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月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。2003年より書いていた月イチコラム「月刊ショータ http://monthly-shota.jp 」をhatenaに転載しました。そのため、一部お見苦しい点があることをご容赦ください。

「追悼 加藤則芳さん」

おそらく加藤則芳さんのお名前を知る人は、一般にはさほど多くないだろう。しかし、アウトドア、とりわけ山歩きの世界においては「ロングトレイル」という概念を日本に紹介した第一人者として知られている。世界のトレイルを歩き、それを通じて自然と人間のかかわり方を考えた作品を多数残した作家である。

その加藤則芳さんが、二〇一三年四月に亡くなられた。享年六十三。

数年前より、ALS筋萎縮性側索硬化症)という国が指定する難病に罹り、闘病生活を続けておられた。この病気は、脳からの命令を筋肉に伝える運動神経細胞が侵されるもので、徐々に体が動かせなくなり、歩けなくなり、起き上がれなくなり、食べられなくなり、やがて呼吸することもできなくなるという。知覚神経や自律神経は侵されないので、五感や記憶、知性に障害は起こらないというからなおさら残酷な病だ。

僕は彼の著作を何冊か読んで心酔していた。カナダのバーグレイクトレイルを独りで旅したのも、彼の影響を受けたからだ(二〇一一年六〜八月号ご参照)。ご本人にお会いしたことはないのだが、僕は加藤則芳作品から多くを教わった者のひとりだ。

この記憶に留められるべき作家であり、ハイカーであり、自然人のことを、少しでも多くの人に知ってもらいたくて、今回は加藤則芳さんについて思いを致すこととする。

加藤則芳さんを語るにあたって、まずはジョン・ミューア・トレイルに触れないわけにはいくまい。ジョン・ミューア・トレイル(JMT)は、米国のカリフォルニア州ヨセミテ国立公園から米国本土最高峰のマウント・ホイットニーまでを結ぶ、およそ三四〇キロに及ぶ原生自然トレイルだ。自然保護思想に基づいた米国の国立公園システムの確立に貢献した、「自然保護の父」、ジョン・ミューア氏にちなんで名付けられている。

加藤則芳さんはシエラネバダカリフォルニア州東部の山脈地帯)を愛して、幾度となく歩き、JMTをおよそひと月かけて踏破した。その時の模様が『ジョン・ミューア・トレイルを行く バックパッキング340キロ』(平凡社)に綴られている。

一度は両足を痛めて泣く泣くリタイヤしている。帰国後に治療とトレーニングと荷物の軽量化に努め再起をはかる姿や、クマに遭遇したりトレイルを見失ったりしながらも、絶景の中を歩く喜びをどうにか伝えたくて仕方がないというような加藤さんの筆致が、この短くはない物語を飽きさせないものにしている。冒険譚として単純にワクワクさせられるし、ロングトレイルを歩く心構えや装備、準備を教えてくれるガイドブックとしての機能も果たす。そして、米国の優れた自然保護の思想や歴史への知識も与えてくれる良書なのである。

米国にはJMTの他に、三つのスーパーロングトレイルと呼ばれるものがある。JMTもその一部を成す、メキシコ〜アメリカ〜カナダを繋ぐ「パシフィック・クレスト・トレイル(約四二〇〇キロ)」、それよりも内陸部のモンタナ州ワイオミング州コロラド州などを縦断する「コンティネンタル・ディバイド・トレイル(約四五〇〇キロ)」、そして「アパラチアン・トレイル(約三五〇〇キロ)」。

加藤さんは、ジョージア州からメイン州までのアパラチアン・トレイルも半年間かけて歩いている。『メインの森を目指して アパラチアン・トレイル3500キロを歩く』(平凡社)は、厚さ四センチの大著だ。本を開くと、さらに二段組みになっている。

彼が毎日歩き、トレイル上で様々なハイカーと出会い、自然を想い、米国の歴史を振り返り、文化に触れ、草木や生き物を愛でながら、重荷と痛みに耐えてはまた歩を進める姿が描かれている。なにせ三五〇〇キロという距離は、択捉島の北端から与那国島の南端よりも長いのだ。道中では、いろんなドラマがあり、出会いと別れがあるから、読者である僕たちは、まるで加藤さんの傍らについて一緒に歩いているような感覚で旅が疑似体験できる。

