月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「この橋渡るべからず in Jakarta」

  • 「ソーリー、ソーリー」

辻本清美ではない。タクシー運転手のおじさんは、空港を出てものの十分で渋滞にぶつかると申し訳なさそうに手を合わせてそう言った。

  • 「いえ、いいんですよ。あなたのせいじゃないし」

インドネシアジャカルタの交通事情は事前に噂には聞いていた。平日の午前十一時。無理もない。

それにしても、無理な車線変更に、路肩走行に、譲り合うことを知らない運転マナーの酷さよ。高速の料金所では、車列が狭まって列を作るまでの譲らなさはチキンレースの様相を呈した。どこまで行っても隣の黒い車が並行して進んでいく。大阪以上に性質が悪い。ゲートが迫る中、ギブアップしたのは運転手さんでも向こうでもなく、後部座席の僕だった。

  • 「先に行かせていいですよ」

彼はまた言うのだった。

  • 「ソーリー、ソーリー」

自動車に加えて、バイクも酷い。ものすごい数のバイクが車列を縫い、側道を擦り抜け、傍若無人に走り回る。 僕は汗ばんだ背中をシートに押し付け「やれやれ、えらい街に来たもんだ」と、嘆息するのだった。

仕事の事情で、二〇一二年の十二月半ばから翌年三月半ばまでの三ヶ月間を、僕は排ガスとホコリと脂の匂いの漂うこの都市で過ごす。 目抜き通りに面したホテルに到着して、最上階の部屋に入る。といっても、ペントハウスでもなんでもなくて、眺望だけが取り柄の小さな普通の部屋だ。疲労と怖れと不安だけ感じながら窓の外を眺めると、超高層ビルの集塊が競うように立ち並び、その先には赤褐色に錆びたような低層家屋の屋根が茫漠と地平線の向こうまで霞んでいる。昼の陽光が、なんだか薄く煙ったような街の空気を突き通して、不快な熱を立ち上がらせている。思い浮かんだ言葉は「シン・シティ」。罪の街だ。 僕には、ガラスで仕切られたこちら側の空間だけが安全地帯のように感じられて、しばらく外に出かける気にもなれなかった。

これから毎日通うべきビルは、スディルマンという大通りの向こう側に見えている。ここからなら中で働く人々も見えるのではないかという距離だ。 そのすぐ横には屋根のついた歩道橋があり、それを渡ればものの十分で着くはずである。僕は、無言でその橋を見下ろしていた。

というのは、会社の人間から事前に「目の前の橋は渡らずに、面倒でもタクシーで回り道して行くように」と注意されていたのだ。橋の両側に不逞の輩がいて、日本人と見るや挟み撃ちで組み付き所持品を奪うという事件が、一度ならず起きているという。 そんなありがたくないジャカルタ情報も、僕を部屋から出たくなくさせていた。

夕方くらいになって、ようやく意を決して出ていく。とりあえず会社の人たちに到着の挨拶くらいしに行かねば。出社は正式には翌日からでいいのだが、顔くらい見せておきたいし、特段他にすることもない。

実は、僕は心を決めて来ていた。「目の前のビルに行くのにタクシーなんか乗らない」。なんだか負けたような気がするではないか。「日本人は臆病だからジャカルタの街も歩けずカネで回避する」などと思われていたら癪ではないか。来るなら来やがれ。その代り、そっちもそれなりの覚悟で来いよ、という気分だ。 映画『コマンドー』で、シュワルツェネッガーが敵に立ち向かう前に装備を身に着け武器を携行するシーンが短いカット割りで小気味よく描かれるシーンがある。そんな気分で、僕も貴重品はバックパックに入れてジッパーをちゃんと締め、財布をチェーンでズボンに繋げ、ブーツを履いて、サングラスをして、「オレに近づくなオーラ」を全開に設定して出ていく。できることなら、コルトパイソン三五七(シティハンターが使ってた銃ね)を腰のホルスターに差し込みたい。

歩道にはなにをしているのかわからない虚ろな目をした男がしゃがんでいて、「こいつかコノヤロー」と訝しんでしまう。バス停には女性も含め何人かが佇んでいるが悪人には見えない。擦れ違う人間が来ると、ガタガタの歩道の石を避けるフリをして大きく距離をとる。歩道橋に辿り着くまでにすでに汗をかいてしまってサングラスをズリ上げる。 悪の巣窟のように見える橋は階段ではなく、Z型に斜面を登っていく構造。金属の廊下が重たい足音を響かせる。 橋の上に上がると、両側の柵と屋根に囲まれた空間に、物売りや物乞いが地べたに座って、こちらを見上げている。物乞いは老若男女だ。それでも、通行人は僕の他に何人もいるから、半分渡り切った頃にはだいぶ安心した。なんてことはない。 会社では、駐在の方に橋を歩いてきたことを正直に言ったのだが、帰り際には再度「渡るなよ」と警告を受けた。「ええ、はい」と、いい加減な返事をすると、それを悟った相手に「警告はしたからな(あとは知らんぞ)」と睨まれた。テヘヘ。

一体、ジャカルタというシン・シティがどれほど危険なのか、インターネットで検索して調べようとしても、よくわからない。まず情報が少ない。「一人では行くな」「一人歩きはするな」と言われても、こちとら一人で来たのだから仕方ないではないか。せっかく来たのに、街を歩かずして知ったことにはならないような気がする。

来て数日働いて、すぐにクリスマス連休になった今日、近所のショッピングモールまで脚を伸ばしてみた。警戒心は解かず、カメラで撮りたいものがあると、周りに人がいないことを確認して、サッと撮りすぐに仕舞う。いくつかモールを巡ったが、クリスマスシーズンの賑わいで、中は平和そのものだ。しばらく過ごしてみて、また後述するが、中には役立たずのタクシー運転手や警備員や清掃係もいることはいるが、店員やウェイターやホテルスタッフは概ねやさしく、なんだかこの国が好きになり始めている自分に気付く。

そうそう、今日はクリスマス。イスラム教徒の多いこの国でも、クリスマスは祝うみたいで、街にはツリーが飾られていたり、サンタに扮したおじさんがショッピングモールでイベントをしてたりする。このあたりの状況は日本と変わらない。

おそらく、ジャカルタ情報なんていくら書いても、観光で来る人はほとんどいないだろう。仕事でもない限り、およそ観光価値はない都市である。日本でもインドネシアのガイドブックはほぼ選択肢がなくて、バリ情報ばかりだった。 しかし、まぁ、ここから数回、僕のジャカルタ・レポートにお付き合いくださいませ。

Merry Christmas from Jakarta!