月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「時を越えるもの、国境を越えるもの」

先日、東京は青山のよく行くお店で中古の茶色いブーツを発見した。そのブーツはmotoという、鳥取ベースで本池さんという革職人が作るブランドで、アメリカものほどのゴツさがなくて、革もいい色にヤレていた。サイズは2で(motoはサイズが「1/2/3」表記)、履いてみるとピッタリなのであった。 何度も試し履きをして散々迷った挙げ句に、「ブーツはこんなふうに衝動買いしてはいかん!」と思い直し、値段も中古とはいえまぁまぁしたので断念して店を出た。翌日、偶然にも同じmotoのブーツをオークションで発見してしまった。サイズは同じで色違い。こちらは赤茶色だ。

僕は普段はネットで靴を買うことはない。実物を履かないとサイズがわからないので、ネット任せにできないのだ。しかし、このブーツは前日に試着をしているし、色もこちらの方が好みだ。画像がやけに真っ赤に写っているためか入札もない。僕はこれを楽々と落札して手に入れた。 ところが、届いてみると足が入らない。いや、入ることは入るのだが、キツすぎて立ち上がって歩くことはできそうもない。「なんで?」と、サイズを確認してみると、思ってたものよりもワンサイズ小さい表記があるではないか。なんのことはない、出品者がサイズを間違えて伝えていたのである。 向こうの落ち度なので返品したっていいのだが、元々「ノークレーム・ノーリターン」の条件のモノだし、僕は残念さを噛みしめながら考えた。「そうだ、彼に譲ろう」。

僕には大谷さん(仮名)という友人がいる。このコラムにもたまに登場するこの人物は、なんとブーツを六〇足ほど保有しているブーツマニアなのだ。しかも、ほとんど箱に入れたまま保管していて、いつ会っても大概同じ靴を履いている。ブーツですらない時もある。たまに箱から出して、眺めてはまた仕舞うという、「ブーツは履いてなんぼ」と思っている僕からしたら宝の持ち腐れとしか思えない収集癖の持ち主なのである。 この前、僕が彼に、

  • 「大奥によーさん側室おるのに、だーれも抱かへん殿様みたいなもんやな」
  • と言ったら、
  • 「たまーに寝床に呼んで、服だけ脱がせて、しげしげ眺めて、また着せるだけです」
  • と、そのヘンタイぶりを認めていた。

そんな大谷さんは足が小さめなので、このmotoのブーツも履けるに違いない。大谷さんに連絡をすると、「今度見せてもらいますわ。ところでショータさんはサイズいくつ?」と訊いてくる。答えると、「実は、こっちにも履いてみてほしいブーツがあるんです」と言う。ローファーやデッキシューズで有名なセバゴと、僕が好きなシアトル発祥のワークウェアブランド、フィルソンのコラボモデルのモカシンブーツだそうな。こ、これは、なんていい話だ。

その話を会社で後輩の滝下くん(仮名)に話すと、彼は彼で「ボクも大き過ぎた靴あるんで、今度持ってきますわ」と言うではないか。彼はアルゼンチンの老舗靴ブランド、エル・レセロのスエード靴を登場させた。

そこにもう一人。写真家の林さん(仮名)である。彼は釣りに連れて行ってくださったり、一緒にキャンプしたり、モーターサイクルでツーリングしたりするアウトドアマンなのだが、ブーツはレッドウィングのアイリッシュセッターしか持っていない。そういえば僕に、「ひとついいの欲しいから、今度ブーツのこと教えてよ」と言うてはったな、と。

僕以外の三人、大谷さん、滝下くん、林さんという男性はおそらく靴のサイズがほとんど同じだ。その男たち四人に、moto、Sebago×Filson、El Reseroというフットウェアが3足。交換会と相成ったわけだが、結論的には「moto」→林さんが僕から購入、「セバゴ×フィルソン」→僕へ、「エル・レセロ」→大谷さんへ、と決まった。後輩の滝下くんだけなにも得なかったわけだが、マイナスゼロの僕が今度なにか買ってあげることで合意。 なんだかええ年したおっさんらが集まって、クリスマスの女子会のようなことになったものである。

