月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「とうとう今月から家計簿付け始めました」

僕が乗っているカワサキのバルカンドリフターというモーターサイクルは、僕の所有しているモデルを最後に生産中止となった。カワサキでは、(二〇一〇年二月)現在いわゆるクルーザーとかアメリカンとか呼ばれるタイプのバイクが生産されていない。ここ何年かで次々に生産中止になっていったのだ。
理由は、そもそもクルーザーが最近は不人気であるということをはじめとして色々あるのだろうが、「環境基準に適合しなくなった」ということもあるらしい。排ガスを規制する法律が年々厳しくなり、それに対応できなくなった車種を廃止していっているのだ。
環境への危機意識が高まるにつれて、基準が厳格化されていくのは当然の流れだし、メーカーは必死にそれに適応すべく研究開発を続けていくのがあるべき姿だろう。
地球が本当に危機に瀕しているのかは、僕には判断する知識がないが、仮にそうだとするなら、地球は一秒たりとも待ってはくれないわけで、何よりも優先されるべき課題である。
何よりも。お金よりも、だ。
日本の自動車業界では「エコカー減税」と「エコカー補助金」が真っ盛りで、テレビCMではどの会社もそれを消費者の背中を押すものとして連呼している。
「エコのために、新しい資源と資材を使って作られた自動車を買いなさい」というのがそもそもおかしいとは思うのだが、それは一旦よしとしよう。自動車と住宅については、この国では国家ぐるみで買わせよう買わせようとするシステムが働いているのだから。
おかしいのは米国が、自国の自動車が日本の環境基準を満たさないからといって、日本を非難していることだ。
「米国議会で日本の補助金などの支援策が米国車を排除していると不満が高まった」(読売新聞朝刊二〇一〇年一月二十四日)
「不満が高まった」とは、いかにも新聞らしい表現だが、要するに日本に対して圧力をかけてきているのだろう。ドラマになった城山三郎の小説『官僚たちの夏』そのまんまの世界が今でも続いているのだ。
それに対し日本の経産省は条件緩和を実施する方向で、二月三日に新たな補助金対象輸入車四十三車種を発表した。米国勢としてはキャデラック、ハマーなど五ブランド八車種。大半が欧州車で、アウディアルファロメオBMWなど十ブランド三十五車種だという。
そして、米国通商代表部は文句タラタラである。生産国における公式燃費値の採用が今回は見送られたことで、目論見通りの車種拡充が達せられなかったからだ。
しかし、ふざけとる。ハマーのどこがエコカーなんじゃい!あんなバカデカファットアメリカンモンスタービークルエコカーなら、アフガニスタンを走ってる戦車だってエコカーだ。道頓堀でおじさんが押してるリヤカーだってエコカー補助金あげたれや。
ちなみにハマーブランドはチャイナ企業の四川騰中重工機械有限公司に売却されるそうだから、今後はビッグファットチャイニーズモンスタービークルになる。元祖デブの国から、今をときめく赤いデブの国に移るわけで、ちょうどいいだろう(※註)。
一方で、同年二月六日の読売新聞朝刊の記事によると、米国のカリフォルニア大学は二〇一二年から、学業成績だけだった入学選考基準を都合良く変更し、アジア系学生を締め出そうと動き出している。勉学を重視し勤勉なアジア人が人種比率の五割を超す学校も出てきて、おそらく白人であろう大学理事らの「不満が高まっている」のだろう。
環境だの、人種差別撤廃など、ヤツらには何の興味もないことが透けて見えるってもんだ。
環境基準というのは、環境をこれからも持続していくために設定しているわけで、今後厳しくなっていくことはあっても、環境が大きく改善でもされない限り、緩和されることはないはずだ。その骨子を金銭のために折るというのは、どういう傲慢かと思う。
アメリカの自動車に適合していただくために、基準の方を変更していくなんて、本末転倒の極みだ。ヨソ様の国の基準に自国の製品が合っていないのなら、それに合わせるのが礼儀だろう。それで売れるのなら、日本特別仕様車でもいいではないか。そういう努力はせずに圧力だけかけてくるとは、あの国は終わっとるな。アメ車が日本を席巻することなど、あと百年はなさそうだ。百年後に人類がいるならの話だが。
補助金の設定自体が、環境対策としてではなく、景気対策として、いや、自動車業界のためだけに作られたものであるから、足元がそもそもグラグラだ。
