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月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。2003年より書いていた月イチコラム「月刊ショータ http://monthly-shota.jp 」をhatenaに転載しました。そのため、一部お見苦しい点があることをご容赦ください。

「いちいち怒るべからず in Jakarta」

前号でジャカルタに滞在するにあたり、「この橋は渡るな」と忠告されて来たことを書いた。滞在ちょうど一ヶ月になるが、雨が降っていない限りは毎日橋を歩いて通勤している。今のところどうということもない。ちゃんと周りに注意してサングラスかけて早足で渡れば問題ない。最近では地べたに座る物乞いのおばあちゃんにお金を渡す余裕すらも出てきた。ちゃんと手を合わせて英語で「サンキュー」と言ってくれる。
橋ではたまに両肩からバッサリ腕がない青年も見かける。どういう事情かは知らないが、石井光太著『レンタルチャイルド』で描かれたように子供のうちに物乞い効果を上げるために腕を切り落とされたなどということではないことを祈ろう(あれはインドの話だが)。今日見かけたらお金を渡そう、いや腕がないからどうやって渡せばいいのだ、などと考えていたらちゃんと地面にカップが置いてある。が、その日に限って、カップを離れてウロウロしている。しょーがないな、また今度ね。
ある時は、子供の物乞いが三人くらいいたのでポケットのお金を一人に渡した。すると、大喜びして他の二人が「ワタシにも!」「ボクにも!」と追ってくる。これは少々恐怖だった。またもや(行ったこともない)インドの知識だが「みんなが来るから、一人にあげてはいけない」と聞いたことがある。子供とはいえ、ああまで疑いのない目でなにかを要求してこられると怖さすら覚えるのだった。
だから思わず「シェア・ザーット! (分けろ!)」と怒鳴ってしまった。女の子は立ち止まって仲間らと「バキバキ……」とか言ってたから意味は通じたようだ。
インドネシア人の英語についてだが、かなり習得率に差があるようだ。受けてきた教育や、個人の環境によって、ほぼ問題なく話す人と、まったく通じない人がいる。会社で言えば、英語とインドネシア語をシームレスに使い分けられる人もいれば、つっかえつっかえ、途中で「アパナマニャ?」と考えながらなんとか伝えたいことは話せる人がいて(僕と同レベル)、発音の上手い下手も差がある。ちなみに「Apa nama nya」は英語にそのまま置き直せば、「What name its」ということで、「なんて言うんだっけ」のことだ。あまりに多くこれを聞くことがあり、そのかわいらしい語感が耳に残ったのですぐに覚えたインドネシア語だ。僕が話しながら「アパナマニャ?」を挟むと、鉄板で爆笑される。
しかし、みんな話すことは話す。打合せに僕が入ると英語でやってくれるので、助かる。来る前は「インドネシア語一〇〇パーセントだったらどうしよ……」と心配していたのだ。
  • 「なんで君たちは英語が話せるんだ?」と訊いてみたところ、回答は様々。
  • 「オーストラリアに留学してたから」というええとこのコもいれば、
  • 「中学から興味持って勉強してたから(最近は日本と同じく小学校からやるようだ)」という秀才もいれば、
  • 「アメリカ映画を観て覚えた。英語が解れば、字幕のない海賊版でも観られるからね」という輩までいた。インドネシア海賊版DVDの宝庫で、一種の社会問題でもあるらしい。
なんにせよ、そんなふうに修練して、英語が話せるんだから大したものである。日本人の僕からすると、やはり文法の構造とアルファベットを使ってきているという差は大きい。
会社は、一応ある程度の教育を受けてきた人たちの集団なので、上記のような感じだが、街に出れば英語が一切通じないことだってざらにある。日本よりもその差が大きいと思う。日本人は全体のレベルは低いと言わざるを得ないが、単語くらいは知っているはずだ。
特にタクシーは困る。雨の日には仕方ないのでタクシーに乗る。雨季のインドネシアに来るというのに、傘を用意し忘れたのだ(先日、豪雨があって街の中心部やはずれで冠水の被害があり日本でもニュースになったようだ。それまではなんとか持ち応えたものの、観念して傘を買った。ケチか)。タクシーにも忠告を受けていて「ブルーバード社以外のには乗るな」だそうだ。
