月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「どうせオレは忘れちまうんだ(鉄道篇)」

シアトルでバンクーバー行きのホライゾンエアーに乗り換えるため、空港にてしばらく待機。

  • 「シアトルといえばスタバでしょう」ということでスタバに入る。
  • 「そのベーグルください。スライスしてトーストしてもらえますか? え? できない。両方ダメ。プラスティックナイフがうしろにあるから自分でやれ。あ、そう」

焼いてもいないベーグルをモクモク食べる。この後、この旅でいくつベーグルを食べたかな。……五個だ。気に入ったものは、何度でも選ぶクセがある。だいたい、二年前にシアトルに滞在しているのにまた来ていること自体がそのクセの一環だ。

飛び立ってからたったの三十分と少しでバンクーバーに到着。まずしなくてはいけないことがある。 料理用バーナーのための燃料缶を手に入れなくてはいけないのだ。可燃物だから飛行機に持ち込めないので、現地調達することになる。 空港から電車でダウンタウン方向に行き、事前に調べてあった、アウトドアショップの多い界隈を目指す。バックパックを背負って十五分も歩くと、すでに股関節に違和感を感じ出す。 そんなんで大丈夫なのか!?

東西に走るブロードウェイストリートを歩くと、交差する道が北の方向へ下っていて、そちら方面の景色が遠くまで見通せる。ビルや住宅の向こうから、頂上に雪を冠した山々の連なりが街を睥睨している。それだけで涼やかだ。 実際に、気温は猛暑の日本よりずっと低く、長袖のソフトシェルを着ていてちょうどいい。ソフトシェルというのは、レインウェアなどの防水素材を用いたハードシェル(堅い殻)に対し、防水性はない代わりに、透湿性と柔軟性とある程度の防風性、つまり快適性を持たせたアウトドアジャケットのことだ。

見つけた小さな店ですぐに燃料を購入。その先には大型の店がいくつかあった。日本のアウトドア店と比較するためにあちこち見て回る。思ったほどは安くなかったが、円高もあり、割安であることは間違いない。絶対的に高いものだが、相対的には安いという感じか。

これからロッキー山脈に入って行ったら寒そうだったので、よっぽど中綿の上着を買い足そうかと考えた。だけど、荷物が増えて持ち切れなくなるのでやめておく。

Chronic Tacos(慢性タコス)というソソラない名前のメキシカンレストランに入ってブリトーを食べる。悪くない。気分がよくなって、コロナを一本空ける。

夜八時半出発の鉄道に、一時間前には荷物をチェックインしなくてはいけないので、二キロほどの距離をテクテク歩くことにする。 中心街からはちょっとはずれた界隈のようで空き店舗が目立ったり、個人経営の雑貨屋や自動車修理工場だとか並んでいる。そんな中を大きなバックパックを背にやや前傾姿勢で歩く。

パシフィック・セントラル駅は、小ぢんまりとした石造りの駅舎。フレンドリーなフランス訛りの係員に荷物を預けた。カナダは英語と仏語の両方が公用語だそうで、なんでもかんでも二つの言語で併記してある。面倒くせ。車内放送も英語の次に仏語で言う。VIA鉄道の車内誌も英語と仏語で記事を並べてある。ということは、同じ分量で、情報量半分ということだ。のんびりした国になるわけだ。

夜八時半にバンクーバーを出る鉄道は、およそ八〇〇キロ離れたジャスパーまで十六時間かけて走る。ここもまたのんびりなのだ。 ジャスパーの町は国立公園(自然保護地域)内にあるため飛行機が飛べないらしく、ジャスパーへはバスか、車か、鉄道か、とにかく陸路を往くしかない。しかし、そこを新幹線みたいなバレットトレイン(弾丸列車)を飛ばすという発想はないのだろう。ガイド本によると車両は一九六〇年代に製造されたものだという。普通列車の速度でガタゴト行くのだ。

