月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「僕が見ちゃった日本(四国前篇)」

ゴールデンウィークを目の前にして、僕は「四国バイクの旅」には兄の革ジャンを着て行くべきか、弟の革ジャンを着るべきか迷っていた。
冬が終わり春が訪れた頃になって、無性に革ジャンがほしくなってしまった。それも純粋にモーターサイクルに乗るためだけの、本格的なハードなやつが。思えば、長い出張に出ていた間に飽きずに読んでいた雑誌が革ジャン特集をしていたからかもしれない。しかし、ファッション誌に登場するような革ジャンは、柔らかさだとかしなやかさだとか軽さなんかが売りだったりして、しかもそういう革ジャンが「ライダース」を名乗っていたりすると腹立たしさすら覚えるんだな。
そこで僕はとある老舗国産メーカーのものに白羽の矢を立て、購入へと突き進んでいった。初めはガチガチに硬くて、ギチギチにきつくて、バシバシに色っぽい艶を放つ本物のライダースジャケット
この世はいつ核戦争が始まって、マッドマックス北斗の拳の世界になっちゃうかわからないから、男はいい革ジャンと頑丈なブーツは持っておくべきだよ。野盗に襲われたときにクロックスとか履いてたらそれだけで負けだからね。種モミ奪われちゃうからね(『北斗の拳 第一巻』ご参照)。
十万円を越える服なんて買ったことはないので、注文に行く時には緊張のためペットボトルの水を駅で買っていった。フルオーダーではないものの、ジッパーやボタンの種類を選べたり、僕は首が長いので詰め襟を五ミリ高くしてもらったり、裏地をオプションで綿入りに替えてもらったりして、完成まで二ヶ月かかるという。
その間に、頭の中が革ジャンだらけになって、思わず兄貴に、「古い革ジャンてどうしてる? いらないのがあったら僕に売ってくれ!」と、尋ねてしまった。そうしたら即答で「(永久に)貸してやる」というので、喜んでそうさせてもらった。
まぁ、おそらく多少中年太りが始まって着られなくなったのだろう。僕はシングルライダースを好むが、兄貴はハードコアパンクロッカーだからダブルを着ていた。兄は僕よりも背が高いため、普通はサイズが合わないはずなのだが、彼はパンクらしくかなりタイトに着ていたようだ。だから、ジャストサイズが好ましいバイク乗りの僕にも着られるのだった。
実は以前に弟からも革ジャンを譲り受けたことがあった。シングルで、臙脂色みたいな珍しいモノ。彼曰く、「筋トレばかりしてたら入らなくなった」ということだが、非常に眉唾である。革ジャンが着られなくなるくらいの筋肉の成長ってのは、並大抵ではない。バットがケンシロウになるくらい鍛えないとそうはなるまい(『北斗の拳』ご参照)。
でも、そういう余計な指摘は控えて、もらえるものなら黙ってもらっちゃおっと……。ありがたいことに兄弟が着られなくなった革ジャンが僕のところに集まってきている。
これも十年以上ジムに通って体型を維持しているご褒美と考えることにする。いや、維持に努めているという方が正確だ。体重は今が人生で一番重い。さっきもジムで体重計に乗って、あまりに驚いて、ポケットのモノを全て出したりした。
さて、四国にはやはり着慣れた弟の革ジャンで行くことにしよう。ツーリングには雨や風や虫がつきものだから、もらったばかりのものはなんだかもったいない気がする。
大阪から神戸を通り、明石海峡大橋を渡った淡路島を経て、徳島県へ。そして海沿いを南下して室戸岬へ。そこが一日目の目的地だ。すぐ近くにライダーズインという、バイク乗りのための簡易宿泊施設があるらしいので、そこに泊まる予定。 相棒は、僕のトレッキング仲間でもある大谷さん(仮名)。高野山ツーリングでは大雨で帰れなくなって宿坊(寺)に泊まったりしましたねぇ。
当日の朝、待ち合わせ場所の垂水PAまでは、神戸あたりが四十キロくらいの大渋滞。ゴールデンウィークだから仕方ないか。でも、バイクではなく車に乗っていたらと思うとゾッとする。明石海峡大橋以降は拍子抜けするくらい快走で、空が真っ青で、眼下の海では潮が泡立ちながら輝いていて、ヘルメットの中でニヤニヤが禁じ得ない。
バイク乗らない人に言うておくよ。
こんなに素晴らしいものはない。跨がる度、走る度にそう思う。自動車は(僕にとっては)移動手段でしかないから、音楽を聴いたり、(吸ってた頃は)タバコを吸ったり、お茶を飲んだりしないと退屈してしまう。だから、人は法律が改正されても相変わらず携帯をいじったり、通話したりしてしまう。
