月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「みなさんの、心の中にあるのです」

ツタヤでDVDを選んでレジに持って行ったところ、店員がこう言う。
  • 「今、三本ですでに千円越えてしまっているのですが、キャンペーン中ですので、四本借りていただければ千円になりますよ」
そっか、そんならもう一本借りない手はない。しかし、一週間レンタルとは言え、二時間くらいかかる映画をそないポンポン観る時間があるはずもなく、もう一本借りるのはいいが、結局観られずに返す屈辱もありえる。
それに、すでに選んである作品は暗~いものばかりだから、それらを制覇して、さらにもう一本というのはかなりの気合いがいる。この三本だってあれこれかなりの選考を経て残ったものなので、いきなり敗者復活を告げられてもなー。
いや、あるではないか。興味ないところは早送りしながら観れて、事前の気合いが全く必要でないDVDが。
はい、こんな長い熟考の末、僕はツタヤの奥のカーテンをくぐって魅惑のゾーンへと歩を進めました。そして、今日無事に返却しましたので、奥さんにもバレることなく完全犯罪を成立させたのだ。普段、オナニー(=前立腺ガン予防体操)解放論を唱えている割りに、結構コソコソしているのが情けない。
  • 「あと一本、あと一本」と、「そないに借りる必要もないけど、こんな機会にしか観ないDVD」を探している最中に、頭をよぎったのが、邦画(どうせテレビですぐやるという気持ちがある)、アメリカの連続ドラマ(「24」など。ハマると次々借りなくてはならなくなるので避けている)、そしてホラーだ。
うーん、それでもホラーは見いひんな。一人で観るもんちゃうしな。
僕は映画には教訓を求めてしまうタイプなので、そこから何かを得たいと思ってしまう。しかし、ホラーにはそれは無理じゃないですか。
  • 「男女でちょっとエッチなハレンチ旅行に行く時にはジェイソンに気をつけよう」とか、「ビデオカメラ持って森に入る時には自分を写す際に鼻水が出ていないか気をつけよう」とか、ないじゃないですか。
そもそも幽霊ってもんを信じていない。当然霊感と呼ばれる能力もなくて、そんなもんなくてよかったと思う。ホテルで「うっ、この部屋、替えてください」とか面倒くさいし。もしも満室でその部屋しかなかったらどないしてその晩を過ごせばいいのかと思う。
僕は大槻教授ではないので科学的な云々はわからないけど、まず、以前に死んだ人が幽霊になって現れることができるのなら、この世は幽霊だらけで、しかもその数は年々増える一方ではないか。毎年人は死んでいくわけだから。累積されたら現世は何億どころか、何兆という数の霊で溢れ返ってしまわないのか。ほとんど富士山の山小屋状態で霊と雑魚寝していることになる。
その他にもおかしな点はいっぱいあって、目には見えないのに幽霊ってものが存在しているのなら、僕がこの前借りたAVを観ているシーンなんかもご先祖さまたちに見られていることになり、そんな恥ずかしいことってないではないか。
「そんなことより別のことをして子孫を残せぃ」と。
逆に、そんなことができるのなら、僕は死後、ラブホテルに張り込むし、ペネロペ・クルスのお風呂とかに通うもんね。死ぬのが楽しみになってくる。
そして、映画「ゴースト」のように壁は抜けられるとしたら、床も抜けてしまうので、二階以上の高いところにおちおち行けないではないか。横方向は自在だが、縦方向は人間と同じなんて都合が良すぎる。浮遊できるのだとすればめっちゃ楽しそうやんけ! 絶対グランドキャニオンとか行くもんね!
さらに死ぬのが楽しみになってくる。
まぁ、てな幼稚なことを日々考えていると、ホラー映画にお金を払うのはなんともバカらしく思えてしまう。
そして、死後の世界というものにも懐疑的なので、お墓についても考えることがある。
人間は死んだらモノ、焼いたら灰である、と僕は考えている。
いや、死者に対する敬意とか、祈りのような気持ちは持ち合わせている。だからこそ神社に行くし墓参りもする。
しかし、そこにあるのは生きている者の気持ちとか精神活動であって、死した者の魂というものがそこにあるとは僕は考えていない。そこにあるような気がしている生者がそこにいるだけである。そして、それでよいのだと思っている。生者がそういうふうに思っていることが大事なことなのである。
だから、お墓という象徴があろうがなかろうが、千の風になっていようが、どういうかたちでも構わないのだ。まさに心の中にあるのである。
みなさんおひとりおひとりの、心の中にあるのです。
オレ、将来坊さんになろうかな。憚りながら……。
自分については、子供もいないし、墓の世話をしてくれる人もいないので、死んだらどこかに散骨でいいと思っている。そのためには撒いてくれる妻や友人が必要だから、なんとか幸せな死に方はしたいと思っている。ミイラ状になって市役所のおっさんに発見されたり、どこかで土に還っているのに妻に年金だけは支給されているとか、遠い親戚に「そういえば百三十二才になるショータじいさんてのが関西にいるはずだ」なんて放置されるのはゴメンだ。
ところで、我が家のテレビがいきなり故障して、何日かテレビのない静かな暮らしをしている(壊れたのがDVD見終わってからでよかった……)。
僕は、本を読んだり、こうして文章を書いたりして過ごしている。
  • 「こういうのもいいね」と、妻に同意を求めたのだが、起きている間中テレビがついてないと気が済まない我が愚妻は、こう言う。
  • 「もう、気が狂いそう! テレビ大好き。私が死んだら、棺桶にテレビ入れてね」
フタ閉まらへんやろ。
(了)