月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「スタンプカードが一杯になったようなのだ」

コラムに二度登場いただいているユウちゃん(仮名)である。
初めに書いたのは、二〇一四年五月号「ルールブック、読んだか?」の中だった。その続報として、翌年六月にまた書いた。
私は、彼女のいじらしくて切ない恋の行方を静かに見守っていた。
二十九才だったユウちゃんは、三十一才になっている。
それらコラムをお読みいただき、ルールブックなるものの存在を心に刻みつけてくださった皆さんにご報告申し上げる。
ユウちゃんはついに婚約した。
私は、ルールブックを携えて、再び追跡調査に乗り出した。彼女をランチに呼び出し、ユウちゃんの同僚女性と、前回もいた後輩の滝下(仮名)を連れて、評判のカレー屋さんのテーブルについた。
事の経緯はこういうことだった。以下、多少の脚色を交えて述べる。
先月、ユウちゃんが、彼氏と観た映画では、素敵な夫婦像が描かれていた。
帰宅後、彼女は彼にメッセージを送った。
    「あんなふうなら、結婚ていいよね」
彼女は二人の関係において、初めて「結婚」という言葉を持ち出したのだ。
思い出してほしい。車中での沈黙の中、はたまた、大西洋を望むビーチで波の音だけを聞きながら、彼女がそれを待ち、そして彼に問うてみたい自分を抑制したことを。
    「結婚ね……。うん、ちゃんと考えてるから」
彼氏の返信は、ユウちゃんの胸の蕾を温かく緩ませるものだった。
二人はその後、彼の先輩と三人で食事に行った。先輩は相変わらずな二人を前に言った。
    「君たちはいつ結婚するんや?」
私自身は彼氏と面識はないが、この二人を見ていたら、その先輩でなくてもそのように直截に訊きたくなるだろう。
彼氏は狼狽えながらも、先輩の手前、先日のメッセージでの言質を繰り返した。
    「はい、ちゃんと考えています」 「いつ言うんや?」
先輩も、ユウちゃんを前にしてなかなかやるものである。一歩踏み込んだ。
    「えぇ……と、来月には」
見たことはない彼氏の困った表情と、額の汗が目に浮かぶようだ。
    「何日や?」
せ、先輩、やるぅ!
    「じゃ、じゃあ、十四日に」
突然降ってきては具体化する結婚のイメージに、ユウちゃんの瞠目は想像に容易い。
しかし、ここまで聞いて、私は一旦彼女を遮った。
    「ちょっと待て。なんやそのママゴトは」
もう言うとるやないか。結婚すんねやないか。その「十四日」はなんやねん。そこまで待たなあかんのか。
    「ええ、そうなんですけど……『ホワイトデイだから』って言うんです」
ロマンチックというのか、律儀というのか、その割にこれまでの鈍感さはなんなのか。
大体ホワイトデイというのは捏造で、アメリカにおいて「ホワイトデイ」なるものを制定したら、町々で暴動が起きるんだぞ。
ユウちゃんはその先を継いだ。もう先はわかっているのだが、一応、「姫は王子様と結ばれて幸せに暮らしましたとさ」となるまで、ガマンして聞いてほしい。
当日、二人は食事に行った。
    「彼がカジュアルな格好で来たから、『えっ? 違うのかしら』と思ったんです」
なんやそれ。ここから、「な」と打つと「なんやそれ」と出るほど、頻繁に登場するが、やはりガマンしてほしい。
    「ちょっとトイレ行ってくる」
彼が途中で席を立ち、少し汗を浮かべて帰って来たのを見て、ユウちゃんは「お腹の具合でも悪いのかしら。じゃあ今日はいいか……」と半分諦めた。胸の蕾がまたキュッと萎むのを感じた。
デザートを頼んだが、「少々時間がかかるので、お庭でもご覧になってはいかがですか?」と言う店員に促されて、二人はしばらく歩いた。
中庭には、ガラス張りの建物があった。
    「入ってみよう」 「でも、勝手に入っていいのかな」 「いいから。俺、オシッコしたいし」
な(自動変換)
そこはチャペルだった。
一度は萎んだ蕾が再び色を染めた。
奥の台には、花束があった。彼はそれに歩み寄ると、手にして戻ってきた。
    「結婚してください。きっと幸せにします」
な(だけど、オレはちょっと涙ぐんでいる)
彼氏の、これまでに見たこともないような緊張した面持ちが、ユウちゃんは嬉しかったという。
    「はい、もちろんです」
深く安堵した彼氏は、
    「ちょっと、本当にオシッコ行ってくる」 と言って、トイレに消えたそうだ。
一度目に「トイレ」と言った際に駐車場まで走って、花束を台に置いて、席に戻ってきたということだ。
その晩、ユウちゃんはしとどに濡れて乱れ咲いた花弁の奥で怯えたように震える芯を、彼のオシベが屹立する叢に擦り付けるようにして、未だかつて経験したことのない高みに昇りつめたのであった。
これがユウちゃんが語った事の全貌だ。先に断ったように、多少の脚色を交えた。
すっかりカレーを食べ終えた私たちは、ひとつ疑問を呈した。
    「そないに緊張するか? 単願受験の中学生ですらそないに緊張せえへんぞ」
私自身はどうだったかって? もう十年も前の話だ。
私は、「ショータご結婚優待券」というものを印刷して、相手に書留で送りつけたような無粋な人間だ。裏には【ご使用にあたってのご注意点】として、
  • ・ご本人様のみ一回限り有効です。
  • ・お申込後のキャンセルはお受けいたしかねます。
  • ・他人への譲渡・換金はできません。
  • ジョージ・クルーニーとの交換はできません。
  • ・ご辞退された場合、他の候補を改めて決定することになりますが、しばらく落ち込みます。
  • ・お金持ちになる見込みは全くございません。
  • と記載してあった。
もちろん、断られることなど想定していなかった。
はたと思うに、ユウちゃんの彼氏を、純粋な青年と評価していいのか、もしかすると、あえて口にするなら、人の気持ちがわからないアスペルガー的な人間なのではないか。そんな危惧する気持ちすら湧き起こるのである。
もしかしたら、今後も言うべきことを口にしないで、勝手に借金こさえて苦しむような夫になりはしないだろうか。オシベとメシベを擦り合わせた結実として、小さな果実を得た時に、ちゃんと父親としての役目を果たすだろうか。
そんな私の知ったことではない先のこと以前に、現在においても、まったく独りよがりな交接を繰り返しては、即座に背を向けて眠りこけるような御仁ではないだろうか。
ユウちゃんは全然気持ちよくない所をグイグイ擦られていないだろうか。
心配でならない。
そんな時はまた相談してくれることを願う。相談は具体的であれば、具体的であるほどよいぞ。
こうして、めでたくスタンプカードを一杯にしたユウちゃんである。
ところが、晴れない表情の者たちがそこには同席していた。
三十三才になる同僚のアキちゃん(仮名)と、後輩の滝下(仮名)という独身の男女二人である。
アキちゃんは嘆息と共につぶやいた。
    「どうしたら、そういうことになれるのでしょう……」
つづく