とりわけ、トレイルエンジェルという、トレイルと道路が交差する地点などで、飲食物や宿を用意してハイカーをもてなす素敵な人々との交流には心を動かされる。見ず知らずの人が汚くて汗臭いハイカーたちを応援して、わざわざ時間を作ってサポートしてくれるのだ。アメリカにはそういった奉仕の心があるらしい。

僕がこういった加藤さんのハイキング(著書の中で彼は、アメリカではトレッキングという言葉はほとんど使われず、距離にかかわらずハイキングであると指摘している)に惹かれた理由のひとつは、「他者との勝ち負けがない」点である。頂上すら目指さなくたっていいのだ。彼はただ、自分が設定した目標や、描いたテーマに則って歩く。そして、物事を思う。

先日、三浦雄一郎さんが八〇歳にしてエベレスト登頂を果たしたばかりなので言いにくいが、正直言うと、僕は登山に初登頂以外の記録を持ち込むのは好まない。「大自然の中ではひとりの人間の存在なんてちっぽけに思える」だなんてよく言われるけど、それなのにちっぽけな人間の競争心に拘泥するというのはどこか矛盾を感じてしまう。

よって、最近流行りのトレイルランニング(野山を走るレース)は、個人的には眉をひそめて見ている。僕も足跡を残したりストックは突くから、山道にかける負担のことはひとまず措くとしても、実際に山を歩いていて、曲がり角から人が走って来た時の恐怖を知っているだろうか。これは本当に怖いし危ないのだよ。わざわざこんなところまで来て競わなくてもいいじゃねえか、と思ってしまうのだ。

前出の『メインの森を目指して』のあとがきで、加藤さんは病気について告白した。

引用させていただく。

  • 「現実は残酷です。驚くほどの速さで筋肉が衰えていき、現時点ですでに箸もペンもまともに持てず、身体を自分で洗うことすらできなくなっています。ジョン・ミューア・トレイルも含めた国内外の荘厳壮大な原生自然、そしてすばらしい自然と人とのハーモニーに惹かれ、響き、憑かれ、涙するほどに愛してきたわたしでしたが、すでに、自らのスタイルによる自然へのアクセスはすべて不可能となりました。ゆえに、本書が、本格的なドキュメンタリーとしては最後の紀行文となります」

加藤さんは、病状が悪化する以前に、この本と、『ロングトレイルという冒険』(技術評論社)という二冊を立て続けに上梓された。歩くという人生観、自然への永遠の憧憬を通じた、まさに遺言ともいえる言葉を、我々に残してこの世を去っていかれた。

僕は、加藤さんの病状が進行してからは奥様が更新していたブログをたまにチェックしていた。長い間なにも情報がなかったので、何事もないことを知り、しかし進行する病魔を想像し、加藤さんを思っていた。『潜水服は蝶の夢を見る』の映画のように、最後には精神が肉体に「ロックトイン」された状態になってしまうのではないだろうか。思えど伝えられず、喜べど笑えず、悲しめど泣けず……。

世界中を歩いてきた彼がもう歩けないと知り、病床で天井を見つめてなにを思うかと想像するだけで、心が痛んだ。こんな意地悪があるかと、神の差配を恨んだ。だって、人の何十倍も、何百倍も、歩くことで生きてきた人なんだぜ! こんなことがあっていいのかよ!

インドネシアから帰国した先日、開いた雑誌のフロントページで加藤さんの訃報を知った時は、衝撃を受けたのと同時に、「あぁ、やっと加藤さんは解放されたのか……」と思い涙がこぼれた。

ご家族には申し訳ないが、加藤さんは死して遂に、不自由な肉体と不条理な世界から解放されたのだ。横にいた妻を驚かせてしまったが、しばらく涙が止まらなかった。

加藤則芳さん、僕たちに、僕らが行けない世界を見せてくれてありがとうございました。いや、きっといつか一部でも行ってみます。だって、あなたが何百万の言葉と、何千万の足跡を費やして、僕たちに伝えたかったことって、そういうことなんでしょ?

知って、備えて、行けって。ルールを弁えた上で自由に浴せって。

ご冥福をお祈りいたします。

  • 『ジョン・ミューア・トレイルを行く バックパッキング340キロ』(平凡社
  • 『メインの森を目指して アパラチアン・トレイル3500キロを歩く』(平凡社
  • ロングトレイルという冒険』(技術評論社