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月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。2003年より書いていた月イチコラム「月刊ショータ http://monthly-shota.jp 」をhatenaに転載しました。そのため、一部お見苦しい点があることをご容赦ください。

「(4+9)×2の旅 前篇」

column

二十七才でモーターサイクルに乗り始めて十年目になる。カワサキのバルカンドリフターであちこち旅をしてきたけれど、二〇一〇年に相棒の大谷さん(仮名)と四国をぐるっと旅してフェリーで大阪港に帰った際に、「四国と九州もフェリーでつながっている」ということを知って味を占めた僕は、機会を窺っていた。

そして、この度、「四国と九州を二輪で駆ける旅」に出たのでここに報告することにする。タイトルの数式はそういう意味だ。 今回は、大谷さん(仮名)は同伴せず、六日間の一人旅。簡単な旅程は以下の通りである:

追々明らかにするが、各地点で訪ねたい場所を総合すると、自然と一応のテーマみたいなものが発生した。それは、「世界と戦った偉大な日本人に敬意を示しに行く旅」である。

僕が住む奈良から松山までおよそ三五〇キロメートル。この距離は、僕がモーターサイクルで快適に走れる限界の距離であるということが、これまでの経験でわかっている。個人の体力、モーターサイクルのタイプ、道路が高速道路なのか、国道なのか、山道なのか、などの条件によって変わってくるが、僕のバイクでほぼ高速道路なら、これくらいなのだ。

この旅の準備をするにあたって、僕が備えた装備としてひとつ紹介したいのが、スキンズというコンプレッションアンダーウェアだ。 http://www.skins.co.jp/

詳細は上記サイトを参照していただきたいが、要するに筋肉を締めつけてサポートすることにより疲労軽減や回復促進に役立つアンダーウェアなのだという。下着としては非常に高価なものなのだが、バイク用品店で半額で売っていたのを見つけて買ってみた。ツーリングはいわゆる運動とは違うけど、エンジンや路面から来る振動により疲労が起こることは事実なのでなんだか効きそうな気がするのだ。

そのスキンズを装着して、ジーンズにブーツを履き、革ジャンを着て、革手袋をして、朝6時過ぎに出発。天気はくもり。快調に走って神戸を通過し、明石海峡大橋を渡る。日曜日だが、思ったよりも自動車が少ない。大橋から見下ろすと、夥しいといえる数の船が、航跡を引きながら紺碧の海面を滑っている。たまに船舶事故があると「あれだけ広い海でなんでぶつかるの?」と思っていたが、こう見ると、ぶつからない方がおかしいような気がしてくる。 頻繁にサービスエリアに入り休憩する。なぜなら、寒くておしっこばかりしたくなるのだ。気温は十五度。時速八十キロ以上で走行しているから体感温度はもっと低い。

大塚製薬の倉庫が見えてくると四国に入った目印だ。以前一緒に走った大谷さんが「そこに大塚が持ってる美術館があって、なかなかいいですよ」と言っていたのを思い出す。給油してから、島を横断する徳島自動車道に乗る。このあたりでまだ九時前。順調すぎるくらい順調で、気持ちに余裕ができた。

冷たい空気にあたりながらもリラックスして風景を楽しむ。腿のあたりにエンジンの熱がボゥッと伝わってくる。山が近くなってきて、旅情が募る。曇り空にガスが重なって連なる山々が白みがかった炭色に見える。その奥の山、そのまた奥と、霞みのフィルターが一層ずつ追加されて見事なグラデーションを見せている。

やがて松山の市街に入り、昼過ぎにホテルで早めのチェックインをさせてもらった。早起きと初日の緊張から神経は疲れたが、肉体は思いの外ダメージを受けていないようだ。スキンズのおかげであるといいのだが。ここまでの走行距離はピッタリ三六〇キロ。ひとまず、虫が潰れて汚れたヘルメットと革ジャンをきれいに拭う。 「坂の上の雲ミュージアム」まで徒歩十五分くらい。市電に乗らず、松山城のお堀沿いに歩いてみた。これが行きたかった訪問地のひとつ目だ。

友人に勧められて、遅ればせながら今年の初めから司馬遼太郎著『坂の上の雲』を読み出している。文庫で全八巻という大長編なのだが、僕は他の本と並行しながら今年一年をかけてチビチビと読み進めるつもりなのである。今、第四巻の途中だが、とりあえず旅には出てきた。

読んでいない方のために少し説明すると、二〇一一年までNHKでドラマ化もされていた、この司馬遼太郎の大作は、松山出身の三人の人物が主人公となっている。日本陸軍に騎兵隊を育成した秋山好古(よしふる)と、海軍の参謀として天才を発揮した真之(さねゆき)の兄弟、そして真之の友人である俳人正岡子規である。日本が海外から技術や軍事を学ぼうとしていた、明治という時代の死にものぐるいの様や、国の存亡を懸けて日露戦争を戦った状況がこれでもかと詳述されている。 軍人がフランスやドイツに留学したり、イギリスに軍艦の製造を発注したり、アメリカ軍の戦争に観戦武官として相伴ったりと、明治の日本人がとんでもなくインターナショナルな活動をしていたのに驚く。もちろん、エリートたちなのだが、それを差し引いても、まさに世界と対峙して日本国をその時代に適応、存続させようと骨身を削り、文字通り血を流したことが描かれている。執筆されたのは一九六八年から七二年だが、現代に、再び読まれる価値のある作品である。って、僕もまだ途中なんだけど……。なかなか読むのしんどい本でもあるのだ。

