月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「僕が見ちゃった日本(四国後篇)」

この日の予定は、蝶々みたいな形をした四国の右の羽根の下隅、高知県室戸岬から西へ向かって走り左の羽根の付け根あたりへ。四万十川に着いたら北へ上り、カルスト高原を走る。そして、山をいくつか越えて愛媛県東予の港まで。
僕はビビりなので事前にキッチリ計画するタイプなのだが、グーグルマップで調べてみたら、およそ三五〇キロの走行距離になる。大体、東京から名古屋くらいの距離ということだ。自動車で高速道路を走ると考えれば、そないビビるほどの距離ではない。まぁ、四、五時間というところだろう。
しかし、バイクで川沿いを走り、山道を抜け、田舎道を往くとなると時間がとても読みづらくなる。疲労もかなりになると予想される。前回書いたように、神経を集中して車体を操り、体に風を受け続けるというのは、とてもしんどいものなのだ。
だから、この日はとことん走る覚悟で、朝七時に室戸のライダーズインを出発。他の部屋のライダーたちも、既に走り去った後だったり荷造りをしている最中だったりだ。いきなり旅の相棒である大谷さん(仮名)が、出口を左に曲がっていった。いやいや、右ですよー。昨晩こっちから来たじゃん。
まずは土佐湾を左手に望みながら国道五十五号を高知市方面に向かっていく。朝の光に照らされたひと気のない漁港や古い民家のそばを走る。ひんやりとした空気が首元を抜けていく。
昨今の龍馬ブームで四国は訪問者が多く、特に高知は一部で交通規制が行なわれるほどの込み具合になるとの情報は得ていたのだが、渋滞になるほどの混雑には出合わなかった。それでも、時間短縮のため、完全に高知市街地に入る前に、高知自動車道という高速道路に乗って一気に「蝶々の左の羽根」へ。
景色は再びのどかな田舎道になる。窪川という場所で四万十川にぶつかった。時間は昼過ぎ。ここまでは順調だ。しかし、のちに判明することなのだが、僕はこのあたりで運転免許証やガスステーションの会員カードなどが入ったカードケースを落としたようだ。後日窪川警察署から、入っていた名刺を頼りに勤務先に連絡があり、そこから僕へという恥ずかしいルートを辿って伝えられた。
僕はとにかく病気のように、落とし物や忘れ物やなくし物が多くて、これまでも同じ免許証を飛行機の棚の中に落として外国へ行ったり、テニス部の合宿に行くのにラケットを忘れたり、ホテルに携帯の充電器を置いたままにするのはもちろん、買ったものをその帰り道で電車の網棚に忘れたり、前科は数知れない。
先日など、家で「まな板」がなくなるという事件があった。あんなもん台所以外で使い道はないので、そこを重点的に捜索したが出てこない。これが「神隠し」というやつか、気持ち悪いなぁ、と思っていたら、数日後に食器洗い機から発見された。漂白しようと思って食洗機内の壁に立てかけて入れたところ、白と白が一体化してわからなくなっていたのだ。何度も見たのになぁ。
窪川署のご担当者様、お手数かけました。
なお、四万十川のあたりは四万十町という地名になるが、これは窪川町と大正町、十和村の二町一村が二〇〇六年に合併して誕生した新しい町だそうだ。
川沿いの国道三八一号を快走しながら、ふと前にも通ったことがあるような気がしてくる。もちろん錯覚だ。でも、過去に走った福井だとか鳥取だとか岡山だとかの風景の記憶が甦る。麗しきニッポンの自然と、馨しきニッポンの風の匂いだ。
大阪の喧騒からかなり遠くまで来たことを実感していると、腹も減ってきた。
真新しい道の駅で昼食にしよう。地元、四万十町の子供たちが太鼓を披露したり、婦人会かなにかか、おばさま方がタープの下で食べ物を売っている。
