月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「アイ・ワズ・ア・カウボーイ」

この、理由のなき自然への憧憬はなんなのだろう、と時折思う。 僕は山とか草原とか湖を見るのがやたらと好きなのだ。だから、トレッキングしたり、モーターサイクルという鉄馬に乗ったりするのだ。加えて、僕が十代の頃より飽きもせずに聴き続けているカントリーミュージック。体を使う作業への抵抗のなさ。革ジャンやジーンズやブーツなど実用的で丈夫なモノへの愛着。

これら、僕の趣味を改めて思ってみて、僕が導き出した答えはこうだ。

  • 「僕は、前世でカウボーイだったのだ」

そうに違いない。全ての符号がそれを示している。そうでなければ説明できないのだ、この執着を、この徹底ぶりを。

これをうちの主人(=妻)に話してみた。

  • 「あんたはただのカウや。ジューッて焼き印押されてた方や」
  • ……だそうです。

とにかく、カウボーイであったとしてもなかったとしても、僕は長持ちする素材で作られた服やカバンや靴を使うのが好きである。

この季節になると雑誌が革ジャン特集をやっていて本屋で思わず手に取ってしまう。しかし、すぐに閉じて棚に戻すこともしばしばだ。 なぜなら、たとえば「ライダース」のページを見ても、本当にライダーが着られる革ジャンが一着も紹介されていなかったりするからだ。「ライダースジャケット特有のゴワつき感を軽減して、しなやかに仕上げた」なんてモノではダメなのだ。そういう雑誌に限って、栄養失調みたいな白人のモデルがライダースをピタピタに着て、袖もツンツルテンだったりする。しかもそれで十二万円とか平気でしやがる。僕には全然ダメだ。

なぜ革ジャンがゴワつくのか。それだけ分厚くて丈夫な皮革を使用して、防寒性や万が一の転倒の際の防護性を高めているからだ。 なぜ袖が長いのか。腕を伸ばしてモーターサイクルのハンドルを握っても足りるようにだ。 その他、風にバタつかないようにタイトにカットしてあり、風の侵入を防ぐため袖にまで絞りのジッパーがあるわけだし、手袋したままでジッパーを開閉できるようにプル部分が大きかったり、ボールチェーンが付いていたりするのだ。 ひとつひとつに意味と機能があって出来ている。これが道具というものではなかろうか。

だから、柔らかい革で軽く、なんてのは「ライダースタイプ」ではあっても、「ライダース」とは呼んではいけないのである。頑固ジジイみたいなことは言いたかぁないが、だってそうなのだ。

ツイードも同様だ。ツイードというのは、スコットランドの太い羊毛で手織りされた織物のこと。ハリスツイードというブランドが有名だ。これで作られたジャケットを着ると暖かく、日本の東京や大阪くらいではコートは必要ない。元々は荒涼とした土地で地元の漁民や農夫のための日常着、作業着であったのだが、防寒性や丈夫さが認められていき、それが後に特権階級の人間たちのフィッシングやハンティングで着用されるようになった。 今で言う、アウトドアウェアだったわけである。暖かいわけだ。

だから、シワにならず、型くずれしにくく、破れにくく、その上街中においては、落ち着きのある紳士的な雰囲気を醸してくれる。脂を含んだ羊毛の重さが心地よく肩に乗り、ザックリとした毛織物の感触が温かい安心感を与えてくれる。冬の日常のビジネス着にこれほどいいものはないと、僕は思っているくらいだ(誰も彼もがダークスーツを着ているのは異常だ)。

だけど、日本のデパートやショップでツイードジャケットを発見しても、やたらと薄くて軽くて頼りなくて、そのくせ値段は結構するので「こりゃどうなん?」という気持ちになる。 厚くて粗いからこそ、ツイードの丈夫さや暖かさという機能を果たせるのであって、軽く(つまり寒く)なんかしなくていいのだ。前述の通り、元来は作業着であるツイードに、機能をそっちのけにして繊細さや軽さを求めるのは間違いなのである。

「オイルドコットンなのに軽い」とか「牛肉なのに柔らかい」とか「スポーツドリンクなのにカロリーオフ」とか、そういうのは求めてはいけないのだ。 口の中で溶けるように感じるのは牛肉ではない、単に「脂肪」だ。肉ではなく脂肪をありがたがって食べているだけではないか。それを「いい肉」などと呼んでいいのか。

激しいスポーツをしている時は、水分補給とともに、エネルギーとなる糖分(カロリー)が必要であろう。それをなぜカロリーオフにしてしまうのか。スポーツをしたことのない人が作っているとしか僕には思えない。

甘いのにカロリーがない、なんてものは自然の摂理に反しているので、おそらくどっかで歪みが生じる。つまり体に悪い。科学は未だに証明できずにいるが、常識としてそうとしか考えられない。

しかし、ここまで嗜好系の食品に隈無く入り込まれてしまうと、逃れようがない。微糖缶コーヒー、ガム、ミントタブレットなどには必ず入っている。

ちょっと話題が逸れるが、糖分を含め炭水化物は一グラムあたり四キロカロリー、タンパク質も四キロカロリー。それに対して脂肪は九キロカロリー。アルコールは七キロカロリーだ。 確かに日本の食事は炭水化物に偏りがちだ。しかし、ある程度健康な日本人は糖分なんかそんなに神経質に減らさなくてもいいのだ。カロリーを減らしたければ脂肪をカットするのが最も早い。それをちゃんとわかっているのか。糖分なんかカロリーも少ないし、真っ先に燃えてしまうものだ。 だから、動いたらいいのだ。重い革ジャンを着て、歩いたら済むのだ。角砂糖ひとつが十二キロカロリーとして、五分も歩いたら消えてなくなる程度のものだ。

なんでもかんでも軽く、小さく、薄く、簡単にすればいいというものではないのだ。軽佻浮薄という言葉もある。 日本人は特にこういう改悪をしがちである。

重くて堅い革ジャンやブーツを使い続けて馴らしていくこと、オイルでメンテナンスしながら持ち続けること、ガチガチのキャンバス地のカバンがクタクタになっても使うこと、ツイードのジャケットにブラシをかけながら何十年も着続けること。それらは、流行というものに左右されないから可能なのであり、そして、自分の身体や生活の扱い方にも似ているものがあると僕は考えている。 そういったちょっと面倒なメンテ作業の繰り返しで、生活や心身の健康や人間関係が正常に保たれるのだと思うのだ。

だから、ちょっと偏見なのは承知で、「○○なのに××」というものは、大概ニセモノだと僕は考えている。世の中のモノを見回してもらいたい。

だってさ、「痩せているのに巨乳」だって、ほとんどがニセモノだろう?