月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「酔ったふりの男と興味あるふりの女のとある一夜」

昼間降っていた雨は上がっていた。雨が作った水たまりが、街灯の明かりを反射している。男はかなり酔いが回っていたが、それでも新しい靴を気にして水たまりを避けて歩いた。
「もう一軒行こう」
男は女に言った。尋ねたのではなく、誘ったのでもなく、言った。それは、尋ねたり誘ったりすれば逡巡されるのがわかっているからだ。小芝居に付き合うのは面倒だ。
実はおろしたての革靴のせいで靴擦れが痛んでいた。手近なバーに入った。
六階建て雑居ビルの二階。狭い廊下の突き当たり。入ったことはないバー。バーと言っても、ジャズバー、ソウルバー、ゲイバー、SMバーなど色々ある。「会員制」と書かれた淡いブルーの扉からは、そのバーの種類をうかがうことはできなかった。もちろん男は会員ではないが、面倒な客を断るためだけの名ばかりの会員制バーなどいくらでもある。だから、入り口で身分証明を求められても男は訝しくは思わなかった。それほど酔っていたのかもしれない。
「はー……」
ちょび髭を生やして蝶ネクタイをしたマスターがやって来た。
「はじめて?」
多少吃音のあるマスターはカウンターの向うで人懐こい笑顔を見せた。曖昧に笑顔を返して男はジントニックを頼んだ。女はウィスキーをロックで。
「ハーパー」
銘柄を訊かれて女は答えた。
「ハー……ハーパーね」
マスターはどもりながら確認すると、背後に整然と並んだ酒瓶から背伸びして目当てのものを掴んだ。棚に飾られている男性器を模したピンク色のディルドーがブルンと揺れた。
二人の背後では先客の男二人と女一人がボックス席で戯れていた。薄暗い店内にはステレオから流れる古いR&Bの黒人ボーカルと、彼ら三人の笑い声が響いた。
カナダ帰りの女はツイッターを「トゥイラー」と、ユーチューブを「ユウテューブ」と発音した。男はツイッターがなにか知らなかった。
男は、再び靴擦れが気になってきたので、カウンターの下で靴を脱いだ。新幹線の中でするように、無意識のうちに両足とも脱いでいた。女と会うのは三回目。まだそういう関係には至っていなかった。「まだ」というのは、男には、いつかそうならないものだろうかという期待があったからだ。女は、そうなりそうになったら「友達」をことさら強調してうまく逃げるつもりだった。酒やメシをいつもごちそうになる「友達」などこの世にいるはずもないのに。
「Gスポットの由来って知ってる?」
酔ったふりをして男は突如会話の舵を切った。興味のあるふりをして女は微笑を浮かべた。
「知らない」
カウンターに肘をついて、その腕で髪の毛をいじった。上目遣いに男を見る。
  • 「Gスポットを発見したグレーフェンベルク博士の頭文字から取ったって話だよ」
  • 「名誉な話ね。って、そうなのかな?」
  • 「でも、もう一つ説がある」
  • 「どんな?」
  • 「そこを触ると女性がジーザスを意味する『GEE(ジー)、GEE』ってよがるから、ジースポットっていうらしい」
  • 「それは……、神様怒らないのかしら」
女は笑った。男は会話の主導権を得た気になり、それをさらに掌握にかかった。興が乗ったのか室温を暑く感じ、上着を脱いだ。
  • 「マスター、葉巻置いてる?」
  • 「はー……葉巻ですね。ありま、ありますよ」
マスターは「ハ」で始まる音が発音しにくいのか、やはりどもりながら、ケースから何種類かの葉巻を見せた。男は権力を誇示できそうな太い一本を選んだ。いかにも女が知識を持っていなさそうな葉巻の薀蓄を披露しようというのだ。
「ハー……ハサミでもいいですか? シガーカッター、どっ、どっか行っちゃったみたいで」
マスターが尋ねると、男は快諾した。
「鋭くカットしてくれればなんでも構わない」
視線を女に向ける。
「スパッと切ってもらえないと、葉くずが口に入るんだ」
女は物珍しげに葉巻を見つめた。
「ジッポライターで火を点けるとオイルのニオイが移るから、ガスライターの方が適してる」
と、男はポケットから百円ライターを取り出して、円を描きながら葉巻の先に点火した。ジッポーライターなど元々持ってはいない。口元で柔らかく煙を弄ぶと、エクトプラズムのように紫煙が漂った。男はそのサイズを確認するように指で葉巻を回しながら言った。
  • クリントン大統領は、これをモニカ・ルインスキーのアソコに××したって知ってた?」
  • 「え? クリントン?」
再び下ネタを差し向けてみた。「不適切な関係」の大統領と、のちの「不都合な真実」の副大統領の時代だ。女は当時はまだ中学生だったから、そんな話知るわけもなかった。
「君もしてみる?」
大げさにうまそうな表情で煙を吐いた。男はモニカとの行為をさして言ったつもりだったが、女は葉巻を体験してみることと受け取った。男の誘惑は不発に終わった。
「えー、じゃあ……、小さいやつを」
女はマスターを呼んだ。
「はーはい、はい、はー……葉巻ね」