席のクラスは、エコノミー、寝台、個室と選べるのだが、男一人だし僕は当然エコノミー。自由席。 車両に案内されてから僕は、北側の席を選んで座った。なぜなら、先述のように北側に山脈が聳えているはずなので、その景色を眺めながら行きたかったのだ。二人掛けのシートが両サイドに並んだ、一車両に六十二人のキャパシティ。そこに大体四十名くらいの人々が座っている。家族連れや夫婦は並んで座るから、一人客は皆二人分の席を使えることになる。これはありがたい。 なにせこれから十六時間の道程だ。

ところが、客室係が、遅れて来た客を案内しながら、

  • 「今来たお客様のために席を空けていただけませんか?」
  • と呼びかけている。英語がわからないフリをして無視したかったが、一応礼儀として、隣席の荷物を膝の上に移動させて、僕はしばらく目をつぶり音楽を聴いていた。長旅のあと、希望する北側の席に落ち着いてちょっと眠くなっていた。

すると、ふと気付けばチャイニーズかジャパニーズかわからないが、アジア人のメガネ男が僕の隣りに案内されて座っているではないか。

僕は愕然とした。そして腹が立ってきた。理不尽な怒りだとどこかで自覚はしていたが、ハラワタの底の方から沸き起こってしまったのだ。

だって、元々いた約四十名の中に、アジア人の若者は僕一人(ん、若者?)。あとはほとんど白人だ。アジア人はいたけど、日本人の老夫婦とフィリピン人の中年夫婦だけだ。通路の向こうの白人のおねえちゃんは一人で二人席を占有しているままだ。 そういう状況で、わざわざアジア人で背格好の似た、しかし知り合いでもなんでもない二人を隣り合わせるか? なんじゃそりゃ? ここは居留地か。カラード(有色人種)席か。

係員は「どうせならアジア人同士で」と気を遣ったつもりなのかもしれないが、いらんねん! 人種で選抜すなよ。もっと内面の美しさに目を向けてよ、建前上。

想像してみてほしい。たとえば日本の長距離バスとしよう。客はみーんな日本人の中の一隅に、黒人の男性が二人並んで座らされている。乗り合わせたおばちゃんが

  • 「あんた、ここ座んなさい。ほら、お隣りのコも黒人さんやから丁度ええやろ」
  • と促したのだ。

二人は知り合いではないので、ちょっと戸惑った表情を浮かべ、居心地の悪そうな雰囲気を醸している。 おかしいでしょ? 不自然でしょ。気の毒でしょ。いらんお世話でしょ。

わかった。認める。それがアジア系のお尻が小さくてキュートな女の子なら、そこまで腹立たないさ。しかも、奈良にホームステイ経験があったりなんかしたら、僕は「マジで! アイムフロムナラ!」とか、さも嬉しそうに目を輝かせるだろうし、たとえホームステイ先が大阪であった場合にも、その時には「マジで! アイムフロムオーサカ!」と非常に柔軟な対応を見せるだろう。 オレはそういうスケベな男だ。

しかし、男のくせにレスポートサックを使っているような、脂っぽい髪をしたメガネ男と、今ここで友達になりたいとは思わんのだ。 大体オレは人見知りで、誰とでもフランクに話せるわけではない。 十六時間も!

そこで僕は意を決して席を立ち、他の席を探した。 空いてるやないか! 車両の先頭の、南側で、目の前にゴミ箱があって、斜め前がトイレで、通路挟んで隣りがビービー泣く赤ちゃん連れの家族、という席が! どわー! かなり条件悪いが、僕は瞬時に、どちらがマシか判断した。こっちだ。というか、今さら戻れるかい! 涙出るかと思ったが、これでいい、ってことにするっ。 しかし、なぜそもそもここにあのアジア人を座らせない!? 益々おかしいじゃねえか。

  • 「せっかく北側を確保したのに」とブツブツ言いながら腹の虫を収める。小さい男だ。そう思われても仕方ない。

二十二両編成の長大な列車が、その重い腰を上げるように軋みながら進み出す。すぐにバンクーバーの都市部を離れ、車窓には夜九時を過ぎての西陽に照らされた丘陵地が映し出される。陽は夜十時頃まで沈み切らないのだ。

