月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

『カウボーイ・サマー』(第1章無料公開)⑤

※DAY 5も、DAY 4につづいて殺生があります。閲覧注意ですね…。

DAY 5「命を扱う厳しさと、ジェイクの小さな夢」

 

晴れているが風の強い日。日曜日だから、仕事は遅めの開始とジェイクから伝えられていたのに、僕はまた六時半に目覚めてしまった。

馬とポニーに干し草をやっていたら、ジェイクもやって来た。
ライノに、ミネラルが入った袋と、塩の袋を積んで、牧草地へ行った。これは、牛の栄養を補給するサプリみたいなもので、牧草地のそこここに、ドラム缶を輪切りにした桶が置いてあり、その中に両方の袋を空けるのだ。
一日中草を食べている牛たちがさらにそれを舐めて、塩分とミネラル分を補う。

ジェイクは、牧場の敷地を頭の中で区切って、毎日のようにライノで順々に見回りをする。彼はまた、それが好きなのだそうだ。

「こんなこと言うたらアレやけど」と前置きしてジェイクは言う。

「俺はね、夢ってもう叶かなえてもうたんやね。もうこれ以上望むことってないねん。望むとするなら、この生活がいつまでも続くことくらいかな……」

ジェイクと僕は一歳違い。四一歳にしてそれを言える男と、今年四〇にして仕事を辞めてゼロになった僕。
いや、僕だってカウボーイをやって「みたい」という、ジェイクに比べたらいささか軟弱な夢のためにここまで来たのではないか。

嫉妬とかではなく、純粋にジェイクという男の存在が大きく感じられた。
同時に、彼がカナダ人カウボーイに交じってロープを投げる姿や、昨日のミーを解体する鬼気迫る様子を思い出しながら、彼が歩んできたこれまでの道のりの遠さを思った。

この春に産まれた仔牛たちとその母牛らがいる牧草地にも、ライノで入って行って見回りをした。
風に吹かれて、凸凹の草原を奥の方まで進むと、一頭の仔牛が群れから離れてうずくまっているのを発見した。
ジェイクが回り込んで様子を見ると、お尻の辺りにケガをしているようだった。

「コヨーテに噛み喰われたんだ」
よく見ると、赤い肉が露出していて傷は深いようだった。
「肛門周辺の肉は柔らかいから、そこを狙われるんだ」とジェイクが教えてくれた。

で、どうするんだどうするんだと、僕の頭の中には回答がない問いが巡った。
「こいつは助からないので、撃つしかない」
ジェイクの決断はあっけないほど早かった。

ライフルを取りに一旦ショップに戻った。
しかし、棚の引き出しやロッカーの中を探しても、二二口径の弾丸が見つからない。

「もっと大きな口径の弾ではダメなんですか?」
他の弾丸ならいくらでもあるので、僕は尋ねた。
「それでは、頭ごとぶっ飛んでしまう」

二二口径がハンティングや害獣駆除に最もよく使われる弾丸らしい。だから、誰かが何かの用事に使い切ってしまったのかもしれない。
弾丸を見つけることができないまま、牧場主のステュアートに報告に行った。
僕はステュの家の外で待った。
ジェイクが浮かない顔で出てきた。

「ノドを切れってさ」
ジェイクはナイフを研いでから、トラクターを出して現場に向かう。
その道中の空気は重かった。

「まぁ、ボスの言うことだからさ……」
諦めの表情で彼は言った。

「いや、いいんだよ。いいんだけどさ、俺の後味だけの問題だからさ」
それはそうだろう。離れた場所からズドン! で終わるのと、自らの手でノドをかき切らなくてはいけないのでは精神的負担が違いすぎる。

口数も少なく戻ってみると、仔牛は同じ場所にいた。
ラクターを降りると、僕はジェイクに言った。
「記録写真を撮るので、離れた所にいてもいいですか?」
それを口実に、正視したくなかったのだ。

ジェイクはロープを出して、仔牛に近づいていった。すると、これまで動けなかった仔牛が立ち上がってヒョコヒョコと逃げ出すではないか。分かるのだろうか。

彼が徒歩で容易く捕らえ、横倒しにして手足を縛るのを僕はファインダー越しに見た。振り返ると、他の牛たちがこちらを不安げにじっと見ている。その居並んだ目に、抗議めいたものを感じないでもなかった。

殺るのかと思ったら、ジェイクはナイフを取りにトラクターに戻った。嫌な時間だった。
彼は仔牛の胴をまたいだ。
ノドに何度かナイフを振るった。
そして、トラクターの傍らまで歩いていき、そこに腰を下ろした。

僕はその場から動けず、仔牛の生命が完全に消失するまでうなだれて待つジェイクの後ろ姿を眺めるしかなかった。
僕は感情の昂りを覚えて、涙を堪えた。その背中が、なんだか仔牛の命を憐れんでいるように思えてならなかったのだ。

おそらく、そんなことはないはずなのだ。カウボーイはどのみちやがて屠殺される運命の家畜を育てているのだ。命を売り買いする職業だ。
それでもだ。どうなんだろう。
結局、真相はジェイクには訊かなかった。僕にはそう見えた。それだけだ。

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「二日で二頭失うとはね……」
血だらけの手でトラクターを運転しながらジェイクは苦笑した。
ラクターのバケットには仔牛の亡骸が収まっている。
証拠写真を残し、保険会社に保険請求するためだ。コヨーテによる損害は保険によって補償されるという。

これは、ビジネスなのだ。

昼食の後、ジェイクはいつもソファで午睡をとる。そのソファは夜だけベッドに変形させて、僕がベッドとして使わせてもらっている。

その日は午後から家族みんなと馬に乗ってキャンプに行こうと話していた。風が強かったので、それが止むのを待っていると、夕方には弱まった。

馬の準備をして出発だ。
リンカとミライもそれぞれポニーに乗った。
ヨシミさんはキャンプ道具や食べ物を満載したライノを運転した。
僕はクレイトンと名付けられたおじいちゃん馬を借りた。荒っぽい動きはしないから安心できる。
登り坂になるとゆっくり行くのがしんどいのか突然駈ける。それ以外は、大体思い通りに動いてくれた。
メスのポニーのお尻にやたら鼻先を近づけたがるスケベジジイだ。

東へ進み、それから北へ。もしかしたら南か。どこをどう往ったのか、僕にはもう分からなかった。
ラズベリーが採れる茂みを抜けたり、丘を上がったり、とにかく先頭のジェイクに付いて行く。

大空の下、大地を覆う萌黄色の牧草が風に吹かれて、さざ波のように視界を渡っていく。
ここ、カナダのプレイリーには丘はあっても山はないから、地平線までどこまでも見晴らせる。
こんな所でカウボーイハットをかぶってのんびりと馬の背に揺られていると、空想の世界にいるような、現実感を欠いた感覚に襲われる。

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©Yoshimi Itogawa

テントは丘の上に張るのかと思ったら、丘を降りた池の畔にキャンプ地を構えることになった。
「まだちょっと風があるから、寒いかもしれないからな」とジェイク。
子どもたちもいることだし、それがいいかもしれない。

池は普段、牛たちが水を飲みにやって来るところだから、糞がそこここに落ちている。牛の糞は柔らかくて、地面でパイのような形状で固まることから「カウパイ」と呼ばれる。

焚火で焼いてホットドッグを作って夕食にした。
日没は午後九時過ぎ。それを眺めに徒歩で丘に上がった。太陽は地平線の向こうに沈んでからも、しばらくの間、空を赤く灼いた。

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日没後も焚火を囲んで、ウィスキーを飲みながらジェイクやヨシミさんとあれこれ話した。
「ジェイク、これまでに僕みたいなのが、『カウボーイさせてくれ』って来たことはなかったの?」

ジェイクは日本のテレビ番組に何度か取り上げられている。
実は僕も、そのうちの一つを偶然観ていて、出会う前からジェイクというカウボーイがいることは知っていたのだ。

「いないよ。だから今回ショータが来てくれてうれしいんだよ!」
僕ももちろん、ここに来られて、あなた方に温かく迎えてもらってうれしい。
「俺、いっぺんこういうカウボーイキャンプやってみたかってん。ベッドロールで草の上に寝るっていうさ。でも、子どもも小さかったし。今日はショータがいるから、やっとやってみようという気になったんよね」

ベッドロールというのは、かつてカウボーイたちが牛を追いつつテキサスから北方へ向かって旅をした時代に、寝袋として使ったキャンバス製のブランケットだ。
普段は革ヒモで巻かれてサドルの後ろに括られている。
寝るときには、それに包まって、星を眺めて眠ったわけだ。

夜も更けて、僕は大型テントの中でヨシミさんや娘たちと川の字になるか、野外で寝てみるか、一瞬考えた。
女性たちの中に入るのは抵抗があったけど、ヨシミさんは「かまへんで」と言ってくれていた。

僕は寝袋をジェイクから少し離れた、なるべく牛糞のない辺りの乾いた場所に敷いて星空の下で眠った。

だってこれが、ジェイクがやり残していた、小さな小さな夢だったのだから。

(DAY 6へつづく…)

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『カウボーイ・サマー』(第1章無料公開)④

※このDAY 4は残酷な描写を含みますので、閲覧注意でお願いします。しかし、都市生活者の視点からは残酷でしょうが、牧場では当たり前のことなんですね…。

DAY 4 「牛の解体」

 

ミーが死んだ。

その日、僕はディーンの家の荷物整理を手伝って、不要な段ボールを焼却炉で焼いたりしていた。この辺り一帯では広すぎてゴミ収集の行政サーヴィスはない。
各自の敷地内で焼却処理するようだ。

ギャッヴュー・ランチにはドラム缶の焼却炉があり、燃やせないもの以外はなんでもそこに放り込んで燃やすのだ。
僕はそれがなんだか楽しくて、燃え盛る炎を眺めていたらまつ毛を燃やしてしまった。昼食の時にはそれをリンカやミライに笑われて、和やかな土曜日だった。

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朝には、僕が動けないミーに干し草と水をやったのだった。

ジェイクとは、夕方からロデオを観に町へ行こうかと話していた。
昨日がハードな一日だったから、牧場内の施設や機械を見せてもらったり、トラクターの運転を教わったり、割合ゆったりとした日だったのだ。

