月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。2003年より書いていた月イチコラム「月刊ショータ http://monthly-shota.jp 」をhatenaに転載しました。そのため、一部お見苦しい点があることをご容赦ください。

「僕にはわからない」

お盆よりちょっと前に、家族揃って米国のワシントンDCとニューヨークシティへ、一週間の旅行に出た。大阪に住む僕は関空から飛び、東京にいる両親と兄は成田から、そして、ニューヨークに住む弟はレンタカーを運転して、DCで落ち合うという一大計画が遂行された。
バラバラに暮らす家族が一年振りに集結する貴重な時間であり、家族旅行など実に十四年振りのことであった。
僕の弟は、渡米十年になる。アメリカでアート大学を卒業し、全米屈指のアート系大学院に「君は本年度の志願者の中で最も優秀だ!」と言われ鳴り物入りで入学した。しかし、描く絵がナショナリズム高まるアメリカで受け入れられず中退。あえなく不法滞在者となった。
学生ビザで入国している者は、退学した瞬間に留まる権利を失うのだ。本来は速やかに退去しなくてはいけない。
しかし、ここが彼の強運なところだが、不法滞在中に米国のグリーンカード(永住権)のクジを当て、審査を経て、晴れて合法に暮らす権利を得た。アメリカという国は一部を除く外国人に対して、抽選で永住権を与えているのだ。
現在(当時)、弟はニューヨーク州クイーンズにアパートを借りて、日系貿易会社で働いている。
我々一家がDCに向かったのは、いとこの結婚式のためだ。DCで働くいとこが、アメリカ人と結婚するというので、挙式に参列するため無理やり仕事を休んで遥々出かけていった。これで僕にも外国人の親戚ができることになる。我が家系は結構国際派なのだ。
以前にも紹介したが、僕の兄貴は会社員をしながらハードコア・インディーズのレコードレーベルを運営している。英語はほとんど話せないのに、なぜか世界中のハードコアパンクスにツテがあり、曲を集めてレコードを出したり、海外のバンドのCDを日本で流通させたりしている。先日もオランダのバンドのCDを日本で出すというので、歌詞と解説文の翻訳を僕に依頼してきた。あまりにも分量が多く苦労して訳したのだが、なにやら遺伝子操作と資本主義の弊害について怒っているバンドで、矛盾に悩みながら企業に与する僕としても、非常に勉強になったものだ。
僕の兄貴は酒もタバコもギャンブルもせず、自動車すら所持しないので、「そろそろ車くらい買わないの?」と訊いてみたところ、「いや、オレはエコ野郎なんだ」という答えが返ってきた。
意外な答えに僕は、膝を打つ思いだった。そう、エコを謳うなら、自動車など乗ってはいけない。「環境をテーマとした展示会」なんて偽善もいいところだ。数日間のために大量のゴミを出すのだから。
なにがロハスじゃ、小賢しい!  「環境も大事、自分も大事」なんてのは別の言葉では「中途半端」というんじゃ。「アイスクリームは毎日食べたいけど、太りたくない」「モテたいけど、奥さんも大事」、「エッチな画像は見たいけど、ウィルス感染はいや」なんてのはなぁ、そういうのはなぁ、……気持ちはすっごくよくわかる、うん。僕にはね。
とにかく、僕の兄貴は、欲望に忠実であることが是とされる現代とは、あんまり関係のない次元で生きているエコ野郎なのだ。愛車は自転車だし、徒歩でだってどこでも行ってしまう。DCでの挙式の前に全員で街に出かけた際、兄貴は「ビーチャー・ストリートの四八××に連れて行ってくれ」とメモを取り出した。
なんでも、DC郊外のその住所にハードコア界では伝説のレーベルが存在しているという。
弟の運転で住宅地をグルグル走り廻った末に、その住所は見つかった。兄貴と通訳の弟がノックしてみると、子連れの中年男性が出てきた。目当てのレーベルは既に移転していたそうなのだが、彼はその創始者の兄弟で、兄貴も知る往年のバンドのメンバーだという。
感激した兄貴は、弟の通訳を介してしばし会話したり、たどたどしい英語で自ら質問などもしていた。
それにしても、質問の前に「え、じゃあ……、えーと」という日本語が入るのが気になった。
その後、僕たちはDCの観光名所である、ホワイトハウスリンカーン大聖堂に向かったが、兄貴は僕たちと別れ、教わったばかりのレコード屋に向かい、車で二〇分の距離を徒歩で帰ってきた。
式の翌日に、我々一家は自動車で七時間かけ、一路ニューヨークシティへ。摩天楼が見えてきた時には、僕は嬉しげにカメラのシャッターを切りまくったが、それはマンハッタン島の外の「ニューアーク」だと言うことに後で気が付いた。紛らわしいんだよ!
