月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「六〇〇マイルって言われてもわかんないよ(ミズーリ篇)」

僕も知らなかったのだが、カンザスシティというのはカンザス州にではなく、ミズーリ州に属している。シアトルを発って四日目のこの日、僕と後輩の神市(仮名)は、およそ二五〇マイル(四〇〇キロ)先のカンザスシティを目指す。
ここでひとつ訂正。昨晩泊まった町はSioux Cityというのだが、読み方のわからなかった僕は「シオウ・シティ」と表記した。しかし、改めて調べてみると「スー・シティ」というらしい。スーは、インディアンのスー族のスーだ。そういえば、地図を見ていると「インディアン居留地」と書かれた、色分けされたエリアをいくつか見つけた。僕らがこれまで通って来たワイオミング州サウスダコタ州の荒野は、確かに、遠くの方を馬に跨がったインディアンが土埃を舞い上げて駆け抜けて行きそうな、凛とした厳しさを感じさせる土地だった。
途中途中に現れる、工事のための車線規制に少々閉口しながらも黙々と運転する。並べられたオレンジ色のコーンに誘導されて行くと、対向車線の二車線を臨時の片側一車線道路にしている。だから、対向車とはすぐ間近をすれ違うことになる。そこでドデカいコンボイやタイヤを十六個も付けたような貨物車(sixteenwheelerという)とすれ違う時の恐怖。
どうしたって体がこわばるし、神経を遣う。
途中のレストエリアでフットボールを投げて運動をする。昨日も少し投げたからすでに肩が軽く筋肉痛だ。草むらに足を踏み入れてみると、何かが僕の足下を中心に放射状にブワッと飛んでいく。
バッタだ。何千匹、何万匹というバッタが草むらに隠れて、この夏を楽しんでいたのだ。僕らがボールを追って移動するその度に、ブワッ、ブワッとバッタたちが逃げ惑う。神市(仮名)がふざけて草むらを真っ直ぐに突っ切って走ると、まるでモーゼのようにバッタの波が割れる。珍しい光景だが、気持ちのいいものではない。ビョーンと跳ねる生き物は、どっちに来るかわからないからだろうか、なんだか気味が悪い。
カンザスシティは、「カンザス」という語感から田舎町をイメージしていたが、想像していたよりもずっと洗練された都会だった。前述の通り、カンザス州にはないのだが、僕にはカンザスという響きから連想できるものはオズの魔法使いくらいしかなかった。
カンザスシティでは一路、ネルソン・アトキンス美術館を目指す。ここは道中で唯一、神市が行きたがった場所だ。出発地のシアトルや、マリナーズ観戦、モンタナ州イエローストーン国立公園、ベアトゥースバイウェイ、マウント・ラシュモアなど、これまでに立ち寄ったポイントは全て僕の希望だった。これは僕が先輩風を吹かせて決めたわけではなく、単に僕の方がアメリカに関する知識があったから、神市は任せてくれたわけだ。
ただひとつ、ネルソン・アトキンス美術館だけは行きたいというから、僕たちはそこに寄れるコース取りと時間配分をした。
ガイドブックによると、ネルソン・アトキンス美術館は、地元紙の創設者であるウィリアム・R・ネルソン氏と、美術館建設のために自らの土地を提供したメアリー・M・アトキンス氏の力によって創設された。旧館には、ヨーロッパやアジアの絵画や彫刻が多数展示されていて高い評価を得ているとのこと。
しかし、神市のお目当ては、現代美術の展示や、イサムノグチ氏の彫刻作品が展示されてる新館の方だ。完成した二〇〇七年には、「アメリカで最も美しい建築物」として賞を受賞したという。
つまり、僕らはこの旅で「アメリカで最も美しい道」と「アメリカで最も美しい建築物」に触れるという稀有な経験をさせてもらったことになる。なんて贅沢な。
入館するなり神市は驚嘆しっぱなしで、「すげえ」「うわぁ、なんだこれは」「ここ、最高……」などと嘆息しながら、建物の隅々をカメラに収めて回っている。
建築に造詣は深くないし、ほとんど興味を持ったこともない僕は、そんな彼のあとに続いて歩いた。
