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月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。2003年より書いていた月イチコラム「月刊ショータ http://monthly-shota.jp 」をhatenaに転載しました。そのため、一部お見苦しい点があることをご容赦ください。

「六〇〇マイルって言われてもわかんないよ(NYC篇)」

シアトルを出発して五日目。ドライブのゴールである、ケンタッキー州ボウリング・グリーンを目指して、セントルイスを朝七時過ぎに後にする。
インターステイト六十四号を東へ進み、イリノイ州の南部を横切り、インディアナ州エバンズビルを抜けて、ケンタッキー州へ。そして、ウィリアム・ナッチャー・パークウェイを約六〇マイル走るとボウリング・グリーンに着く。
  • 【ケンタッキー】
昼過ぎには、懐かしい大学のキャンパスが見えて来た。この日の走行距離は三四一マイル。それまでの日々に比べればなんてこともない。それでも、キロに直してみれば五四五キロだから、東京大阪間くらいの距離は行っていることになる。恐ろしいもので、それくらいは文字通り「昼飯前」に走破してしまったわけだ。
ボウリング・グリーンは、僕が大学を出た町で、人口およそ五万四千人の小さな町だ。いや、ケンタッキーの中では、中ぐらいの町だと思う。
アメリカでは小さな町を「one horse town」と言う表現がある。「馬が一頭しかいない町」という意味だ。現代なら「ワン・マクドナルド・タウン」とでも呼びたくなるような本当に小さな町は他にいくらでも見てきた。
ボウリング・グリーンには大学があり、そこにはフルタイム、パートタイム、大学院生を含めて約二万人弱の生徒がいる。その内の何人がボウリング・グリーンの人口と重複するのかは不明だが、学期中には人口にプラス一、二万人の人々がそこで暮らしていると考えていい。
僕と旅の相棒である神市(仮名)がそこを訪れたのは八月の後半で、まだ夏休みの期間にあたる。ぼちぼち生徒が地元から戻ってくる頃ではあるが、大学のブックストア(教科書の他に、文房具や大学のグッズを売る店。日本では生協というのだろうか)は午後四時に閉まってしまうため、母校再訪の記念品を買いにまず向かった。
  • 全く、URLをご紹介するほどの大学ではないが、雰囲気を知りたい方のために:
  • http://www.wku.edu/
来る度にいつもTシャツなどを買うのだが、久々に訪れた母校のグッズの充実ぶりに驚いた。シャツ、スウェット、キャップなどのアメリカ人学生御用達のアパレルは言うまでもないが、ボール、タオル、ヘッドカバー、マークなどのゴルフ関連用品、自動車の窓に貼るステッカー、子供服、パソコン周辺グッズ、ピンズ、ネックストラップ、バックパック、グラスやマグ、大学キャラクターのぬいぐるみなどなど。思わずお土産も含めてあれこれと買い込んでしまった。
日本の学生が自分の大学のシャツを着る機会なんて、スポーツの応援か部屋着か冗談か、くらいのもんかもしれないが、アメリカでは皆誇らしげに着ている。その日もレジに並ぶかわいい女子学生がちゃんと大学のTシャツを着ていた。
地元のスポーツチームとか、町の名前の入ったシャツや帽子も、身に付ける人は多い。その延長上に国旗があり、愛国の精神がある。それなのに自分の勤める会社はどうなのだろう。少しでもいい条件を求めて転職が繰り返されるというけれど……。よくわからん。
親友のロブとは、いきつけのメキシカンレストランで待ち合わせ。買い物し過ぎてやや遅れて行くと、彼はすでに着いていた。
ロブ! 四年前に会った時はその太り方に驚いたのに、今回はハゲてるやないか! ハゲでデブでメガネになってるやないかー。
白人は年を取るのが早い。同い年なのだが、絶対僕の方が若く見える自信がある。のちに、そのことについて、今年の春に彼の妻となったアビーと話したが、アジア人は体が細いし、肌の肌理が細かいから年を取っても若く見えるそうなのだ。
ロブはケンタッキー出身ではないため南部訛りもないし、比較的きれいな英語をはっきりと話す。だから、神市(仮名)も、会話に困ることが少ない。話し方というのは、その人の教養レベルを如実に表す。日本でも昼間から立ち飲み屋で呑んでるおっさんが何言ってるのかよーわからんのと同じだ。
でも、外国人同士だと話は別だ。神市(仮名)がメキシコ人のウェイターに「コカコーラ」と注文すると、彼はわかったようなわからんような顔で奥に引っ込んでいった。
しばらくして、「ウォーター」を手に戻って来たウェイターを見て、ロブが大笑いしていた。
「次はただ『コーク』って注文するといいよ」とのこと。
「コーラ」と「ウォーター」。うーん、惜しいね。