そろそろアリーナから一度家に戻って出かける準備でもするか、という頃、ふと目をやるとミーが横倒しになっているではないか。
不自然さを感じて、それをジェイクに伝えると、彼が寄っていって確認した。
「死んでるわ」
 僕は、言葉が出なかった。

「ちょっと今日はロデオ観戦は中止やな。死骸を処理せなあかん。ええかな?」
「ええ、もちろん」
 緊急事態だから、処理というのが何を意味するとしても、僕はジェイクと一緒にやる覚悟を瞬時に決める他なかった。
アリーナ内の空気が突如張り詰めたようなひんやりしたものに変わった。

「バラして、肉は犬のエサにする。ちょっとそこおっといて」
と、ジェイクはまずトラクターを取りに行った。
リンカもやって来て、絶命したミーを目にした。彼女は、僕がここに来る以前からミーを世話していたから、ショックだったろう。
ラクターで戻ってきたジェイクに、「ミーのお墓を作りたい」と瞳を潤ませてせがんだ。
「ダメだ。肉を無駄にはできない」
 ジェイクはいつになく厳しい口調でリンカの願いを言下に退けた。

「埋めてあげたい。パパ、ダメ? ねぇ、ダメ?」
と、なおも食い下がるリンカを、ジェイクはその度に「ダメだ」と諭し、鬼気さえ背中に漂わせて、ミーの解体の準備を始めた。

ジェイクは事前に僕に言った。
「もしも、気分が悪くなったりしたら、向こうに座っててもいいから」
「はい、大丈夫です……」
たぶん、尋常でない雰囲気に僕の顔は青ざめていたことだろう。僕は、血は苦手なのだ。
だけど、志願してカウボーイをしている以上、そうも言っていられない。平静を装って、彼の指示を待った。

ジェイクはまず、ミーの首にナイフを入れて血抜きを行った。
ミーの後ろ足に鎖を括りつけて、それをトラクターのグラッポー(物を掴つかむツメの部分)につなげる。
ラクターを操作して、ミーの大きな体を逆さ吊りに持ち上げていく。
ミーの鼻から血と体液が流れ出て、土の地面に血溜りを作った。
足首にナイフをグルリと一周させ、脹脛(ふくらはぎ)へまっすぐ下ろして皮を剥いでいく。

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僕はまだ見ているだけだったが、ジェイクがもう一方の足に取りかかったあたりで、恐るおそる手伝い始めた。
皮下脂肪に刃を入れて、ザリザリと皮と肉を離していくのだ。まだ体温を持ったミーの肉体が、血と脂肪のにおいを上らせる。
お腹を縦に切って、さらに皮を剥いでいく。
削いだ皮はヌルついていて何度も握り直さなくてはならない。ナイフも鈍なまくらになっていくから、ジェイクはアリーナ内のキッチンに砥石を用意して、ときおり研ぎ直した。

下半身の皮が「脱げた」ような状態になると、ジェイクは肉が剝き出しになった胴体を割いて、内臓を出した。
ブスーっと体腔からガスが出て、腸や臓物がドチャドチャッと音を立てて地面に落ちた。湯気が出ていた。
においも強くなり、僕は顔を背けた。かがんで臓物を手でかき集めるジェイクのキャップに、血がドボッとこぼれたが、彼は気にする様子もない。

それから、彼はミーの遺骸を吊り下げたままトラクターを外の草地に移動させ、首を落とした。
皮を完全に剥いだあとは、肉を削いでいく。
このあたりになると、もう牛は死骸というより肉の塊になっている。立派な牛肉と思えば気持ち悪さはほとんど感じることなく、僕は作業に集中できた。

草の上に新聞紙を敷いて、肉の塊を置いていく。段々とミーが肉片の残った骨の姿になっていった。
関節もナイフで切り分けて、細かくしていく。
最後にビニール袋に小分けして、冷凍庫に保存する。少しずつ解凍して犬たちに与えるためだという。業務終了だ。

かなりの重労働だったが、とにかく多少なりとも役に立てて、僕はほっとした気持ちだった。

頭部や内臓など不要な部分は、ジェイクが牧場の裏手に埋めてきて、背骨と肋骨の部分はアリーナに戻して放置し、早速犬に食わせていた。

リンカは、ミーの耳に付けられていたタグを地中に埋めて「お墓」を作ったようだ。

(DAY 5につづく…)

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『カウボーイ・サマー』(第1章無料公開)③

DAY 3 「ブランディング

 

 三日目にして、ビッグデイを迎えた。ブランディングである。ブライアンとチャドという親子が経営する牧場へ、牛の焼印捺しの作業を手伝いに行くのだ。

 焼印をブランド、それを捺す作業をブランディングと呼ぶが、広告業界で言う企業のブランディングとは、つまりこれが語源になっている。

カナダのサスカチュワン州では、家畜である牛や馬に焼印を捺して持ち主を明示することが義務づけられている。
牛なら最小で縦七五ミリ、横五〇ミリのサイズで、右肩・左肩・右のアバラ、左のアバラ・右の尻、左の尻のいずれかの位置に捺す。
位置は牧場ごとに決められている。これは、同じマークでも位置によって区別ができるからだ。馬なら縦五〇ミリ、横二五ミリで、左右いずれかの顎・肩・尻である。

大文字のQはOと紛らわしいので使用不可。数字の0や1も除外される。
アルファベットや数字を横倒しに使うこともあり、それらはレイジー(怠けた)と言われる。
その場合も、Zと間違えるのでレイジーNは禁止。レイジーI(アイ)、レイジーU、レイジーVも不可、などと事細かに規定が定められている。
州のブランド登録事務所に第三希望までを申請し、規定に則っていて、近隣に似たブランドがないことが確認されると、晴れてその記号がその牧場のブランドマークとして認められる。

カウボーイにとって、ブランディングは自分の財産を守るための重要な仕事なのだ。

牛に焼けた鉄を押し当てて自分の所有を示す印を付けるという行為は、元々はスペイン人が北米に持ち込んだという。それ以前に、牛という動物自体、スペイン人がアメリカ大陸に運んできたものが繁殖していったのだ。

コロンブスアメリカ大陸を発見したのは一四九二年であるが、翌九三年から九六年の二度目の航海では家畜として牛馬を連れてきている。九四年に現在のハイチ共和国に陸揚げされたのが、新大陸における初めての牛馬だったのではないかと考えられている。

前回の航海で大陸を発見して、この時にはすでに恒久的な植民の意志があったということだ。牛は食糧の他、皮革や油脂の供給源として、馬は軍用として重宝された。

畜産は西インド諸島の温暖な気候に適していたため、牛たちは瞬く間に繁殖していった。
一六世紀前半に、スペインの探検隊を率い、のちにメキシコの副総督に就くグレゴリオ・デ・ビラロボスがまず牛をメキシコに上陸させた。

馬に関しては、アステカ王国を滅亡させた征服者のエルナン・コルテスが持ち込んだ。馬の機動力を活かして、原住民との戦闘を有利に進めたという。

一六世紀半ばには、すでに牛はメキシコ領内で増えすぎている状態になった。そこで、牧畜をしながら伝道に従事していた修道士たちが、メキシコ人であるインディオや黒人に牛馬の世話をさせた。彼らは、スペイン語で牛をvaca と言うことから、ヴァケーロと呼ばれた。のちに北米でカウボーイと呼ばれる者たちの始祖である。

一七世紀になると、スペイン政府はメキシコでの土地の所有を保護するようになった。所有権を正式に認める代わりに、それに応じた税を課して新しい財源としたのである。
すでにその地域である程度の権力者となっていた牧場主と、布教の使命を帯びた修道士たちは、現在のニューメキシコ州アリゾナ州テキサス州といった南西部に徐々に領地を広げていった。

一八世紀の間に、牧畜に適した南西部の温暖で乾燥した土地において、スペイン人たちは働き手であるヴァケーロの不足やインディアンの襲撃や牛泥棒の跋扈にもかかわらず、牛たちを順調に増やしていった。
一七六九年にカリフォルニアに初めての伝道所が設置され、そこでも放牧は行われた。

簡単に述べると、北米に家畜がもたらされた経緯は以上のようなことになる。
その歴史は、神田外語大学教授であった鶴谷壽氏による『カウボーイの米国史』(朝日選書 一九八九年)という書物に詳述されている。
鶴谷教授は「牧畜だけが、テキサスやアメリカの西部に生き残った唯一のスペインの遺産とも慣習ともいえる」と、興味深い指摘をしている。

カナダに家畜としての牛馬がやって来るのは一八四六年である。
イギリスの毛皮交易会社であるハドソンベイ・カンパニーのドクター・ジョン・マクロウリンが、コロンビア川沿いの交易拠点であったフォート・ヴァンクーヴァーから、船でヴァンクーヴァー島に連れて来た。
六〇年代に、カナダにも次々と牧場が開かれていった。その担い手の多くはイギリスからの移民だったが、アメリカから国境を越えて来た者たちもいた。

その頃、つまりテキサスが一八三六年にメキシコから独立を宣言したことから起きた四〇年代の米墨戦争、四九年に絶頂を極めたゴールドラッシュ、六一年に始まり六五年に終結した南北戦争といった歴史の激しいうねりを経て八〇年代のあたりまで、牧畜業はアメリカ西部の経済活動の大きな部分を占めていた。

しかし、家畜は誰にも属さない公有地に放たれていた。複数の牧場主の所有する牛たちが、同じ土地に混在していたわけだ。だから、自分の財産である牛は焼印を捺して目印を付ける必要があった。
しかも、野生の牛は捕まえて焼印さえ捺してしまえば自分のものにできるという風習まであったのだ。

サミュエル・A・マーヴェリックという男は「焼印のない牛はすべてわたしのものだ」と豪語して、あえて焼印を捺さなかった。
彼の権力が強いうちは、人びとは焼印のない牛を見ると「あれはマーヴェリックさんのものだ」として捕らえはしなかった。

南北戦争後、荒廃した土地に野生の牛があふれると、カウボーイたちはそれらを「マーヴェリック」と呼んで大いに捕獲したという。
こうして、英語でマーヴェリックというのは、「所有者不明の焼印のない牛」という意味と、転じて「無所属の者」「異端児」「一匹狼」という意味を持つようになった。

こういった歴史を持つブランディングだが、その方法は一五〇年前から現在に至るまで、基本的なやり方は変わっていない。
その日、僕が目にしたのは、原始的とも野蛮ともいえる、実に粗暴な世界であった。