僕は以前に数度ニューヨークを訪ねているが、今回も名所は一通り歩き、ミュージカルを観て、メッツの試合を観戦し、カメラを下げ、堂々と観光客らしい観光客をしてきた。九一一の同時多発テロの現場である「グラウンドゼロ」も訪れた。
もはや凹んだ空き地となった、ワールドトレードセンター跡の広大な土地はフェンスで囲ってあり、瓦礫から取り出したビルの鉄柱で「十字架」のオブジェが建ててある。
カメラのレンズを通して僕は、「アメリカってやつは……」と苦々しい思いでそれに目を向けていた。テロでは三〇〇〇人余りの人が殺され、彼らに対する鎮魂の思いは僕にだってある。
しかし、なんだって「十字架」やねん。
ニューヨークという地域性を鑑みれば、あらゆる人種が暮らしていて、犠牲者の中にはキリスト教徒もいれば、ユダヤ教徒も、仏教徒も、無神論者もいたし、イスラム教徒だっていただろう。なのに、アメリカ人(たぶん白人)はどうして十字架をそこに建てるのか、その神経がわからん。さらに言えば、そういう自己中心的な世界観がテロを招いたということにまだ気付かないのだろうか?
崩壊寸前の城が切っ先の上でなんとかバランスを保っているような危うさが、ニューヨークという街にはある。それでも大量のゴミと、止まない車のクラクションと、急ぎ足の人々と、互いの猜疑心を嚥下して、今日もこの街は蠢いている。僕にはわからない仕組みによって……。
兄貴はニューヨークでも観光地には興味を示さず、「CBGB」という有名なライブハウスを訪れることばかり楽しみにしていた。ダンというアメリカ人の友人と会う予定も入れていた。ここ数年、コンピューターを通じて連絡しあっている人間で、マサチューセッツ州在住のパンクだそうな。彼にはそういう友人がたくさんいる。
マンハッタン島に着いて、兄貴が弟の携帯電話でダンに到着の旨を伝えようとしていた時のこと、僕は少々心配しながら傍らで聞いていた。
「……オー、……オー」
会話はできているのだろうか?
「イエス、イエス、……ナウ、マンハッタントウ」
アニキー! 「トウ」は英語ちがうぞ!
あまりの通じなさに一度電話を切った。
その後、もう一度ダンに電話する際には、弟が「オレが話そうか?」と申し出た。すると兄貴は「オレはこうやって三十二年間やってきたんだ。大丈夫だ!」と断った。
でも、「まぁ、本当にどうにもならない時は、代わってくれ」という条件付きで。
結果的には、結構あっさり弟に代わった……。
「本当にどうにもならなかった」のだろう。
しかし、ダンとも無事に落ち合い、嬉しそうに一緒に記念撮影して帰ってきたのだから、大したものだ。こうやってこの人は今後もやっていくのだろう。僕にはわからないやり方で……。
(了)
P.S. これを書いた五年後の二〇一〇年の夏に、グラウンドゼロ付近にモスクが建てられるということで、賛成派と反対派が激しくやり合うことになりました。キリスト教は押し付けるくせに。これが自由の国の実態か。