読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。2003年より書いていた月イチコラム「月刊ショータ http://monthly-shota.jp 」をhatenaに転載しました。そのため、一部お見苦しい点があることをご容赦ください。

「元日に国を思う」

元旦に、ひとりで暮らす母親を連れて靖國神社に初詣参拝してきた。僕は三度目の靖國参拝であるが、母親は初めてであった。 正月早々、いつものようなウ○コチ○コの話に終始するのもナンなので、今回はこの、誤解に満ちた、英霊の社について少し語ろうと思う。 ご存知の通り、靖國神社というのは、戦争犯罪者と裁定された人々が祀られているということを理由に、日本国の元首が参拝をすることに対し、チャイナやコリアといった周辺国から抗議を受けるという、東京九段下の神社である。

爆風スランプの名曲「大きな玉ねぎの下で」の中に 九段下の駅をおりて 坂道を 人の流れ 追い越してゆけば 黄昏時 雲は赤く焼け落ちて 屋根の上に光る玉ねぎ という歌詞が出てくるが、東京メトロ九段下駅の出口を出て、なだらかな坂道を上がると、左手には日本武道館が見えてくる。そして、その屋根には本当に「玉ねぎ」が輝いているのだ。なぜか芸名に「くん」を付けたサンプラザ中野くん氏のことを思いつつ、歩いていく。

彼の芸名の元になっている中野サンプラザ(旧名は中野勤労青年会館)は、僕にとっても思い出深い場所で、コンサートスタッフのアルバイトでそこに通ったり、友達とボウリングしに行ったり、今でも帰京する際には、おかんの運転する車にサンプラザ前で拾ってもらったりする。 さて、靖國である。第一鳥居を潜って、拝殿までの長い石畳には、やきそばやらベビーカステラやら串焼きやらの出店が並んでいて、家族連れや夫婦連れの人々で賑わっている。昼前に到着したら思いの外混雑していなかったので、さっとお参りを済ませた。

僕は神社に参る時には個人的なお願いはしたことがない。この日も「この国をお見守りください」と英霊たちにお願いし、そんな大変な仕事を依頼したわりに賽銭が少なかったのではないかという疑念を振り払いつつ、神酒をすする。 では、ここで靖國神社の由緒について、公式ウェブサイトから抜粋してご紹介しておきます。

靖国神社は、明治二年(一八六九)六月二十九日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治十二年(一八七九)に「靖国神社」と改称されて今日に至っています。」 「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。」

だから靖國という名前には「国安かれ」、「平和な国家を建設する」という明治天皇の切なる願いが込められているのだ。

http://www.yasukuni.or.jp

幕末から明治維新の混乱というのは、後世に我々が教科書で読んだ歴史の一ページとしての出来事という以上の凄まじさがあったはずである。なにせ、文字通り世の中がひっくり返ったのである。そして、幕府側も討幕派もそれぞれが国を思って命を賭したわけである。そういう時代に起きた戊辰戦争に始まり、西南戦争日清戦争日露戦争満洲事変、支那事変、大東亜戦争と、日本国が今に至るまでのそれぞれの国難で喪われた命が靖國に祀られている。ということは、A級戦犯ばかりが取り上げられるが、そこには大東亜戦争の兵士たちと一緒に、坂本竜馬吉田松陰も英霊として祀られているのである。 英霊というのは、幕末の藩士藤田東湖が「正気の歌(せいきのうた)」の中で殉国者を英霊と詠んだということだ。

そして、ここで重要なことは、祀られた神霊には身分や勲功、男女に分け隔てがないという点だ。よって、今後、民主党が実施に向けて動くかもしれないように、A級戦犯以外を慰霊するための施設を新たに建立するなどという発想が、いかに恥ずかしいものかがわかるはずだ。 天皇の御心によって「身分や勲功の別なく」とされているものを、わざわざ「功罪」によって差別しようという浅ましさ。しかも、後述するが、その「罪」は勝者に一方的に押し付けられたものである。

加えて言えば、靖國神社は元は「招魂社」であり、そもそも鎮魂を目的に作られたものである。そこには政教分離の議論などは及ばない日本人に染み付いた宗教観が反映されている。 国家元首が靖國に参ることを認めないということは、先祖に手も合わせない、墓参りもしない、お盆休みも取らないということである。先祖が見守ってくれている、と考えることはもはや宗教すらも超越した、日本人のアイデンティティーの根幹に係わる概念だ。それを否定できる人というのは「私は日本人ではありません」と言っているに等しく、それならそれで「そんな人に、日本のことをとやかく言われる筋合いはない」のである。

今、我々が住むことのできている国というものが、先達の決断や犠牲の上にあり、そこに至るまでには過ちも未熟さもあったにせよ、それぞれの時代において国のためにギリギリの判断をしてきた結果であると、敬意を表すことはできないものだろうか。

