月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「オノレらは、しないのかー!?」

ある土地について語る時、単なるお国自慢に陥ることなく、かと言って機内誌によくあるような、表層を舐めるだけの土地紹介に終始するでもなく論じようとすれば、その土地に一定期間住んで、しかも他所の生活も経験のある人間が最も客観的に語ることができるはずである。
そんな防御線を事前に引いてから、僕は生まれ故郷である東京についてお話ししよう。以前、大阪について書いた時に述べたように(〇五年一〇号参照)、土地を語るというのは非常にデリケートな作業なのである。以下に書くのは僕個人の考えであるから、それについてご意見は頂戴しますが、「間違っている!」とか「差別だ!」とか目くじらを立てないようにお願いしたい。
まず大きな事実を挙げると、東京というのは巨大な幻想に包まれた都市であるということ。東京以外の地方の人々は少なからず「東京ってスゲー」と思っている。
今、地方という言葉を敢えて使ったが、少なくとも大阪の人間に「自分が地方にいる」という意識はない。だから、平気で「地方の人はな……」という、やや優越感の伴った言い方をする。地方というのは「首都などの大都市に対してそれ以外の土地(大辞泉より)」であるから、まぁ大阪の人が、四国とかのそれ以外の土地を指して「地方」と呼んでもいいのだけど、誤解を恐れずに言うと僕には、「おい、大阪も地方やで」と思うことがある。
そんな大阪にだって、東京への幻想というのは生きている。
  • 東京の人はみんなお洒落。
  • 東京は才能豊かな人が集まっている。
  • 東京の女はキレイ。
  • 東京の人はお金持ち。etc. etc.
東京の人はこんなふうに思われているのであります。これを読んでる東京の方々、どーですか? お洒落してまっか? お金持ってはりまっか? 答えは言わずもがな、である。
僕は正直言うと、もう東京に住む気はない。転勤とかやむを得ぬ事情の際は仕方ないが、自ら進んで住もうとは思っていない。
その理由はいくつもあるのだけれど、煎じ詰めれば「東京には、田舎モンが多すぎるから」だ。
ハイ、僕はこの瞬間、東京人を敵に回しました。地元の友人に反感を買いました。でも、もう少し辛抱して聞いてほしい。
東京ほど他所からの流入が激しい土地はないわけで、その全てとは言わないが、かなりの割合で田舎モンが混入しているのである。
僕の田舎モンの定義とは「自分の生まれた土地に劣等意識があって、都会に対して過度の幻想を抱いている人間」である。従って、福島に生まれたって、「オラはフクスマが一番でげすぺよ」と思っている人はここで言う田舎モンでない。
今、福島の人も敵に回したような気がするが、構わず先を急ごう。
イメージしてもらいやすいように、以下に田舎モンのモデルケースを紹介する。
  • 別に確固たる必要性も目的もないのに、なんかおいしい思いができるのではという曖昧な期待を持って東京に来ちゃう。
  • 「東京では何でも高いんだよ」とか適当に言いくるめて、故郷の親に仕送りさせ、恵比寿や代官山といったお洒落スポットに住んじゃう。
  • 上京したとたんに、過激に髪を染めちゃったり、すぐにセックスしちゃったりして、それを「垢抜けた」と履き違えちゃう。
  • テレビや東京の友人が使う流行りの言葉を多用して、イケてる自分を再確認しちゃう。
  • 困っても人に道を訊かない。電車内の路線図を凝視するのをガマンしちゃう。
  • 誰かがセレクトしてくれたセレクトショップでとにかく服を買っちゃう。
  • クラブとか行っちゃう。で、そこで出会った人間とまたセックスしちゃう。
  • 自分の町じゃないからすぐに道にゴミを捨てたり、自転車を盗んじゃう。
  • 六本木とか麻布とか表参道の店を知っていることは知識だと勘違いしちゃう。
  • 「オレの話」しかしない。もしくは「アタシの話」を聞いてくれた人とすぐにセックスしちゃう。
いかがでしょうか? ごく一部しか紹介することができませんでしたが、こういう人たちが東京の中枢にいっぱいいます。イケてるのでしょうか? 該当する人が周りにいませんか? もしも疑いのある人がいたら、ワタクシまでご一報ください。厳正な審査ののち、二週間以内に審査結果をご連絡させていただきます。
ちなみにワタクシは疑わしきはバシバシ罰していくタイプです。
その昔、朝日放送の「探偵ナイトスクープ」で、原宿を闊歩する奇抜なファッションの若者たちに出身地を訊いて廻った調査があった。結果は見事に「群馬」「長崎」「山形」などなど。当時司会者だった上岡龍太郎氏は「イナカで収まりきらないセンスの持ち主が都会に来るのでしょうね」と好意的なコメントをしていたと記憶するが、違った見方をすれば「皆、『東京モン』になりきるのに必死」なのである。
「東京ならこれくらいせねば」と追い駆けられるイメージ、これが幻想なのである。そんなものどこにもないのに、周りの人が勝手に作り上げて、いつしか水準であるとか許容範囲にされてしまっている東京像。
これは東京以外にも、全国的に飛散していて、東京はスゴイ、東京ならもっとやってるはずだ、と地方の人たちががんばっちゃってるファッション、セックス、ドラッグを始めとした犯罪、実は、東京で生まれ育った人たちには無縁だったりする。そういうがんばりようは奇異ですらある。
少なくとも、僕の出た都立高校では卒業時点での童貞率が灘高校の東大京大進学率をはるかに越えていた。女子は知らん。
そんな、東京像が追求された結果作られてしまった、表参道とか広尾といったいわゆるお洒落スポットを訪れる機会があると、僕は違和感を禁じえない。最新で清潔でクールな街並の中を、みなさん澄まし顔して歩いている。
「オノレらはウ○コもシッコもしないのかー!?」
と、僕は胸ぐら掴んで問い詰めたくなる。
幼い頃から知ってる近所のコを久し振りに見かけたら、やたらとセレブ面してカラメルマキアートとか飲んじゃってるような感じだ。そういう時の、見ちゃった方と見られちゃった方のお互いの気まずさ。まさにそんな感覚がお洒落スポットには漂っているような気がして居たたまれないのは僕だけなのだろうか。
そんなわけで、居たたまれない僕は、トイレに逃げ込む。ウ○チもシッコもするノーマルな僕は、そういう場所に行くと、なぜだかしたくなるのである。
これはもはや、自然現象ではなく、孤独な抗議行動と呼べる。
(了)
P.S.  「セレブ」という言葉は「celebrity」の短縮形であるから、本来は「有名人」という意味である。有名であることと、金持ちであること、上品であることとは、必ずしも一致しない。従って、そこらの成金オバハンをセレブ扱いするのは、図に乗せるだけなのでやめましょう。
それにしても、地元に帰ると、日本中のどの街とも同様に、本屋が店を畳んで、パチンコ屋ばかりが増えている。それをもって日本の知の衰退を憂うような資格など僕にはないが、なんだか気分が滅入るのである。