月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「おうちで試してみよう」

血液型占いを信じるかどうかは個人の勝手だが、僕はA型にもかかわらず、身の回りが乱雑である。会社の机も書類や資料で溢れていて、実際、机の表面は埋もれて見えないくらいだ。イバれることでは決してないが、机上もそんなだし、引き出しも一杯で閉まらない状態が常だし、筋トレグッズしか入ってないカバンは、用意してもジムに行けなかった日は置いていくから、「あいつは帰ったかどうか、机からは判断できない」と言われている。
言い訳を言わせていただけるなら、それはまさにA型としての僕の几帳面さがさせる業なのである。まず、何か資料が手に入ると、それがいつ必要になるかわからない、と同時に、いつ必要になってもいいようにしておきたいので、仮に、机上の脇にでも置いておく。
翌日、また別の資料があって、それも仮に、あくまでも仮に、昨日のものの上に置いておく。そばに置いておくことが重要なので、そこが適切かどうかは、一旦判断を保留して、一時的にそこにいてもらう。
そういう毎日の繰り返しによって、仮の場所は、定位置となり、姿は隠され、やがてそこにある事実さえうやむやになり、最終的には「必要な時」に出てこなくなる。
アホじゃないか? こいつ。
自分でも好んでそんな汚い状態を保っているわけではなくて、できれば整理整頓された環境を作りたいのだが、整理しても二、三日で見事に現状復帰してしまうのだ。
それに、たまに一気に片付けようと思って手をつけるのだが、山の奥の方から様々な懐かしい品々が発掘されてしまって、それら思い出との邂逅に心奪われてしまうのだ。初めてもらったボーナスの明細とか、新入社員の頃の業務日誌とか、古い企画書とか、昔制作した何かのグッズとかとかに、なんだか黄昏た気分になっていると、本当に日が暮れてしまい、「ま、今日はこんなところで……」となる。
家も同様で、カウンターには、仮住まいが定宿となってしまった哀しき放浪ブツたちが所狭しとひしめいている。奥さんが、その中にヘアピンを置きっぱなしにしていたので、僕としては(そんなゴチャゴチャの中に置いたら見つからなくなるよ)という思いを込めて、「ダメだよ」と一言注意したところ、余りにも言葉を端折り過ぎたようで、
「あんた、自分の物はなんでも置くくせに!」
と、たいそう激怒あそばされた。それ以来、僕は彼女が洗面所に脱ぎ捨てたスリッパとかも、黙って元に戻すようにしている。
そんな、混沌の中で生きている僕なのに、洗い物と洗濯は全く苦にならず、どっちかと言えば好きなのだから、人間の性癖というのは複雑だ。特に洗濯機は、槽が廻る様子を眺めるのが大好きで、飽きずにいつまででも見ていられる。ちなみに、電子レンジが廻る様子もなぜか見張っていたくなる。動くモノに弱いのだろうか。
わしゃ、ネコか。
シャンプーとか歯磨きもやたらと時間が長くて、いつ何時、誰に抱かれてもいいように清潔だけは心がけている。近頃はめっきり誰も抱いてくれなくなったので、ここのところはいくら強調しても強調し過ぎることはない。
人間、結婚してもモテないよりはモテるに越したことはない。僕の場合は、「男は結婚した方が、かえってモテるのよ」というまことしやかな都市伝説を真に受けた感がある。今のところ、何の変化も見られないようだ。
モテるとは何かというと、そこにペネトレーション(わからない人は辞書引こうね)があるなしにかかわらず、異性からチヤホヤされることである。ひとまずはそうしよう。
インサーション(これも辞書引きましょう)自体は、アカデミー賞みたいなもので、よい仕事を追求した結果としてついてくるかこないかのものだから、本来的には、それを目的にするべきではないものなのである。しかし、今日、それ獲得のための争奪戦が水面下でドロドロ、もしくはヌルヌル行われている、というのが、僕の見方だ。
若くてきれいな女性のように、あちこちの男性から食事に誘われたり、サッカー部員のように、女子から体育館の裏に呼び出されたり、というのがモテるの基本形だ。そこから応用篇、発展形が生まれていくのだろうが、僕のように男女共学のテニス部出身のくせに、高校時代に女子と会話したトータル時間が十五分間未満の者には、それがどのようなものかは、想像することすらできない。
僕は勝手ながら、結婚したり出産した直後に髪を切ってしまい、上下スウェットでうろつくような女性が好きじゃない。テレビに出ている女医タレントが「ブスには生きる価値はない」と、レイモンド・チャンドラー(※)ばりの台詞を吐いて女性に反感を買ったらしいが、本意は「顔の造形ではなく、努力しない人、無意味に生きている人には……」ということらしい。
やはり言葉を端折るといらぬ災難が降りかかる。
既婚女性がいつまでも、英俗語で言うところの「MILF (Mother I'd Like to Fu-k)」でいてくれると、世の中どんなに華やいで見えるか……。男も同様である。
ある記事に「二〇代、三〇代の女性全員が、男性の結婚指輪をチェックしている」⇒「指輪をしていると恋愛対象外として接する」とあった。しかし、「結婚していないように見えた人が指輪をしていると、なぜかその人の株が上がる」という。やはり、結婚していた方がモテるのだろうか。
だが、ここにある落とし穴は「株が上がる」という曖昧な表現だ。
「ほな、どないしてくれるねん!」と言いたい。そこにダカレーション(これは辞書にはありません)が発生するのでしょうか? 恋愛対象外ではなかったのでしょうか? せめてチヤホヤしてもらえるのでしょうか?
女はこういう何を言いたいのか不明な表現を多用するから、あまり早とちりして信用しない方がいい。あとで痛い目に遭う。
それでも、男女とも、万が一のチヤホヤに期待して、身なりと行いを正しくしていれば、いつかはダカレミー主演男優賞にノミネートされるようなこともあるかもしれない。
それがどういう状態なのかは、知らん! 僕も意味不明なことを言いたくなっただけだ。
少なくとも、奥さんは「うちのダンナはいつまでもカッコいい」と自己満足に浸れ、ダンナはダンナで「あんなにセクシーでモテモテな女性がうちの奥さんだ」と自惚れることができる。両者の満足度を高く保つことができれば、週三回、火木土+祝のコンスタント・ダカレーションも可能なのではないか(あくまでも理論上の推計)。
散らかった机上で空論を振り回したら、こんなん書けました。
帰ってから実践してみます。
(了)