月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。2003年より書いていた月イチコラム「月刊ショータ http://monthly-shota.jp 」をhatenaに転載しました。そのため、一部お見苦しい点があることをご容赦ください。

「おっさんたちのスタンド・バイ・ミー②」

マンモス・レイクスではまずウェルカム・センターに立ち寄って、予約してあったジョン・ミューア・トレイル(JMT)の入山許可証を取得しなくてはならない。ログハウス風の建物の中に、記念品や土産物のストアとインフォ・カウンターが一緒になってある。

オリーブ色の制服を着た係官の前には、僕たちと同じようにハイキングをするのであろう人たちがすでに列をなしている。
係官の男性から、トレイル上での規則をひと通り聞いて、質問に答える。
「ベア・キャニスターは持っていますか?」「はい」
「持ち込む燃料の種類は?」「ブタンガスです」
「OK。焚き火はすでに焚き火跡があるかまどではしていいが、それ以外での直火は禁止です」
彼が唐突に「私はワカヤマにいたことがあります」と言った。
はじめは「オカヤマ」と言ったのかと思ったが、聞いているうちに「シラハマ」が出てきたので理解した。厳格なルールが課されるトレイルなのだが、彼とは和やかに会話をして、一人六ドルの入山料を支払って手続きは完了。

マンモス・レイクスの町はスキーリゾートで、町の入口にあるウェルカム・センターから車で十数分ほど坂道を登ると、メインロッジという、冬場にはリフト発着場や着替えロッカーとして機能する大きな建物がある。周りにはレストランやレンタル自転車の店や駐車場があり、その向こうには貼り付けたような青空を背景に、山々が聳えている。

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アウトドアショップに併設されたカウンターで、明日のシャトルバスのチケットを入手し、レストランのテラス席で、そのわざとらしいような青空を見上げて地元のビールを飲み、ダウンタウンで巨大なチーズバーガーにかぶりついた。

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翌日から男四人で、それぞれのテントと寝袋と食糧を担いで歩くので、最後の晩餐のようなカロリーたっぷりの贅沢であった。
モーテルはリゾート価格で高かった。仕方ない。洗濯したり、明日の支度をして、二部屋に分かれて眠った。

 

朝九時過ぎに満員で出発したバスを、デビルズ・ポストパイルで降りた。他の乗客もほとんどが一緒に降りたが、大きな荷物を背負っているのは僕らくらいのもので、日帰りの客だと見える。
デビルズ・ポストパイルというのは「悪魔の、杭の、積層」という意味で、玄武岩が柱状に並んで立つ奇怪な景勝地だ。説明板がそこに立てられていたが、僕らはゆっくりと眺める間もなく、JMTのトレイルヘッド(入口)に向かい、森へと入っていった。

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トレイルは緩やかに登っていく。緩やかなのだが、重さ十五キロほどの荷物を背負って歩くのは、ただ歩くのとはまったくちがう……。気温はさほど高くなく、湿度も日本に比べればぐっと低いので発汗は少ないが、とにかく紫外線がキツイ。日向ではカーッと肌に食い込むような鋭い日差しが体力を奪う。

息を切らせて岩肌の道を登り、普段なら感嘆するような碧空を、ため息まじりにふり仰ぐ。松の木の木陰に入るとスッと涼しくなる。僕が想像していたJMTは、草原の中を一本貫くトレイルを、遠くの山を眺めたり、時折現れる湖で休んだりしながらのんびりと歩くものだった。
誰かの「休憩しましょうか」の声に、頷かなかったことはない。いきなりしんどかった。

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一時間半ほど歩いた頃だったか、そろそろまた休憩しようと思った矢先、目の前に川が出た。向こう岸から数人のアメリカ人男女のハイカーが川の中を歩いて渡ってくる。橋はないものかと見回してもないようだ。
「水は冷たいですか?」と尋ねると、
「上流の方よりはマシよ。目が覚めるわ」と、その女性は教えてくれた。ブーツを脱いで渡渉しなくてはいけない箇所が他にもあるのだろうか。やっかいだな。
躊躇していては、渡る勇気が引っ込んでしまうような気がして、僕はさっさとサンダルに履き替え、先陣を切って水に踏み込んだ。

「冷たい! そして、深いぞ!」
膝の上くらいかと思った水深は、予想を超えて、股の上まであった。流れは強くないが、川底の石は滑りやすく注意が必要だ。一気に渡った。
他の三人はブーツから履き替えるのにややモタモタしていたが、僕が水辺に多い蚊を払いながら待っていると、次々にやって来た。

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確かに目が覚めた。互いに濡れた下半身を笑い合って、そこで休憩したかったが、とにかく蚊が多くて、場所を移った。
ブーツを履き直してしばらく歩いていると、濡れたことも忘れてしまうくらいに、乾燥した空気がすぐに乾かしてくれて不快感はほとんどなかった。


そこからは、トリニティー・レイクス、エミリー・レイク、グレイディーズ・レイクと、小さな湖のそばを抜ける道が続いた。写真に撮ると美しいが、現地にいてみると、ジメッとした湿地で、蚊柱が立つくらいの数で襲われる。タイツの上からも、シャツの上からも刺してくる。もちろん顔、首、耳、指など少しでも露出している部分は抜け目なく刺す。落ち着いて景観を楽しむどころではないのだ。

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トレイルはずっと登っていて、すでに標高は二九〇〇メートルに達し、僕は体力の消耗が激しかった。いつもならナッツ類やm&mチョコを大量に持って行動食にするが、重量とスペースの関係でカロリーメイトやビーフジャーキーのみにして、食べる量も控えていたため、体力維持に支障が出ていた。

