月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「僕には、無い」

僕にとって、心の底から愛しているのに、好きで好きでしかたないのに、いくら求めても飽き足りないのに、全然手が届かないもの。
音楽。
音楽について考える時、僕は片思いしている少年のような、もどかしい気持ちを禁じえない。
まず、僕の音楽遍歴について、少しお話しすると、初めて買ったレコード(当時はEPのレコードだった)は「チェッカーズ」。「ジュリアに傷心(ハートブレイク)」だったかな、小学四年生だったと思う。当時、EP版(今で言うCDシングル)が八百円。月のお小遣いが四百円の小四にとっては、二ヶ月分の給料。婚約指輪にも相当する高価な買い物であった。
お年玉をもらって羽振りのいい時に、西武新宿線野方駅の脇にあったレコード屋で立て続けに購入した際には、おばちゃんに「それは誰が聴くの?」と訊かれた。もちろん僕だし、そう告げると不思議そうな顔をされた。親のお金を勝手に持ち出しているとでも思われたのだろうか。現在や、他の地域は知らないが、当時の練馬区や中野区あたりでは、音楽レコードを買う小学生など珍しかったのだろう。
中学時代に映画「ブルースブラザーズ」に衝撃を受ける。そして、アメリカの音楽を七〇、六〇、五〇年代と、遡るように聴いていく。
いわゆるオールディーズと呼ばれる音楽だ。そこで、プレスリーに出会い、オーティス・レディングを知り、次第にイーグルス、シカゴといったアメリカ臭い音楽に耽溺していく。その頃、僕にとってアメリカの匂いというのは、乾いた砂埃と、木造小屋の匂いだった。今のような、火薬と札束の匂いでは決してなかった。
そして、運命の出会いは高校一年生の冬、カントリーファンだった僕のおやじが「NBCスペシャル ガース・ブルックスLIVE」というビデオをどこからか入手してきた時であった。
あ〜、これ語り始めると長くなるから手短にしますけど、ガース・ブルックスというのは、全世界で一億一五〇〇万枚以上のセールスを記録している、現存する伝説のカントリー歌手である。九〇年代に、単なるアメリカの田舎音楽であったカントリーを全米的な人気へと押し上げた功労者であり、プレスリーやエルトン・ジョンマイケル・ジャクソンらと比肩して、その名を音楽界の歴史に刻むべきミュージシャンである。この表現に全く誇張がないことは、アメリカ人にその名を尋ねてみればわかるはずである。知らない人はいないはずなのだ。
ちなみに、彼は若くして音楽業界から「引退」を表明し、現在はオクラホマ州に住み、チャリティ活動に専念しているそうだ。
興味をそそられた方はご自分の耳でご確認いただきたいのだが、高校生のショータは、そのライブビデオを父親の傍らで偶然観て、「人間が、こんなにカッコいい歌い方ができるものなのかぁー!」と釘付けになってしまった。それ以降、丸十年間というもの、僕はカントリー以外の音楽を一切聴かずに青春時代を過ごした。
アメリカ人が「ショータ、あの曲は誰の歌だっけ?」と訊いてきて、
  • 「じゃ、ちょっと歌ってみ?」
  • 「♪フン、フンフ〜ン……」
  • 「あ、サミー・カーショウの『ホウンテッド・ハート』な」
という具合に即座に回答できるほど、当時のデータベースの蓄積量にはかなり自信があった。「ばっかり喰い」の賜物としての、とても偏った知識ではあるが。
三十を間近にしたあたりからやっと、ロックやブルースをある程度ちゃんと聴くようになったが、今から思えば、もっと色んなジャンルの音楽に触れておくべきだったかもしれない。
若い人には「音楽と本は雑食しろ」とアドバイスしたい。カントリーを変えたと言われるガース・ブルックスも、カントリーばかり聴いていてはあの偉業は達成できなかったはずで、それ以外のディープパープルなどロックからの影響も受けているという。
