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月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。2003年より書いていた月イチコラム「月刊ショータ http://monthly-shota.jp 」をhatenaに転載しました。そのため、一部お見苦しい点があることをご容赦ください。

「カウボーイハットの内側に」

■「ハーブという男」篇

十五年近く勤めた広告会社を辞めて、ひと夏の間、カナダにてカウボーイをして過ごすことにした。今はもうすでに帰国して、三ヶ月が経ったところだ。

僕がお世話になったキング牧場は、ハーブという六六才(当時)の男と、その息子のケヴィンという前号で書いたカウボーイたちによって営まれている。ケヴィンの子供たちを含めて、つまり三世代がそこに住んでいる。

牧場の所有地と借地を合わせて東京ドーム八〇〇個分。そのわけのわからない広さを、男手二つで管理しているのだから、忙しくないわけがない。本当に毎日よく働いた。

仕事で使うピックアップトラックはフォードのスーパーデューティーという車種で、「キング牧場限定版」だ。後ろに「KING RANCH EST. 1853」というエンブレムがある。「すげえな」と思っていたら、実際はこのキング牧場のことではなく、テキサスにある世界最大規模を誇った有名な牧場とのコラボ版だった。

僕がいた方のキング牧場は、一九〇三年の開業だ。それでも立派なことだ。

始めたのはハーブの妻イーディスのおじいさん。彼女の旧姓がモットといったので、当時はモット牧場だった。

ハーブとイーディスは一学年違いの小学校の同窓生だ。ハーブと結婚して、彼が継いだ時に名前をキング牧場に変えたようだ。この牧場の近辺にはコープが一軒あるだけで、工具や機械部品、アウトドア用品、食料品などを扱っている。二人の結婚パーティーでみんながダンスをしている最中に、そのコープに強盗が入ったという。

ハーブはハーバートの愛称だ。目も体も丸い。ある時、キッチンを白いブリーフ一枚でウロウロしている姿を見たら、まるで球体のようだった。しかし、筋肉でガッシリとした印象だ。

ハーブとイーディスというやさしい夫婦から、どうしてケヴィンのような荒くれ者が生まれたのか不思議なほど、二人は親切な人たちだった。

僕は今でも感謝してやまない。

「カウボーイのことを知りたい」と押しかけて来たこの日本人に対して、ハーブはいつもあれこれ教えてくれたり、見せてくれたり、話してくれた。いや、正確に言えば、不器用ながら、そうしようと努めてくれていたことが僕にはわかった。

彼は、穀物を収穫する巨大なコンバインに乗せてくれたり、馬にサドルを取り付ける順序を見せてくれたり、牛が一頭どれくらいの価格で売れるものなのか昨年の領収書まで見せてくれたりした。

新しく教わった仕事がなかなか複雑で、僕が「覚えることが多いですね」と、ため息をつくと、僕のカウボーイハットを指さして、

「このハットの内側のモノを使うのだぞ」 とニヤリとした。

トラクターのグラッポー(ツメ)を使って大きな鉄の柵を撤去する時に、彼は僕にこう言った。

「危ないから離れておけ。死んだらゲームオーヴァーだ」

そしてこう続けた。

「そしたらもう、心配事も心の痛みもなくなるぞ」

彼独特のユーモアなんだけど、僕はハッとさせられた。こういう生活にも心配事は尽きないのだろうし、彼にはどういう悩みがあるのだろう……と。

ある日、牧草地に出たら雨が降ってきて、僕たちはトラクターの中で雨宿りをしていた。「今日は無理だな」ということで迎えを待っていた。トラクターは時速四〇キロがせいぜいだから、明日のためにもそこに置いて帰るのだ。

