月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「ポスターとか、無理でしょ」

先日行なわれた参議院選挙は、僕はいつもしているように期日前投票で済ませてきた。僕の住む選挙区は候補者が三人しかいない田舎なので、あまりおもしろくもなかった。というか票を投ずべき候補者を選べなくて煩悶とした。そんなネガティブなベクトルで悩まなくてはいけない選挙はつまらない。
それに比例代表制という仕組みの意味がわからなくて、たぶん多くの国民が、指名されてもいない人が政党の決めたよくわからん順列によって当選していくことに疑問を感じているはずだ(小さい政党にも議席が得られやすいように考案されたものらしいが、それでも疑問は残る)。
それに投票日以前にメディア各社がこぞって世論調査を行ない、やってもいない選挙の結果を「○○党優勢」とか「与党過半数割れの見込み」などと発表する意味もわからない。ワールドカップやプロ野球の予想ではないのだ。
世論調査どころか世論を誘導しかねない愚行だろう。どこにも必要がない。大きなお世話なのだ。
そんな予想よりも、各党の主張をもっとわかりやすくまとめて紹介するとか、政策によってどういう影響が期待または懸念されるのかとか、報道するべき内容はあるだろうに。
郵政選挙の時に、郵政民営化をすると何が得られるのか、気味悪いくらい語られなかったのを覚えているだろうか。賤しくも民主主義を標榜するのなら、民に対してそれだけの教育と、情報開示を行なわなくては選べるわけがないのに、そのどれもなされていないという奇怪な国である。
しかし、それでも平和に成り立っているのだから、ある意味幸せな国でもある。
しかしまぁ、過去を振り返ってみても、国が我々シモジモの人間に対して良くなったことなんか一度もないわけだから、政治に期待などせず、つまりなるべく腹なんか立てずに傍観していきたいと考えている(それでも腹が立つことが多いのだからそーとーなモノである)。
できる限り国に頼らずに生きて、そして死んでいけるように希望する。
この国の政治はこれからも良くなんかならないことは断言できる。それは、良くなんかなるはずもない国民が選んでいるのだから間違いない。その点に関しては僕は非常に悲観的であり、また確信的である。
そもそも民主主義って、今の日本で実施されているような形式でいいの? という疑問が僕の中で残尿感のようにいつまでも気持ち悪く存在している。
だって、今の制度だと、自己顕示欲の強い人間ばかりが国会議員になって国を運営していくじゃないですか。
議員定数削減については色々言われているけど、とにかく、衆議院に四八〇、参議院の二四二の「オレがオレが大先生」方がいるわけだ。
僕が仮に、比例代表制を理路整然と説明できるくらいの説得力があって、政治、経済、法律、国際情勢、教育を知悉していたとしよう。
でも、僕なら、自分の顔をポスターに刷って、町中に貼るなんてことはまっぴらごめんなのだ。車の中からワーワー言いながら手を振る行為もしたくないし、妻まで動員して頭下げさせて、今の今までオ○ンチン触ってたかもしれない不特定多数の人たちとも握手してとか、国を良くしたいという思いや行動と全くかけ離れたハードルを越えないといけないではないか。
それはパイロットになるためには、同じパンツを八日間履いたまま野山を駆けずり回り、クマと相撲をとり、最後に滝に打たれなさい、と言ってるくらい目的と通過儀礼に乖離があるように思われる。
「そういう選挙活動をしなければいい」と言われるだろうが、そういう選挙活動をしないで当選する人はこの国では非常に少ない。選んでる国民がアホと言ってしまえばその通りなんだけど、人間の心理として「がんばってる感」を出して「どこかで聞いた名前感」を得られれば、選挙は圧倒的に有利に進むのだ。
それだけ、選んでる方も真剣には選んでないということでもある。ブルーレイレコーダーを買う時には、メーカー各社のカタログを持って帰って見比べ、ウェブで調べ、店頭で質問をする人も、選挙の時に同じような情熱で研究、検討するかといえばそんなことはないはずだ。
きっと多くの人が投票所に行って鉛筆を手にした時点で、誰の名前を記入しようか考えている。そんな時「なんだか知ってる人」を記入する可能性は格段に高い。
新聞やテレビも調査するならその点について調査してもらいたいものだ。いい加減さが浮き彫りになる。民意つうもんがいかにいい加減で曖昧で気分次第であるということの証左になる。
何かの本で「政治家になると何千何万という自分の知らない人間が、自分の名前を書いて投票箱に入れる行為に興奮を覚える」と読んだことがあるが、どんな変態野郎どもの集まりかと思う。自分の顔のポスターを見て悦に入っているヤツとか、拡声器で自分の名前を連呼できるようなヤツに、ロクな人間がいるわけがないじゃないか。「キモイから」という理由だけでいいから議員定数なんかガンガンに減らしてくれよ。
そんな「自分大好きっ子ちゃん」たちに国を任せなくてはいけない不幸と危険というものがこの社会には横溢している。
さらに、自己顕示欲旺盛な人たちが自己顕示欲だけでなく、もっとあからさまな欲望である金銭欲まで満たせてしまうところに問題がある。
議員という立場が「おいしすぎる」のだ。年に二千万円以上も給料が入って、文書通信交通滞在費という、高度通信社会の現代においておよそ理解できないお金が別途毎月百万円も入る。ケータイでエロ動画をどれくらい見たらそんな金額になるのか。通信交通宿泊費に遣わなかったら国庫に返せってのが常識でしょうが。というか、遣った分だけ領収書精算が普通でしょ。サラリーマンは皆そうしているのだ。
激務であるとか、苦労が多いとか、社会的責任が重いとか、本人らは色々意見があるでしょうが、いやいや、そんなに大変なら世襲なんかしないはずなのだ。
「おいしすぎる」から息子や孫にまでさせるわけで、これは私ら平民からは想像もつかないようなおいしさなのだろう。国に仕えるということは、己の名誉だとか私利はそっちのけで身を尽くさねばならないのであるから、清廉な人物が望まれることは自然なことだ。
清廉な人物は「センセイ」などと呼ばれて嬉しがったりしないものだ。
選挙の時はお願いしますお願いしますと平身低頭だったのに、当選したら偉そうにふんぞり返るって、人間としてありえないでしょう。議員はあくまでも国民の下僕なのだ。別にこちらからお願いしてなってもらったわけではない。
自分のことはどうでもいい、極論すれば暗殺されようと国に貢献できるのなら構わない、お金なんかどうでもいい(どうでもいいからバンバン遣う人、は意味を勘違いしている)、ベンツとか乗りたくもない、グルメに興味はない(かと言ってカイワレ大根だけを山盛り食べたりもしない)、銅像とかいらない、意味がわからない、風俗にも行かない、夫婦のセックスライフ(もしくは4月号参照の「体操生活」)は人に自慢できるくらい充実している(でも自慢するために映像を変なところに投稿したりはしない)。
こういう人こそが国会議員に値する人物であると思うのだ。
まぁほとんど人間ではない。
おそらく、いて日本に四人だろう。
ということで、国会議員は四人でいいという結論になりました。世界に誇れる国になると思う。
(了)
P.S. いっそ「人間ではないもの」に任せられたらどんなにいいかと思うが、それは神による統治の時代に戻るにも等しいことである。人間による放棄であり、後退でしかない。辛くても民主主義が現世においては最良の方法なのだろうね。