僕らのようなライダーや観光客でよく賑わっている。つくづく「四万十町」という改名と合併がもたらした経済効果について思った。貴重な観光資源である四万十川だが、それは当然ここ以外にもいくつもの町や村を通っているはずだ。しかし、ここの二町一村が、自らを「四万十町」と名乗ることによって、川を我がものと見せることができる。四万十川を見たい観光客は、とりあえず四万十町を目指してやって来ることだろう。僕らがそうしたように。
「いやー、こういう合併は意味があるのではないかなー」と感慨深い気持ちでカレーとけんちん汁を食べていた。
ところが、すぐ近くに「四万十市」もあるらしい。二〇〇五年に中村市と西土佐村が合併してできた市だという。うーん、大阪府大阪市のように仲悪そうな感じが……。「四万十」という財産は取り合いである。うまくやっていることを祈ります。
さてここからは、四万十川沿いに進路を北にとり、本格的な山道に入っていくことになる。緑が生い茂った山々に囲まれた川面は、上流に行けば行くほど深みのあるブルーを呈した。源泉にはツムラがあるのではないかと思うほどのバスクリン的エメラルドブルー。川というより湖のような静けさが漂っている。
じーっと見とれてしまいそうな景色なのに、道は険しさを増し、集中しないと本当に危ない。もはやクルマ同士ならすれ違えないような、幅三メートルもない狭い山道だ。そんなところを走っていると、きついカーブの向こうから突然自動車やバイクが飛び出してきたりする。タイミングが悪ければ本当にヤバいことになるだろう。
なのに、前を行く大谷さんのバイクはスイスイとカーブをクリアし、すぐに僕の視界から消えていってしまう。僕は慎重に三速と二速にギアチェンジを繰り返し、車体を傾ける角度やブレーキをかけるタイミングを見計らって走った。大型のネイキッドやスーパースポーツタイプの一団が後ろからやって来るので、クルーザーの僕は道を空ける。彼らは手で挨拶を送るとエンジンを吹き上げ、一瞬で消え去っていった。
僕が乗るクルーザーというタイプは車体が長くて重くて、体が起きている状態で乗るから、元々カーブは苦手なバイクだ。またの名をアメリカンというだけあって、アメリカのような広い直線をゆったりと走るようにできているのだ。
僕は次にバイクに乗るならネイキッドにしようかなと考えていたのだが、狭い山道をあんなふうに速く走れてしまうのは実際怖いなー、と考えを改めた。ゆっくりでいいや。
バイクの運転は、自分が上手だと思った瞬間から危険が始まると思っている。それにしても僕は、運転がうまくならないんだけど。下津井めがね橋のあたりで大谷さんが待っていてくれた。
途中、山道の合間に忽然と現れるパン屋さん「シェ・ムワ」で休憩。甘いものが疲れた体と脳にたまらない。
やっとましな国道に出て、東津野城川林道というスカイラインを北へと上る。カーブを何度も何度も描いて高度を上げていくと、四国カルストという高原に到着。カルスト学習館という建物があるが、その時点で三時となり、少々焦っていた僕は、カルストについて学習することもなく、案内のおねえさんが美人だったので見とれて、オシッコ休憩だけして、高原の先へと進んでいった。
だから今ウィキペディアで調べると、カルストというのは「石灰岩などの水に溶解しやすい岩石で構成された大地が雨水、地表水、土壌水、地下水などによって侵食(主として溶食)されてできた地形」のことだという。高原の稜線を削って敷いたような細い小道をバイクで走ると、右も左も斜面になっていて若い緑の芝生に覆われている。石灰石の固まりがそこここに点在している。
周りを午後の空気に霞む山並みに囲まれた天空の世界だ。
標高は約一四〇〇m。今朝、海辺からスタートしたことを考えるとよく登ってきたものだ。近くに感じる太陽に目を細め、涼気を鼻腔に感じながら進むと、牛が草を食み、風車が数機その超然たる姿を現す。日本とは思えない、浮世離れした光景だ。