坂の上の雲ミュージアムは建築家の安藤忠雄氏によるデザインで、なかなか壮麗な外観である。中に入ると、壁沿いに回廊が巡らされていて、グルグルと登りながら各展示スペースへいざなわれる設計になっている。けど、これって、表参道ヒルズと同じ手を使っていないかい? http://www.sakanouenokumomuseum.jp/

静かな空間でゆっくりと展示を眺めながら「僕なら戦場となった旅順とか遼陽のジオラマ模型を造って、日本軍とロシア軍がそれぞれどのように進軍してどこで決戦したのかわかりやすく展示するだろな」などと考えていた。後日この考えを、僕に『坂の上の雲』を読むことを勧めてくれた友人に伝えたところ「それなら旅順に日露戦争の博物館があって、そこにあります」だって。松山の坂の上の雲ミュージアムは、日露戦争ではなく、あくまでも主人公たちの故郷としての立ち位置で、人物像や松山の風土を中心に展示が構成されている。そりゃそうだ。だから仕方ないんだけど、物足りなさも感じた僕は、そこから歩いて数分の秋山兄弟生誕地にも足を伸ばしてみた。 http://www.akiyama-kyodai.gr.jp/

寺小屋みたいな小さな武道場に隣接して、平屋の家屋と前庭がある。明治の家屋を復元したこぢんまりとした敷地ではあるが、秋山兄弟という偉大な軍人への地元の誇りであるとか、愛情が滲み出ていて、どちらかというと僕はこちらの場所の方が印象に残った。上述のように日本に騎兵隊を創成した兄、好古が馬に跨がっている銅像と、弟である海軍服姿の真之の胸像が、目を合わせるように向かい合って配置されている。しかしながら、適度に空けられた間隔が、お互いの道に干渉することなく、またベタベタと助け合うでもなく、それぞれの信念に生きた兄弟の関係を象徴するかのようで清々しい。

「偉大な日本人に敬意を示す」目的のはじめのひとつを果たした僕は、あえて有名な道後温泉ではなく、市街の北西にある久万ノ台温泉に向かった。伊予電鉄という小さな電車に揺られてすぐの場所だ。地元の人しか行かないような町の温泉センターである。風呂に入ってから、これまた地元の常連が行くような飲み屋の暖簾をくぐり、おいしい酒と料理をひとりで楽しんだ。 真之の遺言であったという「アメリカと事を構えるな。日本は苦境に追い込まれる」という先見を思い、その通りとなった苦々しい歴史の皮肉を思い、そして、それでも我々が今日も生きるこの豊穣な国を思い、アルコールにそれ以上の思考を引き留められたあたりで、明日の九州上陸に備えて眠りに就くのであった。

翌朝は、日本中が騒いでいた皆既日食の朝だった。しかし、僕は九州へのフェリー出港時間に間に合うために、七時半頃はすでに八幡浜港を目指してモーターサイクルを走らせていた。そうでなかったとしても、ここでは空が雲っていてよく見えなかったのではないだろうか。海岸線を南に向かって走っている間も、空も海も白く濁っていて水平線すら確認できないほどだった。路面が濡れていたから夜中は雨が降ったのだろう。湿った朝独特の匂いと潮の香りを嗅ぎながら、左へ右へとカーブを繰り返す。 少し丘へ上ってトンネルと抜けると、右折方向にフェリー乗り場を示す標識が出ていた。港の方へ坂を下っていくと、近くの山肌に、集落に混じって墓地が見える。こんなふうに先祖と土地を分ちながら暮らしている海の生活があるのだ。四国の西端のこんな港町に生まれていたら、僕の人生は違っていたのだろうか、とぼんやりと考える。濡れた路面が朝陽に輝く古い町並を眺めると、「いいところだなぁ。きっとシンプルな生活があるんだろうな」と思ってしまうのだが、地元の若者には退屈なのだろうか。僕もやはり早く出て行きたい、東京へ、せめて大阪へ出て行きたいなどと思うのだろうか。僕は、いわゆる田舎(故郷という意味の)という帰る場所を持っていないので、ちょっとした憧れがある。この後も素朴な田舎町を通る度に、「ここに帰る実家があったら」「こういうところで育ったら」との空想を禁じ得ないのであった。

道の先にフェリー乗り場があり、すぐに手続きを終えて、搭乗までしばし休憩。古いBMWのモーターサイクルに乗ってきたおじさんに話しかけられた。彼は二週間かけて日本一周の旅をして、今日熊本のうちに帰るところだそうだ。日本海側を上がって東北まで行って、太平洋側を戻ってくるというツーリングだったという。タンデムシートに大きな荷物をくくり付けた僕に、同類の匂いを嗅ぎつけて嬉しかったのかもしれない。その旅がいかに素晴らしいものだったかは、おじさんの笑顔を見ているだけで窺える。定年退職後の念願だったのだそうだ。家まで待てなくて、誰かに伝えたくて仕方なかったのかな。本当にその気持ちは、伝わり切らないもどかしさまで含めてよくわかりますよ、僕には。

被災地も見てきたんですよ」と言った時だけ少し声を落とし、一瞬空気が沈んだ。申し訳なさそうな、僕も咄嗟になんて返したらいいのか迷う、ぎこちない感じがふと過る。僕が子供のこと訊かれて「子供いないんです」って言った時の、人の反応に似てる。別にいいのにな。

あ、さて、船が出ますか。

  • (つづく)