「僕が見ちゃった日本(四国後篇)」

この日の予定は、蝶々みたいな形をした四国の右の羽根の下隅、高知県室戸岬から西へ向かって走り左の羽根の付け根あたりへ。四万十川に着いたら北へ上り、カルスト高原を走る。そして、山をいくつか越えて愛媛県東予の港まで。
僕はビビりなので事前にキッチリ計画するタイプなのだが、グーグルマップで調べてみたら、およそ三五〇キロの走行距離になる。大体、東京から名古屋くらいの距離ということだ。自動車で高速道路を走ると考えれば、そないビビるほどの距離ではない。まぁ、四、五時間というところだろう。
しかし、バイクで川沿いを走り、山道を抜け、田舎道を往くとなると時間がとても読みづらくなる。疲労もかなりになると予想される。前回書いたように、神経を集中して車体を操り、体に風を受け続けるというのは、とてもしんどいものなのだ。
だから、この日はとことん走る覚悟で、朝七時に室戸のライダーズインを出発。他の部屋のライダーたちも、既に走り去った後だったり荷造りをしている最中だったりだ。いきなり旅の相棒である大谷さん(仮名)が、出口を左に曲がっていった。いやいや、右ですよー。昨晩こっちから来たじゃん。
まずは土佐湾を左手に望みながら国道五十五号を高知市方面に向かっていく。朝の光に照らされたひと気のない漁港や古い民家のそばを走る。ひんやりとした空気が首元を抜けていく。
昨今の龍馬ブームで四国は訪問者が多く、特に高知は一部で交通規制が行なわれるほどの込み具合になるとの情報は得ていたのだが、渋滞になるほどの混雑には出合わなかった。それでも、時間短縮のため、完全に高知市街地に入る前に、高知自動車道という高速道路に乗って一気に「蝶々の左の羽根」へ。
景色は再びのどかな田舎道になる。窪川という場所で四万十川にぶつかった。時間は昼過ぎ。ここまでは順調だ。しかし、のちに判明することなのだが、僕はこのあたりで運転免許証やガスステーションの会員カードなどが入ったカードケースを落としたようだ。後日窪川警察署から、入っていた名刺を頼りに勤務先に連絡があり、そこから僕へという恥ずかしいルートを辿って伝えられた。
僕はとにかく病気のように、落とし物や忘れ物やなくし物が多くて、これまでも同じ免許証を飛行機の棚の中に落として外国へ行ったり、テニス部の合宿に行くのにラケットを忘れたり、ホテルに携帯の充電器を置いたままにするのはもちろん、買ったものをその帰り道で電車の網棚に忘れたり、前科は数知れない。
先日など、家で「まな板」がなくなるという事件があった。あんなもん台所以外で使い道はないので、そこを重点的に捜索したが出てこない。これが「神隠し」というやつか、気持ち悪いなぁ、と思っていたら、数日後に食器洗い機から発見された。漂白しようと思って食洗機内の壁に立てかけて入れたところ、白と白が一体化してわからなくなっていたのだ。何度も見たのになぁ。
窪川署のご担当者様、お手数かけました。
なお、四万十川のあたりは四万十町という地名になるが、これは窪川町と大正町、十和村の二町一村が二〇〇六年に合併して誕生した新しい町だそうだ。
川沿いの国道三八一号を快走しながら、ふと前にも通ったことがあるような気がしてくる。もちろん錯覚だ。でも、過去に走った福井だとか鳥取だとか岡山だとかの風景の記憶が甦る。麗しきニッポンの自然と、馨しきニッポンの風の匂いだ。
大阪の喧騒からかなり遠くまで来たことを実感していると、腹も減ってきた。
真新しい道の駅で昼食にしよう。地元、四万十町の子供たちが太鼓を披露したり、婦人会かなにかか、おばさま方がタープの下で食べ物を売っている。
僕らのようなライダーや観光客でよく賑わっている。つくづく「四万十町」という改名と合併がもたらした経済効果について思った。貴重な観光資源である四万十川だが、それは当然ここ以外にもいくつもの町や村を通っているはずだ。しかし、ここの二町一村が、自らを「四万十町」と名乗ることによって、川を我がものと見せることができる。四万十川を見たい観光客は、とりあえず四万十町を目指してやって来ることだろう。僕らがそうしたように。
「いやー、こういう合併は意味があるのではないかなー」と感慨深い気持ちでカレーとけんちん汁を食べていた。
ところが、すぐ近くに「四万十市」もあるらしい。二〇〇五年に中村市と西土佐村が合併してできた市だという。うーん、大阪府大阪市のように仲悪そうな感じが……。「四万十」という財産は取り合いである。うまくやっていることを祈ります。
さてここからは、四万十川沿いに進路を北にとり、本格的な山道に入っていくことになる。緑が生い茂った山々に囲まれた川面は、上流に行けば行くほど深みのあるブルーを呈した。源泉にはツムラがあるのではないかと思うほどのバスクリン的エメラルドブルー。川というより湖のような静けさが漂っている。
じーっと見とれてしまいそうな景色なのに、道は険しさを増し、集中しないと本当に危ない。もはやクルマ同士ならすれ違えないような、幅三メートルもない狭い山道だ。そんなところを走っていると、きついカーブの向こうから突然自動車やバイクが飛び出してきたりする。タイミングが悪ければ本当にヤバいことになるだろう。
なのに、前を行く大谷さんのバイクはスイスイとカーブをクリアし、すぐに僕の視界から消えていってしまう。僕は慎重に三速と二速にギアチェンジを繰り返し、車体を傾ける角度やブレーキをかけるタイミングを見計らって走った。大型のネイキッドやスーパースポーツタイプの一団が後ろからやって来るので、クルーザーの僕は道を空ける。彼らは手で挨拶を送るとエンジンを吹き上げ、一瞬で消え去っていった。