そこから四国の北側へ降りていくかたちで、とにかく日暮れまでに山を抜け、フェリーが出る十時までには東予港へ到着すべく、走りに走る。
何曲もの歌が自然と口から出てくる。
とめどなく湧いてくる歌をヘルメットの中だけで響かせる。風呂でもなんでも、人間気持ちいいと歌を歌ってしまうのだ。しかし、なんだか切なくもあり、だから哀しい歌も混じっている。
ちょうど陽が落ち切る前に山間部を抜け出て、東予港に着いた。予約していたフェリーの切符を確保して、夕食を摂りに出る。といっても大して何もない場所だ。見つけた食堂はまだ八時過ぎだというのに、「もうごはんがないかもしれません」という。つまり、帰ってほしいのだろうな。でも、他を探す元気もないので、それでも中へ通してもらう。麺類でもなんでもいいや。
すると、僕らが待つ間にも次々にお客がやってきて、「ごはんがないかも」とか「できるものしか出せませんが」という店の人のお断りにも屈することなく入店してくる。結果的には、ごはんはなんとかもったようだし、味も悪くなかった。競争相手も少ないから繁盛しているのだろうな。
フェリーに乗るのは、記憶のない幼少時代を除いて初めてのことであった。高速無料化で悲鳴を上げているフェリー会社を応援するため、明石海峡大橋での帰路の渋滞を回避するため、そして、楽して関西に戻るために、フェリーを選んだ。
舘ひろしがドンパチ始めそうな寂れた港である。夜の闇に浮かぶオレンジ色の灯りがなおさら寂寥感を強める。建物も設備も古くて、なにもかもに錆が浮いているような印象。
徐々に乗船客が集まってきた。既に寝る準備万端の、ジャージ姿のヤンキーカップルが多い。ピンクのダボダボスウェットを着たヤンキー娘と相応のその彼氏。この人たちがセックスすることなく大阪港に到着する気があるようにはどうも思えない。あ、もうしてきたのかな。まぁ、いいけど。
バイクでフラップを渡り船内に入るのはワクワクする。未知の世界を旅してると実感するし、ちょっとガンダムな気分だ。フェリーは思ったよりも豪華客船で、設備はやや古めかしいが文句はない。二段ベッドが四セットある部屋に泊まったが、狭ささえ我慢すれば揺れもないし快適そのものだ。
大谷さんと物珍しい船内や甲板をあちこち見て歩いた。微かな振動だけを足下に伝えつつ、静かに船は陸地を遠ざかっていった。
もうすることもないので、とにかく風呂に入って、眠りたい。出発は夜十時半頃で、大阪港到着は朝の六時だ。あまり時間はない。風呂に入ってバリバリに張った背中の筋肉をほぐす。ハンドルに腕を伸ばしたままの姿勢でいるから背筋が疲れるのだ。風呂場には丸窓が付いていて乗船気分を演出してくれる。ただし今は真っ暗で何も見えない。
大谷さんはテンション上がってしまったようで、「朝も風呂入ろうかなー」などと言っている。風呂を出た後も、僕はベッドに直行するつもりだったが、彼はまだ船内を探検するという。元気やなぁー。
僕は一瞬で眠りに落ち、一瞬で朝を迎えた。船内のレストランで朝食をたらふく食べ、適当な時間に下船。着いてからしばらくはゆっくり船内に残っていてもいいのだ。
大谷さん、いい旅でしたねー。おつかれさまでした。さて家路に着こうかというところで、港から道路への出方がわからなくて、コンテナの並ぶ狭い通路に迷い込んで、二人ははぐれてしまい、そのまま現地解散というなんともフェイドアウトな終わり方をした四国バイクの旅であった。
まだまだ日本にも見るべきところ、走るべき道は多いですよ。フェリーという、メシ風呂付きで移動までできるという便利なものに味を占めたからか、次は九州の方から、僕を呼ぶ声が聞こえる。そんな気がする。
(了)