月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「夜中におしっこにも行けました」

  • 革ジャンというウェアは、たいていのモノは重たい。
  • そして、たいていのモノはジャストフィットが格好良い。
  • つまり年中着続けるには、着る側に相当の覚悟を必要とする。
  • さらに、やはりたいていのモノは存外暖かくもないのだ。
  • だが、残念なことに、ハーレーにはこれほど似合う素材はない。
  • (『VIBES』2006年11月号より)
世の中には、「肌を露出させたボインちゃんがバイクの前でポーズをつけている」ようなアホ雑誌が現存している。なんでかわからないが、バイクにはオネーちゃんなのである。あとはそのオネーちゃんが、手にビールでも持っていれば、男の欲望は完全なかたちで満たされる、と思っていい。
バイクに乗るということは、行為や習慣ではなく、ライフスタイルの有様を表す。服を選ぶ時には、腕を伸ばしてハンドルバーを握った際に袖が短すぎないか、胴周りは風にバタつかないか、ジーパンのリベットはバイクを傷付けやしないか、考慮に入れる。
十一月のその日、集まった三人は偶然にも全員革ジャンを着ていた。秋も深まりつつある中、この年最後の日帰りツーリングである。仕事仲間の大山くん(仮名)と大谷(仮名)さんと目指すは、和歌山県高野山である。
ツーリングに出るのに、十一月というのはやや遅すぎる。バイクというのは、風をまともに受けるから、夏でも長袖が好ましいくらいなのだ。秋になれば早々に革を着るし、冬ともなればフリースやスウェットの上に、ダウンやハイテク素材のスーツを着込み、手袋、ブーツ、マフラーなどで、とにかく肌の露出を避ける。パッチだろうが、タイツだろうが、なりふり構わず着込まなければ、死活問題になる。
ましてや、雨など降れば、楽しいツーリングは一転して苦行となる。レインウェアを準備していないと走行は不可能という場合もある。
実は、僕のこれまでのツーリングは毎回必ず雨が降っていた。それも、ただの雨ではなく、大雨ばかりに出合う。四国からの帰途に、暴風雨の中、明石海峡大橋を渡った時はお笑いウルトラクイズダチョウ倶楽部の気分だった。それから、岐阜も浜松も城崎も、ことごとくドシャ降りだった。
しかし、この日帰りツーリングにおいては、僕はレインウェアをあえて持って行かなかった。天気予報の降水確率が三〇%と低かったので、今回ばかりは大丈夫だろうと確信していたからである。
これが後に、まんまと裏目に出る。
防寒対策は精一杯しながらも、それでもこの日の気温は我々一行の想像を越えて低く、途中のコンビニで靴底用ホッカイロを買って、ヒーヒー言いながら装着した。
大阪から山をいくつか越えて、高野山に着いた時、気温は昼間なのに七度。太ももがとにかく寒い。指先が冷たい。ヘルメットの中でハナが出る。
高野山は、恐山と比叡山と並び、日本三大霊山と称されることもあるという。僕はそんな予備知識はなく、はっきり言って、モーターサイクルに跨って遠出できるならどこでもいい気持ちで、ただ大山くんについてそこまでやって来た。しかし、後に聞いた話だが、いわゆる霊感の強い人の中には、高野山中の寺院が立ち並ぶ界隈にて、「う、私はこれ以上進みたくない」とか言う人もいるらしい。
僕はつくづく霊感などなくてよかった。霊など見えない限り、存在の有無を議論する立場になく、「見えない=いない」で事足りる。
昔、うちの横着なネコに火を近づけると、それを怖れることもなく、顔を背けて視界から外すことにより、火などそこにないかのように悠然としていたものだが、その感じに近い。
だから、高野山は、ただの「山の上にある奈良」みたいなものであった。紅葉がきれいで、外人がカメラ持って歩いている。空気が冷たくてなんとなく荘厳な雰囲気はあるが、鄙びた温泉街と共通する場末感も漂っている。
大山くんと大谷さんと僕は、メシ食べて寺見て茶して温泉入って帰るという、ごくごくお気楽な気持ちでいたのである。ところが、温泉から出てみると辺りは完全な闇になっていて、しかも、雨が降り出した! 電灯一つない山道で、雨で冬となれば、バイク走行はかなり危険である。僕らは、とにかく寺院や飲食店がある町まで戻って、どこかに泊まることを決断した。
雨はみるみるうちに本降りとなり、視界を悪くし、体を冷やしていく。「う〜ん、やばい。う〜ん、どう考えてもやばい」と思いながら、とにかく右へ左へとカーブを繰り返し、山道を進む。
気温四度の闇の中、なんとか町に辿り着き、開店中の飲食店に助けを求めた。「この辺に泊まれる場所はないでしょうか?」という、ズブ濡れの革ジャン野郎が三人も来たら、店の方も助けなしゃーなかったのではないだろうか。
結局、とある寺に電話してもらい、そこに泊まらせてもらうことになった。宿房といい、宿泊のできる寺がいくつかあるらしいのだ。
ただし、いきなりだから夕食は用意がないとのこと。仕方がない。
とにかく雨風がしのげて寝れるなら、文句は言いません。
寺である。高野山で、夜で、寺である。
霊感の強い人なら、見たくないものがバシバシ見えてしまったかもしれない。
若い坊さんが部屋まで案内してくれた。寺と言っても、仏像の前で寝るわけではなく、質素な個室に通された。ストーブもコタツもある、普通の部屋である。
「風呂は十二時まで」、「朝食は七時」など、本当に民宿と変わらない。寺らしいのは、朝食前にお祈りの時間があるくらいだが、それも参加は自由。
「いやぁ、急に雨に降られまして、助かりました」
と僕ら。すると、坊主は、
「午後から雨やって聞いてたので、いつ降るんかなぁて思ってたんですよ」
と言うではないか。そうだったの? 知らんぞ、そんな情報。
「明日も雨だったら帰れませんわ。明日はどうなんでしょうね」
「えーと、携帯で調べたら、すぐに……」
と坊主はおもむろに袖からオレンジ色の携帯端末を取り出す。
うーん、なんだかありがたみ半減である。南欧のリゾートで日本語の看板を見かけるような気分である。
僕らは、予定外の一泊(夕食なし)を耐え、することないから夜九時には全員就寝。特に金縛りにあうこともなく、普通に夜中におしっこにも行き、冒険の一日を終えた。
バイクは寒いし、暑いし、汚れるし、濡れるし、ケガするし、さらに存外にモテない。しかし、これほど冒険心に火を点すものはないのである。
(了)
P.S. 十二月十日に僕の父が逝去しました。先号で父について書いた時には、ここまで急な別れは想像していませんでしたが、病気の進行が思いの他早かったようです。六十六歳での早すぎる死は惜しんでも惜しみきれませんが、僕の感謝の気持ちを生前に伝えることができたことが救いです。
妻と三人の息子たちに囲まれて、人生の果実を知り、そして、地上を去っていった僕のヒーローは、最期までカッコよかったのでした。