 

ジェイクとリンカ、ディーン、そして僕は、馬を運ぶためのホース・トレイラーを牽いたピックアップトラックで、約二時間離れたエステヴァン郊外の牧場へ向かった。
到着すると、すでにそこはホース・トレイラーが並んでいた。
友人たちや周囲のカウボーイたち三〇名ほどが馬を連れて、手伝いに来ているのだ。

カウボーイたちは人手が要るブランディングの際には、お互いの牧場に出向いて助け合う。ホストとなる牧場主はビールや食べ物を大量に用意して、来た人たちを出迎える。

鉄柵で囲われた中に仔牛がウジャウジャいる。
仔牛といっても、生後ひと月半程度にして体重は八〇から一〇〇キロほどに育っている。
仔牛たちは、鉄柵の外にいる親牛たちに向かって助けを求めるように鳴き声を上げている。親牛たちも呼応して声を振り絞って我が子を呼ぶ。

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鉄柵を越えて中に入ると、まずその喚声に圧倒される。
間近で見る興奮した牛たちの動きや、所構わず垂れ流す糞やヨダレも、僕の恐怖感を煽あおる。

僕たち一行は少々道に迷って遅れて来たため、すでに作業は開始されていた。カウボーイたちは皆ハットにジーンズ、足元はブーツで堂々として見える。
そんな中に日本人カウボーイのジェイクはズカズカ歩いていって、知り合いたちと挨拶を交わす。

ブランディングの仕事は、大きく分けて馬に乗ってロープを操るグループと、地上で作業をするグループに分かれて行われる。
細かくは、焼印を捺すだけではなく、個体識別の耳タグ、予防接種の注射、駆虫剤の塗布、角が生えそうな仔牛にはそこを焼いた鉄棒で焼き潰す作業、オスには去勢と、多くの作業を分担していっぺんに片づけるのだ。

まず、鉄柵の中で馬に乗ったカウボーイが、ロープを投げて仔牛の後ろ足を捕らえる。
両足捕まえられたらなおよい。
彼はすぐにロープをサドルの前部に付いているホーン(角)に巻き付ける。それをしないと牛の力に人間の腕力では勝てない。
ロープの強度と馬の牽引力を用いて、仔牛を鉄柵の一方だけ開いた側へ引きずっていく。

柵を出たあたりで、ヘッドキャッチャーという鉄製の器具を構えて、地上班が待ち受けている。これは、中央で二つ折りに可動する楕円形の輪だ。端にはヒモにつながった鉄のペグが付いていて、地面に打ち込まれている。

馬にズルズルと引かれて来た仔牛の頭にタイミングよく輪っかを掛ける。馬が、足を捕らえられたままの仔牛を引いて進み続けると、やがて輪っかはペグで固定されたヒモによってピンと張る。

つまり、頭はヘッドキャッチャーで引っ掛けられ、脚は馬に引っ張られ、仔牛は身動きが取れなくなる。
そこに各担当の地上班が駆け寄り、一連の作業を順に行なっていくのだ。ヘッドキャッチャーは三つ用意されていて、三列で次々に流れ作業をこなしていく。

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耳タグはピアスを打つ器具の巨大版みたいなものだ。表と裏、ふたつのパーツに分かれた円形のタグを取り付けたピアッサーで、耳をガチンッ! と挟む。すると、二つのパーツが一つに噛み合う仕組みだ。

駆虫剤は犬や猫の首元に垂らすノミの駆除剤と同じ要領だ。水鉄砲のような器具で仔牛の胴体にシャーッとかける。
皮膚から血液中に浸透して効果を発揮する。
これは成分にアルコールを含んでいるから、引火しないように、焼印を済ませた最後に行うとのこと。

カウボーイは常に最高の効率と安全を追求して仕事にあたるのだ。

焼印捺しは、普通は牧場主が直々に行うものである。自社の商品にブランドマークを入れるのは、やはり最も責任が重い工程だ。
ところが、この日はなぜかディーンがもう一人の男と交代でやっていた。それだけ信用されているということか。

鉄柵の外に置いたグリルで火を起こし、先端にブランドマークのある鉄棒(ブランディング・アイアン)を真っ赤に熱する。

三列のヘッドキャッチャーへひっきりなしに仔牛が運ばれて来るから、常に適切な温度を持った鉄が用意できるよう、ブランディング・アイアンは複数本がグリルに突っ込まれている。角を焼き潰すための、先端が丸い鉄棒も一緒に熱せられている。

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耳タグや注射などの作業が済むと、ディーンは周囲に気を配りながら、アイアンをグリルから取り出す。
この牧場では、ブランドの位置は右の尻なので、彼はそこに慎重に鉄を当てる。ジュウゥーと皮膚と獣毛の焼ける匂いが煙とともに立ち上ぼる。
当然仔牛は、「オオウアァァ~!」「ウエェェ~!」と断末魔のような叫び声を上げ
る。

ロープで引きずられる時点で、仔牛は殺されるような恐怖を露わにして、白目を剝き、ヨダレを撒き散らして、必死に大声を出している。
それが焼印によって頂点に達する。

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それをおよそ二五〇頭繰り返すのだ。阿鼻叫喚とはこのことだ。

ただし、牛の皮膚は人間の五倍も分厚いため、痛みや熱さにはめっぽう強い。
全てが済んで解放された仔牛は、スッと立ち上がり、何事もなかったように親牛の元へ帰っていく。
中にはショックでしばらく立ち上がれないものもいるが、カウボーイが追い立てればやがて去っていく。

僕も男性の一人として、正視に堪えなかったのは、去勢である。ジェイクは、着いて早々、去勢係を買って出た。
僕は何が起きているのかまずは把握するため、初めのうちはビールを飲みながら状況を見ていた。

ヘッドキャッチャーによって横臥させられた仔牛の生殖器を確認した誰かが、「オスだ!」と叫ぶ。
すると、ジェイクは医療用のメスと消毒液を持って駆けつける。
バケットをぶら下げたリンカもあとに続く。
ジェイクは膝をつき、なんのためらいも見せずに、まるで手練れの自動車整備士がタイヤ交換でもするかのように滑らかな動きで事に当たる。
スッと陰嚢を横一文字に切った。そして、それを左手で握って、切れ目から二つの睾丸
を絞り出す。白くてツルッとした質感はまさに白子だ。
指でズルズルーッと引き出して、玉につながった精細管をチョンと切る。睾丸はリンカが差し出す容器に入れ、精細管はポイと捨てる。
最後に、傷口に消毒液をぞんざいに塗ってハイ終わり。

見ているだけで、痛く、哀しい……。

体格のいいオスは、「ブル」として種付け役になる。しかし、通常のオスは生まれてひと月やそこらで去勢されて「ステア」と呼ばれるようになる。
去勢されると大人しくなるので、肉質や革質に良い影響を与える。

「俺たち一七〇センチそこそこの男がもしも牛だったら、間違いなく去勢されて、あとは屠殺されるのを待つだけ。たまらんよなぁ」と、ジェイクはしみじみと話した。

「ブルは、メスの中に放たれて我が世の春ですね」と僕が言うと、彼はこんなことも教えてくれた。
「だけどな、ブルはブルで大変やで。その最中に他の牛があの巨体で横からドーンと体当たりしてきたりすると、アレが折れてまうんや。ポキッと」
「うわ。アイタタタ……」
「そうなったら用なしやから、殺されるしかない」

オスというのは、消費されるだけの、厳しい世界に生きている。毎年子を産まされるメスもそうなんだと、分かってはいるけれど……。

開始して二時間ほどは怖くて入っていけず、僕はあちこちで写真を撮ることに専念していた。獣たちの咆哮と、カウボーイたちの迫力に気圧されて、全くなす術がなかったといっていい。

その時は焼印を捺すのが本来は牧場主が担当するような重要なこととは認識していなかったから、ディーンに訊いてみた。
「これなら僕にもできるかな? 捺せばいいんだろう?」
「いや、これはやめといた方がいいよ。力加減がちょっと難しいんだ。押し過ぎれば皮膚を破いて酷い火傷をさせてしまうし、弱すぎればブランドがうまく付かない」

仕方ない。まだ三日目だがせっかくブランディングに参加させてもらっているのだから、それらしいことをしなくてはいけない。
馬に乗ってロープを扱うのは問題外に難易度が高いので、ヘッドキャッチャーで牛を捕まえて、押さえ付ける役割をやってみるしかない。

僕は何度も躊躇して、何度も自問して、やっと勇気を振り絞って、一人のカウボーイに声をかけた。
「やってみてもいいか? 教えてほしいんだ」
「ああ、もちろん。持ち方はこうだ」

彼はヘッドキャッチャーの構え方を見せてくれた。くの時に折れる輪っかを両手で持って、後ろ向きに引きずられてくる牛に対して半身になる。目の前に来たところで、タイミングよく頭に引っ掛けるのだ。
それからすかさず、組み伏せる。
鉄製のヘッドキャッチャーはずしりと重い。

一頭の仔牛がこちらへ来る。緊張が全身を走る。
失敗!