ブーツ以外に、こんなふうに交換できるものなんて他にあるだろうか。大人の男たちがするのだから、時を越えて保つものが条件だろう。時計は長持ちするものだけど、交換はしないよな。価格がマチマチすぎて釣り合わない場合が多いだろう。クルマもしない。カバンもしないわなぁ。指輪は、気持ち悪いだろ。

エロビデオくらいのものだろうか……。昔はしたものだ。いや、交換はしたことない。お気に入りを人に差し上げるのは、女房が他の男に抱かれるような許しがたいような、申し訳ないような気持ちがするではないか。せいぜい貸し借りだ(いや、交換したっていいんだけど)。 時代は変わり、ビデオではなくそれらが動画データになった。つまり、複製した上での譲渡が簡単になったのだ。

今年の春まで三ヶ月暮らしたインドネシアでこんなことがあった。インドネシアでは、数年前にあるロック歌手が数々の女性としているところの動画が流出して大騒ぎになったそうだ。香港のエディソン・チャン事件みたいなものだ。彼は罪状はなんだか知らないが、そのことで逮捕され、出所後これまたなぜか知らないがさらに人気が増し、芸能活動の方は順調そのものらしい。僕がいた時にもプロバイダーだか携帯キャリアだかの広告に出ていた。寛容というか、懐が深いというか、不思議な国民性である。

その事件を僕に教えてくれたリズキーが、翌日ハードディスクを持ってやって来た。

  • 「ショータさん、これが昨日話した動画だよ。ダウンロードしていいよ」
  • 「あ、ありがと」

ファイルを開くと数々のエロ動画ファイルが入っていた。

  • 「好きなのあげるよ。あっ、じゃここから先はボクは見ない方がいいね。アハハ」

エロ動画をやり取りするのはなにも恥ずかしくない。裏庭で収穫した有機野菜を親しい方々にお配りするようなものだ。それなのに、自分の性的趣味を人に知られるのは、なんか知らんが恥ずかしい。この感覚はインドネシアでも共通だったのだ。うれしいねぇ。エロスは国境を越えるねぇ。

イスラム国家であるインドネシア(国民の九割がムスリム)では建前上ポルノは禁止されている。しかし、日本のポルノ、つまりアダルトビデオは大人気なのである。……オレ、こんなこと公にしてイスラム過激派に暗殺されやしないだろうか。

インドネシア人の同僚であるルミとチャイナ系のリチャードと、ある晩食事に出た。ルミは一緒にジャカルタ〜バンドゥンの過酷なツーリング(十三年二月号ご参照)に行った友人で、リチャードは体は大きいが物静かなタイプのデザイナーである。

リチャードが唐突に訊いてきた。

  • 「日本のAV嬢で一番好きなのは誰だい?」

僕ははたと困った。女優の名前をたくさん覚えているほど熱心に見てきたわけではない。だけど「知らん」では会話が成り立たないし、せっかく日本のことを尋ねてきた友人に対して誠意を持って応対したいではないか。これはいわば「新幹線ってのは東京から大阪までどれくらいで行くんだい?」とか「寿司のネタでは何が一番好きなんだい?」とか「野球というのは何人でやるんだい?」といった現代日本のカルチャーに関する質問なのである。「知らん」と言えるだろうか。いや言えまい。 だから僕は何か思い出そうとした。

  • 「えーとな、かわいいコがいた気がするんだけど名前が出て来ない……。何つったかな。確かな……、彼女はハーフだったぞ。ポルトガルじゃなかったかな……」

すると、元々細い目をしたリチャードが、その目をさらに細くした。マグナム・フォーティーフォーの銃口を向けるクリント・イーストウッドのような目つきで、僕を真っ直ぐ見つめて言った。

  • 「……RIO?」

どんだけ知っとんねん。どこまでジャパン好きやねん。ジャカルタのレストランで、インドネシア人に、日本のAV女優の名前を言い当てられるとは! ルミと二人で腹を抱えて笑ったものだ。 みんな元気にしてるかな。オレ、今日で三八才になったよ。