だけど、バイクは上記全てができなくて、しかも暑いし寒いし濡れる。なのに、運転すること自体が楽しくて楽しくて、着くことではなく、走ることを目的に旅ができるのだ。
極言すれば行き先はどこでもいいのだ。
その気持ちは何年乗っても変わらない。だからもし、お子さん(やダンナさん)がバイクに乗りたいと言い出したら、止めないであげてほしい。その代わり、僕個人からは以下の条件をアドバイスさせてもらいます。
  • ・自分のお金で、責任で乗る。
  • ・女の子と(男でも)タンデムすることは極力控える。
  • ・なるべく図体の大きいものに乗り、道路の真ん中を堂々と走る。
  • ・常に最悪を予測しながら走る。全神経を集中させてるから、走った後はクタクタが普通である。
全く冗談なしですが、本当のことです。危なくないとは言わない。僕のような世の中の何の役にも立っていない人間は、いつ死んでもいいと常々思っているのだが、それでも母親や妻がいてるので、「バイクの上で死ねたら本望」とは公言できないでいる。できることなら死ぬのは先延ばしにした方がよいだろう。
僕は七年間無事故だけど、間一髪な目には何度も遭ってます。だけど、それを押しても得られるものが大きいのだ。「普段見れない日本が見れるぜ」とだけ言っておきましょう。
で、僕が見ちゃった四国ですけど、自然が溌剌と生きていましたよ。
南阿波サンラインという海岸線を走る道では、カーブを繰り返す中に四カ所の展望台があって、こんもり茂った山と山の狭間に、ほんまに着物着た子供たちが亀をイジメていそうな入り江とか、彼方にけぶる水平線が望める。
室戸岬手前の二十数キロくらいは、ほぼ真っ直ぐな国道五十五号で、道路にはほとんど誰もいない。岬という「地の果て」を目指してひた走っていることが強く実感できる。大谷さんの背中を追いながら、気持ちいい直線と大きなカーブをゆったりと走っていく。
その日は波がなかったのか、沖にプカプカ浮かぶサーファーたちが、これまた異国に来たような錯覚を与えてくれる。ただ、その日は空気が肌寒く、革ジャンの袖口から冷たい風が入り困った。途中の温泉ホテルでお風呂に入らせてもらって、ほっこりしそうな自分にもう一度ムチ打って走り出すと、すぐ室戸岬に着いた。
あまりにあっけなかったので一度通り過ぎてしまって、Uターンで戻った。丸い小石が歩を進める度にガラガラ音を立てる海岸。空海が悟りを開いた地とのことだが、夕暮れの空が寂寥感を強調する。
寄って来た野良猫と戯れた。異常に人なつこいヤツだ。僕や大谷さんの膝の上に躊躇うことなく乗って、顔を擦り付けてくる。お前も寂しいのだな。
ライダーズインは岬から少し走った丘の上にある。ジグザグに坂を登って行くと、赤紫色の夕陽が陸地の全てをシルエットに変えて沈んでいくところだった。思わず路肩にバイクを止めて、二人でひとしきりシャッターを切った。
ちょうど陽が沈んだ頃にライダーズインに到着。これは、高知県が行なった「中山間ふるさと支援事業」というプロジェクトに基づいて、県内の市町村が五カ所に建設したものだという。デカいパイプをぶった切ったものの両端に、窓とドアを取り付けたような造り。そういう建物が十くらい連なっている。中には八帖くらいの部屋と、トイレ、洗面所、シャワーがある。ふとんも有料で使えるらしいが、僕らは持参した寝袋で寝ることにしていた。宿泊費が二人で泊まって、各人二五〇〇円程度。ワイルドだ。
走り疲れたおっさん二人が、丘を下りたところにあるスーパーで食べ物を仕入れ、大谷さんのバーナーで湯を沸かし、カップラーメンとかパックの刺身とか魚肉ソーセージとかを食べている。弱々しい電灯が一つしかない部屋に、これまた持参したランタンを焚いて……。
ちょっと人様にはお見せできない姿だ。でも、本人らは充実感に浸り、明日への期待感に満ちてとても機嫌がいい。寝袋に入るとすぐに眠りに落ちた。
明日は、高知県を西へ西へと走り、四万十川にぶつかったら川沿いに北上し、カルスト高原を見て、山を越え、瀬戸内海に面した愛媛県の東予港でフェリーに乗る予定。六時起床の七時出発だ。
いつか、僕の好きなことやものについて滔々と語る、読んでくれてる人たち全く無視の回を設けたろうと思っていたのだが、今回と次回はモーターサイクルについてです。
その他、浜田省吾The Birthdayカントリーミュージック(音楽ばっかりやな)、ブーツ、筋トレ、お尻などが待っています……。「キョーミねぇー!」という悲鳴が聞こえてきそうです。
次回もお付き合いください。
(つづく)