輪の掛かり具合が浅くて、頭から外れてしまった。牛はそのまま引きずられて行ってしまう。ヘッドキャッチャーはペグで地面につなげられているから、それを手にしてこれ以上追うことができない。

「しまった!」と思った時には彼が飛び出し、猛然と仔牛にタックルして引き倒していた。
暴れる牛と格闘してなんとかねじ伏せたようだ。

次はなんとか頭に掛けたが、今度は深く入り過ぎて、仔牛に組み付く僕の横で誰かが、
「首が締まってるぞ! 頬骨に引っ掛けるんだ!」
と大声で言っている。
僕は仔牛を押さえるのに必死でそれどころではない。
何人かの男たちが助けてくれて、ヘッドキャッチャーをずらす。
仔牛は観念するのかと思ったが、そんなはずはない。暴れ回ろうとして、必死で抵抗
する。
「前足を取れ!」
「手首を握って、上に引っ張ってろ!」
「そのままだ!」

色々なカウボーイたちに助けてもらいながら、なんとか仔牛の前足をキメた状態に持っていくことができた。
しかし、その腕力の強いこと。それを抑えるのも僕の腕一本。僕が引く力と、ヤツが押してくる力で勝負だ。
「動くんじゃねえ! このクソ野郎!」
 思わず日本語で悪態をついた。そうこうしているうちに、ディーンが焼けた鉄棒を持ってやって来る。
今仔牛が暴れたら、僕の太腿ももあたりをジュゥッとやられそうで、
こちらも必死だ。
「OK!」と誰かが言ったのを合図に僕は仔牛を放した。

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やる前は怖くて足が震えたが、やったあとは力を使い過ぎて手が震えた。次の仔牛に対応しようと、立っていると、馬上のカウボーイの一人が、
「そいつを一人にするな」
と地上班に指示を出した。
そいつとは、もちろん僕のことだ。
周りが助けてくれるのはありがたいことだけど、なんとも恥ずかしいことだ。そして、密かに、……傷ついた。

結局、四頭挑戦して二頭失敗。これではカウボーイ失格でも仕方がない。

ジェイクを見ると、今度は馬の上から仔牛に向かってロープを投げている。巧みに馬の方向と仔牛への距離を調整して、頭の上でロープの輪を回す。
タイミングを見て、狙った所へスッと投げる。この一連の動作を習得するのには、途方もない時間と訓練がいったことだろう。

ジェイクも日本人で、初めからこんな芸当ができたわけではないはずだ。それが今、こうしてカナダ人のカウボーイたちに溶け込んで、自分の役割を果たしている。

一度、ジェイクが投げたロープが仔牛に掛かり、逃げる仔牛に合わせて馬をターンさせる際、何かの拍子に自分の馬の尻と尻尾の間にロープが渡るような格好になってしまった。
すると、馬は気持ちが悪いのか、後ろ脚を跳ね上げてバッキングし出した。
ロデオのような危険な状態だ。ジェイクが落とされたらケガするかもしれない。

馬は四度ほど跳ねたと思うが、ジェイクはバランスを取って持ちこたえ、馬の動きを制御することに成功した。

見ていた全ての人間がジェイクに拍手を送り、口笛も飛び交った。
僕の目に、照れ笑いするジェイクの姿が眩しく映ったことは言うまでもない。

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夕方になって、全頭を処理し終えると、牧場主が用意したホームメイドのハンバーガーをみんなで頬張って、お互いを労って解散だ。
僕はなんの役にも立てなかったが、ブランディングというものに立ち会えただけで満足で、興奮がしばらく収まらなかった。

助手席から広い空と草原ばかりの風景を眺めて帰る途中、ジェイクの友人であるデイルの家の前を通るので、立ち寄ることになった。

デイルは、もう子どもたちは独立して、道路から私道を入った瀟しょうしゃ洒な邸宅に奥さんと二人で暮らしている。
庭には柵で区切ったコラルがあり、馬を二頭飼っている。
彼の職業はガス検査員ということなのだが、溜息が漏れるほど裕福な暮らし向きだ。
コラルの奥には真っ青な空を映す湖が広がる。しかし、これは大雨の時に自然と草原にできた池で、そのまま湖としていつまでも残っているものだという。

灰色の口髭を生やして、愛嬌あるクリクリした瞳のデイルは、僕ら一向を気さくに迎えてくれた。
「ビール飲むかい?」

ジェイクも僕もブランディングの会場でビールは散々飲んできたのだが、もう一本いただいた。
「ジェイクは遥はるばる々日本からやって来て、わたしが夢見たような暮らしをしている。簡単なことではないと思うよ。すごいことだ」

ジェイクは島根県で生まれ、熊本での大学時代に乗馬クラブでアルバイトをした。
そこがウェスタン乗馬のクラブで、各スタッフにアメリカ風のニックネームを付けて呼んだ。
だから、彼はカナダに来たからカナダ人が呼びやすい名前を自分で付けたのではなく、もう人生の半分ほどを「ジェイク」という呼び名で生きているのだ。

乗馬クラブで、彼は馬に興味を持ち、やがてロデオに熱中するようになった。大阪で就職してからも、同じ趣味の仲間たちとカナダに弾丸旅行を繰り返し、ロデオ大会に参加した。

そのうちに選手としてよりも、「ブルファイター」という立場に楽しみを覚えるようになった。
ブルファイターというのは、ロデオ会場で活躍するピエロの格好をした男のことだ。ブルから落ちた選手を助け起こしたり、ブルの気を引きつけて安全を確保したり、観客を楽しませ大会を盛り上げる縁の下の力持ちといったところだ。

現在の雇い主であるステュアートと出会ったのも、カナダのロデオ会場だ。彼は、日本でアルバイトを九か月して、残る三か月はカナダでロデオ三昧をするという一年間を何度か繰り返した。
平日はステュアートの仕事を手伝い、週末になるとあちこちのロデオ大会に出かけるというサイクルだ。
すでに日本でヨシミさんと結婚していて、長女のリンカもいた。

ところが、ある日、日本にいるジェイクにステュアートから国際電話がかかってきた。

「わたしが経営しているアルバータ州の牧場を売って、今度サスカチュワン州にもっと広い牧場を買おうと思っている。働き手が要るんだが、お前やらないか?」

ジェイクと、その家族の運命を変えた一本の電話だった。

(DAY 4 へつづく…)

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『カウボーイ・サマー』(第1章無料公開)②

DAY 2 「カウボーイって今でもいるんですか?」

 

朝六時半に自然と目が覚めた。会社員時代にはまずなかったことだ。

僕は電通という広告会社のコピーライターだった。コピーを書くだけでなく、イヴェントをプロデュースしたり、ブランド・コンサルタントのようなことをしたり、海外の支社でも働いた。

電通には能力の高い上司や先輩、後輩が多かった。有能と表現するよりも、関西弁で言うところの「おもろいヤツ」が多かった、と言った方が的確な気がする。
おもろいくらい口が達者な営業マン、おもろいくらい頭のいいマーケター、おもろいくらい次々とおもろいアイデアを出すクリエーティブ社員。社内だけでなく、一緒にプロジェクトにあたるデザイナー、プロデューサー、演出家、カメラマン、制作会社、企画会社、イヴェント会社、PR会社などのスタッフの中にも、仕事を越えた友情を結んだ人たちがいる。

広告の仕事は、傍から見えるほど華やかなものではないが、それでも日本中・世界中のあちこちに行かせてもらう機会があったり、様々な業界の人に会えることが仕事の喜びの一つだった。

給料も悪くなかった。若い頃からそうであったわけではないが、一五年近くも働いていると、充分すぎる額の給料をもらっていた。それでも僕は、それら一切を捨てても、カウボーイについて深く知りたかった。

いや、カッコつけすぎた。電通での仕事はストレスが高かったし、組織が巨大化・グローバル化するにつれ、日本のどの大企業とも同じように、官僚化・硬直化が進んでいた。僕はそれに一生付き合うつもりはなかったから、僕にとっての潮時だったのだ。

「会社辞めてカウボーイする」と人に言うと、一人残らずこう訊いてきた。文字通り、一人残らずだ。

「カウボーイって何するんですか?」

次の質問も決まっていた。
「カウボーイって今でもいるんですか?」
「基本的には牛を育てて食肉業者に売る。これが仕事。それをどうやっているのかを、これから見てくる。カウボーイは今でもいるし、今でも馬に乗って仕事しているはずなんだ」
僕はいつもそのように答えていた。

ジェイクは七時前に起きてきて、彼が「ライノ」と呼ぶ二人乗りの四輪バギーに同乗して、牛の見回りに出かける。僕に牧場のひと通りを見せてくれる意味もあったのだと思う。

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ライノはヤマハの四輪バギーのモデル名だが、ジェイクは一人乗りの四輪バギーである「クワッド」と区別するために、現在のものはヤマハ製ではないのだが、そう呼んだ。

ジェイクが働くギャッヴュー・ランチは、広大な敷地のほぼ中央に居住区域があり、南東にジェイクの家、やや離れて南に牧場主のステュアート・モリソン氏の家があり、そして、通りを挟んだ西側にその息子のディーンが住んでいる。

ジェイクの家屋の前にはサッカーのフィールド半分ほどの敷地があり、その中央部をフェンスで囲ってロバを飼っている。

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その北側に馬の競技や調教を行うアリーナ兼厩舎、東側に工具や機械類がある「ショップ」と呼ばれる作業場と納屋(バーン)があり、西側にもう一つ古いバーンがある。
そのバーンの隣りの草地もフェンスで囲われていて、馬が二頭いる。他にもここからは見えない放牧地に馬はいるが、手に入れて間もない馬や、具合が悪かったりして見えるところに置いておきたい馬はそこに入れるようだ。

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ショップ

それぞれの場所へ徒歩で向かうといちいち時間がかかるから、ライノやクワッドを使って牧場内を移動するのだ。

ジェイクの運転するライノで牧場を出て、放牧地へ向かう。昨夜とは別のテキサスゲイトを越えて、東の方の丘へ向かっていく。これまでに自分が付けた轍を踏襲しながら、ジェイクは見回りを行う。

仔牛は春から初夏に産まれるように、種付けの時期をコントロールしているが、遅れてこの七月の半ばに産まれてくる場合もあるから、主にそれをチェックしている。

それにしても、広い。空が大きい。ギャッヴュー・ランチは東側の土地が隆起していて、あとは三方向ともほぼ平らな大地が広がる。だから、東の丘から眺めれば見渡す限り、若芽色の牧草地帯とポコポコと積雲が浮かぶ涼しげな七月の空が視界に満ちるのだ。

そこここにオレンジ色のポンプジャックが稼働しているのが見える。石油掘削機だ。巨大な機械も、ここから見るとオレンジ色の小鳥が地面を啄ばんでいるように映る。
僕はあまりの広大さに息をのんだ。
「これ全部がジェイクのところの土地なんですか?」
「いや、全部じゃないけど、あのへんからあのへんまで……」
と、ジェイクは遠くの彼方を指さした。

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左手に見えるのがポンプジャック

カナダのサスカチュワン州を飛行機から見下ろすと、きれいに正方形に土地が区切られているのが分かる。それをセクションという単位で呼ぶ。
一平方マイルの大きさだ。そして、さらによく見てみるとその正方形は「田」の字のように四分の一に仕切られている。これを一クォーターという。
つまり、一マイルが一・六キロメートルでその半分だから、八〇〇メートル四方の土地だ。