大東亜戦争侵略戦争と呼ぶなら、欧米がアジア圏やアフリカ大陸で行ってきた植民地化の歴史は侵略以外の言葉で何と表現するのだろう。資源のほとんどを輸入に、それもアメリカからの輸入に頼っていた日本が、そのアメリカから輸出を止められた。アメリカは、到底飲めない条件(いわゆるハルノート参照)を突きつけてくる。石油の備蓄量は二年分。

さぁ、どうする。 二千年の歴史のある国の存在を諦めるか、戦うかしかない場合、どうすればよかったのか。 イラク戦争では開戦の口実とされた大量破壊兵器はとうとう出てこなかったが、それを「持っているだろう」「出せ」「調べさせろ」と詰め寄って、戦争まで持ち込んだ。 この窮鼠が猫を噛むまで追い詰めるやり口は、大東亜戦争においても同様であることが今更ながらよくわかる。 早い話が「自衛の戦争であった」、ということは、もはや日本の子供たちにも教科書で教えていいレベルの常識ではないだろうか。 あの植民地時代においては、アジア圏に日本が進出することも含めて自衛である。 何十年も未来に、経済を拡大させることを罪悪と考える時代が来ているかもしれない。その場合、今日の企業の努力は歴史の水泡に帰する。そんな時代が来るかもわからないのだ。それくらい、植民地拡大が当時の世界の潮流だったわけだ。 ちなみに簡単に語られるA級戦犯という言葉の「A」は等級を表すものではない。つまり、A級戦犯は、BC級戦犯よりも悪い、というものではない。

Aは、要するに「戦争を始めた罪」。 Bは、通例の戦争犯罪。一般人民や捕虜の殺害、虐待、財産の略奪など。 Cは、政治的、人種的、宗教的理由による迫害、殲滅を含む、人道に対する罪。 ということである。

級戦犯のみを日本酒のように分類して「なんかわからんが一番悪そうだから」と吊るし上げるのはおかしいのである。 追い詰められた末に、戦争という最終手段を選んだ人たちを、愚かと思うのは勝手だし、僕も正しいことをしたとは思わないが、後世の人間は何とでも言える。 それは、サッカーの試合を観て、「あそこでパスを出して、あそこでちゃんとシュートしていれば点が入っていた」という、当たり前のことを言うアホな観客に等しい。

Aの戦争を始めることと、Cの民間人の虐殺を行うことの、非道さをどのように比較して、なにをもってA級戦犯だけを分けろと言うのかがわからない。 戦争を始めることがそんなに悪いならブッシュはどうすればいいのだ。

そして、前提として、そのABC級は戦勝国による極東軍事裁判(東京裁判)での一方的な判決によって決められたことを見逃してはいけない。報復行為以外の何ものでもない。フセインだって、さっさと吊るし首にされたではないか。あのやり方に疑問を感じなかったか。 民間人の大量虐殺という意味では、原爆の投下が人類の歴史において最も重い罪であるはずだ。しかし、それは問われない。まぁ、以上のようなことは、本を読めばわかることで、僕の意見でもなんでもない。常識の確認として述べたまでだ。 日本が犯した最大の罪は、「戦争をした」ことではない。「戦争に負けた」ことなのだ。 靖國神社に併設された遊就館という英霊の資料館を訪れれば、いかにしてこの国が先人たちの「思い」によって成り立っているか、我々が奇跡のように今日生きている生が、犠牲となった人たちに与えていただいたものであることがよくわかる。 この国は、悲しみと呼ぶにはあまりに悲し過ぎる、胸の押し潰されるような人々の思いに導かれて今日に至っている。その重みを、せめて元日くらいは受け止めたい。

遊就館

特攻隊員が母親や婚約者に宛てた遺書なんかを読むと、涙を禁じえない。ある兵士は、婚約者に対して書いた手紙の中で、国に殉じるというやりたいことをさせてもらっていながら僭越ではあるが、と断った上で「見たいもの」として、書物と絵画に触れた後、その婚約者の名前を挙げている。「会いたい、無性に」という言葉に、僕はその先を読むことができなかった。 下を向いて読んでいると涙がこぼれてしまうから、上の方の展示ばかりを眺めた。 殉国者の写真が大量に陳列された最後のコーナーを歩けば、自分の友人や家族の顔に似た人が必ず見つかるだろう。僕らみたいな人たちがこの国を築いてきたのである。 「あとは頼んだ」と、英霊たちに背中を押されたような気がして下界に出てきた僕にできることは、悲しいかな、祈ることだけだ。 せめてこの国が、歴史の嵐の末に手元に得た憲法九条を堅持しながらも、毅然と生きていくことを望む。 僕は愛国者であるが、アメリカで大学教育を受けた者であり、(九条に関しては)護憲派である。非核三原則については、密約も明らかになってきていることだし、懐疑的である。 「戦争はしませんよ。二度としませんよ。だけど、日本を本気で怒らせたらヤバイことになりますよ。わかってますよね?」という態度でいいのではないだろうか。「いや、それでも戦争はしませんけどね」と。 の靖國神社内の遊就館と、広島平和記念資料館は日本人が必ず訪問するべき場所であると知ってほしい。

国よ。

国よ、安かれ。

(了)