僕はまた睡眠薬に頼って眠りのシッポを掴もうとする。飛行機の時と同じように、バコーンと五時間眠れた。

寒い! 寒くて目が覚めた。上はソフトシェルを着たままだったが、下は日本から履きっぱなしの七分丈のズボンだ。だからとにかく、脚が寒い。二人席に丸まって横になり脚を抱えてみたりしたがダメだ。どうしようもなく、寒い。 もう起きることにしよう。まだ陽も昇らない午前四時前だ。

車内は寝静まっている。顔をくっ付けるようにして車窓から外を眺める。列車は大河の脇を走っていた。暗い水面には、アイロンし忘れたシャツのように、細かい起伏が広がっている。 対岸の山の向こうの空に暁光とも呼べぬごく微かな光が感じられる。それを背に受けて、山も木々も草も、雲さえもシルエットだ。 寒さと時差ボケのため、車両でおそらく唯一目覚めている僕だけが目にした景色。それを見たら、「南側に座るハメになったのも、悪くはなかったかなー」と思い直す気分になった。

ジャスパーまで、あと十二時間。

陽が昇ると、「よーこんだけ大陸をブチ抜いて線路を通したな」と思える大自然の中を列車は往く。初夏の緑萌える山を背景に、牧草地帯が広がり、厩舎が遠くに佇み、小さく見えるヘイベイルがコロコロと点在している。ヘイベイルというのは、ヘイ(干し草)のベイル(貯蔵)。つまり干し草を俵状に巻いて貯蔵しておくもの。実際は直径二m近い大きさがある。

かと思えば茂みを割って流れる川に出て、水面に映った雲が追いかけてくる。やがて線路の間近に山の斜面が迫るようになり、列車が山岳地帯に入っていったことがわかる。

岩を打つ荘厳な大滝の前に差しかかると列車は速度を落とし、案内の車内放送が英語と仏語で入る。 空は白く霞んでいて今にも降り出しそうだ。車内にいても、空気が冷たい土地に来たことが知覚できる。

僕はこの旅の中では、カナダの第一線で活躍するカントリー歌手、ポール・ブラントの曲を立て続けに聴いていた。敬虔なクリスチャンで、歌手になる前は看護士として小児病院に勤務していた、律儀そうな顔つきのハンサムだ。だが、顔に似合わぬ太くてハリのある声が持ち味である。 僕は、彼の九六年のデビュー以来、飽きもせず応援している。

そんなポール・ブラントの曲に「Alberta Bound」という、彼の故郷を歌ったものがある。歌詞は巻末でご紹介するが、その中で彼はアルバータを「僕が見つけた天国の一部」と表現している。

列車がブリティッシュ・コロンビア州からアルバータ州へ入った頃に、ちょうど「Alberta Bound」を聴いていて、曇った空とは対照的に僕の気分はとても昂揚していた。

僕も、これから天国の一部を見に行くのだ。

【"Alberta Bound" by Paul Brandt】

  • Sign said 40 miles to Canada
  • My truck tore across Montana
  • Ian Tyson sang a lonesome lullaby

標識はカナダまで四〇マイル 僕のトラックはモンタナを切り裂いて走った イアン・タイソンが寂しい子守唄を歌っていた

  • And so I cranked up the radio
  • 'Cause there’s just a little more to go
  • 'Fore I’d cross the border at that Sweet Grass sign

だから僕はラジオの音量を上げた スイートグラスで国境を越えるまで もう少し行かなきゃならない距離があるから

  • I’m Alberta Bound
  • This piece of heaven that I’ve found
  • Rocky Mountains and black fertile ground
  • Everything I need beneath that big blue sky
  • Doesn’t matter where I go
  • This place will always be my home
  • Yeah I’ve been Alberta Bound for all my life
  • And I’ll be Alberta Bound until I die

僕はアルバータ行きさ 僕が見つけた天国の一部 ロッキー山脈と黒い肥沃な土地 大きな青い空の下 僕に必要な全て

どこへ行こうと この場所がいつも僕の故郷 僕は生涯アルバータ行きなんだ 僕は死ぬまでアルバータ行きなんだ

    (つづく)