月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「自分でしたいの」

二人でとんカツを食べているとして、よもやおっさん同士が「いやいやいや」とか言い合って、お互いのカツにソースをかけ合ったりはしないものだ。でもお酒はそうではないらしく、ビール瓶を取り合うおっさんと、会計の際に「今日はワタシが」「いや、ワタシが」「いやいやいや」と、伝票を取り合うおばはんは日本中で目にされている光景である。
会計はともかく、ビールを誰が注ごうが構わねえじゃねえかと思いながら、僕はそれを眺めてしまう。僕はお酒を飲み始めたのが二七才くらいだったもので、あまりそのルールを知らない。しかしまぁ、おかげさまで十年飲んでいると、細かい性格も相俟って、ビールをグラスに注ぐ作業はかなり上達した。きれいに二センチくらいの細やかな泡を浮かべることができると、唇をつける前に微かにワクワクするものだ。
サッポロビールのウェブサイトでは上手なビールの注ぎ方を解説している。
これによると、勢いよく注いでから、一旦ストップし、次にゆっくりと注ぐとのこと。しかし、家で一人で飲んでいるならいざ知らず、飲み会の席で「勢いよく注いで一度ストップ」「もう一度泡が落ち着くのを待つ」というのは現実的ではない。自己流ではあるのだけど、僕は傾けたグラスからスタートして、やや高い位置からビールを細く細く落として次第にグラスを真っ直ぐに戻していく。そうすれば一度で美しく注ぐことができる(はずだ)。
僕は、「自分でうまく注ぐから自分でやりたい」のだ。大概後輩とかが慌てて注いでくれて、「あ、すみません」とか言いながら泡ばっかりにしたりする。まぁ、いいんだけど。しかし、別に人に注いでもらわなくてもいいから、僕は僕の方法で注ぎたいし、僕のペースで飲みたいのだ。注ぎ足しもあまり好きではない。ほんまは「細かい男」が露見するから言いたくはないのだが、アルコールにはあまりにルールが多い。いや、ルールが多いのが嫌なのではなく、それに独特の押し付けがましさが伴うものだから困るのである。
僕がお酒デビューが遅かったのは、体質的に飲めないと思っていた以上に、そういう鬱陶しさが嫌いだったということもある。
「お互いに飲まなくてはいけない」とか「勧められたら飲まなくてはいけない」とかは相手への受容を表し、「相手に飲まさなくてはいけない」みたいな雰囲気は元々はもてなしの表現だったのだろう。おそらく日本人特有の習慣なのだと思う。しかも、サラリーマンとビールという組み合わせ。外国の映画を観ていても、アルコールを互いに注ぎ合う場面を見たことはない。
仕事の持ち場はもちろん、掃除洗濯炊事、保険や資産の管理、運転免許やパスポートの更新、確定申告(必要ないわ!)、健康や体型の維持・改善、これら全てを自分でできてこそ、人は一人前の大人といえるのではないだろうか、などと堅苦しいことをたまに思う。叶うことならば、感情のコントロールもしたいものだがなかなか思うようにはいかない。天気のコントロールまでできたら、土地や時代が違えばシャーマンにすらなれたかもしれない。
可能な限り自分のことは自分でしたいと思うので、ビールは、自分で、注ぎたい。
酒なんて、滋養が豊富なわけでもなく完全に嗜好のものなのだ。だったらなおさら、飲みたい人が飲みたいように、自分がコントロールを失わない範囲で飲みたいだけ飲めばいいわけで、人に奨励するものでもない。特に日本人には体質的にアルコールを受け付けない人が多いと言われているのに、人に飲ませることが礼儀正しいことだなんて、本当に大きなお世話な習慣だ。やっとここ十年くらいか、アルコールハラスメントという言葉が人口に膾炙して、よい傾向である。僕は自分も飲めなかった人間として、人がいきなりウーロン茶を注文しても咎めないし、僕が飲みたい場合は他人がどうであれ僕は飲む。
あ、ただ一回、同窓会かなんかの集まりで、恒例の「生ビールの人!」で男たちの過半数が手を挙げた時に、隣りに座った外沢くん(仮名)が「オレ、えーと、あの、梅酒ソーダ割り」と言ったのには大人げなく腹を立ててしまった。「生ビール!」で大体片がついて、少数の下戸が「ウーロン茶」とか「コーラ」で、チャッチャと事が進むところを、酒なんか僕よりもよほど強い彼が「梅酒」のしかも「ソーダ割り」なんか頼みやがったものだからつい……。
あの腹立ちは一体なんだったのか。それはペースを乱す面倒くさいヤツに、イラッときたのだろう。別に、飲めないのなら何飲んでもいいんだけど、みんなが早く同窓会をスタートしたい雰囲気を出しているのに、「梅酒」のしかも「ソーダ割り」だなんて! お前なぁ、地元の駅前の居酒屋で「食前酒気取り」かこの野郎。梅酒飲みたければ、まずビールを飲んで、あとでゆっくり頼めばいいじゃねえか。というのが、その際の僕の正直な気持ちだったわけだが、今から振り返ると、実にオトナゲなかった。すまん。ほんまに、オレは勝手な人間だ。
自分の嗜好が、相手の関与によって充足されるものなど、セックスくらいのものではないか。そのくせ、そっちの方は、「わたしを抱け」「もっと抱け」「いや、まだまだ抱け」と、運動会の棒倒しのようにオチ○チ○に飛びついてくる人にはお目にかかったことがないのが不可解である。それは僕の実力不足の結果か。 たとえ来られましてもご対応いたしかねますが。いえ、お気持ちだけで結構ですから。いえいえ、いえいえいえいえいえ……。
あんっ。