当初は地図を眺めて、「一日目はシャドウ・レイクまで行こう。いや、行けるなら、その先のガーネット・レイクまで行ってしまおう」なんて言っていたのに、シャドウ・レイクですらまだ先の先であった。夕方には行動をやめて、テントを張る場所を探すつもりが、目的地に全然たどり着かない。
「こりゃまずいぞ……」と思っていた矢先、アメリカ人のカップルとすれ違った際に、重要な情報を得た。
「どこまで行くんだい?」
「シャドウ・レイクを目指してる」
「そこは今年、キャンプ禁止区域になってるから、手前のロザリー・レイクで泊まった方がいい。素敵なテント場がたくさんあるよ」
いいことを聞いた! それなら次の湖だ。


確かに、ロザリー・レイクは素敵な場所だった。石を積んだかまどがあるテント泊に最適なスペースがあり、湖からの水が流れ出す小川がすぐ近くにあり、蚊も比較的少なかった。これ以上は望めまい。

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僕たちはひと休みしたあと、力を振り絞るようにそれぞれのテントを張った。岳ちゃんは釣りを始めた。虹鱒(ニジマス)を釣って食糧の足しにするつもりだ。


「釣れますか?」
岳ちゃんは突然日本語で話しかけられた。Tシャツを着替えていて、サングラスをしていたからはじめはわかりづらかったが、さっきすれ違ったカップルの男性の方だった。彼は関西外語大学にいたことがあるそうで、日本語を少し話せた。名前をティムという。
彼らは僕たちとすれ違ったあと、グレイディーズ・レイクまで行ったが、蚊も酷いし、快適なテント場を探すことができなくて引き返してきたのだという。

彼の案内で釣り場を移動しながら話を聞くと、彼は昨日大きな魚を釣ったのだが、捌き方を知らないため石で潰したり闇雲に切ったりしたため、食べられる身がほとんど得られなかったのだそうだ。だから、捌くところを見せてほしい、とのこと。
岳ちゃんは快諾した。と、思ったら瞬く間に二匹釣れた。
「彼女も見ていていいか?」
ティムが訊くので、もちろん「いいよ」と答えると、彼は念を押すように何度も言った。
「見るだけだから」
つまり「君たちの食べ物を取るつもりはない」と言いたいのだろう。


僕らのキャンプ地に戻って、魚の捌き方講座が始まった。
ところが、「まず虹鱒を岩に叩きつけて気絶させます」のところから、笑ってしまうくらい難易度が高そうだった。
「お尻の方から腹を切りまして、内臓をこのように指で掻き出します」
すでに彼女の方は引いていた。
そんなこんなで、「……というように、簡単でしょ?」と三枚におろした時には、日米ともに全員が「どこがやねん」と思っていた。


とにかく岳ちゃんはそれをオリーブ油と香草で焼いた。そして、焼き上がると、ティムたちにも味見してもらった。見るだけなんてわけにはいかない。彼の導きによるいい釣り場で入れ食いだった魚なのだから、当然食べてもらわなきゃ。

その晩は焚き火をして、ウィスキーを飲んで寝たのだが、深夜にハプニングがあった。
大谷さんが遭難しかけたのだ。
彼はウンチしに行こうとテントを出て、真っ暗な中を水場から離れて丘を登った。用便には、水場から六〇メートル以上離れなくてはいけないというルールがある。
岩陰で用を済ませたあと、帰る方向を間違えて、テントの位置を見失ってしまったのだ。ヘッドライトで照らす木や岩はどれも同じように見え、光が届かないところは完全な暗闇でなにがなんだかわからない。一時間ほども彷徨って、ようやくハンモックで眠るグループを見つけ、拙い英語で助けを求めた。
「すみません。自分の居場所がわからなくて、ここにいさせてもらっていいでしょうか?」
若い男がひとり目を覚ました。
「ああ、そのへんの少し離れたところにいたらいいよ」
大谷さんは近くの岩場で身を縮めて寒さに耐えた。ここは標高三〇〇〇m弱で、夏でも夜には一桁台まで気温は下がる。彼は用足しだけのためにテントを出たので、上着は着ていなかったのだ。

実はハンモックで眠る一団は、僕らのすぐそばにいた。彼はやっと見覚えのあるテントを視界にとらえて安堵したが、結局二時間近くも外で難渋していたのだ。
生還した大谷さんと滝下の会話が聞こえてきて、僕も岳ちゃんもテントから這い出してきた。とにかくよかった。マヌケに聞こえるだろうが、こんなことも起こり得るのだ。それくらい夜は静寂で、深い暗闇で、つかみどころがないのだ。

翌朝、ハンモックの一団に挨拶をした。
「昨日は我々の仲間がご迷惑おかけしました」
父親なのだろうか、グレーのヒゲを生やした年配の男性が笑顔で答えた。
「いやいや、誰にでも起こりうることだよ。君たちが向かう、ここから先のトレイルには雪もあるから、しっかり足を踏み込んで、気をつけてな」

ティムが出発前に顔を出してくれた。「いつか四国の八十八箇所巡りをしたい」と話していた彼に、僕は自分の名刺を渡して、「その時はどうせ関西空港に来ることになるでしょ。大阪で一杯おごらせてよ」と伝えた。
僕たちは、ため息だか掛け声だかわからない呻き声とともに、またバックパックを背負った。

 

(つづく)