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月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。2003年より書いていた月イチコラム「月刊ショータ http://monthly-shota.jp 」をhatenaに転載しました。そのため、一部お見苦しい点があることをご容赦ください。

「バカちんのための、インプレのインプレ」

column

今、僕が乗っているモーターサイクルが、購入して十年、自動車が九年経っている。今年は両方車検が来てしまう年なのだが、特段不満も、故障も、そしてお金もないので買い替えるような予定はない。ちゃんと走るし、ちゃんと曲がる。もちろんちゃんと止まる。それ以上でも、それ以下でもないのだが、たまに自動車雑誌を読むと戸惑うような記述がある。

  • 〈前後にストラット・タイプを使うサスペンションもまた、アルミ部分を導入することでバネ下重量が軽くなるとともに、細かな変更が加えられてアラインメント剛性が引き上げられている。軽く、硬く、という改良の基本コンセプトを、これらオプションが根こそぎ引き出している。動いていけないものは決して動かず、動くべきものはどこまでも軽やかに動く〉

長くなるが、もう少しお付き合いいただこうか。

  • 〈20インチ・タイヤはソリッド感を、PCCBは足回りの軽やかさを強調し、一方でPASMはそこに強張らないしなやかさを、スポーツ・クロノ・パッケージに含まれるダイナミック・サスペンション・マウントは普段はエンジンの振動から硬さを取り除きながら、ダイナミックな走りをするときにはパワー・トレーンの無駄な動きを封じ込んで、タイトなレスポンスをもたらしている〉

引用した部分より前の文章で説明されているアルファベットの羅列の表すものを、僕が註釈で入れなかったのは意地悪ではあった。これは、高級車雑誌『エンジン』二〇一三年七月号で見つけた、ポルシェ・ケイマンSという車種のいわゆるインプレ記事だ。ちなみに、前出のアルファベットは、PCCB(ポルシェ・セラミック・コンポジット・ブレーキ)、PASM(ポルシェ・アクティブ・サスペンション・マネジメント・システム)ということらしい。まぁ、言ったところで……なんだけど。

僕は、国産車を「酔って帰る主人(=妻)を駅に迎えに行く」ことを主な用途として、あくまで安全運転をするだけなので、「ダイナミックな走りをするときにはパワー・トレーンの無駄な動きを封じ込んで、タイトなレスポンスをもたらして」くれなくても別に構わない。たまに遠出をしたり、高速走行をすることがあっても〈低速域から強大なトルクを発揮〉してくれなくても、〈高回転・高出力型のエンジン特性を堪能〉できなくても、〈ハイ・スピード域において、まったく角がなくエレガントな身のこなしを見せ〉なくても全然問題ない。以上は同号のBMW M6グランクーペについてのインプレより。

  • 〈ロールを抑えた挙動で、スイスイとコーナーを駆け抜けることができる〉

僕はスイスイとコーナーを駆け抜けられなくて事故ったことはない。

  • 〈大径ブレーキを装着しており、制動力も問題ない〉

あったらリコールだ。

  • 〈ステアリング操作に対するクルマの動きが滑らか〉

つまり、右に切ると右に曲がるってことだよね。う、うん……、そうね。そりゃそうね。

これがタイヤになるともっとわからない。

  • 〈角度のついたプライ(繊維シート)をビード(リムにはまる部分)で折り返した後、トレッド付近まで折り返すことにより、繊維をクロスさせながら二重構造にしている〉

脳が、脳が、イメージをしない……。

  • 〈それによって、乗り心地を損ねることなく、ステアリングの正確性を向上させる〉

つまり、右に切ると右に曲がるってことだよね(さっきのをコピペ)。

  • 〈常に明確な接地感覚があり、ステアリングを握る手のひらを通じてロード・インフォメーションが伝わってくる〉

そりゃ空は飛ばないだろうけどさ。でも、ボコボコ、ガタガタ、の他に知りたいインフォメーションあるんかな。(上記は同誌六月号より)

