月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「そらぁ、ええもんつくりまっせ」

前回に引き続き、おっさんのことについて書こうと思う。ひと月にも渡って考えるなら、若い女性と、そない若くない女性のことだけを考えていたいものだが、自分の将来(もしかしたらごく近い将来)について考えるつもりで、あえておっさんについて思考を巡らせるものである。
日本の人口は減っていく。すでに減少の兆候は顕著になっていて、約五〇年後の二〇六〇年には八六〇四万人にまで減少するらしい。ご存知、少子高齢化社会である。
地球は温暖化するわ、世界経済は低迷するわ、資源は枯渇するわ、加えて、日本は少子高齢化するわで、明るい未来などどこに見えるのかという暗澹たる気分になるかもしれない。しかし、おそらくいつの時代も人類は滅亡の恐怖に戦きながら生きてきたのだと思う。
言葉だけ見て、「イコール悪いこと」と思い込むのは早計で、地球なんて温暖化するより寒冷化する方が怖い。経済なんて波があるからいい時もありゃ悪い時もある。資源にしたって人間が石油を大量に使い出したのは、たったのここ一五〇年くらいの短い期間。人間の歴史から見ればついこの前だ。日本の少子高齢化、というか人口減少だって、悪いことばかりではないどころか良いことの方が多いような気がするのは、僕が浅薄なのか。
東京の電車に乗ってみれば一目瞭然で「人が乗り過ぎ」だし、街だって店だって、もっと言えば山にですら「人が多過ぎ」なのだ。住宅だって「狭過ぎ」。東京ディズニーランド「込み過ぎ」。メシ屋の前「並び過ぎ」。病院の待ち時間「長過ぎ」なのだ。
人口が減れば、そういったストレスがかなり軽減されるじゃないか。
そんな理由で、僕は五〇年後の日本人が羨ましいぞ。僕はきっと生きていないが、その頃には住みやすく生きやすい日本が実現していると固く信ずるものである。日本の未来は希望に満ちている。
人口およそ九〇〇〇万人といえば、昭和三〇年代(一九五〇年代)と同等である。つまり『三丁目の夕日』の時代である。多くの人が涙を流して懐かしんだあの時代に戻れるのだから、文句はあるまい。
人口の構成が全然違うって? そう、そこである。人口減少よりも、高齢化社会というアンバランスさが問題なのだろう。
では、これから高齢化社会を担う、現在三〇代、四〇代の我々にどういうことが待ち構えているかというと、「一生働かなくては生きていけない社会」だ。労働人口が減るというなら、子供か高齢者が働くしかない。だから高齢者だ。
年金は破綻するのかしないのか知ったことではなくて(それでもおそらく破綻はしない)、ないものと思って働き続けるしかないのではないか。こう考えておけば、いざもらえなかった場合に落胆が少なくて済むではないか。それでいいではないか。しみったれたことぬかさずに、「そのカネはあげたもんだ! 取っとけぃ!」てなもんだ。
その代り「ちゃんと雇ってよね」と。
六〇才定年制は廃止して、七〇でも八〇でも働いてもらわないといけなくなるだろう。枯れてる場合ではない。七〇半ばでも、あわよくば受付嬢と社内不倫しちゃうくらいの意気込みで働かせてほしい。だから、そういう目で見てもらって構わない。全然ヤラしい目で見てください。
安易に「外国人労働者を入れざるを得ない」などと主張する人間もいるが、そういう者は経済だけを見て社会を見ていない愚か者だ。僕は断固反対だ。移民労働者を入れて幸せになった国などない(当社調べ)。フランスを見ろ。ドイツを見ろ。カリフォルニア州を見ろ。
難しい話をコネクリ回すことはいくらでもできるだろうが、僕は何よりもそれが人種差別主義的だから反対なのだ。いや、外国人労働者を拒む僕が人種差別主義者なのではない。考えてみてほしい。
「しんどくて賃金が安い労働は外国人にさせればよい」などと考えるのはどう見ても異常ではないか。人種差別主義と言わずになんと言えばよいのか。
  • 「これまでの外国人受け入れ論では、賃金抑制策としての期待が大きかった。企業が求めるのは低賃金で単純労働をしてくれる二〇~三〇代の若い世代であり、『高齢になる前に母国に帰ってもらえばいい』といった考え方だった」
  • (二〇一二年四月二五日 産経新聞朝刊より)
どんな勝手やねん。来いだの、帰れだの。
日本は外国人労働者を極力受け入れない特別な国でいればいいのだ。そして特別優れた製品を高く売る国になればいいのだ。言うは易しだが、理想はそうだし、商売の真理はそこだと僕は考えている。
カップラーメンに入っている粉の袋を見てほしい。「こちら側のどこからでも切れます」と書いてあるだろう。こんなことまで考える民族がいるかっ? ペットボトルのフィルムを剥がす方法も、各社試行錯誤の跡が窺えて、剥がしやすく工夫がしてある。ここまでするかっ? コーヒーの紙フィルターが二つ折りにしてあって、開きやすいように片側だけえぐれていたり、ツマミ状に飛び出していたりする。こんなの気付くっ? 小っさい例ばかりで恐縮だけど、こんな細やかな神経を持つ民族が衰退するわけないじゃないか、普通に考えて。そらぁ、ええもん作りまっせ!
