月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「死ぬまでにしたい十の人」

僕らはみんな、望んで生まれてきたわけではない。両親には望まれていたとしても、少なくとも本人は望んで生まれてきたわけではない。気が付いたら生まれていて、生きていた。
こういうことを言うと、人に叱られるし、おかんに泣かれるから言いたくはないのだが、そこは冷静になってもらいたい。命の大切さとか、両親への感謝とか、そういう倫理的なお説教や時間経過を経た結果論の話は抜きにすると、生まれた瞬間、人はそれを望んだわけではない。それどころか、望んでいなかったのに、現世に産み落とされて、赤ちゃんは「前世で充分苦しんだのに、またかよ〜」と、産まれとたんに泣きじゃくる、という説をなにかで読んだことがある。生まれてよかったと思えるのは、その後の、育てる親の力量や本人の身の処し方によって左右されると思う。
「誕生=めでたい」、「死亡=かなしい」というのは、すでにそこにいる人たちとこれからもそこにいる人たちの感情の振れ方で、本人にとっての良し悪しはそれと必ずしも一致しない。
であるから、究極的には自殺という選択も、人間の生き方には認められてしかるべきなのである。たとえば、安楽死に対して僕は肯定的だ。生まれるという選択はなかった。死ぬという選択があってもいい。
誤解を怖れずに言うと、死ぬべき人というのが世の中には存在する。猟奇殺人鬼や連続強姦魔が即座に「死んでしまえリスト」に当てはまるが、それ以外に、こういう人もいる。
スター。大スター。
死んでこそ、スターたりえたスターというのが、この世にはいる。夭逝すればなお、若く輝いていた時間が瞬間冷凍保存されることにより、魅力は永久のものとなる。そして伝説と化す。言わずもがなだが、ジェームズ・ディーン、J・F・ケネディー、マリリン・モンローグレース・ケリー、ハンク・ウィリアムズ(カントリー歌手)ロバート・ジョンソン(ブルースミュージシャン)、ジョン・レノンカート・コバーンニルヴァーナのvo.)、リバー・フェニックスロバート・キャパ(戦争写真家)、ユタカ・オザキなどなど。以上の方々はほんの一部にすぎないだろう。
あ、橋本真也も入れとこうか。ジャンボ鶴田は僕のヒーローだった。そういえば、ブルーザー・ブロディも忘れてはいけない。そもそも力道山がいるじゃないか……。
そういう意味では、エルビス・プレスリーマーロン・ブランドは少々長く生きてしまったために醜く太った身体を晒すハメになったし、ポール・マッカートニーは「ビートルズで二番目にすごい人」みたいな感じになってしまった。
スポーツ選手に、その絶頂期に引退を決意する人がいるように、スターも早めにこの世を去った方がいい場合がある。
もしも、僕がスターだったなら、酒池肉林の毎日を繰り返し、飽きた頃にはスパッと死にたいと思うだろう。痛くなければなおよい。
問題は、果たしていつか飽きる時が来るのかどうか、だ。僕には飽きないのではないか、という不安があるんだな。
死ぬまでにしたい10のこと』という非常にズルいタイトルの映画があった。こんなタイトル付けられたら誰しも覗き見したい欲求に駆られる。これが公開していた頃、僕の当時のカノジョと「死ぬまでにしたい十のこと」について話し合ったことがある。
しかし、話題はいつの間にか「死ぬまでにしたい十の人」に変遷していった。
こ、これがムズカシかった!
え〜、僕が真っ先に挙げたのがカノジョ本人。なんの迷いも感じさせることなく、その瞳を見つめながら。そして、これが決め手となり、カノジョは現在、僕の奥さんとなっている。
次に、島谷ひとみペネロペ・クルスあたりが順当にやってくる。
そして……、えーと、そして、(以降はヒミツ)。なんにせよ、六人くらい列挙したところで、答えに詰まった。死ぬまでに=これっきり、と限定されるとこちらも厳選の度合いが異常に高まり、再春館製薬所も真っ青のクオリティチェックで臨むことになる。
その日は「いやー、難しいね。アハハ」で終わったのだが、翌日になってみると新たな気分で、「なぁ、昨日の話だけどさ、やっぱり小西真奈美も入れといて」となってしまう。「あ、あと十年前の南果歩とかも入れていい?」、「それと、名前もわからないんだけど、あの深夜番組でアシスタントしてる人もいい?」などと、なぜか現奥さんの許可を得つつ、新しい代表選手たちを次々に召集していく。
いや、許可が下りなくても密かにブッキングしていく。
なんせ、もう死ぬのだ。こちとら必死だ。
そして、ついには、奥さんに「もう、ええっちゅうねん!」と言われることになる。それでも、今でもちょいちょいメンバー追加したい衝動にかられることがある。
つくづく、スターにはなれない人間だ。今日も元気に生きている。
まだまだ生きそうな気がする。
(了)

P.S. まぁ、今でも実際「生まれてきてよかったか」と問われれば、即答はいたしかねます。そう思えるように、毎日がんばって生きている次第です。