「日本には引退制度はあるのか?」

唐突に彼が訊いてきた。僕は年金のことと理解して、「あります」と答えた。

「そうか、こちらでは六五才だが、最近は六五で引退しても人は生きていけないよな。そのうち七〇に延長されるだろう」

「引退について考えますか?」

「ケヴィンがここを継いでいなかったら、牧場を売ってのんびり釣りでもしていたかもしれないなぁ」

彼は釣りが大好きだった。

「私はまともな教育を受けていないから、今さら他にやりたいことなどない」 と、彼は言ってから、すぐに訂正した。 「いや、他に何ができるというのだ。コンピューターを使った仕事なんて、今から学んでも、覚えた頃には本当に引退する年になっちまう」

僕は、この仕事、この生き方しか知らないハーブの心の裡に触れたようで、少し哀しいものを感じたが、それ以上に、それを吐露してくれたことがなんだかうれしかった。

誰だって、自分以外の人生のことなど知る術はない。

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ちょっと照れくさいのだが正直に言うと、僕は彼に父を見ていた。

僕の父親は、ハーブの年齢である六六才でこの世を去った。僕の父はあまり自分のことを語らなかったので、亡くしてから十年近く経った今でも僕は、「親父は一体どういう人間だったのだろう」と時折わからなくなる時がある。

わかっていることはとにかく頭脳明晰で、心が強靭だった。善かれ悪しかれ、自分の考えに沿って生きた人だった。と、これすらも真実かどうかはわからないのだけれど。

親父と酒を飲んだことは一度もない。彼はほとんど飲まなかったからだ。

だから、ハーブがウォッカとトマトジュースとソースなどを出してきて、「シーザー飲むか?」と訊いた時は、必ず「はい」と答えた。シーザーとは、ブラッディメアリーのことだ。

「うまいですね」

「うん、日本でも作れ」

ウィスキーはクラウンロイヤルという銘柄だった。それもよく飲んだ。カナダのウィスキーは、ケンタッキーバーボンとは違う、クセのないスムーズな味わいだ。

大きなボトルを買うと、小さなサンプルがオマケで付いてくることがあったようで、ハーブはそれを五つほど掴んで、「持って帰れ」と僕にくれた。

ケヴィンは前号で書いた通り、様々なピンチの際に颯爽と現れて僕を救援してくれたのだが、教えてくれるという感じとはまた違った。

「あの草の名前は何と言うのですか?」

「スルーグラス」

「スルー……。それはどういう綴りですか?」

「SLO...ナントカだ」

また別のある日、 「これは何という機械ですか?」

「オウガー」

「それはどう綴るのですか?」

「O、いや、AU...ナントカだ」

こういう時、僕は大体夕食の時にハーブとイーディスに問い直した。正解は、「Slough grass」、「Auger」だった。ケヴィン、単語テストみたいな質問ばかりして申し訳なかった。

僕はおよそ三ヶ月を牧場で過ごすために来たのだが、そこを去る日は決めていなかった。ひと月くらいたって、そろそろ先方の都合もあるから決めなくてはと思っていたので、イーディスに尋ねた。

「十月の初め頃は何か予定のある日はありますか?」 「んー、二日がハーブの誕生日よ」

ハーブの誕生日を前に、ここを出るわけにはいかない。僕はその翌日をお別れの日にした。

いよいよ最後の晩になった時、僕のお別れとハーブの誕生日を兼ねて、ジェイク一家(前々号参照)や、彼のいる牧場の牧場主たちまで集まってくれてパーティーを開いてもらった。

僕はハーブにフラスコを贈った。ウィスキーを入れてクピッとやるアレだ。

釣りの時にチビチビやってもらえたらいいと思ったのだ。

 

ジェイク、ケヴィン、ハーブという三人のカウボーイたちのおかげで、僕にとって忘れられない夏となった。この男たちが教えてくれたこと、見せてくれた心意気は、僕は胸の中で死ぬまで大切にする。カウボーイハットの内側に刻みつけておく。

今はもう冬になり、彼の地はマイナス三〇度とか、想像を絶する極寒だという。

僕にはなんだか雪一面の牧場は想像し難くて、思い馳せれば、ポコポコと浮かんだ綿雲の空の下、馬を駆るカウボーイたちが今日も黙々と働いているのであった。

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