僕が乗るクルーザーというタイプは車体が長くて重くて、体が起きている状態で乗るから、元々カーブは苦手なバイクだ。またの名をアメリカンというだけあって、アメリカのような広い直線をゆったりと走るようにできているのだ。
僕は次にバイクに乗るならネイキッドにしようかなと考えていたのだが、狭い山道をあんなふうに速く走れてしまうのは実際怖いなー、と考えを改めた。ゆっくりでいいや。
バイクの運転は、自分が上手だと思った瞬間から危険が始まると思っている。それにしても僕は、運転がうまくならないんだけど。下津井めがね橋のあたりで大谷さんが待っていてくれた。
途中、山道の合間に忽然と現れるパン屋さん「シェ・ムワ」で休憩。甘いものが疲れた体と脳にたまらない。
やっとましな国道に出て、東津野城川林道というスカイラインを北へと上る。カーブを何度も何度も描いて高度を上げていくと、四国カルストという高原に到着。カルスト学習館という建物があるが、その時点で三時となり、少々焦っていた僕は、カルストについて学習することもなく、案内のおねえさんが美人だったので見とれて、オシッコ休憩だけして、高原の先へと進んでいった。
だから今ウィキペディアで調べると、カルストというのは「石灰岩などの水に溶解しやすい岩石で構成された大地が雨水、地表水、土壌水、地下水などによって侵食(主として溶食)されてできた地形」のことだという。高原の稜線を削って敷いたような細い小道をバイクで走ると、右も左も斜面になっていて若い緑の芝生に覆われている。石灰石の固まりがそこここに点在している。
周りを午後の空気に霞む山並みに囲まれた天空の世界だ。
標高は約一四〇〇m。今朝、海辺からスタートしたことを考えるとよく登ってきたものだ。近くに感じる太陽に目を細め、涼気を鼻腔に感じながら進むと、牛が草を食み、風車が数機その超然たる姿を現す。日本とは思えない、浮世離れした光景だ。
そこから四国の北側へ降りていくかたちで、とにかく日暮れまでに山を抜け、フェリーが出る十時までには東予港へ到着すべく、走りに走る。
何曲もの歌が自然と口から出てくる。
とめどなく湧いてくる歌をヘルメットの中だけで響かせる。風呂でもなんでも、人間気持ちいいと歌を歌ってしまうのだ。しかし、なんだか切なくもあり、だから哀しい歌も混じっている。
ちょうど陽が落ち切る前に山間部を抜け出て、東予港に着いた。予約していたフェリーの切符を確保して、夕食を摂りに出る。といっても大して何もない場所だ。見つけた食堂はまだ八時過ぎだというのに、「もうごはんがないかもしれません」という。つまり、帰ってほしいのだろうな。でも、他を探す元気もないので、それでも中へ通してもらう。麺類でもなんでもいいや。
すると、僕らが待つ間にも次々にお客がやってきて、「ごはんがないかも」とか「できるものしか出せませんが」という店の人のお断りにも屈することなく入店してくる。結果的には、ごはんはなんとかもったようだし、味も悪くなかった。競争相手も少ないから繁盛しているのだろうな。
フェリーに乗るのは、記憶のない幼少時代を除いて初めてのことであった。高速無料化で悲鳴を上げているフェリー会社を応援するため、明石海峡大橋での帰路の渋滞を回避するため、そして、楽して関西に戻るために、フェリーを選んだ。
舘ひろしがドンパチ始めそうな寂れた港である。夜の闇に浮かぶオレンジ色の灯りがなおさら寂寥感を強める。建物も設備も古くて、なにもかもに錆が浮いているような印象。
徐々に乗船客が集まってきた。既に寝る準備万端の、ジャージ姿のヤンキーカップルが多い。ピンクのダボダボスウェットを着たヤンキー娘と相応のその彼氏。この人たちがセックスすることなく大阪港に到着する気があるようにはどうも思えない。あ、もうしてきたのかな。まぁ、いいけど。
バイクでフラップを渡り船内に入るのはワクワクする。未知の世界を旅してると実感するし、ちょっとガンダムな気分だ。フェリーは思ったよりも豪華客船で、設備はやや古めかしいが文句はない。二段ベッドが四セットある部屋に泊まったが、狭ささえ我慢すれば揺れもないし快適そのものだ。
大谷さんと物珍しい船内や甲板をあちこち見て歩いた。微かな振動だけを足下に伝えつつ、静かに船は陸地を遠ざかっていった。
もうすることもないので、とにかく風呂に入って、眠りたい。出発は夜十時半頃で、大阪港到着は朝の六時だ。あまり時間はない。風呂に入ってバリバリに張った背中の筋肉をほぐす。ハンドルに腕を伸ばしたままの姿勢でいるから背筋が疲れるのだ。風呂場には丸窓が付いていて乗船気分を演出してくれる。ただし今は真っ暗で何も見えない。
大谷さんはテンション上がってしまったようで、「朝も風呂入ろうかなー」などと言っている。風呂を出た後も、僕はベッドに直行するつもりだったが、彼はまだ船内を探検するという。元気やなぁー。
僕は一瞬で眠りに落ち、一瞬で朝を迎えた。船内のレストランで朝食をたらふく食べ、適当な時間に下船。着いてからしばらくはゆっくり船内に残っていてもいいのだ。
大谷さん、いい旅でしたねー。おつかれさまでした。さて家路に着こうかというところで、港から道路への出方がわからなくて、コンテナの並ぶ狭い通路に迷い込んで、二人ははぐれてしまい、そのまま現地解散というなんともフェイドアウトな終わり方をした四国バイクの旅であった。
まだまだ日本にも見るべきところ、走るべき道は多いですよ。フェリーという、メシ風呂付きで移動までできるという便利なものに味を占めたからか、次は九州の方から、僕を呼ぶ声が聞こえる。そんな気がする。
(了)

