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月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。2003年より書いていた月イチコラム「月刊ショータ http://monthly-shota.jp 」をhatenaに転載しました。そのため、一部お見苦しい点があることをご容赦ください。

「衝突を避ける。徹底的に(序章)」

column

年末になって、忘年会やら懇親会やらが何回かあり、いわゆるバフェ(バイキング)で食事することになった。 すると、必ず、大抵女性に「みんなのために、適当に何種類か料理を皿に持って、テーブルの真ん中に置いてくれる人」がいる。 それはちょいとありがた迷惑なんだよなー、と僕は思ってしまう。 バフェというのは、自分が好きな物を好きなように選んで食べられるからいいのであって、中央にある皿からみんなで遠慮し合って取り合ったらバフェの意味がないのだ。順番に並んで取りに行くわけで、先に食べ物にありついたことに対する罪悪感でもあるのだろうか。一体誰に気を遣っているのだろう。

  • 「ワタシがまだ食べ物を取ってきていないのに、先に食べるとは何事だー!」とか言う不遜なおっさんはここにはいないからさ、バフェは自分の食べたい物だけ選んで食べようよ。

そうしないと、日本人は得意の「一個残し」をするではないか。この前、アメリカ人たちとメシを食べる機会があったのだが、やつらは一個残すことはしないでさっさと気持ちよく料理を平らげていった。なんでもアメリカ式がいいとは思わないし(他のことについては、むしろ嫌いだ)、イタリアに遊びに行った先輩から聞いた話によると、彼らは食べ物をシェアすらしないらしく、一人ひとりの目の前にピザ一枚がボン! と用意されてそれぞれが食べるらしい。みんなでシェアしたら色んな味を楽しめるのに。

しかし、まぁ、一個残しに関しては、それが食べたいものであれば、僕は食べてしまうことにしている。一応「これ、食べるで」とは断りますが、「これ、た……」くらいのタイミングですでに箸でブっ刺している可能性が高い。だって、ずっと皿に残ってて冷めてしまったりカピカピになってしまったらもったいないし、そうなってから食べる気はしませんからね。しかも誰かが「遠慮の塊」だなんてソソラナイ命名をしてからはなおさらだ。 仲間と食べる時は、僕は最初に「一個残しナシね」と宣言させてもらうのだが、これがパーティとか懇親会になると、さすがにいきなりそう言うわけにもいかない。

目の前に弁当が並んでいても、誰も食べ始めなかったりすることがある。いや、正確に言うと、誰かが食べ始めるのを待って、なんとなく手持ち無沙汰な空気が流れ、本当はこの場で一番エライ人が食べ始めるとみんな一斉にフタを開け出すんだけど、その人がどこか行ってたり、立ち話してたりして、なんか「……」てなるのだ。

そういう時、僕は道化となって食べ始めるのである。自ら道化となって、だ。 わかっていながら、バカのふりして、食べるのである。こういう人間がいるとみんな食べ始めやすいので、「他者を慮って」そうするのだ。すると、案の定、他の人の多くは追従してくるものである。もしかしたら「あいつは礼儀知らずだ」と思われているかもしれないのだけど構わない。 なんの衝突を避けようとしているのですか? 「オレより先に喰うな!」なんて言う人が今ドキいるんですか。 そんな小さい人は、エライ人ではありませんから。そういう人には「だったら真っ先に来ておいてくださいよ」と言ってやればいいのです。下の人を思いやるのがエライ人です。

  • ボラット」という爆笑ドキュメンタリー映画の中でこういうシーンが出てくる。カザフスタン(という未開の国という設定)からアメリカにやって来たボラットという下品な男が、ニューヨークで道行く人たちにやたらと話しかける。

確か、「ハーイ、ボラットといいます。ホモです」みたいなことを言いながら見知らぬ人に握手を求めたりする。大概の人は無視するか逃げるのだが、しつこく付きまとうと、中には怒って追いかけ回してくる人もいる。

僕はこれを見て、やっぱりアメリカ人というのは攻撃的というか、嫌なものに対して態度をハッキリ示すし、衝突を恐れないのだなぁと改めて感じたものである。 そして、同時に「あぁ、日本人はこうは反応しないだろうなぁ」と思った。無視する、逃げる、までが標準的な反応で、日本人の中にも罵声くらい浴びせてくる人もいるかもしれない。だけど、なかなか拳を振り上げて追いかけてくる人には出会えないのではないだろうか。仮にもビジネス街でだ。

日本人は衝突を避けようとする。それも、かなり徹底的に。やり過ぎるから、僕はたまに違和感を感じてしまうのだが、それはもちろんある面、美徳である。「和」を重んじてこれまで歴史を生き抜いてきたのだから、これが日本人のやり方なのである。

日本人ほど、衝突を避け、平和を好む民族はいないだろう。世界中の人々が日本人だけになれば、地球上から戦争などなくなるだろう。だから世界平和のために、日本人以外の他民族は虐殺しまくってもいいくらいだ。おいっ。

余勢を駆って、次回は憲法九条について考えてみることにしよう。