この時代、誰しも必死なのはわかる。環境すらも商売の道具にして、実のところ地球環境など顧みるつもりもなく、我田引水に終始するこの世界。
僕は地球が滅亡するのは、この「生き残り策」のためだと思う。自分だけ生き残ろう生き残ろうとすればするほど、皮肉にも人類は滅亡に向かう。
人間のバカさ加減が丸出しである。
資本主義は一度敗北したという事実はどうなったのだろう。先ほど「アメリカは終わった」と言ったが、実際にアメリカのやり方は一度終わったのだ。
国民皆保険すらも「社会主義的」だとして否定する人間が多いあの米国ですら、民間企業に公的資金を注ぎ込んで、一旦資本主義における自由競争の原則を放棄した。
なのに、どうしてか、結局新しい方法を模索する動きにはつながらず、いつの間にか従来通りのオレはオレだけはの経済狂奔が再開している。特に米国の見苦しさは度を越えていて、ブレーキ不具合問題に端を発したトヨタ叩きは目に余る。トヨタは特別好きではないが、「この際一気に叩き潰したろか」という敗れた暴君の復讐心が見え見えで嫌悪感を覚える。
ちなみに、僕は日本航空も特に好きではなく、今までは全日空に乗っていたが、最近はJALで飛んでいる。機内が空いてていいよ。自分の遅刻癖を棚に上げて言わせてもらうなら、運営がお役所的過ぎて、六回の搭乗中、二回乗り過ごしているのだけど。
今後も地球に住むつもりがあるなら生き残り策は「奪い合い」ではなく「分け合い」であることなど、頭では分かっているはずなのに誰も実行はできない。
いやいや、僕はキレイごとを言っているつもりはなくて、本当にこれからはどう増大するか、拡大するか、伸長するかではなくて、どう配分するかという段階に人間社会は来ていると思っている。競争ではなく、談合で生きていくしかないのだ。
でも、同時に絶対に人間はそれをしないことも知っている。なぜなら、みんなで分け合えるほど富はこの世にないからだ。不思議なことに世界はそういうふうに作られている。
ほんま、九百円のジーンズとか買うな! もっと言えば、履かねえなら買うな!
話題が飛躍したようだが、そうではない。一社(もしくは少数の大企業)が他を駆逐してしまうようなムーブメントに加担してはいけないと言いたいのだ。
本当に九百円のジーンズしか買えない人にはうれしいだろう。でも、九千円のジーンズを履くべき人や、中には三万九千円のジーンズを履く人もいて、世間には様々な選択が無限に広げられている。つまり日々の果実が分け合われているのだ。
僕は広告会社に勤めているのだが、会社は少しでも経費を削減するために飛行機ではなく新幹線で出張しろという。しかし、新幹線に偏重することにより、航空会社の業績が今以上に落ち込み、広告費がさらに削られて、広告会社の業績並びに我々の給与も落ち込む。そんな想像もできないのか。財布の紐を締めたつもりが、その紐はテメエの首に巻かれていたってことだ。
書店に並ぶ経済誌やマネー誌の見出しに「サラリーマンの年収が百万円単位で下がる!」「あなたの給料も!」などという不安を煽る言葉が飛び交っていて「ふーん」と思って見ていた。しかし、確認してみたところ、僕の収入はこの二年の間に、本当に百万円以上下がっていた。おぉ、まさに僕のことやんか! ほんまに起こってるやん。
僕は今月からマメに家計簿を付けることにし、それでも本当に欲しい物や必要な物は買っていく。たまには身の丈に合ったプチ贅沢もさせてもらう。
今まで無駄な物や不要な物を買わされることで経済が潤っていただけで、これはバブル、またはプチバブルだったわけだ。これからは正常に経済活動をして、普通に暮らしていければいいだけのこと。
この豊かな国の多くの人にとって、求められることはこういうことだ。なにもエコカー補助金もらってまで、ハマーなんか買わなくてもいいのである。
「次回はウ○コチ○コの話をする」と言いつつ、こんな鬱陶しい話を書いてしまった。再び謝罪。
本当に書く直前までは「乱交パーティはなぜ犯罪なのか」という疑問について書く気満々だったのに……。
(了)
※註:その後GMと中国の四川騰中重工とのハマーブランド売却交渉は打ち切られ、頓挫の結果ハマーブランドは消滅への道を辿るという。
P.S. 買い物について言うと、社長さんである友人と、日々買うてもうたモノを見せ合う共同ブログ「コテモタ!」というのをしています。なんで数ある商品の中からなぜそれを買ったのか、あーだこーだ言い合うブログです。ご興味あれば覗いてください。