月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「しばらく考えさせてくれ」

うちのおやじがガンになった。肺ガンである。今回はこんな重い話題について敢えて書こうと思う。
おやじが体の不調を訴えて検査入院したのが、先月の初め頃。うちの父親は、定年退職でサラリーマンを卒業した後、週に一回大学で非常勤講師をしている。しかし、このところ車を運転して講義に向かうのがツライと漏らし、やがて、教壇で九〇分立ち続けることが難しいと言い出した。
そして、検査の結果、肺ガンである。結果を聞かされる日は、母の他に、兄と僕も駆けつけたが、テレビドラマのような、いわゆる、母は泣き崩れ、兄と僕は俯いて唇を噛み締める、というような反応はしなかった。おやじのことは愛しているが、僕の率直な感想はこうだ。
「そらぁ、肺ガンにもなるやろ」
おやじは引退してからの六年間、週一の講義以外はほとんど家を出ず、引きこもってタバコを吸っては読書に耽り、外出と言えば、近所にタバコを買いに行くことくらいのもんであったのだ。母も口やかましく外出を勧めていたし、僕も「たまには映画とか観ろよ」、「本屋に行って新刊本をチェックしてくれば?」と促してはいたが、返事はいつも「本はインターネットで買える」、「俺は、このなにもしない生活が夢だったんだ」であった。
うん、肺ガンにもなるわな。
ちなみに、おやじの肺ガンは喫煙とはあまり関連のない種類のものらしい。でも、関係ゼロではないだろう。
検査結果を聞かされた日、翌日からの入院に備えていっぺん帰宅させられる。おやじは医師や看護士に囲まれたこの時、
「さて、死ぬ準備でもしてくるかな……」
と彼一流のブラックジョークをかましたが、残念ながら全くウケなかった。
兄は兄で、病室のベッドの上で、普段のように足の裏をボリボリ掻くおやじに、「ガンよりも、まず水虫治してもらえよ」と言っていた。そして、その晩は病室で「めちゃイケ!」を観て、家族で爆笑した。
こんな我がファミリーである。絶対に保険のCMには出られないだろう。
おやじは、一時帰宅してからはさすがに寝込んでいたが、むっくり起きだすと、なにやらパソコンを開いている。もう、そんなんええから寝とけっちゅうのに何事かをパチパチ打っている。パソコンの傍らには新聞記事の切り抜きが積んである。減少傾向にある日本の人口、大企業の収支、音楽著作権の昨今の問題点……。
わかったから何が知りたいねん。挙句の果てに、インターネットで翌日のレースの馬券を購入している。
曰く、
MRIで脳に放射線を浴びてるから、超能力が備わったかもしらん。だから、明日のレースは勝てる気がする」
皆が寝静まった深夜、僕は赤ペンで印の書き込まれた新聞の競馬ページを眺め、このおっさんだけは……、と苦笑した。
そして、思った。人間は誰しも死ぬし、親は子供よりも先に死ぬのが道理だ。事故や急病で突然に親を失う人たちもいるのに、こうして、親がいつか死ぬ前に、その「いつか死ぬ」という事実を再認識させてもらえるのは好運とも呼べるのではないか。
社会学者のエリザベス・キューブラー・ロスによると、人間は死にあたって五段階を経る。
  • 否認 「ウソだろー!」
  • 怒り 「なんで俺なんだー!」
  • 取引 「○○をするから、カンベンしてくれー!」
  • 絶望 「もうダメだー」
  • 受容 「わかった、死ぬんだな」
おやじがこの五段階のどこにいるのか、もしくは当てはまらないのか、本人にしかわからないだろうけど、息子の僕としては、残された時間を取り乱すことなくおやじらしく生きて、そして、おやじらしく死んでくれれば、と思う。
こういう局面に対峙する時、人は「死ぬ話なんかするな」だとか「不謹慎な」などと言うかもしれないが、いや、人は死ぬのだ。
お前は死なないのか。それなのに、死を語ることは不謹慎なのか。
人間は、誕生は歓迎されるのに、死は忌まれる。マラソンのスタートは拍手でもって送られるのに、ゴールは目を背けられるようなものだ。スタートも歓迎だが、できればゴールにだって敬意を表したい。
そのためには、死を語ることは避けて通れないのではないだろうか。
その後、抗癌治療が始まった。一日中ベッドで点滴されて、抗癌剤を注入される。これが白血球低下などの副作用を招いてツライらしい。
三週間続けて、一週間の休息がある。この一セットを六回やるから、半年かかるのだという。気が遠くなるような話だが、ひとまず、おやじも半年やそこらで死ぬわけじゃないんだな、と僕は同情と安堵の入り混じった思いがする。
休息期間のうちに、奥さんを連れて再び見舞いに行った。おやじは気管支鏡検査で声帯をやられて以来、声がかすれている。「しんどい」とか「痛い」とかの弱音が増えたが、声のせいで余計に弱々しく感じられる。それ以外は食事も問題はなさそうだ。
日曜日の夕方には、おやじの寝室から「やったー!」と、歓声が聞こえてきた。菊花賞を獲ったらしい。得意げに言う。
「俺は先週も先々週も予想は当たってたんだ。でも、入院してたから、馬券買えなかった……」
そうだな。超能力だな。
あれほど「ワタシはガンで死にたい」と言って、チェーンスモーキングをやめなかったうちのおかんがショックでタバコをやめた。
僕を産んだ後にも、おそらく一服していたであろうおかんがスッパリやめて、全く吸いたいとも思わないらしい。
そして、おやじすらも「まぁ、タバコはやめた方がいいな。リスクは減らした方がいい」と、今さら言ってくる。なんやねん。
両親揃ってタバコ教から脱会してしまうと、うちの奥さんは、瀕死のジャパンに猛攻をかけてくるロシア軍のように、もしくは、仔熊を見つけた地元の猟友会の皆さんのように、僕にタバコやめろ攻撃をしてくる。
完全に分が悪い。
わかったよ、やめるよ。もうちょっと吸ったら、いつかやめるよ。
でも、本当にやめるべきかどうか、しばらく考えさせてくれ。
タバコ吸って考えるわ。
(了)