「僕が見ちゃった日本(四国前篇)」

ゴールデンウィークを目の前にして、僕は「四国バイクの旅」には兄の革ジャンを着て行くべきか、弟の革ジャンを着るべきか迷っていた。
冬が終わり春が訪れた頃になって、無性に革ジャンがほしくなってしまった。それも純粋にモーターサイクルに乗るためだけの、本格的なハードなやつが。思えば、長い出張に出ていた間に飽きずに読んでいた雑誌が革ジャン特集をしていたからかもしれない。しかし、ファッション誌に登場するような革ジャンは、柔らかさだとかしなやかさだとか軽さなんかが売りだったりして、しかもそういう革ジャンが「ライダース」を名乗っていたりすると腹立たしさすら覚えるんだな。
そこで僕はとある老舗国産メーカーのものに白羽の矢を立て、購入へと突き進んでいった。初めはガチガチに硬くて、ギチギチにきつくて、バシバシに色っぽい艶を放つ本物のライダースジャケット
この世はいつ核戦争が始まって、マッドマックス北斗の拳の世界になっちゃうかわからないから、男はいい革ジャンと頑丈なブーツは持っておくべきだよ。野盗に襲われたときにクロックスとか履いてたらそれだけで負けだからね。種モミ奪われちゃうからね(『北斗の拳 第一巻』ご参照)。
十万円を越える服なんて買ったことはないので、注文に行く時には緊張のためペットボトルの水を駅で買っていった。フルオーダーではないものの、ジッパーやボタンの種類を選べたり、僕は首が長いので詰め襟を五ミリ高くしてもらったり、裏地をオプションで綿入りに替えてもらったりして、完成まで二ヶ月かかるという。
その間に、頭の中が革ジャンだらけになって、思わず兄貴に、「古い革ジャンてどうしてる? いらないのがあったら僕に売ってくれ!」と、尋ねてしまった。そうしたら即答で「(永久に)貸してやる」というので、喜んでそうさせてもらった。
まぁ、おそらく多少中年太りが始まって着られなくなったのだろう。僕はシングルライダースを好むが、兄貴はハードコアパンクロッカーだからダブルを着ていた。兄は僕よりも背が高いため、普通はサイズが合わないはずなのだが、彼はパンクらしくかなりタイトに着ていたようだ。だから、ジャストサイズが好ましいバイク乗りの僕にも着られるのだった。
実は以前に弟からも革ジャンを譲り受けたことがあった。シングルで、臙脂色みたいな珍しいモノ。彼曰く、「筋トレばかりしてたら入らなくなった」ということだが、非常に眉唾である。革ジャンが着られなくなるくらいの筋肉の成長ってのは、並大抵ではない。バットがケンシロウになるくらい鍛えないとそうはなるまい(『北斗の拳』ご参照)。
でも、そういう余計な指摘は控えて、もらえるものなら黙ってもらっちゃおっと……。ありがたいことに兄弟が着られなくなった革ジャンが僕のところに集まってきている。
これも十年以上ジムに通って体型を維持しているご褒美と考えることにする。いや、維持に努めているという方が正確だ。体重は今が人生で一番重い。さっきもジムで体重計に乗って、あまりに驚いて、ポケットのモノを全て出したりした。
さて、四国にはやはり着慣れた弟の革ジャンで行くことにしよう。ツーリングには雨や風や虫がつきものだから、もらったばかりのものはなんだかもったいない気がする。
大阪から神戸を通り、明石海峡大橋を渡った淡路島を経て、徳島県へ。そして海沿いを南下して室戸岬へ。そこが一日目の目的地だ。すぐ近くにライダーズインという、バイク乗りのための簡易宿泊施設があるらしいので、そこに泊まる予定。 相棒は、僕のトレッキング仲間でもある大谷さん(仮名)。高野山ツーリングでは大雨で帰れなくなって宿坊(寺)に泊まったりしましたねぇ。
当日の朝、待ち合わせ場所の垂水PAまでは、神戸あたりが四十キロくらいの大渋滞。ゴールデンウィークだから仕方ないか。でも、バイクではなく車に乗っていたらと思うとゾッとする。明石海峡大橋以降は拍子抜けするくらい快走で、空が真っ青で、眼下の海では潮が泡立ちながら輝いていて、ヘルメットの中でニヤニヤが禁じ得ない。
バイク乗らない人に言うておくよ。
こんなに素晴らしいものはない。跨がる度、走る度にそう思う。自動車は(僕にとっては)移動手段でしかないから、音楽を聴いたり、(吸ってた頃は)タバコを吸ったり、お茶を飲んだりしないと退屈してしまう。だから、人は法律が改正されても相変わらず携帯をいじったり、通話したりしてしまう。
だけど、バイクは上記全てができなくて、しかも暑いし寒いし濡れる。なのに、運転すること自体が楽しくて楽しくて、着くことではなく、走ることを目的に旅ができるのだ。
極言すれば行き先はどこでもいいのだ。
その気持ちは何年乗っても変わらない。だからもし、お子さん(やダンナさん)がバイクに乗りたいと言い出したら、止めないであげてほしい。その代わり、僕個人からは以下の条件をアドバイスさせてもらいます。
  • ・自分のお金で、責任で乗る。
  • ・女の子と(男でも)タンデムすることは極力控える。
  • ・なるべく図体の大きいものに乗り、道路の真ん中を堂々と走る。
  • ・常に最悪を予測しながら走る。全神経を集中させてるから、走った後はクタクタが普通である。
全く冗談なしですが、本当のことです。危なくないとは言わない。僕のような世の中の何の役にも立っていない人間は、いつ死んでもいいと常々思っているのだが、それでも母親や妻がいてるので、「バイクの上で死ねたら本望」とは公言できないでいる。できることなら死ぬのは先延ばしにした方がよいだろう。
僕は七年間無事故だけど、間一髪な目には何度も遭ってます。だけど、それを押しても得られるものが大きいのだ。「普段見れない日本が見れるぜ」とだけ言っておきましょう。
で、僕が見ちゃった四国ですけど、自然が溌剌と生きていましたよ。
南阿波サンラインという海岸線を走る道では、カーブを繰り返す中に四カ所の展望台があって、こんもり茂った山と山の狭間に、ほんまに着物着た子供たちが亀をイジメていそうな入り江とか、彼方にけぶる水平線が望める。
室戸岬手前の二十数キロくらいは、ほぼ真っ直ぐな国道五十五号で、道路にはほとんど誰もいない。岬という「地の果て」を目指してひた走っていることが強く実感できる。大谷さんの背中を追いながら、気持ちいい直線と大きなカーブをゆったりと走っていく。
その日は波がなかったのか、沖にプカプカ浮かぶサーファーたちが、これまた異国に来たような錯覚を与えてくれる。ただ、その日は空気が肌寒く、革ジャンの袖口から冷たい風が入り困った。途中の温泉ホテルでお風呂に入らせてもらって、ほっこりしそうな自分にもう一度ムチ打って走り出すと、すぐ室戸岬に着いた。
あまりにあっけなかったので一度通り過ぎてしまって、Uターンで戻った。丸い小石が歩を進める度にガラガラ音を立てる海岸。空海が悟りを開いた地とのことだが、夕暮れの空が寂寥感を強調する。
寄って来た野良猫と戯れた。異常に人なつこいヤツだ。僕や大谷さんの膝の上に躊躇うことなく乗って、顔を擦り付けてくる。お前も寂しいのだな。