ギャッヴュー・ランチの敷地は、一二・六二五セクションある。これは、八〇八〇エイカーということになり、約三二・七平方キロメートル。
広すぎて理解しにくい場合に日本人はよく東京ドームでたとえるが、この場合、およそ七〇〇個分にあたり、結局想像もつかない。

さらに丘を上ったり下ったりしながら牧草地を走る。轍があるとはいえ、ジェイクがこの茫漠とした土地を自由に走り回って、よく迷子にならないものだと変に感心してしまった。

七月半ばでも、カナダの朝は涼しい。ライノでスピードを出すと風が冷たい。
ゴアテックス上着を着て来てよかった。ハットを飛ばされないようにやや俯き、振動でよろけないように助手席の支柱を握る。

「とうとうカウボーイの牧場まで来たんだな……」という実感が湧いてきて、ニヤニヤしてしまう。

牧場に戻ると(牧草地も牧場の一部だが、本書では分かりやすく区別するために家屋やショップがあり生活をするメインの敷地を牧場と呼ぶ)、アリーナへ案内してもらった。

ここは、体育館ほどの大きさの建物で、入り口を入ってすぐ右手に干し草が貯蔵してあり、左手の小部屋には家畜用の薬品や難産の牛を介助する医療器具などが置いてある。ジェイクは毎朝ここでコーヒーを沸かす。

奥が鉄柵で囲われた砂地になっていて、ここで馬の調教をしたり、ロープで牛を捕らえるローピングの競技大会などを開催したりする。
柵のそばの倉庫部屋に、サドル(鞍)やブライドル(馬勒や手綱)やスパー(拍車)などの馬具が保管してある。

入り口から一〇メートルほど入った所に、黒い牛が一頭、四肢を折って腹這いになっていた。
聞けば、このミーと名付けられた雌牛は障害があり歩行困難なため、群れから切り離してこちらで面倒を見ているのだという。尿結石を伴う疾病のため、お腹に穴を開けられて、糞尿を垂れ流しの状態で、寝たきりになっているのだ。
確かに、お尻のあたりは尿で濡れていて、糞もそこに溜まっている。
ジェイクがその糞を干し草用の大きなフォークでかき取る。

間近で見る牛を、怖いとは思わなかった。
黒い巨躯を伏せて、ときおり「ウオォォ~」と苦しげな声を上げる様は、彼女がすでに半分モノになりかけていることを表していた。

「助からへんと思うんやけど、どうしたもんかな……」
ジェイクは困った顔で言った。生き物としてのミーは気の毒であったが、仕事の場である牧場としては、厄介な懸案事項であった。体重が優に六〇〇キロを越えていて、移動させるのも人間の力ではままならない。

 

ジェイクが牧場で働く仲間たちを紹介してくれた。
ロジャーは七九歳。しかし、白髪のヒゲを蓄えて、野球帽をかぶってなにやら巨大なマシーンで颯爽と登場してきた姿は、八〇近い老人とは思えない。アルバータ州カルガリーから、サスカチェワン州のギャッヴュー・ランチまで九〇〇キロを運転して、数日間だけ手伝いに来てくれているという。

握手を交わすと、七九歳の掌は分厚すぎて、僕の指がほとんど回らなかった。こちらの手が華奢すぎて恥ずかしくなったくらいだ。

彼は、トラクターの後部に取り付けた長大な金属のマシーンを操作して、ヘイベイルという干し草を巻いたものを運んでいる。
ヘイベイルは直径一八〇センチほどもあり、重量は先ほどのミーと同程度の五、六〇〇キロもあるという。それを牧草地から一度に十四個運んできて、牧場の南側の敷地に降ろし、並べていく。

ベイルというのは「貯蔵」という意味だが、まさにこうして、家畜の食糧である草を貯蔵していくのだ。

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次に紹介されたのは、牧場主の息子であるディーンだ。
彼もまたデカい。後日訊いたら一八〇センチ台半ばだったが、堂々たる体格が、実際の身長以上に大きく見せるのだろう。
口の周りは黒々としたヒゲで覆われ、それが癖なのか、ややしかめたような表情をする。しかし、口を開くと拍子抜けするようなやさしい話し方で、ちょっと似合わないくらいの高い声を出す。
五〇を越えた男にしては威厳が足りないのだが、僕は出会ってすぐに、彼はいいヤツなんだと分かった。

ディーンは、ジェイクの家の裏に盛るための土を取りに行くというので、僕もトラックに同乗した。
ジェイクの家は、モバイルハウスといって、他所で建造されてからそのままの形で運ばれてきたものだ。この春に、土を掘った所に設置されて、まだ土台が剝き出しのままになっていた。
そこを土で埋めて平坦にしようというのだ。

トラックの助手席は視界が高く、長いギアをゴキッと入れてエンジンを唸らせるディーンの傍らにいるだけで、なんだかワクワクする。
コーン畑に沿って一〇分ほど走ると、土砂堆積場があり、そこに土が山盛りになっている。
ディーンはトラックを降りるとすぐさま停めてあったペイローダー(シャベルカーのこと。これは和製英語)に乗り込んで動かし始めた。

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大型トラックから、すぐさまペイローダーに乗り換えて巧みに操る彼を見て、僕は理解し出した。
現代のカウボーイは、あらゆる機械を自在に操作しなくはいけないのだ。ピックアップトラックはもちろん、ライノ、クワッド、トラクター、大型トラック、ペイローダー……。

そして、家屋の外構整備も自分たちでやり、電気、ガス・水道管の設置工事まで自分たちでできる限りは行うのだそうだ。畜産のみならず、農作、土木、機械と、あらゆる知識とスキルが求められるようだ。
広告業界でしか働いたことのない僕には、いずれの経験もゼロである。初めから分かっていたことだけど、改めて不安になってきた。

ジェイクから申し付けられた初仕事は、除草作業であった。

ライノで北に数キロ走った斜面に、牛が食べると有害な植物が繁茂しているので、除草剤をスプレーして回ってほしいという。
それなら僕にも問題なくできそうなので、ジェイクの上の娘であるリンカと二人で作業に向かう。
ふと考えると、この広い土地のうち、「あそことあそこに不要な雑草が生えている」ということをジェイクが把握していることに驚きを覚える。

除草剤の液体をタンクに詰めて、僕がそれを肩に掛けて、斜面を上っていく。
リンカと目的の雑草を見つけては、「あった!」「あそこ!」と指さして、タンクから出たチューブの先の噴射口からスプレーを撒く。

リンカも自ら進んで実によく働く。夏休み中の一一歳の女の子が、野外で除草剤を撒いて回りたいはずはないと思うのだが、右も左も分からない僕をサポートしてくれるつもりなのだろう。彼女は鼻の頭に汗を浮かべて、僕と一緒に歩き回った。
 
タンク内に夾雑物が多いのか、たまに噴射口が詰まる。その度に先端を外して、息を強く吹きかけてスプレー穴を掃除して元に戻す。
僕は仕事のために、日本からバッファロー革の茶色い手袋を持って来ていた。土や埃や雨で汚れることは覚悟してきたけれど、まずは除草剤によって染みができた。

一時間ほどで、その区域の除草剤散布は終えた。
イメージしていたカウボーイの仕事とは程遠いのだが、僕にもできる仕事を与えてくれたジェイクの気遣いをありがたく思った。

ジェイクは言う。
「完璧になることはないんやけど、常に先々を見て、土地をより良くしていくのが、カウボーイの仕事。たとえば、俺は家の庭に何本も苗木を植えた。自分が生きているうちに大きくはならへんかもしれへんけど、俺の孫くらいの代には、いい日除けになるかもしれない」

今季の業績、半期の目標、五年後の肩書。あとは考えるとしたら老後の自分のことくらい。
会社員をしていた僕は、目先のカネのことなんて考えたくもないと粋がっていたけれど、せいぜいその範囲しか考えていなかった。
ジェイクたちカウボーイが視野に置く、時間の長さ、静かな思いの遠大さに、僕は胸を突かれた。

ジェイクはその日、僕に乗馬もさせてくれた。
アリーナに馬を牽いてきて、その準備をする。僕はカウボーイの仕事を経験するにあたり、昨年のうちに何度か、日本でウェスタン式の乗馬をさせてくれる乗馬場で基礎的な
ことは習ってきた。
だから、歩く・ジョグする・止まるくらいは問題なくできた。しかし、それ以上の複雑な動きはできない。

サドルやブライドルといった馬具の取り付けも、乗馬場ではオウナーが行なっていたから、自分でしたことはない。それを伝えるとジェイクがやってくれた。
それを眺めて覚えようとしたけれど、取り付ける手順やコツがあるような感じで、とても一回見たくらいでは覚えきれるものではなかった。

アリーナの鉄柵の中で馬にまたがってみると、視界が高くなり気持ちがいい。恐るおそる歩かせてみて、時々走ってみる。
まだ怖くて体がのけ反ってしまいカッコ悪い。
リンカも、下の娘のミライも、ポニーに乗って一緒に歩き回ったり、器用に走らせたりする。子どものうちから上手に乗ってしまうのだから、将来が楽しみである。

しばらく遊ばせてもらって、馬を降り、サドルとその下に敷いた毛布を下ろして、馬にブラシをかける。これは馬を美しくするためというよりは、汗で濡れた毛を整えたり、馬の体に触れながら、ケガはないかおかしな傷はないかなど、健康状態を子細にチェックしていく意味がある。
乗る前にブラシするのは、小石やゴミが付いている上から毛布とサドルを乗せてしまうと、馬が不快だったり、傷を作ってしまうからだ。

それにしても、馬の美しさは格別だ。
パンと張ったお尻や、隆起した首元から肩にかけての筋肉、引き締まった脚、そして、艶やかな毛の輝き。
これまで、競馬ファンなどが言う「馬はかわいい」という気持ちはあまり理解できなかったのだが、間近で触れてみると確かに、やさしそうな目は意思の疎通ができそうで、愛らしい。

その晩は、庭にテーブルと椅子を並べて、僕の歓迎と、明日またアルバータ州へ帰るロジャーへの慰労を兼ねたパーティーをしてもらった。
牧場主のステュアート、息子のディーンとそのガールフレンド、ロジャー、そして、ジェイクの一家四人と、大きな家族のように温かい時間を過ごした。

(DAY 3へつづく…)

