月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「くだらないコメディをまじめに語る」

日本では、アメリカンジョークというと、考え落ちの小咄みたいな「あんまり笑えない笑い話」というような受け取られ方をしているフシがある。それは国民性というか、文化の違いによってある程度仕方ないのだろうけど、僕はアメリカのユーモアセンスが大好きである。
中学生の頃に映画『裸の銃を持つ男』とか『ホットショット』なんかを観て大笑いし、大の大人がバカバカしいことにお金と労力をかけて本気で取り組んでいることに感動すら覚えた。大人でもフザケていいんだ! と衝撃を受けたものである。興味のある方は観てみるとわかりますが、本当にくだらないです。力抜けます。そして、僕は心底憧れたものである。
「くだらないことに本気で取り組むって、なんてカッコいいんだ」
と、この考えは今でも変わらない。それ以降、ハリウッドのB級コメディはできる限り観るように心がけて後期青春時代を生きている現在の僕である。
選ぶのは本当に難しいのだけど、あえて以下に、僕が好きなコメディ映画を五つご紹介させていただきます。順位はありません。なんでも一位を決めたがるのは資本主義の悪いところですから。
『ブルースブラザース』
ドタバタコメディの金字塔! 天才コメディアンのジョン・ベルーシダン・エイクロイドがテレビ番組「サタデーナイトライブ」の中で結成したR&Bユニットがブルースブラザース。僕が中三にして初めて買った洋楽のCDは「ブルースブラザース」のものであった。初めて買ったサングラスも彼らがしていたレイバンのウェイファーラーであった。
有名なので中身は割愛するが、ジョン・ベルーシは世界一カッコいいデブだと思った。ダン・エイクロイドはハーモニカを吹く姿が信じられないくらいクールでカッコよく、その後『ゴーストバスターズ』のぽっちゃりが同一人物だと知って衝撃を受けた。
この映画が教えてくれたことは、正しいことのために生きるワルたれ、ということと、ハシャぐことだけが人を笑わせる術ではないということだ。
『アメリカン・パイ』
卒業を間近に控えた高校生の四人組が、卒業までに童貞をなくすことを誓い合って奮闘するという、青春の全てが詰まった下ネタ満載の映画。アメリカではかなりのヒットとなり、以降シリーズとスピンオフが計五本(当時)作られている。日本でも公開されたが、たいていこういう好作品は黙殺される。なぜだ!? 青春の中身を分解すれば、セックスへの幻想と、渇望と、不安以外に何があろうというのか。そして、男がいつまでも子供である根因もここにあると思って間違いない。男にとってセックスは運転免許みたいなもので、「更新」しないで二週間も放っておくと精神的には童貞に戻ってしまう。
つまり「無免許」みたいな状態。
だからまた、童貞だった頃のように、セックスのことばかり考えてる「少年の心」を忘れずに生きていけるのである。美しい。
『ふたりの男とひとりの女』
僕が絶対の信頼をおいているファレリー兄弟の監督作品。ジム・キャリーレニー・ゼルウィガー出演のこれまた下ネタ映画だ。というか、この監督らはいつも下ネタばかりだ。代表作の『メリーに首ったけ』を知っている方には一目瞭然だろう。キン○マをスボンのジッパーに思い切り挟んで救急車で運ばれる冒頭。そして、デート前にマスターベイションして飛び出したアレを、キャメロン・ディアスがヘアジェルと間違えるシーンはあまりに有名。
『ふたりの男……』は、警察官役のジム・キャリーが、町中の笑い者なのにもかかわらず、常に怒りを押さえつけて生きていたところ、到頭ブチ切れて、凶悪(でスケベ)な違う人格が現れてしまう話。その二重人格の演じ分けは、アカデミー賞ものだと僕は思う。そして、絶対男にしかわからない下ネタジョーク。ジム・キャリーレニー・ゼルウィガーがついにHをしちゃった翌朝のオシッコシーンは必笑である。
ファレリー兄弟について特筆すべきは、毎回タブーに踏み込むところ。セックス、自慰、人種、身体障害、精神疾患シリアルキラー(連続殺人犯)など、普通触れてはいけない世の中の暗部を全くデリカシーなく笑い飛ばす。そこには、はっきり言って愛などというものはなく「だっておもしろいじゃん!」という監督の無邪気な笑い声が聞こえてくるかのようだ。
白人夫婦のはずなのに、生まれてきた子供がなぜか黒人で気マズい雰囲気が漂うとか、女性のアソコの痒み用クリーム「ウ゛ァジクリーム」と堂々と茶化したり、とにかく、そこまでやって大丈夫か? というところまでやり切る。そのイカレっぷりがすごい。どんなアホ兄弟かと思う。