まぁ、僕が「違いのわからない男」で、「語るに足るクルマ」に乗ってきていないことは認める。あ、ピックアップトラックについては散々語ったか(十二年八月号ご参照)。 クルマは進んで止まればいいと思っているバカが、プロのライターの方が感覚を研ぎ澄ましてきめ細かく書いた文章をクサすのは本意ではない。また細部まで設計して、商品というか作品としてのオートモビールを開発している技術者や、それを具現化する製造者の矜持を軽視するものでもない。

ただ、わからないだけだ。お金持ちはそんなことを考えてクルマを運転しているのだろうか。たぶんしているのだろう。

実は僕は、カメラの画像もよくわかっていない。富士フイルムのX20という機種がほしいと思っているので、ネットでインプレを探してみる。

  • 〈その先鋭度は期待を裏切らない。ピントの合った部分が浮き立つように感じられ、立体感までも増幅したように感じられる。(中略)しかも、画像ソフトでシャープネスをかけたときのようなエッジ周辺の不自然さなど全くなく、ナチュラルな印象である〉(デジカメWATCHより)

比較対象としてソニーRX100のインプレも、同じデジカメWATCHから見てみよう。

  • 〈そのどこかしっとりとした描写は心地よく感じる。また高感度撮影時における暗部のノイズ処理などもしっかりと行なわれており、ISO3200~6400という超高感度域においても、ほぼノイズを感じることもない。もっともノイズ処理によるディテールの喪失がないわけではないが、極端な崩れもなく、意外なほどに自然な描写となっているのに驚く〉

オレも驚いた。

結局「ナチュラル」、「自然」なことがいいわけで、いいカメラとは「見たように写すこと」なのではないか。

クルマは「走って曲がって止まること」なのだ。タイヤは詰まるところ「安心安定」なのだ。

この他、スピーカーなどの音響機器、音楽、グルメ、映像などなど、要するに五感を動員して知覚するようなものは、僕はなんでもわからない。特に食事なんか「うまいか、そうでもないか」以外はわからない(大概おいしい)。これは職業(広告企画制作)としては、恥ずかしいことなんだけど、あえて告白しよう。だってホントのことだから。 しかも、人のことも自分と同じくバカだと思い込んでいるフシすらあり、「ほぅ、重低音の響きがいいね」なんて悦に入っている人を見かけると、

  • 「お前もわかってないんちゃうん? 『重低音の響き』か『高音の伸び』言うとったらええ思てんちゃうん?」
  • と穿った見方をする傾向がある。

いや、やっぱり、優れたミュージシャンの録音現場なんかに立ち会うと、

  • 「あぁ、この人は最終形がすでにイメージできてバンドに指示を出してるんだな」
  • と感心してしまう。僕にとっては、異国の言葉が飛び交っているようなものなのに。

幸い、僕は自分がバカちんであることはわかっているので、わからないなりにいろんなインプレを読んで、その時はわかった気になって、でもすぐに忘れて、モノを選んだり使ったり壊したり亡くしたりしてはヒマを潰している。おかげさまで、今のところ楽しい人生だ。

僕が高校生だった九〇年代の前半、人々はカセットテープというもので音楽を聴いていた。 スズキくんという、スポーツも勉強も特に印象に残るもののない同級生がいた。しかし、彼は言った。

  • 「みんなは、ノーマルポジションと、ハイポジと、メタルのテープの違いはわからないだろうけど、ボクは聞いたらわかるんだよ」
  • 「ほぉ〜!」
  • 「マジで! マジでっ!」

僕らはバカ丸出しでのけぞった。「だからなんやねん」という者はそこにはいなかった。 スズキくんが高校三年間で唯一、輝いた一瞬だった。

時は流れ、カセットテープからCDへ。CDからMDへ。そしてMDすらも過去の遺物となった現代。スズキくんはどこかで元気にしているのだろうか。