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『カウボーイ・サマー』(第1章無料公開)①

私、前田将多のカウボーイの旅から5年になる夏、『カウボーイ・サマー』発売から3年になる記念に、第1章を何回かに分けて無料公開します。

旅した気分で、ゆっくりおたのしみください。

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Dedicated to my late father and all the cowboys out there.
(亡き父と、今日も大空の下で働く、すべてのカウボーイたちに捧げる)

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DAY1「ジェイクという男」


「君、嘘をついているだろう。わたしにはそう見えるが?」

ヴァンクーヴァー空港の入国審査官は、僕の目をまっすぐ覗 のぞき込んで詰め寄ってきた。イタリア系であろう男の大きくて黒い瞳に射すくめられて、僕は脚が震えるのを感じた。

「いえ、嘘は言っていません」

震えを悟られないように平静を装って答えた。制服姿のイタリア系は眉一つ動かさない。一年以上費やした計画が、しょっぱなのこんなところで阻止されてはたまらない。
「それは確かか? この国で働くのではないな? 虚偽の証言は連邦政府からの罰則の対象になるぞ」

僕がミスしたのは、この質問への対応だった。初めの質問に対する答えは「イエス」だし、続く質問へは「ノー」である。

そこでやや混乱した僕は、
「はい、いや、つまり、いいえ……」
と答えてしまったのだ。それは、彼の目には口ごもったように映っただろう。
 
先ほど、入国審査のカウンターでは、僕は女性係官に対してにこやかに受け答えをした。
「前職は広告会社のコピーライターでしたが、先月辞めました」

バカ正直にそう伝えたのが良くなかったのだ。彼女は、僕が手渡した税関申告書にさらさらっと何事か書き加えた。果たして、僕は他の乗客が直進して出口へ向かうところを止められ、「お前はあっちだ」と別室へ追いやられたのだ。そこは尋問をする側とされる側の人間が何組も並ぶ大きな部屋だった。

初めは、ランダムに選ばれて形式的な質問のいくつかも受けて、通されるものと思っていた。「荷物開けろと言われたら、タバコがたくさん入ってるからマズいなぁ」程度に思っていたのだ。

しかし、疑われたのは不法就労で、入国審査官はあくまでも本気で、実に執拗だった。
「誰のところに行くんだ」
サスカチュワン州に何があるのだ」
「そんな何もない所で、三か月も何をするんだ」
「宿泊先の友人というのは誰だ」

挙句の果てに、
「アイフォーンを出して、その人物の連絡先を見せろ」
と来た。連絡先はアイフォーンの住所録ではなく、メールの文章の中にあったため、僕はなにかマズいことが書かれていなかったか、そしてそれが英語でなかったか瞬時に思い出しながら、命令に従った。

彼はアイフォーンを奪うと、奥の電話を使い始めた。画面を覗き込みながら何軒にもかけている。
僕はなす術もなく、その様子をぼんやりと眺めた。

僕は、この夏の間、カナダの牧場でカウボーイとして働く計画だった。牧場主に提示した条件は「給料はいらない。しかし、食事と寝床を提供してほしい」というものだった。だから、僕は嘘をついているといえばついているし、無給なのだから「働く」わけではないという理屈も成り立つ。
しかし、不法就労を疑う審査官にそこまで説明はしない。事前に、「無給といえど、働くことによりカナダ人の雇用を一つ奪っていることになると解釈されるから、それは言うな」と助言されていたのだ。嘘はつかないが、余計なことまで言わないというスタンスを貫くしかない。

無機質なタイル張りの審査室では、僕の脇でインド人の子連れの婦人が尋問を受けている。「日本人がわざわざカナダに出稼ぎに来るかよ」と内心毒づいてみるが、彼らにとっては、日本だってアジアの一国にすぎない。チャイニーズもジャパニーズも一緒くただ。

イタリア系が戻ってきた。
「行ってよい」

行ってよくない時は絶対逃がさないという眼光で威圧するのに、一度行ってよくなると邪魔者のように追い払われる。
「僕のアイフォーンを返してください」

彼は「申し訳ない」のひと言もなく返してきた。
 
国内線でレジャイナ空港に着くと、ジェイクが奥さんと二人の娘を連れて出迎えてくれた。彼と会うのはその時が二回目であったが、大きなカウボーイハットをかぶっていたからすぐに分かった。

背丈は僕と変わらない一七〇センチくらい。とにかく目を引くのが、その大きなマスタッシュ、口髭だ。分厚く伸ばしたヒゲを外向きにカールさせている。彼の瞳も、間近で見ると色素が薄く奥まで透けそうな茶色で、その日本人離れした風貌を強調している。

そう、彼はジェイクといっても日本人だ。サスカチュワン州の牧場で、十数年に渡りカウボーイとして働いている。その年の正月に彼が七年ぶりに帰国していた際に、僕は友人を通じて彼と出会った。

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春になって、僕は会社を辞める準備をしつつ、彼に「カナダでひと夏カウボーイをしたい。ついては、カナダ人の牧場を紹介してくれないか」とお願いしたのだ。

ジェイクも戸惑ったことだろう。一度だけ会った男がそんな依頼をしてきたのだ。
空港では、その戸惑いを反映したようなぎこちない握手をしたような覚えがある。僕の方も、それを感じ取って不自然なくらい慇懃に振る舞ったような気がする。

しかし、その後、僕にとってジェイクという男は、心の中の特別な位置を占める男となるのだった。
 
ジェイクの運転で一家とレジャイナの街に出ると、その足でカウボーイハットを買いに行った。なにはともあれ、まずは格好から入りたい。
カウボーイハットには大きく二種類がある。秋冬用のフェルトハットと、春夏用のストロウハットだ。前者の方が高価で、中でもビーヴァーのファーで作られたものは最高級と言われている。
ハンドメイドのものであれば、米ドルで五〇〇ドルを優に越えるだろう。その次がラビット・ファーで、ウール製は比較的廉価だ。カウボーイたちは、高級品であれば何年、何十年にも渡りそれをかぶるという。一方、ストロウハットは数十ドルから一〇〇ドル程度で、ワンシーズンかツーシーズンで使い捨てにする場合もある。

夏を過ごすにあたり、僕が選んだのはストロウハットだ。ブリム(ツバ)の広さは四インチ(約一〇センチ)が標準的だが、その反り返り方のシェイプや、クラウン(頭を入れる筒の部分)の高さ、クリース(天辺の部分の窪み)の形状、ハットバンド(頭周りに巻かれたバンド)の素材やデザインは様々だ。

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二階建ての広い店内には何十種ものハットがあり迷ったが、最後はサイズ重視で選んだ。風が吹いたり馬に乗る時に、ハットが脱げては困るから、頭を振ってみてもグラグラしないジャストサイズなものが必要なのだ。

ステットソンのハットが買えるに越したことはないが、そんな高級品は作業用にはもったいない。
ステットソンというのは、二〇一五年に創業一五〇年を迎えた、カウボーイハット・ブランドの代表だ。正確に言えば、ジョン・バターソン・ステットソンが、カウボーイハットというものを発明したのだ。

ニュージャージー州のハットメイカーの息子として生まれたジョンは、結核性の病気を患い、療養先として西部に滞在していた。

ある日、ハンティング仲間たちとコロラド州パイクスピーク周辺で嵐に遭って、身動きが取れなくなってしまった。
彼らは狩った獣の生皮でとりあえずのテントを作って夜を凌いだ。そこでジョンは、父親が帽子作りに用いていた手法で、ウサギの毛から耐水性の布地を作ることを思いついた。
初めは毛布にしていたが、そのうちにハットを作ってみた。
太陽からも顔を守れる広いツバと、軽くて暖かで、水も運べる丈夫なクラウンを持つハットであった。

ジョンがそれをかぶって旅を続けると、すれ違った馬上の男が興味を示した。男は、その見たこともない素敵なハットを五ドルで売ってほしいとジョンに頼んできた。

機嫌よさそうにハットをかぶって去っていく男の後ろ姿と、手の中の五ドルを見ながらジョンは決心した。東部に戻ったジョンは、姉から六〇ドルを借りて、合計一〇〇ドルの資金を元手に、あのオリジナルのハットを量産すべく会社を起こしたのだ。

それが“Boss of the Plains (平原を治める者) ”と名付けられたカウボーイハットの初代である。
一九世紀末には、ステットソン社は世界一のハットカンパニーに成長していた。様々な会社がハットを作り始め、互いに競いながら形や大きさも多様に変化していった。

南西部のカウボーイたちは日差しから顔を陰にできるツバの広いハットを好んだ。
北部では、厳しい風雪でハットが飛ばされないよう、ツバは小さ目でクラウンも低いものが必要とされた。
当時は、ハットの形によって、出身地が大体分かったという。

ワイルド・ウエスト・ショウや初期のカウボーイ映画のスターたちは、そのカリズマの象徴ともいえる大きなハットを粋にナナメにかぶった。
カウボーイに限らず、都会生活者の間でも、表を歩く時には帽子をかぶるのがエチケットとされた古き良き時代があった。ステットソンは、ドレスハットやカジュアルハットも、高い品質で供給した。

やがて時代は移ろい、機械工業化社会の進展と第三次産業の勃興とともに、男たち女たちが皆ハットをかぶることはなくなってしまった。ステットソン社も厳しい時を過ごしたが、今も昔もハットを使うカウボーイたちに支持され、揺るぎない地位を保持している。

僕がハットを試している間、ジェイクたちは店内にひしめくように陳列されたカウボーイブーツやシャツや馬具を見ていた。街で買い物と夕食を済ませると陽も暮れた頃だった。
ジェイクの九三年製のトヨタは、見た目もさることながら、内側も土埃で汚れている。エアコンは故障して動かない。
僕はそれを見ただけで、牧場での仕事の厳しさを垣間見る気がした。

彼が住むGapview Ranch(ギャッヴュー・ランチ)までは、二時間の道のりだ。
街を抜けると、漆黒の中をヘッドライトに照らし出される車線しか見えなくなる。街路灯も信号も一つもない。

闇の中のどこかでジェイクが左折すると舗装もされていない道となった。そこをガタガタと三〇分ほども走り、何度か曲がり角を曲がった。

道路の途中で、鉄パイプを等間隔で何本も横に敷いた箇所があり、その上を通ると金属が音を立てた。
「テキサスゲイトっていうんだ。車は通れるけど、牛は隙間を怖がって通れない仕組みなんだ」
と教えてくれた。
つまり、これが牧場の敷地内に入った証なのであった。