ライダーズインは岬から少し走った丘の上にある。ジグザグに坂を登って行くと、赤紫色の夕陽が陸地の全てをシルエットに変えて沈んでいくところだった。思わず路肩にバイクを止めて、二人でひとしきりシャッターを切った。
ちょうど陽が沈んだ頃にライダーズインに到着。これは、高知県が行なった「中山間ふるさと支援事業」というプロジェクトに基づいて、県内の市町村が五カ所に建設したものだという。デカいパイプをぶった切ったものの両端に、窓とドアを取り付けたような造り。そういう建物が十くらい連なっている。中には八帖くらいの部屋と、トイレ、洗面所、シャワーがある。ふとんも有料で使えるらしいが、僕らは持参した寝袋で寝ることにしていた。宿泊費が二人で泊まって、各人二五〇〇円程度。ワイルドだ。
走り疲れたおっさん二人が、丘を下りたところにあるスーパーで食べ物を仕入れ、大谷さんのバーナーで湯を沸かし、カップラーメンとかパックの刺身とか魚肉ソーセージとかを食べている。弱々しい電灯が一つしかない部屋に、これまた持参したランタンを焚いて……。
ちょっと人様にはお見せできない姿だ。でも、本人らは充実感に浸り、明日への期待感に満ちてとても機嫌がいい。寝袋に入るとすぐに眠りに落ちた。
明日は、高知県を西へ西へと走り、四万十川にぶつかったら川沿いに北上し、カルスト高原を見て、山を越え、瀬戸内海に面した愛媛県の東予港でフェリーに乗る予定。六時起床の七時出発だ。
いつか、僕の好きなことやものについて滔々と語る、読んでくれてる人たち全く無視の回を設けたろうと思っていたのだが、今回と次回はモーターサイクルについてです。
その他、浜田省吾The Birthdayカントリーミュージック(音楽ばっかりやな)、ブーツ、筋トレ、お尻などが待っています……。「キョーミねぇー!」という悲鳴が聞こえてきそうです。
次回もお付き合いください。
(つづく)

「大切な、大切な、いのちの話」

「男は孤独な旅人である」と言えば、大概のことは許されると思って生きてきた。去年はアメリカ横断もさせてもらったし、このゴールデンウィークにはバイクで四国を旅してくる。
子供のいる人なんかは、友人たちとテニスするのも、欲しいもの買うのも許可がいるようで気の毒である。どうせ男と女は分かり合うことなどないのなら、せめて好きなようにさせてもらいたい領域というのは確実にあるのである。それが人によって旅であったり、趣味であったり、仕事であったり。
インターネットでB級ニュースを読んでいたら、こんなものに出くわした。
妻とはセックスレスの男が、AVを観ているところを見つかり激怒され、鬱憤が溜まって路上でのわいせつな犯罪に及んだという。あまりに短絡的で同情する気にはなれないし、犯罪の動機をそんなふうに簡単に結論付ける裁判にも疑問があるが、それは一旦よい。僕はその妻に対して怒りを禁じ得ない。
セックスもなし、オ○ニーもダメって、なんだそりゃ。それはほとんど虐待である。食事も与えない、水も許さない、で健康的に日常生活を送れと言われているようなもので、何を考えているのかと言いたい。
こういう浅はかな態度は、「アメリカ基地は沖縄県外へ」なのに「徳之島への移設もNO」、それでも、防衛費を増大させて、自衛隊を強化し、己の力で自国の防衛に努めることも「トンデモナイ」、ただただ「戦争反対」だけを念仏のように唱える愚か者たちに通じるものがある。
アメリカ軍が駐留すること自体を喜ばしいことだとは思わないが、それのために我が国は徴兵もなく、のうのうと平和を享受できているのではないのか。
沖縄の負担を軽減するために各地方自治体が協力、というか分担、というか妥協し合わなくてはいけない際に、根源的な議論を全く無視した横車の押し合い。民意という名の縄張り意識だけでヒステリックに叫ばれても、いやいや、防衛ってのは地理的な条件に鑑みて国家の意志で決定してもらわないと。嫌がらせで決めてるわけじゃなくて、国全体の防衛のためにやってるわけで、民意というなら、「一部の人間が国全体の安全保障を歪めるな」だろう。
「うちにはいらない」のは分かったが、「国にはいる」のだ。
いつものように怒りがアサッテの方向に向かいかけたが、話を戻すと、セックス拒否、オ○ニー禁止で、家庭(夫婦)に平和など成立するものかということだ。
ここにこういうデータがある。
  • 「前立腺ガンの危険を抑えるために、男性がひと月の間にするべき射精回数は、二十一回以上である」
  • (AMA=アメリカン・メディカル・アソシエーションの報告による)
これがどういうことかお分かりだろうか。二十一回! ひと月を四週と考えるなら、週五回を毎週欠かさず続けて、さらにもうひとガンバリしないとクリアできないことである。しかし、そもそも、ちゃんとパートナーがいる人なら、女性はひと月のうち約一週間は「ダメな日」があるので、可能な日は毎日ということになる。気分もへったくれもない。
考えただけでちょっぴり先っちょがヒリヒリする数字である。
ちなみに日本人の年間のセックスの回数は四十八回ということで世界最下位だそうだ(デュレックス・セクシャル・ウェルビーイング・グローバル・サーベイ二〇〇七より)。
年間に四十八回のセックスつうことは、週に一回すら満たしていないのである。月に二十一回以上なんて遠く及ばない。
日本人男性は、常に前立腺ガンの危険と隣り合わせで生きていることになる。男は、常に死の恐怖と闘っているのだ。おわかりか?
しかし、押さえておきたいポイントは、月に二十一回以上求められているのは射精である。セックスではない。足りない分を独力で補うことが可能というわけだ。これはもはやリスクマネジメントと呼べる。
だから、亭主の健康を気遣う奥様で、しかもそないに毎晩求めに応じる余力もないのなら、オ○ニーだけは許可してもらわないわけにいかない。
前立腺ガンというのは、マイナーに聞こえるかもしれないが、アメリカでは罹患数第一位で、死因の第二位だという。日本でも年々増えていて、二〇二〇年には肺ガンに次いで二位になることが予想されているという怖い病気だ(アストラゼネカ社のウェブサイト、www.zenritsusen.jpより)。
健康のためのわけのわからんサプリメントとか運動を勧めるくらいなら、オ○ニーを見て見ぬふりすることが愛情である。そこは、好きなようにさせるべき領域なのである。
思い出してほしい。「男は孤独な旅人」なのである。長く険しい性の旅路も往かねばならぬ時があるのだ。己のため、家族のため、生きるために……!
男性が、女性の生理についてとやかく言うだろうか。言えまい。そこは「デリケートな部分」として、そっとしておくのが礼儀だ。それを咎めるとか禁止するとか激怒するとか、大きなお世話なんじゃい!
そこで僕は、オ○ニーのことを「前立腺ガン予防体操」と呼ぶことにしている。「運動」でもよいが、健康イメージを付加するために体操としている。
最近は我が家では、体操選手として認められるようになってきている。現役の体操選手として応援すらされている気がする。愛されているからこそ、長生きしてほしいと思われているのでしょうな。前立腺ガンは怖いですからね。
本日は、大切な、大切な、いのちの話をいたしました。
ごきげんよう。
(了)

