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月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。2003年より書いていた月イチコラム「月刊ショータ http://monthly-shota.jp 」をhatenaに転載しました。そのため、一部お見苦しい点があることをご容赦ください。

「三十三才の誕生日に、また言ってはいけないことを言おう」

会社でセクハラの意識啓蒙ビデオを見せられた。内容は、いわゆる「えっ、こんなこともセクハラなの!? どうして?」という、男性社員が犯しがちな事例集とその解説のかたちで構成されていた。
それを我々社員は、失笑と苦笑でもって鑑賞するのだが、その中でこんな件があった。「女性社員を○○ちゃんと呼ぶのは、女性を半人前扱いしているからセクハラである」という。そして、それを例証するためにこんな状況を提示していた。
  • 部長:「クミちゃん、これコピーお願い」
  • 女性:「はい、タケチャン。すぐにします」
  • 社員一:「おーい、山ちゃん、電話だよ」
  • 社員二:「プレゼン行ってくるから。コーちゃん、あとよろしく」
というような会話がオフィスに飛び交い。ナレーションが、こういう状況はおかしいでしょう、と問いかける。
僕の感覚から言わせてもらえば、唯一おかしいのは、上司に対してちゃん付けで呼んでいる点で、あとは全然おかしさは感じないし、むしろこんな職場があったらかなり幸せなことなのではないかとすら思ってしまう。
日本の知識層が大好きなアメリカだって、ファーストネイムで呼び合うのはちゃん付けみたいな気安さと同義なわけだ。職場の人間なんて、家族よりも長い時間を一緒に過ごすわけで、僕は最低限の礼儀さえ押さえれば、あとはちゃんで呼ぼうが渾名で呼ぼうが構わないのではないかと思う。
実際に、僕の同僚にも下の名前にちゃん付けで呼ばれている女性がいて、その人を同職階の他の人間と同様に姓呼び捨てで呼ぶと、どうも違和感がある。なんかエラソーな感じがするし、正直、ちゃん付けで呼ばれることは特権的なことだとすら言えるのである。おそらく、多くの人が彼女のようにちゃん付けで呼ばれるくらい職場に受け入れられたいと思っているし、僕も自分が下の名前で呼ばれることはうれしいことであり、決して侮辱的に受け取ったりはしない。
結局のところ、「相手が嫌がることをしてはいけない」という一点に議論は集約されることになり、「ちゃんで呼ばれたいくない人をそう呼んではいけない」というだけのことだ。「ウンコちゃん」という渾名を付けられて、それが嫌だからやめてほしいのと同じで、そんなものは小学校でも教えられている当然のことだ。
問題は「嫌かどうかの判断はその行為をする人による」という、とっても恣意的な部分である。
「あの人にはエリちゃんって呼ばれていいけど、この人には呼ばれたくないからセクハラですっ!」だなんて言える人の方が、人を年齢や性別や地位で差別しているではないか。
若くてきれいな男性社員や同僚の女性社員からは良くて、若くもなくてきれいでもないオジさん係長からはいけないなんて、差別以外の何物でもない。
我々サラリーマンにとっては仕事なんて「嫌なこと」だらけで、納得できない値引きとか、終わりなき残業とか、お偉いさんの的外れな意見とか、ほんまにナニハラでもいいから訴えるところがあるなら訴えたいわ……。
男女平等を勘違いして受け取っちゃった人たちがおかしな行動をとり始めて、一時期問題にされたことがあった。学校で体育の着替えを同室でさせるとか、運動会で男女混合で騎馬戦させるとか、トイレのマークを男女統一にして混乱を生むとか。
いや〜、世の中なにが恐ろしいかって、マジメなバカほど恐ろしいものはない。こういう人たちが戦争を始めるんだから注意した方がいいよ。
「能力や性質において、男女が平等ではない」なんてことは、誰しも薄々気付いていることなのだから、あたかも「男女は同じ」だなんて幻想を教えない方がよいのだ。
むしろ、「男と女がいかに違うか」ということを伝えた方が、生きていく上では役に立つ。
僕はこれを知らなかったから若い頃にだいぶ苦労したり失敗したりしたものだ。だって、全然違うのだ。男が男に接するのと同じ気持ちで女性を扱うとヒデエ目に遭う、という厳しい現実を知っておいて損はない。
特に、性に対する態度はお互い理解できなくて苦しむ部分であろう。男が女の裸を見るだけのために年収の何%を費やしているか、女性は知る由もない。喫煙所に放られている週刊誌の袋とじがどれくらいの割合ですでに開けられているか。透明人間になれる薬にどれほどの需要があるのか想像することもできまい。
天気の話が当たり障りのない会話の導入として用いられるように、男にとってエロス話というのは、「誰しも興味のある話題」として広く受け入れられ、それはあたかも「冬のカニ」とか「腰痛が治る体操」の如く、皆が「へぇ〜」「そうなんだー」と共感を持って聞いてくれるものなのだ。
「ここをそうするとドライバーショットが曲がらない」とか「ちょっとポン酢を入れるとおいしい」とか「あそこでセールやってる」とかと、何ら変わらぬ次元に「○○を××すると***だ」とかの話があるわけだ。そこをわかってほしい。
それで、オジさんがよかれと思って女性同席の場でエロスに言及してしまう。まぁ、僕もよくやるのだが、こういう「男女平等扱い」はほとんど否定され、引かれたりセクハラ呼ばわりするのである。
繰り返すが、よかれと思って、だ。
金銭を詐取しようとしてしょーもない犯罪で捕まった人を見て、「そりゃぁお金は誰しもほしいけどさー、それはやっちゃダメでしょう」などと口にすれば、周りの人はウンウンと頷くだろう。
でも、女子高生を買春して捕まった人に対しては「そりゃぁ誰しも女子高生のおっぱい触りたいけどさー」とは言えないのである。思っていても、言えないのである。でも、我々男性には、ウンウンという同意の声が心に伝わってくるのである。
結果として、秘密を共有した同志のように、男ばかりの結束がより固くなり、結局男女はわかり合えないまま歴史は続いていくのである。
(了)