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その晩はすっかり遅くなったのだが、娘たちが寝たあとも、ジェイクと奥さんのヨシミさんと三人でビールを飲みながら話した。
彼らが、久しぶりの日本からの来客を、ひとまずは喜んでくれているようで、よかった。
僕はここではじめの五日間世話になり、カウボーイの仕事の手ほどきを受けてから、カナダ人の牧場へ移る予定だ。

僕は関西からやって来たが、同じく関西にあるヨシミさんの実家から、娘たちへの届け物を預かっていたので、それらを渡した。
ハウス食品のシャービック・イチゴ味とメロン味。
それと、日本の国語教科書。ジェイクとヨシミさんは日本で生まれ育ったが、幼くしてカナダに来た長女のリンカと次女のミライは、日本語と英語を母語とする日本人だ。
家庭でしか使わない日本語をちゃんと習得できるように、教科書を読ませようというのだ。

それは、親や親戚からしたら大事なことだと思ったし、娘たちは娘たちで、シャービックを心待ちにしていたことだろう。
僕は三か月分の荷物を入れるスーツケースになんとかそれらをねじ込んできた。

(DAY 2へつづく…)

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「留学なんて、しにくくていいのだ」

新型ウイルス禍により学校教育が中断している現状を鑑み、「9月入学」が議論されている。

日経新聞が知事41人から回答を得たアンケートによると、6割が賛意を示したという。

新型コロナ:9月入学、知事の6割「賛成」 グローバル化進展期待 :日本経済新聞

産経新聞を読んでいたら、早稲田大の石原千秋教授は、知事たちは勘違いをしている、としてこのように書いている。
〈9月入学制度にすれば海外から優秀な留学生が集まり、日本の若者が留学するだろうと。(中略)ノーベル経済学賞受賞者が一人もいない国に優秀な留学生が大勢くることなどあり得ない。極端に言えば、9月入学制度は日本の優秀な若者を海外に流出させるだけの制度なのである。それでも、将来的には9月入学制度への移行は避けられないと思う〉

留学生が来ること、留学に行くこと、に関して言えば、アメリカはチャイナからの留学生については警戒感を高めていて、留学ビザの取り消しに動いている。
むやみに増やせばいいというものではないので、日本が無防備すぎることは付言しておきたい。

トランプ米大統領、一部中国人留学生の入国拒否命じる-安保上の懸念 - Bloomberg

9月入学に関して、僕個人は「どっちでもいい」という意見で、アメリカとカナダは確かに9月入学だが、オーストラリアは2月だし、シンガポールは1月、韓国は3月だというので、各国まちまちなわけで、なにも無理してアメリカに合わせなくてもいいと考えている。

というのは、僕自身が留学生として、9月入学でアメリカの大学に入学した留学生の出身なので、いくつか思うことがあるのだ。

以下は、教育システムを議論する上でのオピニオン的価値はまったくないとお考えください。ただの元留学生の個人的エッセイとしてお読みいただければ結構です。

 

僕は1994年の3月に高校を卒業して、その年の8月に渡米した。その間の4か月間はなにをしていたかというと、バイトしていた。英会話学校にも通っていた。
同級生たちは大学に進学したり浪人したりしていたから、とても中途半端な時期であった。
日本の大学の雰囲気を知りたくて、大学に進んだ友人の授業にこっそり入れてもらった記憶がある。

アメリカで入る大学はノースキャロライナ州の小さなカレッジに決まっていたから、浪人生のようにバリバリ勉強する必要はなかったのだが、7月頃になると、じわじわと恐怖が襲ってきた。
これまではアメリカに行くといってもなんだか夢の中のように現実感のない話だったし、入学を許可された喜びはあったが、いざ渡米が翌月に迫ってくると、「え、オレまじでアメリカとか行かなくちゃいけないの?」という不安に押しつぶされそうになるのだ。

僕はそれまで日本の普通の学生として生きてきただけなので、特別英語ができるとか、帰国子女であるとかではなかった。
TOEFLは高校生にして500点以上(現在は知らないが、当時の方式で)とっていたけど、英語なんてわからないことだらけで、アメリカ人に交じって授業を受け、単位をとっていかなくてはいけないなんて、「おいおい、まじかよ」と、自分で留学を決めておいて、そんな気持ちだったのだ。

 

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我が母校

アメリカの大学は2セメスター制で、9月~12月の秋学期と、1月~5月の春学期があり、単位取得が満了した時点で、12月卒業の人もいれば、5月卒業の人もいる。

つまり、日本のように卒業する人はみんな3月とは限らないのである。

ちなみに僕は、3年目にケンタッキー州の大学に編入して、合計4年半かかって98年の12月に卒業している。

その間の涙ぐましい留学生活とアメリカ人たちとの友情については別の機会に書くとして、卒業間近から卒業後のことに触れておきたい。

当時はインターネットが個人にも利用可能になる以前の世界なので、両親へのエアメールが1週間かかって日本に届き、また1週間かかって返事がくる時代である。すごいでしょ?

ボストンとかニューヨークとか、大都市では日本企業が開く合同説明会みたいなリクルーティングのイベントがあったようだが、ケンタッキー州という田舎にいた僕は、そういう情報をもたらしてくれる日本人ネットワークも持っていなかったし、正直いって、日本の大学生のように、授業の片手間に就職活動ができるような余裕もなかった。

単位を1つでも落としたら卒業できないという瀬戸際だったので、毎日必死に小論文を書いたり、宿題をやったりすることに忙しかった。それに授業を終えると、週3回、4回、大学のジムに通って筋トレすることに、エネルギーのかなりの部分を割いていた。

その頃、人生のテーマに掲げていたのが「セルフ・コントロール」という言葉で、自分の頭脳と身体、そして心(意識)をいかに制御して、目の前にあるやるべきことをやっていくかに挑戦していた観がある。もちろんサボったり、昼寝したり、ルームメイトのニンテンドーを勝手に使ってゲームをしたりはしていたけど、当時は酒を飲まなかったので、結構マジメだったのだ。

そうそう、思い出した。本も書こうとしていた。
『カッコいい留学という虚像』という仮題で、結局これは出版はされなかったのだけど、はじめに入学したコミュニティーカレッジにいた、団体で留学してくる日本人学生たちの程度があまりにも低かったので、その実像を日本に伝えるために書いたのだった。

日本には、親の見栄とか、あほボンや出来の悪いお嬢ちゃんをアメリカに送ればなんとかなる式の考えにつけこんで、集めた学生を昔の集団就職のようにガサーッとアメリカ中の小規模な大学に送り込むブローカーのような商売があるのだ。

だから、どんなバカな学生でも留学なんて可能なのである。

しかし日本の人はそんな事情は知らないから、帰国すれば「アメリカの大学? カッコいい!」と言われて、なんとなくステイタスになる。実情はひどいもので、「日本でダメなやつは、どこ行ってもダメ」ということが僕にはよくわかった。
そういうのを見てきた反動の、「セルフ・コントロール」でもあったのだ。

半年くらいかけて、現地の生の声としてちゃんとした原稿をワープロ(PCなんてなかった)で書いたつもりだったけど、若かった僕には出版してくれる版元を見つけることはできなかった。その後、原稿はずっと引きだしの奥にしまってあって、いつだったか封筒から出してみたら感熱印紙の文字がもう消えてしまって読めなくなっていた。
フロッピーディスクに入れたデータも今となってはもうどこにいったかわからない。あったとしても読み取る機械がない。

……急に思い出して話題がそれてしまった。

とにかく最後の学期は授業と筋トレと原稿を書くのに忙しくて、就職は先送りにしたかった。
それに、社会学専攻だったのだが、学部レベルのそれは基本中の基本を学んだに過ぎなくて、もっと学びたい意欲もあった。
アメリカで学んだ社会学を、日本の社会にどう応用できるかを試してみたい気持ちもあり、日本の大学院に進むことにした。

98年の12月に卒業して、年が明けた99年の2月には入学試験である。実質ひと月の受験勉強でよく受かったな、と思うが、法政大学大学院に行くことになった(のちに中退)。

これにより僕は日本の4月入学、3月卒業というサイクルに戻れたことになるし、それはつまり、就職活動のスケジュールに乗れることになった。

※しかし結局、2年目に「職が決まれば大学院は中退します」と伝えながら就職活動して、電通の内定をもらってすぐ学校はやめて、入社までまた10か月ほどバイト生活するという、おかしな時間を過ごした。

入学月を変えるというのは、みんなそろって企業に就職活動して、みんなそろって4月に入社するという、日本独特のタイムラインも変更を迫られるわけだ。

僕は、「日本式の新卒採用というものが、新卒/中途、正社員/契約社員、海外支社なら日本からの駐在/現地採用という差別意識と格差を生み、雇用流動性の妨げになっている」として、反対を主張しているのだが、9月入学にするなら、企業社会も含んだ全体のドラスティックな変革が必要になるだろう。
それを日本にできるだけの気概があるかと問われれば、残念ながらないのではないか。

結局、「働き方改革」といってもみんな一斉にそろってやる。「クールビズ」とお上が掛け声をかけてくれないとネクタイひとつ外せない男たち。「こうした方がいいね」ということをすぐに「こうしなくてはならない」というルールにしてしまう大企業。

無理なんじゃないかなぁ。

だから9月入学もいずれ立ち消えになるのではないか、というのが僕の見方だ。

たとえアメリカのように5月と12月に卒業する人が出なくて、日本は引きつづきみんな3月だとしても、それから世界を放浪しようが、起業に挑戦しようが、家業を手伝おうが、自衛隊に入ろうが、またやりたいことが変わって企業に就職したいと思ったらフツーに志願できて受け入れられるような自由闊達な社会に、少しずつ変化していってほしいと思う。

そのためには、ボンクラはどこ行ってもボンクラなので、それぞれが個を磨いて、「なぜこれがしたいのか」を人にちゃんと伝えられないとむつかしいと思うんだけど。

留学生として日本の外に飛び出すという行為は、日本独特の慣習からもいったん外れることなので、それくらいの蛮勇を持って臨んで然るべきなのではないか、と僕は自分を振り返って思う。

そうして日本のシステムを外から眺めて、いろんなことに疑問を持ったり、よいところを見つけたり、劣等感を噛みしめたりして、自分はこうありたい、と考える機会を得ることが、結局留学の成果なのだと思う。英語がどうこうというレベルの話ではないのだ(と、僕の英語レベルは棚上げするが)。