「酔ったふりの男と興味あるふりの女のとある一夜」

昼間降っていた雨は上がっていた。雨が作った水たまりが、街灯の明かりを反射している。男はかなり酔いが回っていたが、それでも新しい靴を気にして水たまりを避けて歩いた。
「もう一軒行こう」
男は女に言った。尋ねたのではなく、誘ったのでもなく、言った。それは、尋ねたり誘ったりすれば逡巡されるのがわかっているからだ。小芝居に付き合うのは面倒だ。
実はおろしたての革靴のせいで靴擦れが痛んでいた。手近なバーに入った。
六階建て雑居ビルの二階。狭い廊下の突き当たり。入ったことはないバー。バーと言っても、ジャズバー、ソウルバー、ゲイバー、SMバーなど色々ある。「会員制」と書かれた淡いブルーの扉からは、そのバーの種類をうかがうことはできなかった。もちろん男は会員ではないが、面倒な客を断るためだけの名ばかりの会員制バーなどいくらでもある。だから、入り口で身分証明を求められても男は訝しくは思わなかった。それほど酔っていたのかもしれない。
「はー……」
ちょび髭を生やして蝶ネクタイをしたマスターがやって来た。
「はじめて?」
多少吃音のあるマスターはカウンターの向うで人懐こい笑顔を見せた。曖昧に笑顔を返して男はジントニックを頼んだ。女はウィスキーをロックで。
「ハーパー」
銘柄を訊かれて女は答えた。
「ハー……ハーパーね」
マスターはどもりながら確認すると、背後に整然と並んだ酒瓶から背伸びして目当てのものを掴んだ。棚に飾られている男性器を模したピンク色のディルドーがブルンと揺れた。
二人の背後では先客の男二人と女一人がボックス席で戯れていた。薄暗い店内にはステレオから流れる古いR&Bの黒人ボーカルと、彼ら三人の笑い声が響いた。
カナダ帰りの女はツイッターを「トゥイラー」と、ユーチューブを「ユウテューブ」と発音した。男はツイッターがなにか知らなかった。
男は、再び靴擦れが気になってきたので、カウンターの下で靴を脱いだ。新幹線の中でするように、無意識のうちに両足とも脱いでいた。女と会うのは三回目。まだそういう関係には至っていなかった。「まだ」というのは、男には、いつかそうならないものだろうかという期待があったからだ。女は、そうなりそうになったら「友達」をことさら強調してうまく逃げるつもりだった。酒やメシをいつもごちそうになる「友達」などこの世にいるはずもないのに。
「Gスポットの由来って知ってる?」
酔ったふりをして男は突如会話の舵を切った。興味のあるふりをして女は微笑を浮かべた。
「知らない」
カウンターに肘をついて、その腕で髪の毛をいじった。上目遣いに男を見る。
  • 「Gスポットを発見したグレーフェンベルク博士の頭文字から取ったって話だよ」
  • 「名誉な話ね。って、そうなのかな?」
  • 「でも、もう一つ説がある」
  • 「どんな?」
  • 「そこを触ると女性がジーザスを意味する『GEE(ジー)、GEE』ってよがるから、ジースポットっていうらしい」
  • 「それは……、神様怒らないのかしら」
女は笑った。男は会話の主導権を得た気になり、それをさらに掌握にかかった。興が乗ったのか室温を暑く感じ、上着を脱いだ。
  • 「マスター、葉巻置いてる?」
  • 「はー……葉巻ですね。ありま、ありますよ」
マスターは「ハ」で始まる音が発音しにくいのか、やはりどもりながら、ケースから何種類かの葉巻を見せた。男は権力を誇示できそうな太い一本を選んだ。いかにも女が知識を持っていなさそうな葉巻の薀蓄を披露しようというのだ。
「ハー……ハサミでもいいですか? シガーカッター、どっ、どっか行っちゃったみたいで」
マスターが尋ねると、男は快諾した。
「鋭くカットしてくれればなんでも構わない」
視線を女に向ける。
「スパッと切ってもらえないと、葉くずが口に入るんだ」
女は物珍しげに葉巻を見つめた。
「ジッポライターで火を点けるとオイルのニオイが移るから、ガスライターの方が適してる」
と、男はポケットから百円ライターを取り出して、円を描きながら葉巻の先に点火した。ジッポーライターなど元々持ってはいない。口元で柔らかく煙を弄ぶと、エクトプラズムのように紫煙が漂った。男はそのサイズを確認するように指で葉巻を回しながら言った。
  • クリントン大統領は、これをモニカ・ルインスキーのアソコに××したって知ってた?」
  • 「え? クリントン?」
再び下ネタを差し向けてみた。「不適切な関係」の大統領と、のちの「不都合な真実」の副大統領の時代だ。女は当時はまだ中学生だったから、そんな話知るわけもなかった。
「君もしてみる?」
大げさにうまそうな表情で煙を吐いた。男はモニカとの行為をさして言ったつもりだったが、女は葉巻を体験してみることと受け取った。男の誘惑は不発に終わった。
「えー、じゃあ……、小さいやつを」
女はマスターを呼んだ。
「はーはい、はい、はー……葉巻ね」
マスターがケースを開けると、女は比較的小さくて、ツヤのある一本に手を伸ばした。……つもりだった。
「ギャー!!」
女の悲鳴がバーに響き渡り、男やマスターはもちろん、後ろの客たちも振り向いた。女が小さな葉巻だと思ったものは、体長七センチはあろうかという大きなゴキブリだった。
慌てて引っ込めた女の腕が、カウンターに並んだ酒瓶をなぎ倒す。倒れてきた瓶に驚いたマスターが後方に倒れて、棚の瓶たちが頭の上から降り注ぐ。ガラスの割れる大音響が空気を裂く。
男は火の点いた葉巻を取り落とし、それがカウンターを転がり、こぼれていたアルコール度数の高い酒に火が回った。火はあっという間にカウンターに積んであったスポーツ紙の束に移り、火柱が立つ。
「ああああぁぁ!」
マスターが叫ぶ。男はスツールから転げ落ちて冷たい床に腰を打ちつけた。
「あたたたぁ」
あっという間の出来事に女は立ち尽くしていた。棚のディルドーが熱でぐにゃりとしな垂れた。
やがて、煙を感知したスプリンクラーが水を撒き散らし始めた。バツン! という音がして、電気が飛んだ。スプリンクラーの放水が鎮火に成功すると、空間は暗闇に包まれた。その場の全員が悄然とその場から動けず、ずぶ濡れになるに任せていた。
「み、みなさん、だ、大丈夫ですか?」
散水が済むと、初めに口を開いたのはマスターだった。みんなが口々に大丈夫ですと答えた。人が動くたびに水が滴る音がした。
  • 「と、とりあえず、みなビチャビチャでしょうから脱いでください」
  • 「どこか干せる場所とか乾燥機とかあるかな」
男が訊いた。
  • 「う、裏に洗濯乾燥機がありますから、おーお時間さえあればなんとか。さぁ、みなさんぬー脱いで」
  • 「私も脱ぐわ。どうせ暗闇だし」
女が言った。
  • 「それにしても、マスターごめんなさい」
  • 「いー今はと、とりあえずいいから。はー……裸になって、さぁさぁ」
その場の全員が裸になった。男はすでに靴も上着も脱いでいたから、濡れた衣類を脱ぐのは容易だった。三人の客の一人がシャツを絞った。
「はー、はー……肌寒くなってきましたね」
マスターが言ったその時、大勢の足音が廊下を走ってきた。ドアが勢いよく開けられ、壁にぶつかった。
  • 「警察だ!」
  • 「警察だ!」
  • 「警察だ!」
  • 「全員動くなー!」
  • 「はい、そのままー!」
電灯が戻ると、バーの隅に裸の男女が身を寄せ合っていた。全裸のマスターが、鍛えられた肉体で制服を張らせた警官に両側から抱えられていた。その生白い姿は焼き鳥のネギのようだった。
  • 「はい、二十三時四〇分! 公然わいせつ罪の現行犯で逮捕する!」
  • 「ハー……!」マスターは目を見開いて喘いだ。
  • 「ハー……!」
体をよじり、脚をバタつかせる。何かを言おうと、助けを求めるように男たちを見る。
「ハー……!」
どもるマスターを警官が構わず連行して行く。姿が見えなくなる。
「ハー……、ハープニーング!!」
マスターの叫び声だけが廊下に共鳴して、しばらくは男の右の耳と左の耳の間をこだましていた。
(……プニーング、ニーング、ニーング、ニーング)
ハプニングバーの最大のハプニングは、警官隊が踏み込んでくることだろう。
ふと見ると、女のお尻にはホクロがあることを発見した。男は、ちょっと得した気分になって、すぐに現実に戻った。
(完)
フィクションです。あくまでフィクションです。
僕は個人的には、そういうバーも、マンションの一室で行われる「大人の集い」も、愛好家が勝手にやる分には構わないと思うのだが。「公然」わいせつ罪といっても、部屋の中なら公然ちゃうし。何が罪なのか全くわからない。未成年でもない大人が、性的な好奇心を満たすために集ってなにが悪いのか。
お金への欲望をギラつかせて投資セミナーとか参加しても罪にならないのに。
抑えきれない食欲を抱えて、ラーメン屋の前に行列作っても逮捕されないのに。
FXみたいなムチャな投資とか、翌日下痢するような激辛料理と同じジャンルのハードコアな行為でいいじゃないですか。
なにも文部科学省が推奨するこたぁないです。しかし、もしも少年たちが「大人になったら集会の自由は憲法第二十一条一項で認められているけど、『大人の集会』は認められていない」という矛盾を知ったら、将来に夢も希望も抱けませんよ。
いいんですか? そういう未来にしても。
明日も日本のどこかで校舎の窓ガラスが叩き割られていても、いいんですか?
後輩の神市(仮名)は、「ITの発展は、全てエロスのためですよ」と、まるで世界を牛耳るユダヤ人のような顔をして僕に言ったものだ。
まぁ、人が勝手にするのはとやかく言うつもりもないが、僕自身は非常に偏食なので、そんな好き嫌いのない野生的な方々の前では萎縮してしまってハムスターのようにプルプル震えることだろう。
ハー……ハムスター。
見てみたいが行けはしません。あくまで想像で書きましたので悪しからず。
以下、事件の一例をZAKZAKより(大阪多いなぁ〜):
(了)