ロブと一緒にいたおよそ丸一日の間に英語の俗語もいくつか教わった。日本の女性誌ではちょくちょく登場しているらしい「クーガー(日本ではクーガー女)」という表現も、僕はここで初めて知った。自動車の運転席以外の天井に付いているハンドルは「オー・シット・ハンドル」と言うとのこと。急カーブや衝突しそうな時に、「Oh, shit!」と叫びながら掴まるハンドルだからだ。以前に書いたかもしれないが、男性のお腹周辺に付く贅肉は「love handle」。女性が腕を廻してちょうど掴みやすいからだ。
「Oh, shit handle」と「love handle」の二つのハンドル。試験には出ないが覚えておこう。
メキシカンフードはおいしいのだが、夕方には元ルームメイトのブライアンも加わって夕食に行くから、僕はあえて全部食べないようにセーブしていた。アメリカのメシの量を甘く見てはいけない。神市にもその旨伝えてあったのだが、彼は結局出て来た食事は完食していた。
「米に飢えてました」とのこと。メキシコ料理に大抵付いてくるフライドライス(ピラフ)が止まらなかったようだ。
腹ごなしのために、公園に行って三人でフットボールを投げ合う。ロブが仕事で扱っている噛みタバコを噛んで、茶色いツバをビュッと吐きながら。噛みタバコというのは、佃煮みたいな色をした、タバコの葉を刻んでフレイバーがつけられたものを、口の中で丸めて歯茎と唇の裏の間に挟み込む。そして、モグモグしながら、出てくる汁を味わうのだ。そのジュースは体に安全ではないから、吐き出す。ニコチンは口内の粘膜から直接吸収される。煙はないからタールはない。とてもアメリカンな気分を味わえる。ただし、神市はアメリカンな気分はお口に合わなかったようで、「オェ〜!」と、タバコはすぐに吐き出していた。
新しくボウリング・グリーンにやってきたマイナーリーグの球場も見に行った。ボウリング・グリーン・ホットロッズという野球チームだ。
前述のように、ミズーリ州にはロイヤルズとカージナルスという二つの球団があるのに、ケンタッキーにはない。野球に限らず、バスケのもフットボールのもホッケーのプロチームすらもない。マイナーリーグとはいえ、やっと出来たチームを応援するために、僕はオフィシャルショップで帽子を買った。
マリナーズのセーフコフィールドを見た後では、マイナーリーグの球場などかわいいものなのだが、ここで地元の人々が健気に声援を送り、子供連れの家族が平和な週末を過ごす様子なんかを想像すると、チームが末永く愛されんことを祈らずにいられない。
映画自体はアイオワ州の話だが、「フィールド・オブ・ドリームス」が思い出される。
夜はブライアンも交えてクラッカーバレルという、南部のカントリーフードを出すチェーンレストランで夕食。当時は太っていたブライアンが、ロブとは対照的に痩せていて、危うく見過ごすところだった。食事の後はブライアンの家に行って、その日何針か縫うケガをして食事に来られなかった息子のマイカと、奥さんのジェニーと娘のオリビア、それから心配して駆け付けていたジェニーの両親にご挨拶。
僕はその日はすでに食べ過ぎで、あとはビール以外何も入らない状態だったのだが、ロブは自宅への帰り道に寄ったウォルマートでスニッカーズを買って食べていた。正直、三十代になって、普段の日にスニッカーズは食べられない。僕は、スニッカーズは登山に行く際に食糧として持って行くくらいだ……。遭難しても一日生きられるくらいのカロリーがあるだろう。
人間、理由もなく太らないということだ。
ロブはケンタッキー出身でもないので、いつこの地を離れてもいいはずだし、彼自身もそういうつもりだったろうが、なんとなくここに居着いている。家も奥さんと共同で購入していた。深夜までその家でビールを飲んで、短い再会の時間を惜しんだ。
翌朝は、車で一時間半南に下ったテネシー州ナッシュビルに向かう。国内線の飛行機に乗って最終地であるニューヨークシティに行くのだ。ロブが夫婦でわざわざ空港まで付き合って、見送りに来てくれた。僕はロブたちと小さなワーゲンゴルフに乗り、神市が一人で大きなトヨタハイランダーを運転。
空港で、ついにハイランダーはお役御免。総走行距離は、二七六八マイル(四四二八キロ)となった。ご苦労さまでした。
サウスダコタでの豪雨であまりに汚れたので、ボウリング・グリーンに到着した際に一度洗車していた。ロブは「レンタカーなのに」と不思議そうに眺めていたが、慰労と感謝を込めて、僕は洗わずにいられなかったのだ。借りたものはキレイにして返したい、日本人の美学じゃ。そういう細やかな心遣いはアメリカ人には分かるまい。
空港でゆっくり朝食を摂り、ビッグなロブ夫婦とビッグなハグを交わして別れた。一日だけだったが、それ以上に長い時間を一緒に過ごせたような気分だった。また会おう、マイ・ビッグ・アメリカン・ブラザー。
飛行機のゲートに行くと、整備不良だかで大幅に遅れるとのこと。だから、僕と神市はそばにあったシガーラウンジでのんびり葉巻でも燻らせて待つことにした。最近タバコは控えているのだが、葉巻は紙タバコとは別物だ。イライラな待ち時間を、ゆったり余裕のエクストラタイムに変えるアイテムだ。
二、三十分経っただろうか。出発していく便については放送が流れるからそれさえ聞いておけば大丈夫だ。一本吸って、なにげなく外に出て、ゲートをチェック。
ん? 誰もいない。なぜ?
