月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「このまま死なせて」

スペースさえ許せば、「夫婦の寝室を別にしたい」と考えている人が首都圏では三五%に上っているそうだ(2003年、リブランひと住文化研究所調べ)。今回はここから論述をスタートさせたい。
僕は、この調査結果を見て「僕は独りじゃなかった」と、少々嬉しい気分になった。なぜなら、僕も「別々の寝室」を常々主張してきたからだ?
誰にかって? 手当たり次第の女性にだ。うーん、これでは誤解されてしまうな。
「ショータひと住文化研究所」所長として、プライベートな話ができる間柄の女性なら大抵の人(と言ったら余計にアヤシイだろうか……)にこういう話をする。
世の夢見る乙女が陥りやすい勘違い、予測の甘さを正したいのだ。
こちらは人伝に聞いたデータだから、どこまで真実かは定かでないが、「人間の恋愛感情は七年間しか持たない」らしい。だかこそ、長期に及ぶ良好な夫婦関係というのは恋愛感情の上に、「人としての尊敬」や「親しい他者に対する労わり」が不可欠なのだ、とのこと。
とは言え、結婚はおろか、大した恋愛もしていない、僕のようなチンケな男がなにをエラソーに……、と自分でも思う。うん、その通り。
しかし、僕はそんじょそこらの夢見る乙女なんかが、「超現実主義者」に思えるくらいのロマンティストである。「別々の寝室」の理由もそこにあるのだ。
一言で言えば、僕は「一生ロマンスを失いたくない」のだ。七年が限度、などという凡人の平均値は吹き飛ばしてやりたいのだ。
「嫁さんがブスで……」とか、「家族サービスで疲れちゃって」とか、あたかも仕方なく結婚しているようなことをヌカす負け犬に、僕は抗う。
結婚したら、毎朝熱い接吻で目覚め、パンツを履きながら(※僕は下着をつけて眠る習慣がない)愛の言葉を囁き、牛乳を飲みながら生涯の愛を誓い、靴を履きながら再会を約束する。
……こんなことしてたら多分、時間通り出勤なんてできないとしても。
その一環として、寝室は別々にしたい。そして、お互いの部屋に「お泊り」に行きあえばいい。風邪をひいている時や、仕事で遅くなる日や、そんな気分じゃない晩や、はたまた余所で済ませて来た場合(おいっ)は、自分一人の寝室で気兼ねなく眠りたい。たまには、オナラだってしたい。
しかし、そういう時以外は、最低でも火木土と祝は、間違いなくセックスをしたい。可能な限り、祝日は複数回こなしていきたい所存であります。
僕は男ばかりの三兄弟の真ん中として育ったから、女性については知らないことばかりなのだ。二十七年の間にいろんな目に遭って、徐々に理解してきてはいるが、今でも女性は美しい、嘘なんてつかない、キタナイ計算なんて、卑怯なマネなんて、ヤラシイ行為なんて、(メガネを直しながら)と、とんでもございません! と考えている。
まさかウ○コなんてしないと、頑なに信じている。
「お前は幻想を抱きすぎだ!」と言われ続けてきたが、できることなら、夢見たまま、騙されたまま、生涯の幕を閉じたい。
だから、後生だから、貪り食べている場面や、口開けて寝ている姿や、排泄している時間は僕から隠匿していてもらいたいのだ。肉欲に狂った姿態は、僕だけに見せてほしいけど。しかも、最低火木土と祝は……。
こんなことを考えているから、僕には女性との関係を持続させる能力が欠けているのかもしれない。男兄弟や、男の友人たちや仲間たちに囲まれて育つのも考えモノかも知れん。
かと言って、物珍しさでキ○○マを引っぱってくる姉や、突然後ろからカンチョーしてくる妹に挟まれて育っていたら、……それはそれで真っ直ぐには育たなかった気がして怖い。
(了)