月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「ピックアップマンには何かがある」

初めて訪れたバンコク。現地の仕事仲間にもらったガイドブックには「アーバンジャングル」という表現があったが、まさに都市のジャングルと言っていい混沌と猥雑さに圧倒される。街を歩いてみると、一見廃墟のようなビルのひとつひとつに人の営みがあり、野犬が道端に寝そべり、屋台ではなにか得体のしれないものを煮炊きしている。スパイスと汗とドブと夕刻の雨と性がない交ぜとなった匂いの空気を、街を蠢く多国籍の人々とド派手なタクシーやトゥクトゥクが掻き回していく。

出張で来たため、タイの文化や歴史について調べたわけではないのだが、初めのうちは「(もちろん日本人も含め)アジア人ってのは、どうしてこう、汚い街を構築してしまうのかなぁ」と不思議に思っていた。石畳がガタつく狭い歩道、やたら高い段差、ルール無視で列を縫う毒々しい彩りの車両たち、濁った水溜まり、店先のシャッターに凭れて何か食べる人々。上半身も下半身も健康で、お金もある人間にとっては安い物価とうまいメシとで楽しく暮らせる街かもしれないが、この国で車椅子の人は気の毒だ。まともに進める場所ではない。そして実際、車椅子の人を全く見かけない。

いや、僕を温かく迎えてくれた心やさしき人々のこの国の悪口を書きたかったわけではない。ただ、圧倒されて気後れしまったのだ。僕はどこにでも入っていけて何でも食べられて誰でも抱けてどこでも眠れる図太い人間ではないので。それどころか、すぐにお腹を壊す軟弱な男である。

街を眺めて一点、僕を飽きさせないのはピックアップトラックの多さだ。なぜかタイはピックアップトラック大国なのだ。トヨタや、いすゞ、三菱、日産、そしてシェビーやフォードのピックアップが実に多く見られる。

日本では馴染みが薄いかもしれないので少しだけ説明すると、ピックアップトラックというのは、要するに荷台のある乗用車だ。大きくは、日本の軽トラも含むのだろうけど、一般的にはボンネットがあり、サイズ的にはSUV(Sports Utility Vehicle)のような堂々とした風格を持つ。アメリカでは主に南部の若者を中心に、値段が比較的安く頑丈で便利な車として人気がある。 カウボーイ文化との結びつきも強く、牧場で藁を運んだり、重いものを牽引したり、人や大きな荷物を積んだりするのに使われる。当然カントリーミュージックにはピックアップトラックを扱った歌も多い。ジョー・デフィーの「Pickup Man」が代表的だ。一九九四年の曲。

すっごくバカバカしいが、面白いので歌詞を紹介したい:

"Pickup Man"

  • Well, I got my first truck when I was three
  • Drove a hundred thousand miles on my knees
  • Hauled marbles and rocks and thought twice before
  • I hauled a Barbie doll bed for the girl next door
  • She tried to pay me with a kiss
  • And I began to understand
  • There's something women like about a Pickup Man

えーと、オレな、三才にして初めてのトラック(のミニカー)を手にしたんだ

十万マイルも膝の上で走らせたものさ

おはじきや石コロを乗せて運んで

よく考えてから隣の女の子のためにバービー人形のベッドを乗せてあげた

そのコはキスでお礼をしようとしてきたんだよ

で、オレは理解しはじめた

ピックアップマンには女性に好かれる何かがあるって

  • When I turned sixteen I saved a few hundred bucks
  • My first car was a pickup truck
  • I was cruising the town and the first girl I see
  • Was Bobbie Jo Gentry the homecoming queen
  • She flaged me down and climbed up in the cab
  • And said "I never knew you were a Pickup Man"

十六になって、オレは数百ドルのカネを貯めた 初めての車はピックアップトラックだった 町を流してて初めて会ったのがボビー・ジョー・ジェントリーっていう ホームカミングクイーン(日本でいうミス・キャンパス)さ 彼女は手を挙げてオレを止め、乗り込んでくるとこう言った 「あなたがピックアップマンだったなんて知らなかったわ」

  • You can set my truck on fire and roll it down a hill
  • And I still wouldn't trade it for a Coupe de Ville
  • I got my eight-foot bed that never has to be made
  • You know if it weren't for trucks we wouldn't have tailgates
  • I met all my wives in traffic jams
  • There's just something women like about a Pickup Man

オレのトラックに火を点けたっていい 丘から転げ落としたっていい それでもクープ・デ・ヴィル(キャデラックの一モデル)となんかは交換しないぜ オレのには、まったく必要のない八フィート(約二・五メートル)の荷台があって トラックじゃなかったらこんなにみんながお尻にピッタリついてくるかい オレのすべての妻とは渋滞の時に出会ったんだ

なぜなら、ピックアップマンには女性に好かれる何かがあるからさ いやぁ、バカだなぁ。「すべての妻」って表現がいいですね。そして、こんな歌の詞をソラでほとんど書けた自分に呆れるわ。今、YouTubeを観ると古臭さは否めないが、当時の僕はこれにがっつり影響されて自動車を買うならピックアップと決めていた。いや、それどころか、この歌の通り、僕が小学生の頃に買ってもらったラジコンはピックアップトラックだった。これが、僕が「オレの前世はカウボーイだった」と勝手に信じている理由のひとつでもある。