係員に訊いてみると、飛行機は今出て行くところだと言う。ちょっと待てー! 何も放送されてなかったやんか!
僕は慌ててラウンジに戻り、寝ていた神市を叩き起こし、荷物を引っ掴んで走った。すでに、出入り口にコネクトされていた通路が切り離され、機体が動き出す寸前だったようだが、通路を再び戻して、半ば無理矢理乗せてもらった。日本ではあり得ない対応だろう。
  • 「シガーラウンジにいたんだ」と、女性係員に言うと、
  • 「それが間違いよ」と、にべもない。
これも日本ではあり得ない対応か。ちょっとカチンと来たので、「何の放送もなかったじゃないか」と食って掛かろうかと思ったが、そんな場合でもないのでグッと堪える。こうして、すんでのところで逃しかけたニューヨーク行きの飛行機に乗り込んだ。
  • 【ニューヨークシティ】
JFケネディー空港では、迎えに来てくれた弟とすぐに会うことができた。僕の弟については、〇六年六月号をご参照。アメリカ生活十四年。グチャグチャな人生を、なんとかサバイブしているタフな男だ。そんな弟が住むニューヨークシティという街も、とんでもなくグチャグチャだ。clutter(混沌)な街に、chaos(無秩序)な人々が、mayhem(混乱)な暮らしをしている。そんな単語ばかりが頭に浮かぶ。
信号が変わって始動が少しでも遅れた車は後続のクラクションを喰らう。歩行者も信号を無視して歩道を渡る。そこに車がブレーキもかけずに猛スピードで突っ込んでくる。タクシードライバーと思しきパキスタン人の男が、信号待ちの車にいる婦人を「事故起こしてぇのか、ビッチ!」と面罵している。きっと婦人が何かミスったのだろう。
地下鉄に乗れば、黒人のおばちゃんが大声でジーザスを称える演説をしている。やがて、手を叩きながらゴスペルを朗々と歌い出す。周りの人は迷惑そうに無視を決め込んでいるが、唄はなかなか見事なもので、あのリズム感はタダ者ではない。
九番街では、ゲイのカップルがキスをしている。
五番街では、UHA(United Homeless Association)とかいう団体のおっさんが寅さんのような口上で通行人から寄付を募っている。
  • 「さぁ、あなたのちょっとの寄付で世界が変わるんだ」
  • 「そこのあなた、変革を起こそうじゃないか」
でも、弟に言わせると、「インチキだからカネなんか出すな」。
道端ではアフリカ人が、一体ひとつでも売れるのか? というような偽物のバッグを売っている。お馴染みの「I Love NY」Tシャツもあちこちの路上で売られている。誰がどこでどれくらい作っとんねん。僕には、ニューヨークを愛することはできそうにない。それでも、訪問は六回目になる。奇妙な魅力というか、人を惹き付ける魔力があることは否定しない。
ニューヨークの初日の晩は弟とその彼女と四人で過ごした。クイーンズにある彼のアパートで三匹の猫と戯れた。半年ほど前に彼が拾ってきた仔猫ちゃんたちだ。口は悪いが心根はやさしい男である。
弟は現在、看板やサインや名刺などをデザインする会社で働いている。以前にしていた貿易会社の倉庫番から転職したくて、飛び込みで「俺を雇ってくれないか」と交渉したそうだ。イタリア系の経営者に「では、ちょっとやってみろ」と腕前を試された結果、即採用となった。彼は全米屈指のアート大学院にトップの成績で入学したくらいなので(後に中退)、そのあたりは腕に覚えがある。
しばらくは機嫌良く働いていたようだが、最近は独立を目論んでいる。曰く、「イタリア系はウソ、ウソ、ウソばっっっかだ」。イタリア系は血族を重んじるというが、シシリー出身の経営者も例外ではなく、親族ばかり優遇し、一日携帯をいじって遊んでるようなヤツが、親族というだけで待遇が弟よりも良かったりする。