以前に、僕が初めてスウェーデンに行く前に、そこを訪れたことのある神市が、大切な情報をそっと教えてくれるように、これだけは見ておくべきというところをオススメしてきたことがある。
  • スウェーデン行ったら、是非、うなじを見てきてください。金髪のうなじを……」
  • 「なんでやねん」
  • 「いやいや、是非、うなじだけは」
僕は全然うなじフェチでもないので、「うぶ毛が、もう……」などとハァハァ言いながら説明する彼の熱心さは全く共有することができなくて、逆に申し訳ない気持ちすらしたものだ。
「この階段!」などと感動している彼の後ろ姿を見て、あの時のことを思い出した。
とはいえ、僕も来てよかったと思うし、神市といなければこういう場所を訪れることもなかったはずなので、新しい経験をもたらしてくれたことにとても感謝している。
こういう立派な美術館が町に普通にあり、そこを普通の人たちが来館している。なんだか、アメリカを舐めちゃいけねえなぁ、と思わされた。刺青を入れたタンクトップのにいちゃんが、カノジョを連れて絵画の前に佇んでいる。
この広大な敷地を持つ美術館は、入館料がなんと無料なのである。しかし、アメリカのカッコいいところは、正確には無料ではなく、寄付で成り立っているところだ。日本人は文化・教養程度が劣化し続けているから、タダとなればなんぼでも居座ったり、もらえるもんなら何でももらっていったりという人間が増えている(まぁ、おそらくアメリカもそうだが)。
入館無料の美術館にも、警備員がいて、受付がいて、清掃員がいて、庭師がいて、もちろん企画運営をするスタッフがいることくらいは想像力を働かせなくてはいけない。
出入り口のところに寄付金箱があり、まぁこれはあまりカッコよくはないが、「推奨する金額」までが書いてある。そこに推奨通りの金額の紙幣を入れて、美術館を後にする。
近くのカントリークラブ・プラザという、アメリカ最古のショッピングセンターを見物。姉妹都市であるスペインのセビーリャの町並みを模したという、レンガを基調とした落ち着いた建物の数々。この日は本当にスペインのように日差しが眩しく(行ったことはないが……)、空の青さにレンガの赤がよく映えていた。
いわゆるショッピングセンターというイメージではなく、ブランドショップの集まった地区といった感じ。停められている自動車も高級車が多いし、金持ちの証である日焼けしたマダムがショッピングバッグを下げて歩いていたりする。世界同時不況と言いつつも、それでも世界は回っている。お金は動いている。
そこでランチを済ませて、この日の目的地であるセントルイスに向けて出発。
神市は、よっぽどカンザスシティが気に入ったのか、車内でも上機嫌だった。曰く、
  • 「いい美術館がある町は、いい町に決まっている」
  • ミズーリ州の、ミ・ズー・リという英語っぽくない発音がそもそもオシャレだ」
わかるようなわからんような解説だが、本人が満足なのだからいいではないか。ちなみに、ブラッド・ピットミズーリ育ちだ。出生地こそオクラホマ州だが、すぐにミズーリ州に移り、ミズーリ大学を中退しているそうな。
ミズーリ州の西端にカンザスシティがあり、東端にセントルイスがある。またもや州のぶち抜き横断だ。考えてみれば、贅沢な州で、前者にはカンザスシティ・ロイヤルズというメジャーリーグ球団があり、後者にはセントルイス・カージナルスという球団がある。
セントルイスに近づくと、ゲートウェイアーチという建造物が見えてくる。ミシシッピ河畔に立つ、高さおよそ一九〇メートルのアーチ。セントルイスの街のシンボルだ。ひとまずハイウェイを降りて、そこを目指す。
都会の一般道はややこしくて何度も道を間違えつつ、なんとか到着。ゲートウェイアーチは中に入れる構造になっていて、上は展望台だ。入場料を払って、エレベーターで上がって行く。エレベーターといっても、アーチ型のタワーを上って行くので形状は特殊だ。
五人乗りの小さなカプセルのような車両がいくつか連なっていて、客はグループ分けされてそれぞれのカプセルに入る。ちょっとしたアトラクション気分を味わえる。
