園に東側から入るゲートで大渋滞があったため、予定よりも一時間遅れて、約束のトゥオルミー・メドウに到着した。車を駐車場に残して、トレイルの出口である橋を目指した。
そこで一時間くらい二人で川を眺めながら待ってみたが、彼らは現れなかった。そのため、車をもっとこちらに近い駐車場に移しておこうと一旦戻ったところ、岳ちゃんが車の脇で待っていた。滝下も姿を見せた。橋まで行く道は二股になっていて、どちらも同じところへ着くのだが、そこで入れ違ってしまったようだ。

僕たちはとにかく再会を祝福して、彼らの目的達成を称えた。
途中で断念した、だらしない四〇代チームの僕と大谷さんは、後輩二人を迎えに行く前に、ガス・ステーションとダイナーと土産物屋が一緒になった店で、六本パックのビールと氷を買っていた。そして、ベア・キャニスターに氷をぶち込んで、缶ビールをキンキンに冷やしておいた。彼らのためにピザも用意していた。
二人が狂喜したことは言うまでもない。

こういう時のビール、雪をかぶったままの山塊を鏡のように映し出した湖面や、ひと息入れて見上げた空のブルーだとか、ああいった景色のために、僕たちはまた面倒くさい荷造りをして、暑さや虫に文句を言いながら山を、森を、歩くのだろう。

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1000アイランド・レイク

僕たち四人はサンフランシスコへの帰路につく前に、ヨセミテ公園を見学して、公園のすぐ外にある、映画のセットのようにカラフルでかわいらしい小さな町で、またチーズバーガーを食べた。その後、サンフランシスコの最後の夜にも食べた。

帰国したら四人それぞれの世界に戻るのだけど、またいつかどこかへ行こうぜ。
しんどかったことはすぐに忘れて、僕たちは次の旅へ思いを馳せる。

(了)

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