しかも、社員のタイムカードをごまかして残業代を払わないくせに、自分はポルシェなどの高級車を何台も所有し、「次はマセラッティがほしいな」とか言っているとのこと。シシリーマフィアとの繋がりを仄めかしたりもするが、弟は「ありゃハッタリだな。きっと関係ないぜ」と信じていない……。
マンハッタンのダウンタウンには、リトルイタリーとチャイナタウンが隣り合って存在している。ウソばっかりのイタリア系と、ウソにかけてはUWF世界王者(註)に君臨している中国系がそこで蠢動しているわけだ。
  • 註:UWF=Usotsuki World Federation
僕と神市は、ニューヨーク二日目にそこを歩いた。中国人が大勢で様々な物を売り付けようと話しかけてくる。偽物のDVD、偽物の時計、偽物のあらゆる物……。なぜかこんな路上でミドリ亀まで売っている。唯一の本物か。
「そんな中国人には一銭も払ったらん!」と、昼食はイタリア街で摂ることにした。パスタとピザは、さすがの味だった。昼間からビールまで飲んで気分がいい。
あぁ、お金さえあれば、ずっと旅を続けていたい。
人生の楽しみ方について考える。
自由の女神がいるリバティー島へ渡るフェリーの上には、世界中からの観光客がいる。ちょい悪のイタリアおやじが、娘ほども年の離れたセクシーねーちゃんを連れている。有名な美術館、MOMA(The Museum Of Modern Art)でも、同じように若いねーちゃんといるちょい悪イタリア人を見かけた。ウソとハッタリで世俗と渡り合い、うまいメシと酒を喰らって、若いねーちゃんと遊ぶ(あ、僕としては、そない若くないのもアリです)。悔しいが、イタリア人は人生の楽しみ方を知っているようだ。
イタリア系に混じって働いてきたからか、弟は言う。
「世の中は、正直者がバカを見る仕組みになっている。だから、インチキをしてでもうまくやる方がいいに決まってる」
生き方について、兄貴面して説くつもりはないから、僕は黙って聞いていたのだが、僕自身はこう思う。
「色んな生き方や考え方があるが、結局人は、自分が心地いい道しか選べない。インチキしてもほしいものを得るのが心地いいならそうするし、正直に貧乏くじを引く方が自分の気持ちとしてマシに思えるならそうするのだろう」
だから、自分で自分を許せる方を選択して生きてほしい。
二日目の晩、つまり、旅の最後の晩は、四人で中華料理屋に行き、小龍包を食べた。手持ちの残金は少なかったが、あとは翌日帰国便に乗るだけだし、腹一杯食べた。
あ、結局、中国人にもカネを遣ってしまったじゃないか。
「では、元気で」
およそ三年ぶりに会った肉親と、握手をして地下鉄の駅で別れた。晩夏のマンハッタンは、湿気を帯びた空気が淀んでいて、これまで通過してきたどの街よりも蒸し暑かった。林立するビルと大量のゴミに紛れて、大勢の人間が何かを期待して忙しなく生きている。
無視し合って、罵り合って、横目で警戒し合って、そして、ビジネスして、買い物して、グラスを掲げて、セックスして……。
同じような匂いを放って淀む大阪で、僕もその一人として人生の続きを生きようか。さて、帰ろう。
既婚の男二人がいい旅をさせてもらった。それぞれの妻に感謝。旅行者に親切なアメリカに感謝。走りまくったトヨタハイランダーに感謝。相棒の神市に感謝。アカデミー賞獲ったかのように、みんなに感謝を。
(了)
長いシリーズにお付き合いいただきまして、ありがとうございました。三回くらいに分けるつもりが、書き始めたら止まらなくて結局五回になりました……。みなさんの人生にも、素敵な旅を。