月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

腰がこうとか脚がどうとか

僕は、野球というものにほとんど注意を向けずに少年時代を過ごした。当時は『キャプテン翼』の時代だったので、サッカーこそが新しく、自由で、カッコいいスポーツの代表であって、野球は「古い」「厳しい」そして「ダサい」ものであるという印象があった。だから、『ドカベン』も『タッチ』も読んだことはない。野球部は、坊主頭にしなくてはいけないとか、「オィ~」「ウィ~」と意味のわからない声を出さなくてはいけないとか、旧弊ばかりに縛られてなんだか「行(ぎょう)」の匂いすら漂うような楽しくなさげなものに感じていたのだ。

プロ野球にしても、子供の目には「おっさんのスポーツ」と映っていた。当時は投手といえば、江川投手や江夏投手、打者でいえば、バース選手、掛布選手、岡田選手の時代である。あ、父親が西宮出身の阪神ファンで、テレビは阪神戦ばかりつけていたので、タイガースの選手の記憶が多い。一応、僕も「自動的に」阪神ファンの一員だった。あとは日本シリーズを戦った西武ライオンズの松沼兄弟……。 まぁ、なんにせよ、江川も江夏も腹の出たおっさんだったし、バースも松沼投手(兄)もヒゲだったし、おっさん感は否めなかった。

だから、僕がやってきたスポーツはサッカーとテニス。大人になるまで野球はしたことはなかった。もちろんキャッチボールやバッティングセンターでの打撃など、個別の遊戯はしたことがあったが、ゲーム形式となると経験はなかったのである。

思い返すと、なんか野球は「周りがうるさそうで」受け付け難かったような気もする。練習も地道そうで……。素振りとか特に。サッカーにシュートの素振りとかないし。打撃フォームに関しても「脇がどうの」「ヘッドがどうの」「腰がどうの」とか細かそうだったし、守備練習も千本ノックとかそういうド根性系の取り組みはとにかく昔から嫌いだったのだ。監督とか星飛雄馬のオヤジとか、とにかく鬱陶しそうな感じがしていた。

ゴルフも同様で、今でも打ちっぱなしでしかやったことはない。いい年した大人が「グリップがどうの」「スタンスがどうの」「この時に上体の開きがどうの」とか細かそうで、なんやねんと。「箸で喰おうがフォークで喰おうがハンバーグはハンバーグじゃい!」と、全くカスリもしないたとえ間違いをしたくなるくらい、そういう蘊蓄が嫌いなのだ。エレベーターを待つ間に素振りをしている先輩の背中など失笑してしまう。

そもそも、山岳国家の日本に合うスポーツとは思えない。アメリカのように土地(平地)が有り余っていて、すぐ近所に安いゴルフコースがあるのなら手軽にできるかもしれないが、日本みたいな細長い国の森林をわざわざ伐採してまでやるか? と。広ーい土地にちっこい球を飛ばして、最後はおっさんが背中を丸めてそぉ~と穴に落とすという、豪快なんだかチマチマしてるのかよくわからない活動。なんやねん、と。

やはり少年時代にバブルの猛然たる勢いから洩れ聞こえてきた「会員権が○億円」とかの印象が強いのだろう。おっさん感が許せないのだ。しかも太った裕福なおっさん感。資生堂アウスレーゼの匂い。チョッキにダボパン。ビール。スポーツ感がない。おっさんが集まってカネの話をして「わっはっは」しているイメージがどうも払拭できなかったのだ。

それにしても、ド根性も嫌いで、細かいのも嫌い、つまりがんばるのが嫌い、というヒネくれた青春時代を過ごすと、結局何事も成せないというのは、自分を見ていてよくわかった……。

でも、ゴルフに関しては今ならば言えるが、「いい年したおっさんがあーだこーだ言うほど夢中になるのだから、きっと楽しいに違いない」ということは理解している。だからこそ手は出さないのであるが。

ところが、「バランスがどうだ」「蹴り足がどうだ」といった議論を全く否定するように鮮烈に登場したのが、野茂英雄投手だ。彼こそが野球界史上最大のヒーローだ。いや、きっと理論的にすごい成り立ち方をしているはずのトルネード投法なのだと思うのだが、素人目にはそんなことはどうでもいい。従来おっさんたちが行なってきた指導方法を根底から覆すような、わけのわからない、とんでもなくカッコいい、信じがたい豪球を投げる投手だった。そして、彼がメジャーリーグに挑戦したのが一九九五年。僕がアメリカの大学に行ったのが前年の九四年だったので、彼は日本人全体のイメージアップにとても貢献してくれたし、いろんなストレスや劣等感を抱えて学生生活をなんとか送っていた僕は勇気をもらったものだ。勇気をもらっただなんて陳腐な言い方だが、実際そうなのだから仕方ない。

野茂投手の成し遂げたことは、超絶的な投球フォームも、旧態依然たる日本野球界からの離脱も、黙して語らないメディア対応も、「おっさんの否定」であったのだ。その後の活躍は、素人の僕が今さら語る必要もないので省くが、ロバート・ホワイティング著『野茂英雄 —日米の野球をどう変えたか』(PHP新書)なんかは涙なしには読めない。

僕はLAのドジャースタジアムに野茂の登板した試合を観に行ったし、その後のイチローの試合観戦にもシアトルのセーフコフィールドを二度訪れた。先月は、広島カープの試合を観るために、関西から広島まで出かけてみた。広島のマツダスタジアムは、メジャーリーグボールパークを参考にデザインされた素晴らしい球場であった。

自分もプレーするようになったのは会社で働くようになってからだ。もう十年近くやっているように思うが、打率は一割にも満たないだろう。こんなに打てないものかと思う。だから、週末にはひとりでバッティングセンターで打ち込んだりする。周りのお客は、僕と同世代の人たちが、子供を連れて来て練習させ、ガラス越しに声をかけたりしている。しかし、僕は自分の練習で大汗かいて本気モードでバットを振っている……。 先日、うちの主人(=妻)が友人とこんな会話をしたそうだ。

  • 「ショータな、週末にひとりでバッティングセンター行ってんねんで」
  • 「え、そうなん。まじで。……うちに遊びに来てもいいよって伝えといて」

ちゃうねん! オレはヒマでバッティングセンターに行ってるわけではなくて、打撃練習をしたくて、マイバットにマイ手袋持参で行っているのだ! あくまでも自主的なのだ。

昨日は自分たちの草野球試合のために、前日の晩にスパイクやグローブや飲み水の準備を済ませ、早起きして遠い球場まで車を飛ばして行った。一番乗りして、先日広島で買ってきた「MAEDA」(前田智徳選手の方)のユニフォームに着替えていると、前の第一試合の審判をしていたおっちゃんが引き上げて来て、不思議な顔をしている。

  • 「あれ? 今日は次の試合はないで」

相手チームのメンバーが揃わずに、我がチームの不戦勝となり、試合は中止されていたらしい。メール連絡をチェックしていなかったので、マヌケにも来てしまった。

プレーではなく、恥ずかしさで変な汗だけかいて、MAEDAユニフォームを脱いだ。このユニフォームは前田選手がもしかしたら今シーズン限りでの引退でも発表してしまうのではないか、と思って買ったものだ。しかし、新聞でオーナーが「来季も契約する」と明言したと知った。 前田選手は残ったが、阪神の金本選手は引退を表明した。そして、同じく阪神の城島選手も、昨日二軍での引退試合を済ませ、バットを置いた。

「おっさん的」なところが嫌で敬遠していた野球に、結局おっさんになってからどっぷりハマってしまっているワタクシ。引退した城島選手は、一つ年下である。