話を高齢者に戻すと、おっさんを大量に雇用する際の問題は、前回書いたような「髪型だけ若いおっさん」と「ややこしいおっさん」が職場に大発生している状況だ。髪型の方は、まぁ腹立つだけで実害はないからよしとしよう。今夜もリンスして寝てください。
しかし、ややこしいおっさんは、ややこしいぞ。
  • ・昔うまくいった時と同じ引き出ししか開けない。
  • ・予算もスケジュールも把握せずに、勝手に意見を通しあとは下に任す。
  • ・指示に「アレ」が多い。
  • ・「♪君の肩に悲しみが雪のように積もる〜」が如くフケが降り積もっている。
  • などなど。
だけど、生産性や効率重視の世の中を推進するつもりがあるのなら(これはこれでクソだが、社会はそうなっていっている)、最も働いている四〇代あたりを賃金カーブの頂点に設定して、子育ても終えて体力も生産性も落ちている六〇、七〇のおっさんらの給料はもっと下げていいはずなのだ。これがフェアというものだろう。
そうやって暗に「おっさん、あんたがエライのとちがいますよ」と理解を促さなくてはいけない。
うわっ! その頃のおっさんて、オレのことじゃないか。年金もないし、賃金も低いのか……。うーむ。
この際、自分に追い討ちをかけるとだな、その上、あまり社会福祉のお世話になり過ぎることなく、若い世代を苦しめない適当なところでこの世からおサラバする、というのがこれからの高齢者の社会貢献の仕方だ。選べるものならそうしたい。
何事も変化は怖い。未知だから。しかし、柔軟に適応していけばなんとかなるはずなのだ。
日本の人口が五〇年後に八六〇〇万人?
これらの国々が日本よりも幸せではないと誰が言い切れよう。まぁ、イタリアは財政的には危機と言われているが、日本も似たり寄ったりだ。庶民はおそらくサングラスして、きれいなねーちゃんのお尻触って楽しく暮らしてるよ。ニューヨークでそういうイタリア系のややこしいおっさんいっぱい見たもん。
だから、八六〇〇万人で、なにか文句ある? 文句言うヒマあるなら、おっさんも働けば? ただし時代に適したやり方で効率よくね。
考えてみたら、このあたりの「僕らがなんとなく憧れる国々のサイズ」って知らなかったですよね。知ってました?
国土の面積で見ても、これらの国と日本は「同じグループ」と考えていいかもしれない。アメリカ合衆国のような巨大な国のマネをしても無茶だし、チャイナと競っても仕方ない(というか、人権や自由を共有できない国家とはハナから付き合ってはいけない)。
アメリカの後追いばかりしてきた日本は、これから成熟した欧州社会に学ぶべきことが多いはずだ。
高齢化などで日本が滅びるわけではない。
日本が、人類が、滅びる時は、楽観も悲観も、幸せも不幸も、愛も希望も、明日も昨日も、満腹も空腹も、全く関係なく、容赦のない力によって全てを奪われるのだ。それが先の大震災から我々が知ったことではないか。
だったらいい方だけ見て、見事適応していこうじゃないか。
でも……、本当のこと言うと……、ここまで論じてきて大変申し上げにくいのですが……、僕は人類が滅びるなら人口減少どころか、人口増加で滅びると思っている。国連の予測によると、現在七〇億人の世界人口が、二一〇〇年には一〇〇億人。
イナバの物置は一〇〇人乗ってもダイジョウブ! でも、地球は一〇〇億人乗ったら大丈夫じゃないと思うぞ。ムリでしょ。その点については悲観的なのだ。
どないやねん。