日本はその点偽善的だから、とにかく隠蔽する。なんであれ描いてはいけない、とされる。でも、アメリカ人のファレリー兄弟は、配役の中にいつも小人症の人や知的障害のある人を使う。世の中には実際にそういう人もいるわけだし、「いないものとする」日本の暗黙のルールが本当に健全とは思えない。
ジャック・ブラック主演のスマッシュヒット作。ダメ人間の売れないロッカーが、エリート小学校の臨時教員になりすまして、生徒たちにロック魂を叩き込んでいく痛快な物語。ダメ人間を演じさせたら、現在右に出る者はいないであろうジャック・ブラックは実際にバンド活動もしているから、彼のロックへの愛が満ち溢れている。
『エース・ベンチュラ』で初めてジム・キャリーが出てきた時、あの顔芸は神業かと思った。そして、この映画におけるジャック・ブラックの動きは、同様に神がかっていると言える。細部までギャグにぬかりがない上、ドギツイ下ネタもないので(彼の主演作全般にそうである)、家族中で笑って、そしてちょっとジーンとくるお手本のようなコメディである。この映画で笑えない人がいるなら、ちょっと自分の生き方について考え直していいと思う。少なくとも、僕は友達になれる自信がない。
僕が、それまで劇場で最も笑った映画は前出の『ふたりの男とひとりの女』で、あれ以上に笑った映画は後にも先にもないと思っていた。しかし、世界記録はいつか更新されるように、世界最高に笑い死にしかけた作品がその後現れた。それが、この『ボラット』である。
ファレリー兄弟に輪をかけてタブーだらけの超ブラックコメディ。本当はイギリス人のサシャ・バロン・コーエンという俳優が、カザフスタンからアメリカ文化を勉強しに来たレポーターというかたちでボラットなる野蛮人を演じている。彼が巻き起こす数々のトラブルと出演者の反応は全てドキュメンタリーであるらしい。まず設定からメチャクチャで、カザフスタンという国は売春婦と殺人犯ばかりで、今どきユダヤ人を追い払うお祭まであるという描き方。完全に未開の国扱いなのである。よく公開できたな、と思う。『YASUKUNI』どころの騒ぎではない。
だから、ボラットはアメリカでも女性は売春婦扱いするし、銃砲店で「ユダヤ人から身を守る銃は?」と訊いたりする。笑えるのは、店員が「だったら九ミリか四五径がいいよ」と普通に受け答えしてくる点だ。あるんかい!
途中、やり過ぎに辟易とさせられるかもしれないし、全く笑えない人もいるかもしれない。でも、非常識で変に純粋なボラットが周りのアメリカ人を真っ青にさせ、顰蹙を買いながらも、なぜか、不思議とアメリカの異常さというものを浮き彫りにしていくその過程には、ドキュメンタリー映画の醍醐味が味わえる。そこがこの映画のスゴイところである。そして、ラストの大落ちはお見事という他はない。最後の最後まで笑いが凝縮されている。
お笑いドキュメンタリーという反則映画であるが、コメディ映画の歴史に新たな一ページを刻んだことは確かである。でも、なぜかDVDを買おうという気にはならないのであった。上記の他の全ての作品は持っているのに……。
以上、僕が崇拝に近い気持ちを持って紹介した五作品。ご興味がある方は是非観ていただきたい。
でも、本当は『ロード・トリップ』(日本では劇場未公開)とか、『ハウスゲスト』(日本では劇場未公開)とか、『ドッヂボール』(ベン・スティラー主演)とか、『アニマルハウス』(ジョン・ベルーシ主演)とか、『大災難P.T.A.』などのスティーブ・マーティン出演作品とか、アダム・サンドラー出演作品とか、他にも好きなコメディはたくさんある。 僕はまだ観てないが『俺たちフィギュアスケーター』もめっちゃ笑えるらしい。
映画でも音楽でも、いつも日本人に効く売り文句は「泣ける!」「感動の……」などというものばかりで、コメディへの評価がイマイチなのが歯痒い。アメリカのコメディを「わかりやすい」という言葉であたかもそれが低レベルであるかのように表現する人がいるが、わかりやすいことこそコメディの神髄である。悪いことでも低いことでもなんでもない。
商業ベースの創作において、アイデアが生まれてから先の作業など、わかりやすくしていく努力ばかりではないのか。それができない人間が独りよがりな不完全作品を「シュール」の一言で済まそうとする。
コメディは、人生を楽しく生きる上で最も大切な要素であるユーモアを教えてくれる。その上、世界の恥部や禁忌まで見せてくれる。子供がいたら「文部科学省推薦」などという子犬とかの映画よりも、笑えるコメディを見せようと思う。
社会勉強と、性教育も兼ねて。
(了)
P.S. その後、ウィル・フェレル主演「俺たちフィギュアスケーター」も鑑賞して、大爆笑しました。その他「俺たちダンクシューター」などの「俺たち」シリーズは欠かさず観ています。最高です。