誰かにお膳立てをしてもらって、「ハイどうぞ」とするものではないはずなのである。そうしてもらわないとできないような人間は、ハナから留学などするべきではない。

それくらいキビシイものでいいと思うのね。

「なにかを嫌うことは自由だろう」

先々月、3月11日にライターの田中泰延さん、アートディレクターの上田豪さんとの酔っ払い鼎談の第3弾『僕たちはおかげさまでここにいる』を行なった。まだ外出自粛要請もされていない呑気な世の中であった……(はやく「大変だったね」と笑えるようになりますように)。

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みなさんからの献金によって、我々の交通費やスタジオ代を工面するという試みだったのだが、賛同くださった方々にはこの場で改めて御礼を申し上げたい。

第4回を実施するのにも充分な資金をお預かりしているのだが、いまは全国が緊急事態宣言下なので、また機を見てお目にかかります。

youtu.be

 トーク配信では、事前にご質問・ご相談を募集して、男三人がそれにお答えしていく形式であーでもないこーでもないとお話しするのだが、今回も多くのご質問をいただき、漏れてしまったものがある。

ややハードな内容だったので、インターネット配信の場ではパスさせてもらったのだが、ここで僕なりの見解をお返ししてみたいと思う。

ご相談は女性からで、以下の通り:

「いま付き合っている彼のことで相談があります。

彼と付き合って約3か月、最近彼と私の倫理的、道徳的価値観がだいぶ違うことに気づいてきました。
たとえば、彼は反中反韓で、これらの国の音楽でさえ受け付けないほど忌み嫌っています。私は国と人は分けて考えるので、彼に賛同することができません」

 このほか、勤め先の人たちは全員バカだと言って見下している。3.11の追悼についても「政治的意図が働いている」などと言って顧みる気持ちがない。まったく本を読まない。勧めてみても「書いてるやつはみんな自分より馬鹿だと気づいたから読まない」と受け付けない。
とつづき、「これからの私の身の振り方についてアドバイスをいただけるとうれしいです」と結んであった。

 

酔っぱらっているときなら「別れなさい! ダメだよそんな男」で終わりにしてしまうかもしれない。いや、シラフのいまでもダメだとは思うのだが、ものの見方として、もうちょっとなにかお伝えできることはないものかと、しばらく勘案してみた。

彼女がおっしゃる通り、国と人を分けて考えるのは賢明なことである。
それは逆に考えれば、日本政府がすることすべてを、日本国民である僕に「きみたちはどういうつもりなんだ」と問われても、この民主主義国家においてすら困ってしまう。

共産党独裁国家ならなおさら、市井の人民は「そう言われましても、カンベンしてよ」と思うことだろう。

少なくとも、僕も現在のチャイナの共産党政権と、サウス・コリアの文政権が対外的にやっていることに、およそ賛意を示せるものはない。

チャイナに関していえば、コロナ禍で世界が奔走する中、南シナ海島嶼を管轄する自治体として勝手に定めている三沙市の下に、さらに南沙市と西沙市を新設すると発表した。2016年にハーグの仲裁裁判所に領有権を否定されているのにもかかわらず、周辺諸国の神経を逆撫でするような行為をやめようとしない。

尖閣諸島の領海外側にある接続水域で、毎日のように海警局の船を航行させることもやめない。

台湾と国交があったパナマドミニカ共和国といった比較的小さな諸国に次々と圧力をかけて、それを断絶させた。同国は、WHO(世界保健機構)の会議にオブザーバー参加すら許されていないが、これもチャイナパワーによる。

台湾が国交を失う「本当の原因」とは? WEDGE Infinity(ウェッジ)

「一帯一路」構想に基づいて、「債務のワナ」を仕掛け、オーストラリアのダーウィン港、スリランカのハンバントタ港、ギリシアピレウス港の運営権を取得。途上国に対する露骨な新植民地主義で支配力を拡大するにとどまらず、コロナ暴落で格安となった欧州企業の買収を目論んで、弱った羊をハイエナが狙うように嗅ぎまわる。

新型コロナ:EU、買収規制強化へ 新型コロナで中国念頭 (写真=ロイター) :日本経済新聞

共産党政府の出先機関と目される「孔子学院」を(日本を含む)世界中の大学に設置し、プロパガンダの発信に余念がない。

チャイナではツイッターの利用は禁止されているはずなのに、「戦狼」報道官がツイッターで情報工作を画策し、それを各国にある大使館アカウントがリツイートし、多数の謎の匿名アカウントがさらに情報操作に加担するという。

WEB特集 アメリカと中国 パンデミック下の暗闘 | NHKニュース

「5G覇権」を巡ってのファーウェイ社の通信傍受疑惑も記憶に新しい(アメリカが強い拒否感を示すのは自分たちがやってきたことだから、という冷静な見方も忘れてはいけないが)。

以上はあくまでも対外的な活動であって、香港やウイグルを含め、国内でしていることも、現代の国際社会では到底許されることではないはずだ。

列挙すればキリがないが、チャイナ政府および大企業のやることには、なにひとつ賛同できることがない。好きになりたくても好きになれる要素などないと言える。

挙句の果てに、今回のウイルス災禍だ。
百歩譲って、感染病が発生してしまったことは仕方ないとしても、世界中で312万人が感染し、21万人(2020年4月30日現在)の命を奪った疫病の発生源としての態度とは思えない傲岸さは、あきれるほかない。

すべてに共通するのは、情報を開示せず、なにごとも水面下で秘密裏に進めようとする国家としての隠蔽体質である。それが国際社会、とりわけ地理的に近い国々に不安を与えていることに無関心であることが、まるで意思疎通のできない獣のように、恐怖をかき立てるのである。

日々モノづくりや農業に勤しむ一般の人には申し訳ないが、むしろチャイナのいいところがあるなら教えてほしいと思うくらいだ。麻婆豆腐以外に好きになれるところを探す方がむつかしいぞ。

 自由、民主主義、基本的人権という価値観を共有しない国になにを求めても無駄なのだろうが、ジャパンとチャイナは東アジア人という共通項があり、コロナ後の世界で根強く続いていくであろう「アジア人差別」に日本人も無関係ではいられない。

アジア以外の世界からは、チャイニーズもコリアンもジャパニーズも見分けはつかないのだ。

こういうアメリカンジョークがある。
「日本人と韓国人は、なぜもっと仲良くできないんだ! キミたちは、みんな同じ、中国人じゃないか!」

余談だが、僕は中国人と書くときいつも躊躇してしまう。
岡山県広島県鳥取県の人たちのことを思うからだ。東北人、関西人、九州人、中国人。おかしい。コピーライター/コラムニストとして、言葉の正しい用法には常に気を配っているつもりなので、そもそも「中国」という表記にも違和感が残る。
中華人民共和国を「中国」と呼ぶことはオッケーなのに、ジャパニーズを「ジャップ」と略すことは侮蔑なのだという。

世界中でチャイナとかシナ、チナと呼ばれる国なのだから、シナ人と書いてなにが差別的なのかまったくわからない。ここに差別的な意味合いはない。これに文句をつけてくる日本人に蔑視感情があるのだろう。

 

差別というのは、「いわれなき差別」のように、ネガティブな意味で使われるときには、行為や制度を指していう。尖閣諸島の国有化とはなんの関係もないのに、日本企業という理由で焼き討ちにされる、というのが差別に基づいた暴力であり、ヘイトによる犯罪だ(2012年)。 

日系企業を放火・破壊 トヨタ・パナソニック 標的に (写真=共同) :日本経済新聞

 

以上の批判は、政府の政策および人々の組織的行為に向けたものだ。

相談者が言うように「国と人は分けて考える」ことが肝要で、少なくとも僕は、日本国内への観光客には、それがどんなに大勢で、街の景色を短期間に一変させてしまった現象であっても、微笑ましい目で見ていた。
ミナミの街をドラッグストアだらけにし、チープなホテルを林立させてしまったのは、あくまでも貧しい発想しか持ち合わせなかった日本人ビジネスマンとデベロッパーのせいだ。

わざわざ旅行に来た人は、せめて我が国を好きになって帰ってほしい。

チャイナに赴任経験のある友人に話を聞いたところ、彼のチャイナ評はこうだった。
「チャイナはひとくくりにはできんな。内陸部と沿岸部で、人、食事、文化がぜんぜんちがう。共産党政府がそれを無理矢理に束ねている。なんでもありで、なんでもありではない不思議な国。至るところに矛盾を抱えた国家なんだよ」

まぁ、好意的に見るならば、14億人を抱える政府も大変なのだろう。巨大な国に充分な食い扶持を見つけるのに必死なのはわかる。

ただ、ほかの国の人の安全を脅かすことはやめてほしい。ビジネスでも外交でもルールいうもんがある。……言うても無駄だが。

さて、日本および世界の安全保障は、今後ともアメリカとチャイナの二大国家がどのような渦を巻き起こすのかにより、様々な影響を受けるという視座は変わらない。

日本は地政学的条件とパワーバランスの中で、ますます難しい舵取りが求められる。

つまらない結論になってしまったが、最後に申し上げる。

僕はこれを書くにあたり、「チャイナの友人にも堂々と読ませることができる言説」であることを意識した。事実に基づいた批判であり、考えの足りない人が安易に飛びつくヘイトスピーチとは大きく隔たりのあるものであることはお分かりいただけるはずだ。

人であれ、国であれ、なにかを嫌うことの自由は認められている。前述のように、それを不法行為で表現したり制度に反映させたりすると差別になる。
だから、もちろん、日本を嫌うことも、僕を嫌うことも自由にしたらいい。
それをどのように表現するかが、知性というものだ。

付言するなら、どこの国の人であれ、機会があれば一緒にグラスを傾けることに対して、僕のドアは開けておこうとは考えている。

「ワタシはどの国のことも、誰のことも嫌いではありません!」などという意識高め知能低めの偽善者は、国や故郷や家族が滅ぼされてもそう言えるだろうか。

香港の人の恐怖感や、台湾の人の危機感を理解できているだろうか。

 

……って、相談者のあなた、まだその彼氏と付き合ってる? 元気にしてる? 
これを読ませても「こいつはバカだ」と言われるかな。まぁ、いつもは解決策を空想でも書くのに、今回はなにも提示できないバカなんだけど。