まぁブルーバードとその関連会社のものが大多数だから問題はないのだが、たまに悪質な運転手に当たると遠回りされたり、最悪はひと気のない場所に連れて行かれて強盗に遭うこともある、などとも聞く。
ブルーバードタクシーだからと言って、安心するなかれ。英語がてんで通じないことがある。というか、その可能性の方が高い。
来てすぐの頃、電器量販店に行こうと、地図を広げて「エレクロニックシティまで行きたい」と言ったが通じない。地図で指し示してもう一度「エレクロニックシティ。この、リッツカールトンの裏にある場所ね」と丁寧に伝えてみた。運転手がウンウンと曖昧に頷く。
すると、こういう場合大概、唯一聞き取れた名称である「リッツカールトン」の方に連れて行かれてしまうのだ。
そして、ここのタクシー運転手は実に道を知らない。当然ナビなんかない。「なんで運転手やってんだよ!」と腹が立ってしまうが、「インドネシアはのんびりした国だからイチイチ怒らないように」とも注意されていたのでグッと堪える。
すると、延々グルグル走ってガタガタの裏道を巡って見たことない大通りに出て、辿り着いたのは別のリッツカールトン! 悪いことにこの街にはリッツが二つあったのだ。……お前なぁ、ええ加減にしろよ、と言いたいが言っても通じない。
結局、初乗り六〇〇〇ルピア(ゼロを二つ取ると円)で、一五〇円くらいで着くべきところを五〇〇円くらいかかってもう一つのリッツで下してもらい、あとは自分で歩いた。
その日はさらに災難が続き、店に入るや大雨が降ってきた。すると街中のタクシーが取り合いになってなかなかつかまらなくなってしまうのだ。しばらく店先で待ったがダメなので、量販店二階のカフェでお茶をしていた。女性店員の「キャー」という悲鳴にそちらを振り向くと、屋根から雨漏りがしてきて水の筋がビビビビと床を打っている。
  • 「おいおい、とんでもないとこに来たな……」
  • と、前号に続いてまたもや嘆息するのであった。
しかしながら、嫌な思いをしたのはその時くらいで、基本的には人々は正直で礼儀正しく明るい。なによりうれしいのは日本人がリスペクトされている。なにも日本人をリスペクトしているからって、僕個人をリスペクトしなくてはいけない謂れはないし、それで驕ってはいけないのだが、そのリスペクトに応えようと気を引き締める思いになる。僕は長い海外滞在はアメリカしか経験がないので、あの国の一部の無教養な人間の「アジア人蔑視」、英語もまともに話せない人間に喰らわす「ハァ~ン? 攻撃」に嫌悪感を抱くことがあったので、ここは居心地がいい。
重たい仕事が来て、二三才の同僚、イユス君と週末返上で毎晩深夜三時、四時まで仕事をする日々が続いた。
まぁ、彼も明るいので、深夜まで二人で大笑いしながら企画書を作るのである。居残ってる者たちが「A Hard Day's Night」を大合唱したりして、とにかく明るいのだ。終わるとヘトヘトになって、二人一緒にタクシーに乗って家路に向かい、途中で僕は降ろしてもらう。まだ新入社員で試用期間なのかタクシー代を会社は払ってくれないというので、十以上も先輩の僕はお札を渡して「使って」と言う。
しかし、これを頑として受け取らない。
次の晩は、「いらないですよ」という彼に、僕の方が半ば押し付けるようにお札を渡した。彼は「明日お釣りを返します」と言う。
日本のというか、僕の会社の風習から言えば、先輩が払うのは当然で、お釣りなんかいちいち返さなくてもいいのだ。
翌日、イユス君に会うと、律儀にお釣りを返してきた。「取っといて」と言っても、「あなたのお金ですから」と引かない。
  • 「気にすんなって」
  • 「いや、そういうわけにいきません」
そんなやり取りをしてるうちに、僕は「金持ちと思われている日本人が、彼のプライドを傷つけてはいないだろうか」という考えがふと頭を過ぎり、最終的にはそれを受け取ることにした。
お釣りは、日本円にして三〇〇円だった。
イユス君によると、インドネシアの若い世代は、幼い頃より日本のマンガに触れて育っているから、日本への憧れを共有しているそうだ。日本をアジアで一番いい国だと思ってくれている。
  • 「いつかトーキョーを訪れるのが夢です。すっごくクールな街なんでしょ?」
  • と目を輝かせて言う。我々はそういう国に生まれ、住んでいるのですよ。忘れがちだが、たまに思い致さなくてはいけない。
外国の友人には、「いつでも来いよ! ガイド兼ドライバー兼通訳したるぞ。関西なら寝床だって心配すんな」といつも思っている。イユス君にも伝えておかなくてはいけない。

こういう国と、こういう人たちとね、支え合っていかなきゃいけないと思うのだよ、これからの日本は。