僕と神市は母親と娘二人の家族と乗り合わせた。アメリカらしいな、と思ったのは、母親がすぐに自己紹介してきたことだ。日本ではまずないだろうし、僕もしないだろう。上の娘を大学に送り届けた帰り道だとのこと。そうか、八月の後半なら学生が長い夏休みを終えて、キャンパスに戻る時節だ。僕らも、シアトルから車で旅している途中だと説明する。そうすると、シアトル出身のアジア人だと思われるので、「あ、元々は日本から来てるんだけど」と付け加える。外国訛りのアメリカ人など珍しくないので、言わないと外国人と分かってもらえないのもアメリカ的だ。
てっぺんに着くと、小さな窓がいくつかあって下を見下ろせるようになっている。アーチはミシシッピ河の河畔に立っているため、東側には静謐を湛えたミシシッピ河の川面が、西側には西陽を背に受けて霞むセントルイスダウンタウンが見渡せる。
それにしても、覗き窓は斜面となっている壁についているため、覗き込むためにはその壁にもたれなくてはいけない。これは結構怖い姿勢だ。
「アーチが今倒れたら、僕はミシシッピ河の向こう側に落ちるかな……」などと自分で想像して、縮み上がる。高所恐怖症の神市と、早々に退散。
宿はドゥルリー・プラザというアーチからすぐそばのホテルに決めた。巨体の黒人男性がロビーの係として立っていて、陽気に話しかけてくる。
「ヨォ、メーン、ワツァップ。ハウヨドゥーイン?」
ってな感じ。日本から来ていて、シアトルから車で旅していることを再び自己紹介。レストランの場所を聞いて、去り際に野球のグラブみたいなデッカイ手と握手。とても親切で、好感の持てる対応だった。澄まして慇懃を装うことだけがサービスではない。
往路の飛行機の中ではサービス精神の欠片もないキャビンアテンダントにイライラしたものだが、ここではアメリカ流のホスピタリティに触れて非常に気持ちが良かった。ホテル自体も合理的にできていて、快適そのもの。立体駐車場が隣りにあって、ホテル棟とのアクセスも問題なし。洗濯機が夜中でも使えて便利。ジムも開いていて、黒人のおにいさんがタオルを持って入ったいった(僕はそんな元気なし)。朝起きたら、領収書がドアの下から滑り込ませてあって、追加料金がない場合はそのままフロントに寄らずに立ち去ることができる。カードキーはそのまま部屋に残しておけばいい。部屋もこの旅で一番立派で、寛げるものだった。
皆様、セントルイスダウンタウンにお泊りの際は、ドゥルリー・プラザ・ホテルへどうぞ。
旅も中盤を迎え、そろそろ日本食が恋しくなっていた。でも、僕は外国に来て日本食を食べるのは好きではない。よくうちのおかんを含め、おばちゃんが煎餅とかインスタントの味噌汁を持参して海外に出かけたりするが、あれは美的感覚が許さない。外国に行ったら、文句を言わずにその国のものを食べるのが信条である。
しかし、日本を発って六日目。実は、麺類に飢えていた。アメリカでは、基本的にフーフーしないと口にできないような料理はないと考えていい。
ここはひとつ、中華だ。そう思って、先ほど黒人の彼に場所を聞いていた。
ところが、行ってみると閉店時間になってしまって、ちょうど店員が閉店準備を始めるところだった。仕方なく、数ブロック離れたところにあるイタリアンのレストランバーに入る。ここが思いの外よかった。
「地元のビールを」と頼むと、バドワイザーだった。バドは、セントルイスに本社があるのだ。これは飲まなくては。
それがアメリカの方法なのか、ほとんど泡を入れずに、グラス一杯まで黄金色のバドワイザーが注がれてたゆたっている。唇をもっていって喉へ流し込むと、歓んでいるのは喉ではない。胃でもない。脳だ。アイスコールドの刺激に顔を歪める。呻き声が漏れる。
それは、記憶に残るビールだった。
パスタもピザもおいしかった。大きさをよくわからずに注文したピザは、マンホールのように感じられた。それでも、二人で平らげた。フーフーしながら。
翌日はいよいよ、親友のロブの待つケンタッキーへ。
(つづく)