少々、思い出話にお付き合いください……。

僕が十九才で初めて買った車であるピックアップは、シェヴィーS10というモデルだった。シェヴィーとはシェヴロレイ(Chevrolet)を短縮した愛称で、つまり日本でいう「シボレー」。当時で七年落ちくらいのモデルで三十万円くらいだった。なぜかボンネットの鉄板には、銃で撃たれたような小さな穴があり、僕はそこをビニールテープで塞いでいた。ヘッドライトを点けるとガスメーターがギューンと針を下げるので、夜間はガソリンの残量をアテにできない。そういう代物だった。

それでも僕はアメリカ南部での大学生活全てでこれを乗り通した。三日間かけてカナダまでドライブもしたし、ニューヨークへも行った。ベンチシート(運転席と助手席がひと続き)だったので、そこで横になって夜のパーキングエリアで寝たこともある。起きた時には寒さで体が動かず、凍りついたかと思った。夏休みの間は住んでいた寮の部屋から荷物を出さなくてはいけないので、カバーを取り付けた荷台になんでもかんでも積んでおいたりした。本当によくがんばってくれたトラックだった。

最後は、帰国前に二束三文で人に売った。しばらくの間、トラックの窓に「For Sale」と書かれたボード掲げて電話番号を表示しておいたら、電話がかかってきたのだ。今はそういう習慣はないかもしれないが、アメリカの田舎ではそういう商取引が成立していた。インターネット普及前の、九〇年代後半のことだ。 売った先は、僕の名前を何度教えても「ショータ」と発音できなくて「シャートー!」と電話をかけてくる、気のいい大学の清掃員の男だった。

  • 「日本に帰るから儲けるつもりはないよ。だからこれだけでいい。そうそう、だけど、電気系統の不調と、サイドミラーが一つ無い。正直、いつまで走るか保証はできないよ」
  • と説明して譲った。彼は数百ドルでトラックが買えて「手続きは自分でやるから。ありがと!」と喜んでいた。

あのトラックは、まさかもう走っていないだろうけど、僕にとっては思い出深い自動車である。

それから四年くらい経ち、日本で会社員になった僕は、次のトラックを買った。マツダ プロシードという、大型犬みたいな凛とした顔つきのトラックだった。僕は得意になって、その車長五メートル近いトラックを乗り回していた。 やがて、トラックを手放さなくてはならなくなったのだが、その一番大きな理由は車検だった。ピックアップトラックは、日本ではなぜか「一ナンバー車」で「自家貨物車」という扱いで、車検が毎年課せられるのである。運輸省に目の敵にでもされているのだろうか。全く納得のいかない規則だ。燃費がリッターあたり五キロ程度ということもあり、僕は割と短い期間で、経済的な理由によってそのトラックを維持できなくなってしまったのである。

今はもう長いことハッチバックのコンパクトスポーツカーに乗っているが、今でもあの、マニュアルシフトのピックアップトラックを運転する感覚が忘れられない。よじ登るようにして乗る運転席、少し優越感を覚える高い視点、運転というより操縦している気分にさせる高いクラッチと長いギアレバー。 あの憎らしい一ナンバーでさえなかったら、車検を毎年受ける必要もないので、またピックアップトラックに乗りたいものだ。本当にそう思う。

それにしても、なぜ毎回荷物を運ぶ生活をしているわけでもない僕が、わざわざピックアップトラックに乗りたがるのか。実はアメリカでも、タイでも、みんながみんな荷台をフル活用しているわけではない。タイでは確かに物売りのおっさんとか、重心おかしなるほど家財道具を高々と積み上げた家族とか、仲間を三、四人乗せて現場帰りの人夫とかはいる。しかし、大半は空荷の状態で走っているのである。

これはどういうことか。

単に、「ピックアップトラックがカッコいいから」というだけの理由で、無駄な荷台をケツにくっ付けて走れるほど、僕も含めた人間たちの人生に余裕があるわけではあるまい。 しかし、それは実質的な経済上の余裕ではなく、心の余裕なのである。

  • 「引っ越す時は手伝ったるぜ」
  • 「大きなもん買う時は言うてな」
  • 「夜逃げするハメになったら駆け付けるぜ」
  • マッドマックスみたいな時代になったら、革ジャン着て一緒に石油奪いに行こうな」
  • 「今度、村人を苦しめてる虎が出たら、仕留めてトラックに積んで持って帰ってくるから、君んちの絨毯にしたらいいよ」

つまり「なんか手伝える時は教えてな。オレはピックアップトラックと、ここにいるぜ」という心意気に他ならない。サーフボードなんか積まなくていい。常に空けておく、でなにも問題はない。 浜田省吾が「眠れぬ夜はー電話しておくれえぇ~。ひとりで朝をぉぉ待たずぅにぃ~」と歌うのと全く同じやさしい男の気持ちなのだ(「愛という名のもとに」より)。 そんな心やさしきピックアップマンに、女性に好かれる何かがあるなどと、僕は経験的に語ることはできない。それどころか、後輩の男の引っ越しを手伝ったり、同期の男の引っ越しを手伝ったり、おかんに図体の割りに後部座席が狭いだの、背もたれが直角だの、雨が降ってきて荷物が濡れるだのと文句言われながら運転したり、狭い路地で角を擦ったり、交差点で止まってたタクシーにぶつけたり、取り立てていい思い出もない。

泣く泣くピックアップを手放し、コンパクトカーに乗り換える際、僕はうちの主人(=妻)も運転しやすいように初めてオートマチック車を選んだ。それなら、たまには運転を代わってくれたりもするかな、と。 あれから八年。主人は今でもペーパードライバーで、運転など一切しない。

あぁ、またピックアップマンになりてえな。