「とうとう今月から家計簿付け始めました」

僕が乗っているカワサキのバルカンドリフターというモーターサイクルは、僕の所有しているモデルを最後に生産中止となった。カワサキでは、(二〇一〇年二月)現在いわゆるクルーザーとかアメリカンとか呼ばれるタイプのバイクが生産されていない。ここ何年かで次々に生産中止になっていったのだ。
理由は、そもそもクルーザーが最近は不人気であるということをはじめとして色々あるのだろうが、「環境基準に適合しなくなった」ということもあるらしい。排ガスを規制する法律が年々厳しくなり、それに対応できなくなった車種を廃止していっているのだ。
環境への危機意識が高まるにつれて、基準が厳格化されていくのは当然の流れだし、メーカーは必死にそれに適応すべく研究開発を続けていくのがあるべき姿だろう。
地球が本当に危機に瀕しているのかは、僕には判断する知識がないが、仮にそうだとするなら、地球は一秒たりとも待ってはくれないわけで、何よりも優先されるべき課題である。
何よりも。お金よりも、だ。
日本の自動車業界では「エコカー減税」と「エコカー補助金」が真っ盛りで、テレビCMではどの会社もそれを消費者の背中を押すものとして連呼している。
「エコのために、新しい資源と資材を使って作られた自動車を買いなさい」というのがそもそもおかしいとは思うのだが、それは一旦よしとしよう。自動車と住宅については、この国では国家ぐるみで買わせよう買わせようとするシステムが働いているのだから。
おかしいのは米国が、自国の自動車が日本の環境基準を満たさないからといって、日本を非難していることだ。
「米国議会で日本の補助金などの支援策が米国車を排除していると不満が高まった」(読売新聞朝刊二〇一〇年一月二十四日)
「不満が高まった」とは、いかにも新聞らしい表現だが、要するに日本に対して圧力をかけてきているのだろう。ドラマになった城山三郎の小説『官僚たちの夏』そのまんまの世界が今でも続いているのだ。
それに対し日本の経産省は条件緩和を実施する方向で、二月三日に新たな補助金対象輸入車四十三車種を発表した。米国勢としてはキャデラック、ハマーなど五ブランド八車種。大半が欧州車で、アウディアルファロメオBMWなど十ブランド三十五車種だという。
そして、米国通商代表部は文句タラタラである。生産国における公式燃費値の採用が今回は見送られたことで、目論見通りの車種拡充が達せられなかったからだ。
しかし、ふざけとる。ハマーのどこがエコカーなんじゃい!あんなバカデカファットアメリカンモンスタービークルエコカーなら、アフガニスタンを走ってる戦車だってエコカーだ。道頓堀でおじさんが押してるリヤカーだってエコカー補助金あげたれや。
ちなみにハマーブランドはチャイナ企業の四川騰中重工機械有限公司に売却されるそうだから、今後はビッグファットチャイニーズモンスタービークルになる。元祖デブの国から、今をときめく赤いデブの国に移るわけで、ちょうどいいだろう(※註)。
一方で、同年二月六日の読売新聞朝刊の記事によると、米国のカリフォルニア大学は二〇一二年から、学業成績だけだった入学選考基準を都合良く変更し、アジア系学生を締め出そうと動き出している。勉学を重視し勤勉なアジア人が人種比率の五割を超す学校も出てきて、おそらく白人であろう大学理事らの「不満が高まっている」のだろう。
環境だの、人種差別撤廃など、ヤツらには何の興味もないことが透けて見えるってもんだ。
環境基準というのは、環境をこれからも持続していくために設定しているわけで、今後厳しくなっていくことはあっても、環境が大きく改善でもされない限り、緩和されることはないはずだ。その骨子を金銭のために折るというのは、どういう傲慢かと思う。
アメリカの自動車に適合していただくために、基準の方を変更していくなんて、本末転倒の極みだ。ヨソ様の国の基準に自国の製品が合っていないのなら、それに合わせるのが礼儀だろう。それで売れるのなら、日本特別仕様車でもいいではないか。そういう努力はせずに圧力だけかけてくるとは、あの国は終わっとるな。アメ車が日本を席巻することなど、あと百年はなさそうだ。百年後に人類がいるならの話だが。
補助金の設定自体が、環境対策としてではなく、景気対策として、いや、自動車業界のためだけに作られたものであるから、足元がそもそもグラグラだ。
この時代、誰しも必死なのはわかる。環境すらも商売の道具にして、実のところ地球環境など顧みるつもりもなく、我田引水に終始するこの世界。
僕は地球が滅亡するのは、この「生き残り策」のためだと思う。自分だけ生き残ろう生き残ろうとすればするほど、皮肉にも人類は滅亡に向かう。
人間のバカさ加減が丸出しである。
資本主義は一度敗北したという事実はどうなったのだろう。先ほど「アメリカは終わった」と言ったが、実際にアメリカのやり方は一度終わったのだ。
国民皆保険すらも「社会主義的」だとして否定する人間が多いあの米国ですら、民間企業に公的資金を注ぎ込んで、一旦資本主義における自由競争の原則を放棄した。
なのに、どうしてか、結局新しい方法を模索する動きにはつながらず、いつの間にか従来通りのオレはオレだけはの経済狂奔が再開している。特に米国の見苦しさは度を越えていて、ブレーキ不具合問題に端を発したトヨタ叩きは目に余る。トヨタは特別好きではないが、「この際一気に叩き潰したろか」という敗れた暴君の復讐心が見え見えで嫌悪感を覚える。
ちなみに、僕は日本航空も特に好きではなく、今までは全日空に乗っていたが、最近はJALで飛んでいる。機内が空いてていいよ。自分の遅刻癖を棚に上げて言わせてもらうなら、運営がお役所的過ぎて、六回の搭乗中、二回乗り過ごしているのだけど。
今後も地球に住むつもりがあるなら生き残り策は「奪い合い」ではなく「分け合い」であることなど、頭では分かっているはずなのに誰も実行はできない。
いやいや、僕はキレイごとを言っているつもりはなくて、本当にこれからはどう増大するか、拡大するか、伸長するかではなくて、どう配分するかという段階に人間社会は来ていると思っている。競争ではなく、談合で生きていくしかないのだ。
でも、同時に絶対に人間はそれをしないことも知っている。なぜなら、みんなで分け合えるほど富はこの世にないからだ。不思議なことに世界はそういうふうに作られている。
ほんま、九百円のジーンズとか買うな! もっと言えば、履かねえなら買うな!
話題が飛躍したようだが、そうではない。一社(もしくは少数の大企業)が他を駆逐してしまうようなムーブメントに加担してはいけないと言いたいのだ。
本当に九百円のジーンズしか買えない人にはうれしいだろう。でも、九千円のジーンズを履くべき人や、中には三万九千円のジーンズを履く人もいて、世間には様々な選択が無限に広げられている。つまり日々の果実が分け合われているのだ。
僕は広告会社に勤めているのだが、会社は少しでも経費を削減するために飛行機ではなく新幹線で出張しろという。しかし、新幹線に偏重することにより、航空会社の業績が今以上に落ち込み、広告費がさらに削られて、広告会社の業績並びに我々の給与も落ち込む。そんな想像もできないのか。財布の紐を締めたつもりが、その紐はテメエの首に巻かれていたってことだ。
書店に並ぶ経済誌やマネー誌の見出しに「サラリーマンの年収が百万円単位で下がる!」「あなたの給料も!」などという不安を煽る言葉が飛び交っていて「ふーん」と思って見ていた。しかし、確認してみたところ、僕の収入はこの二年の間に、本当に百万円以上下がっていた。おぉ、まさに僕のことやんか! ほんまに起こってるやん。
僕は今月からマメに家計簿を付けることにし、それでも本当に欲しい物や必要な物は買っていく。たまには身の丈に合ったプチ贅沢もさせてもらう。
今まで無駄な物や不要な物を買わされることで経済が潤っていただけで、これはバブル、またはプチバブルだったわけだ。これからは正常に経済活動をして、普通に暮らしていければいいだけのこと。
この豊かな国の多くの人にとって、求められることはこういうことだ。なにもエコカー補助金もらってまで、ハマーなんか買わなくてもいいのである。
「次回はウ○コチ○コの話をする」と言いつつ、こんな鬱陶しい話を書いてしまった。再び謝罪。
本当に書く直前までは「乱交パーティはなぜ犯罪なのか」という疑問について書く気満々だったのに……。
(了)
※註:その後GMと中国の四川騰中重工とのハマーブランド売却交渉は打ち切られ、頓挫の結果ハマーブランドは消滅への道を辿るという。
P.S. 買い物について言うと、社長さんである友人と、日々買うてもうたモノを見せ合う共同ブログ「コテモタ!」というのをしています。なんで数ある商品の中からなぜそれを買ったのか、あーだこーだ言い合うブログです。ご興味あれば覗いてください。

「元日に国を思う」

元旦に、ひとりで暮らす母親を連れて靖國神社に初詣参拝してきた。僕は三度目の靖國参拝であるが、母親は初めてであった。 正月早々、いつものようなウ○コチ○コの話に終始するのもナンなので、今回はこの、誤解に満ちた、英霊の社について少し語ろうと思う。 ご存知の通り、靖國神社というのは、戦争犯罪者と裁定された人々が祀られているということを理由に、日本国の元首が参拝をすることに対し、チャイナやコリアといった周辺国から抗議を受けるという、東京九段下の神社である。

爆風スランプの名曲「大きな玉ねぎの下で」の中に 九段下の駅をおりて 坂道を 人の流れ 追い越してゆけば 黄昏時 雲は赤く焼け落ちて 屋根の上に光る玉ねぎ という歌詞が出てくるが、東京メトロ九段下駅の出口を出て、なだらかな坂道を上がると、左手には日本武道館が見えてくる。そして、その屋根には本当に「玉ねぎ」が輝いているのだ。なぜか芸名に「くん」を付けたサンプラザ中野くん氏のことを思いつつ、歩いていく。

彼の芸名の元になっている中野サンプラザ(旧名は中野勤労青年会館)は、僕にとっても思い出深い場所で、コンサートスタッフのアルバイトでそこに通ったり、友達とボウリングしに行ったり、今でも帰京する際には、おかんの運転する車にサンプラザ前で拾ってもらったりする。 さて、靖國である。第一鳥居を潜って、拝殿までの長い石畳には、やきそばやらベビーカステラやら串焼きやらの出店が並んでいて、家族連れや夫婦連れの人々で賑わっている。昼前に到着したら思いの外混雑していなかったので、さっとお参りを済ませた。

僕は神社に参る時には個人的なお願いはしたことがない。この日も「この国をお見守りください」と英霊たちにお願いし、そんな大変な仕事を依頼したわりに賽銭が少なかったのではないかという疑念を振り払いつつ、神酒をすする。 では、ここで靖國神社の由緒について、公式ウェブサイトから抜粋してご紹介しておきます。