マスターがケースを開けると、女は比較的小さくて、ツヤのある一本に手を伸ばした。……つもりだった。
「ギャー!!」
女の悲鳴がバーに響き渡り、男やマスターはもちろん、後ろの客たちも振り向いた。女が小さな葉巻だと思ったものは、体長七センチはあろうかという大きなゴキブリだった。
慌てて引っ込めた女の腕が、カウンターに並んだ酒瓶をなぎ倒す。倒れてきた瓶に驚いたマスターが後方に倒れて、棚の瓶たちが頭の上から降り注ぐ。ガラスの割れる大音響が空気を裂く。
男は火の点いた葉巻を取り落とし、それがカウンターを転がり、こぼれていたアルコール度数の高い酒に火が回った。火はあっという間にカウンターに積んであったスポーツ紙の束に移り、火柱が立つ。
「ああああぁぁ!」
マスターが叫ぶ。男はスツールから転げ落ちて冷たい床に腰を打ちつけた。
「あたたたぁ」
あっという間の出来事に女は立ち尽くしていた。棚のディルドーが熱でぐにゃりとしな垂れた。
やがて、煙を感知したスプリンクラーが水を撒き散らし始めた。バツン! という音がして、電気が飛んだ。スプリンクラーの放水が鎮火に成功すると、空間は暗闇に包まれた。その場の全員が悄然とその場から動けず、ずぶ濡れになるに任せていた。
「み、みなさん、だ、大丈夫ですか?」
散水が済むと、初めに口を開いたのはマスターだった。みんなが口々に大丈夫ですと答えた。人が動くたびに水が滴る音がした。
  • 「と、とりあえず、みなビチャビチャでしょうから脱いでください」
  • 「どこか干せる場所とか乾燥機とかあるかな」
男が訊いた。
  • 「う、裏に洗濯乾燥機がありますから、おーお時間さえあればなんとか。さぁ、みなさんぬー脱いで」
  • 「私も脱ぐわ。どうせ暗闇だし」
女が言った。
  • 「それにしても、マスターごめんなさい」
  • 「いー今はと、とりあえずいいから。はー……裸になって、さぁさぁ」
その場の全員が裸になった。男はすでに靴も上着も脱いでいたから、濡れた衣類を脱ぐのは容易だった。三人の客の一人がシャツを絞った。
「はー、はー……肌寒くなってきましたね」
マスターが言ったその時、大勢の足音が廊下を走ってきた。ドアが勢いよく開けられ、壁にぶつかった。
  • 「警察だ!」
  • 「警察だ!」
  • 「警察だ!」
  • 「全員動くなー!」
  • 「はい、そのままー!」
電灯が戻ると、バーの隅に裸の男女が身を寄せ合っていた。全裸のマスターが、鍛えられた肉体で制服を張らせた警官に両側から抱えられていた。その生白い姿は焼き鳥のネギのようだった。
  • 「はい、二十三時四〇分! 公然わいせつ罪の現行犯で逮捕する!」
  • 「ハー……!」マスターは目を見開いて喘いだ。
  • 「ハー……!」
体をよじり、脚をバタつかせる。何かを言おうと、助けを求めるように男たちを見る。
「ハー……!」
どもるマスターを警官が構わず連行して行く。姿が見えなくなる。
「ハー……、ハープニーング!!」
マスターの叫び声だけが廊下に共鳴して、しばらくは男の右の耳と左の耳の間をこだましていた。
(……プニーング、ニーング、ニーング、ニーング)
ハプニングバーの最大のハプニングは、警官隊が踏み込んでくることだろう。
ふと見ると、女のお尻にはホクロがあることを発見した。男は、ちょっと得した気分になって、すぐに現実に戻った。
(完)
フィクションです。あくまでフィクションです。
僕は個人的には、そういうバーも、マンションの一室で行われる「大人の集い」も、愛好家が勝手にやる分には構わないと思うのだが。「公然」わいせつ罪といっても、部屋の中なら公然ちゃうし。何が罪なのか全くわからない。未成年でもない大人が、性的な好奇心を満たすために集ってなにが悪いのか。
お金への欲望をギラつかせて投資セミナーとか参加しても罪にならないのに。
抑えきれない食欲を抱えて、ラーメン屋の前に行列作っても逮捕されないのに。
FXみたいなムチャな投資とか、翌日下痢するような激辛料理と同じジャンルのハードコアな行為でいいじゃないですか。
なにも文部科学省が推奨するこたぁないです。しかし、もしも少年たちが「大人になったら集会の自由は憲法第二十一条一項で認められているけど、『大人の集会』は認められていない」という矛盾を知ったら、将来に夢も希望も抱けませんよ。
いいんですか? そういう未来にしても。
明日も日本のどこかで校舎の窓ガラスが叩き割られていても、いいんですか?
後輩の神市(仮名)は、「ITの発展は、全てエロスのためですよ」と、まるで世界を牛耳るユダヤ人のような顔をして僕に言ったものだ。
まぁ、人が勝手にするのはとやかく言うつもりもないが、僕自身は非常に偏食なので、そんな好き嫌いのない野生的な方々の前では萎縮してしまってハムスターのようにプルプル震えることだろう。
ハー……ハムスター。
見てみたいが行けはしません。あくまで想像で書きましたので悪しからず。
以下、事件の一例をZAKZAKより(大阪多いなぁ〜):
(了)