新しいアイデアというのは、既存のものの組み合わせであり、複数の事物に共通項を見出す力が、アイデアを生む術である、と物の本に書いてあった。確かにその通りだ。
とはいえ、僕の音楽鑑賞のしかたに雑多性があったとしても、プレイヤーとしては、この才能のなさはいかんともしがたかったろう。
歌えない、弾けない、従って、作れない、の三重苦。これは苦しい。愛していればこそ、苦しいのだ。
しかも、兄も弟も音楽活動ができるから、中間子の僕の苦しさはなお増す。兄は学生時代よりハードコアのバンドを持っている。以前にも何度か書いているが、その上自分のインディーズレーベルも運営していて、世界中のハードコアミュージシャンと交流している。
ほとんどできない英語を駆使して。
弟は弟で、高校時代にパンクバンドをやっていて、ニューヨーク在住の現在は、なぜかヒップホップ色の濃い音楽を個人的な趣味として作っている。ロンドンの貧困層に支持されたパンクロックと、黒人ゲトーに根付いたヒップホップには、どこかに共通項があるのだろう。僕にはよくわからんが。
翻って、青春をカントリーに捧げた僕。なにもできない。ギターコードが弾けるくらいで、僕の辞書ではこういうのは弾けるとは言わない。僕の定義の「弾ける」とは、その楽器によって、自分の思いや考えを表現できること。楽しい時に楽しい曲をパーッと弾けること。悲しい時に悲しい歌を静かに弾き語れること。
文字や声の代わりとして、楽器にその思いを託せること。別に今さらロックスターになりたいとか思わないけど、せめて個人的に楽しめるだけでいい。欲を言えば、歌って弾いて、それによって、恋人とか友人といった、自分の周りにいる限られた人たちだけでも楽しませることができたら、どんなに素晴らしいか。
僕はその、自分にも体験できたかもしれない世界との隔たりを思うと、嘆息するばかりである。
ミュージシャンは実際なぜかモテるし、そういう点においても全くもって羨ましいのだが、そういう付録を考慮外にしたとしても、つまりモテなくてもいいから音楽的能力があることは、僕にとって羨望の対象である。
しかし、もしも僕がミュージシャンなのにモテなかったりしたら、その時は怒り狂って世の中に唾吐き散らすと思うけど、そん時はそれはそれで許して下さい。
従いまして、僕が毒を吐くしか能のない人間なのは、僕がミュージシャンでもなく、しかもモテもしないからなのである。実に理にかなった態様だとご理解いただきたい。
できない者が確信を持って言うが、音楽は練習とかではないのだ。才能なのだ。百歩譲って才能でなければ、感覚の問題なのだ。できる人は一習って、十弾きだす。できない人は十習っても、一弾けるか弾けないか。それでは楽しくないのだ。
なにが理解できないかって、ミュージシャンは知らない曲でも「ジャムれる」ことだ。どうなっているのだ。なにが「コードEで」なのだ。
歌も同様に、なぜ即興でハモれるのだ。。「三度上の音程で歌えばいい」と言われても、どうなっているのか全くわからない。
歌は、究極的には、持って生まれた声、耳、脳。これで勝負はついている。僕には、「無い」のだ。
「無い」ことを憂いてもしかたないが、これは恋と同じだから、ヤリたいもんはヤリたいのだ。たまにオナニーして、その瞬間だけは、「まぁ、えっか」みたいな気分になったとしても、結局自分の手の中に無いものは無いから、また切なさに飲み込まれる。
そういう宿痾を心に抱えて、今日も僕は「PLAY」ボタンを押す。
斉藤和義が歌っている。
♪あぁ 歌うことは 難しいことじゃない
いやいや、難しいのだよ。
それは、モテるヤツが「全然モテないよ」と言っているようなもので、僕は、ビートたけしの声で「ふざけんなよ、バカヤロー」と言いたくなるのだ。
(了)
P.S. いや、「歌うたいのバラッド」は名曲ですよ。先日も、カラオケで臆面もなく、奥さんを前に歌ってしまった。自分のヘタさを噛み締めながら。