靖国神社は、明治二年(一八六九)六月二十九日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治十二年(一八七九)に「靖国神社」と改称されて今日に至っています。」 「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。」

だから靖國という名前には「国安かれ」、「平和な国家を建設する」という明治天皇の切なる願いが込められているのだ。

http://www.yasukuni.or.jp

幕末から明治維新の混乱というのは、後世に我々が教科書で読んだ歴史の一ページとしての出来事という以上の凄まじさがあったはずである。なにせ、文字通り世の中がひっくり返ったのである。そして、幕府側も討幕派もそれぞれが国を思って命を賭したわけである。そういう時代に起きた戊辰戦争に始まり、西南戦争日清戦争日露戦争満洲事変、支那事変、大東亜戦争と、日本国が今に至るまでのそれぞれの国難で喪われた命が靖國に祀られている。ということは、A級戦犯ばかりが取り上げられるが、そこには大東亜戦争の兵士たちと一緒に、坂本竜馬吉田松陰も英霊として祀られているのである。 英霊というのは、幕末の藩士藤田東湖が「正気の歌(せいきのうた)」の中で殉国者を英霊と詠んだということだ。

そして、ここで重要なことは、祀られた神霊には身分や勲功、男女に分け隔てがないという点だ。よって、今後、民主党が実施に向けて動くかもしれないように、A級戦犯以外を慰霊するための施設を新たに建立するなどという発想が、いかに恥ずかしいものかがわかるはずだ。 天皇の御心によって「身分や勲功の別なく」とされているものを、わざわざ「功罪」によって差別しようという浅ましさ。しかも、後述するが、その「罪」は勝者に一方的に押し付けられたものである。

加えて言えば、靖國神社は元は「招魂社」であり、そもそも鎮魂を目的に作られたものである。そこには政教分離の議論などは及ばない日本人に染み付いた宗教観が反映されている。 国家元首が靖國に参ることを認めないということは、先祖に手も合わせない、墓参りもしない、お盆休みも取らないということである。先祖が見守ってくれている、と考えることはもはや宗教すらも超越した、日本人のアイデンティティーの根幹に係わる概念だ。それを否定できる人というのは「私は日本人ではありません」と言っているに等しく、それならそれで「そんな人に、日本のことをとやかく言われる筋合いはない」のである。

今、我々が住むことのできている国というものが、先達の決断や犠牲の上にあり、そこに至るまでには過ちも未熟さもあったにせよ、それぞれの時代において国のためにギリギリの判断をしてきた結果であると、敬意を表すことはできないものだろうか。

大東亜戦争侵略戦争と呼ぶなら、欧米がアジア圏やアフリカ大陸で行ってきた植民地化の歴史は侵略以外の言葉で何と表現するのだろう。資源のほとんどを輸入に、それもアメリカからの輸入に頼っていた日本が、そのアメリカから輸出を止められた。アメリカは、到底飲めない条件(いわゆるハルノート参照)を突きつけてくる。石油の備蓄量は二年分。

さぁ、どうする。 二千年の歴史のある国の存在を諦めるか、戦うかしかない場合、どうすればよかったのか。 イラク戦争では開戦の口実とされた大量破壊兵器はとうとう出てこなかったが、それを「持っているだろう」「出せ」「調べさせろ」と詰め寄って、戦争まで持ち込んだ。 この窮鼠が猫を噛むまで追い詰めるやり口は、大東亜戦争においても同様であることが今更ながらよくわかる。 早い話が「自衛の戦争であった」、ということは、もはや日本の子供たちにも教科書で教えていいレベルの常識ではないだろうか。 あの植民地時代においては、アジア圏に日本が進出することも含めて自衛である。 何十年も未来に、経済を拡大させることを罪悪と考える時代が来ているかもしれない。その場合、今日の企業の努力は歴史の水泡に帰する。そんな時代が来るかもわからないのだ。それくらい、植民地拡大が当時の世界の潮流だったわけだ。 ちなみに簡単に語られるA級戦犯という言葉の「A」は等級を表すものではない。つまり、A級戦犯は、BC級戦犯よりも悪い、というものではない。

Aは、要するに「戦争を始めた罪」。 Bは、通例の戦争犯罪。一般人民や捕虜の殺害、虐待、財産の略奪など。 Cは、政治的、人種的、宗教的理由による迫害、殲滅を含む、人道に対する罪。 ということである。

級戦犯のみを日本酒のように分類して「なんかわからんが一番悪そうだから」と吊るし上げるのはおかしいのである。 追い詰められた末に、戦争という最終手段を選んだ人たちを、愚かと思うのは勝手だし、僕も正しいことをしたとは思わないが、後世の人間は何とでも言える。 それは、サッカーの試合を観て、「あそこでパスを出して、あそこでちゃんとシュートしていれば点が入っていた」という、当たり前のことを言うアホな観客に等しい。

Aの戦争を始めることと、Cの民間人の虐殺を行うことの、非道さをどのように比較して、なにをもってA級戦犯だけを分けろと言うのかがわからない。 戦争を始めることがそんなに悪いならブッシュはどうすればいいのだ。

そして、前提として、そのABC級は戦勝国による極東軍事裁判(東京裁判)での一方的な判決によって決められたことを見逃してはいけない。報復行為以外の何ものでもない。フセインだって、さっさと吊るし首にされたではないか。あのやり方に疑問を感じなかったか。 民間人の大量虐殺という意味では、原爆の投下が人類の歴史において最も重い罪であるはずだ。しかし、それは問われない。まぁ、以上のようなことは、本を読めばわかることで、僕の意見でもなんでもない。常識の確認として述べたまでだ。 日本が犯した最大の罪は、「戦争をした」ことではない。「戦争に負けた」ことなのだ。 靖國神社に併設された遊就館という英霊の資料館を訪れれば、いかにしてこの国が先人たちの「思い」によって成り立っているか、我々が奇跡のように今日生きている生が、犠牲となった人たちに与えていただいたものであることがよくわかる。 この国は、悲しみと呼ぶにはあまりに悲し過ぎる、胸の押し潰されるような人々の思いに導かれて今日に至っている。その重みを、せめて元日くらいは受け止めたい。

遊就館

特攻隊員が母親や婚約者に宛てた遺書なんかを読むと、涙を禁じえない。ある兵士は、婚約者に対して書いた手紙の中で、国に殉じるというやりたいことをさせてもらっていながら僭越ではあるが、と断った上で「見たいもの」として、書物と絵画に触れた後、その婚約者の名前を挙げている。「会いたい、無性に」という言葉に、僕はその先を読むことができなかった。 下を向いて読んでいると涙がこぼれてしまうから、上の方の展示ばかりを眺めた。 殉国者の写真が大量に陳列された最後のコーナーを歩けば、自分の友人や家族の顔に似た人が必ず見つかるだろう。僕らみたいな人たちがこの国を築いてきたのである。 「あとは頼んだ」と、英霊たちに背中を押されたような気がして下界に出てきた僕にできることは、悲しいかな、祈ることだけだ。 せめてこの国が、歴史の嵐の末に手元に得た憲法九条を堅持しながらも、毅然と生きていくことを望む。 僕は愛国者であるが、アメリカで大学教育を受けた者であり、(九条に関しては)護憲派である。非核三原則については、密約も明らかになってきていることだし、懐疑的である。 「戦争はしませんよ。二度としませんよ。だけど、日本を本気で怒らせたらヤバイことになりますよ。わかってますよね?」という態度でいいのではないだろうか。「いや、それでも戦争はしませんけどね」と。 の靖國神社内の遊就館と、広島平和記念資料館は日本人が必ず訪問するべき場所であると知ってほしい。

国よ。

国よ、安かれ。

(了)