月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。2003年より書いていた月イチコラム「月刊ショータ http://monthly-shota.jp 」をhatenaに転載しました。そのため、一部お見苦しい点があることをご容赦ください。

「いい国つくろうは数字ではない」

うちの妻の勤務先は、猥雑な大阪の中でも最も賑やかな界隈に接している。通りに車がしばらく停まっているから、妻が気にしていると、頭髪を「盛った」ギャルがビルから出て来た。車は女性を後部座席に乗せて走り去ったとのこと。
そして、会社から少し離れたいわゆるホテル街のそばでも同じ車を見かけたという。
妻曰く、
「デリヘルちゃうかな。ああいうの信じられへんわ。若いのになんでああいう職業を選ぶのか、全く理解できへん」
僕が賛意を示して言う。
「そうだな。目の前にかわいいコがいて、**してくれると云うのならやぶさかではないが、誰か分からんのに電話して呼ぶというのは、確かに理解できへんな、うん」
思ったままを答えたつもりだったのだが、どうやらポイントがズレていたようだ。完全に無視をされた。
**という「目的」が理解できない、と言っているのであって、その「手段」が何であれ、そこは論点ではないのであった。
「目的」と「手段」、これを混同して論じてしまうことは、我々がしばしば陥りやすい過ちである。注意したいところだ。
最近急成長している中小企業の社長のインタビューをテレビや雑誌といったメディアで目にする際、こんなことを言っていたりする。
「まずは業界ナンバーワンになることが目標です」
そんな企業を応援する気には、僕はならない。
いい製品を世に送り出し、顧客に喜ばれ、社員がそれに喜びを感じ、株価が上がり、株主にも利得が及ぶ。これが企業が本来目指すべき幸せなかたちである。
だから、「業界で最もいい製品を作ることが目標」なら僕も文句はない。大いにがんばってもらいたい。
しかし、業界一位になるかどうかは、いい製品を作って売った結果に付いてくるもので、一位になることを目的にしてどないすんねん、と思うのである。穿った見方をすれば、そこには「最上の製品」という視点が抜け落ちていて、「品質が最高でなくても、売上さえ最高であればいい」という醜い売上至上主義への落とし穴が顔を覗かせる。
政治の世界にも同じことが言え、昨今、自民党の政治家が「国民が今後とも自民党の政治に信任を与えてくれるよう……」とか、民主党の方が「来るべき政権交代に向けて……」などとのたまうが、国民が望むことは一点。
「日本をよりよい国に」
以上、である。
自民党が政権を担当しようが、民主党であろうが、国が良くなるのなら正直どっちゃでもええねん。いや、公明党幸福実現党は、個人的にはカンベン願う。
民主党に「調子に乗るな」と申し上げたいのは、メディアからの追い風を受けて、あたかも政権交代こそが国民の望む「目的」だと履き違えているようだが、別にあなた方でなくたっていいのだ、ということだ。
自民党が愛想を尽かされかけているだけであって、民主党を待望しているわけではない。
そして、今からすでに明白なのは、民主党がもしも政権を握った場合、メディアは一斉に揚げ足とりと些細なスキャンダル探しに躍起になる。メディアの人間が望んでいるのは「いい国」という目的ではなくて、飯のタネになる話題のみだからだ。
だから、熱望されているなどと勘違いをしない方がいいと思う。
民主党ポスターのキャッチコピーが「政権交代」ではいかにおかしいかお分かりになるだろうか。
政権交代」は、国民の求める目的でもなければ、政策でもなければ、ドクトリンでもない。ただ自分らが「一番になりたい!」と声高に主張しているだけの、中小企業のおっさんとなんら変わりのない自己満足ではないか。
どの党に一票投じるかは、あくまで「手段」の選択であって、国がいい方向へ進んでいくことが「目的」であり、人それぞれあるであろう「いい国」の定義を、たっかい手当(税金)もらってる政治家センセイたちが知能の限りを尽くして議論していただければよいのだ。
で、もっと言えば、その結果責任は国民と共有すべきなのだ。投票したのは国民だからだ。今まで自民党に投票してきたような人が政治に文句を言う資格はないと心得なくてはいけない。
我が国が、当時の西ドイツを抜いて経済世界二位になったのは一九六八年だそうだ。そして、早ければ今年中にもGDPで中国に抜かれるという。経済紙はそれを問題視するが、しかし、何が問題だというのか、僕には理解できない。若い女性が、見ず知らずのチ○ポを**してお金をもらうことよりも、よっぽど理解に苦しむ。
順列に意味などない。ここは小さな島国ではないか。GDPとは国内総生産だから、人口が多い国が有利なのは当然で、そんなことで争ってどうなるのか。いっぱい作った(生産した)からといってなんなのだ。それが世界一の幸せなのか。
アメリカ人が幸せかどうか、かなり実態がバレてきたように思う。
上位五%が総資産の三分の一(二〇〇〇年で三五・三%)を独占する社会に庶民の幸せがあるのか。
経済第二位の国でなんかある必要もないし、以前にも言ったが、国連の常任理事国の椅子なんか求めなくていい。お前は自分の銅像を立てたがる田舎者のおっさんか! と言いたい。
大体な、二位なんかにしがみつくくらいなら、むしろ一位を目指さんかい! その方がよっぽど潔い。人口二倍のアメリカに勝てないことにはなんの問題意識もないくせに、人口十倍の中国に追い抜かれることに関しては、無駄に不安を煽る。
人口が減少する中で「総」生産も減っていくのは当然のことで、二位であることにしがみつく理由などないのだ。二位であることはただの結果であって、三位だろうが二十六位だろうが、いい国家たりえることが目的であるはずなのだ。
人口が減少傾向にあるのは、悪いことでもなんでもなく、なんとなく「減ることは良くないこと」と思い込んでいるに過ぎない。これまで多いことは良いこと、増えることはポジティブなことと刷り込まれて、成長妄信主義社会が進展してきた。
「人口減少は経済成長を鈍化させる原因なのではなく、経済成長の結果なのであると思うべきである」(『経済成長という病』平川克美著)
つまり、それは国の成熟の過程で自然な移行であり、アホな政策で人口を増やそうとすることよりも、減っていく中でいかに国を適応させていくかが政治の手腕なのである。
こういう意味もなく数字に拘るような小さい人間が、抱いた女の数なんかを自慢したりする。さらに言語センスのない人間は、女を「喰った」などと表現するが、形状を考えたら、明らかに「喰われている」のはお前の方じゃないか。
あ、今、形状を考えたあなた、イヤラシイ!
(了)