月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「男には、断じてしなくてはならないことがある」

先日、ちょっとした食事会に僕の両親らを招待することになった。 熱暑の関西での食事だから、僕は招いた全員に「ノータイ」を提案して、当然自分自身もノータイで行くことに決めていた。

初めにそういうルールを決めてしまった方がお互いに楽だろう、メシ食うことになにも畏まる理由はないから気楽に行こうや、という僕の心ばかりの配慮のつもりだった。

僕は元々「みんながしてるから」とか「そういうことになんとなくなっているから」というような慣習に拒絶反応が出る。幼少時代よりそういうつまらない不文律に疑問を持つように家庭教育がされてきたからだ。僕の両親は、ショータ・ザ・キッドが赤い靴を欲しがっても、「男の子は青い靴にしておきなさい」というようなつまらんことは言わなかった。だから僕は赤い靴を履いて、しばしば女の子に間違われていた。 ファミコン世代真っ只中に生まれても、家にビデオゲームの類があったことはなかった。子供のおねだりの常套句である「みんな持ってるのに!」という要求に対しては、「みんなって誰や? うちはうち!」と跳ね返された。

ここでアメリカン・ジョークをひとつ……。 ある大学の壁に「学生よ、全てを疑え」という落書きがあった。

翌日、その隣りに「なんで?」という落書きが追加されていた。 アーハッハッハ。オー、ガーッド。

話を戻そう。

ところが、僕のノータイ案に、思わぬところから物言いが入ったのだ。なんと、僕のオヤジだった。

曰く、「初めての人に会うので、ネクタイはしていく」。 おかんからのメイルで、「オヤジがそう言ってます」という連絡を受けて、僕は怒り狂って実家に電話した。

「私はネクタイしていきます」というのは、通常、「失礼のないように」という意味を含むが、それは一体「誰に対して」なのだ? ノータイのルールの下集まった人たちがネクタイをしていないからといって、誰に失礼なのか。ルールを守るという意味では、ネクタイしている方がこの場合ルール違反ではないのか。 「ネクタイしていきます」は言外に、「私はしていくから、お前もしてこいよ」という強制を意味する。つまり一人がネクタイすることによって、ノータイの心遣いは瓦解し、やっぱり全員ネクタイすることが好しという、普通のニッポンのおっさん社会に与する結果になるのだ。

大袈裟でなく、ネクタイというのはそういう、他者に対する強制力のある不思議で恐ろしいシルク一〇〇パーセントなのだ。また支配被支配の構造も顕在化する力すら持っている。目上の者がネクタイをしていれば、目下の者も当然着用が義務付けられ、目上の者がノータイでも、必ずしも目下の者が同様で許されるわけではない、という複雑怪奇な代物である。

だから、なんでもいいから、とにかく、とりあえず、なにはともあれ、ネクタイを首に巻きつけておけばオッケーということになっていて、全くシャキッとしていないサラリーマンのおっさんでも「いや〜、ネクタイすると気持ちがシャキッとするなぁ」などと寝ぼけたことを言う風潮が生まれた。

「お前の気持ちはどうか知らんが、見た目ももう少しシャキッとせいよ」と言いたくなるおっさんがよく電車にいる。

お上主導で実施された「クール ビズ」キャンペーンも、理念だけは賛成四七パーセントで反対は七パーセント。しかし、奨励している社は二十六パーセント。ただし、実施している企業では顧客からの評価も上々らしい(大阪信金が実施した二〇〇五年六月上旬の調査による)。

そんなわけで、僕はオヤジ一人に翻弄されるハメになり、「えー、それでは、ネクタイは着用、ということではなく、お好きな格好でという意味で……」などという、つまりは結局「ネクタイ着用」という、ニッポンのおっさん社会にまた敗北したかたちになったのだ。非常に後味が悪かった。 僕だけはノータイで参加し、一矢報いたのかどうかわからんが、誰もあまり興味ないのだろうな。僕一人、ワーワー言うてただけで……。

それにしても、食事会当日は三〇度を優に越す梅雨明けの日となり、「オヤジ、ざまぁみろ!」と、僕はオテント様に感謝した。オヤジは食事の後、初めて訪ねる僕の部屋に「台所の位置が悪い。設計ミスやな」などと文句をつけ、「で、このマンションなんぼや(人に借りてるんだから、知らんわい)」と詮索し、「ネコの世話があるから」とそそくさと新幹線で帰っていった。

本当に口の減らないオヤジだ。ムカつくほど、……僕そっくりだ。

新入社員の頃は物珍しさで、ネクタイにも興味があり、お気に入りの一本や二本もあったが、今ではその興味も失ってしまった。なぜなら、単純に「暑い」からだ。苦しいからだ。意味が無いからだ。

政府がプロパガンダしてくださるよりも数年前に、僕はあんな健康に悪いものはなるべくしないことにしていた。クールショータはなんと体が楽なことか。 仕事中たるもの、酸素を少しでも多く脳に送り込んで、血の巡りを良くし、リラックスした柔軟な発想で、それでいて時には断固たる態度で、はたまた時には街をリサーチに出かけ、喫茶店で熟考し、マッサージ店で充電し、ジムで鍛錬し、映画館で熟睡し、本屋で立ち読みしなくてはならない。

断じて、しなきゃならないのだ。

ネクタイなどという緩やかな殺人道具は、しない方が(特に夏は)ずっと仕事の能率は上がる。それは、この僕の仕事ぶりが見事に証明し……、ていないところがなんとも悔やまれる。

しかし、その内に、ガタガタ言っていられないほど地球温暖化が進行して、ネクタイなど過去の遺物になるだろう。日本だけ雨季を「梅雨」などという名で別格扱いしているが、ここは雨季と乾季のある亜熱帯地域なのだ。

上昇する離婚率、家庭内暴力、学級崩壊、麻薬汚染、性交渉の低年齢化、飽食によるデブ化、それに伴う成人疾病、なんでもかんでも訴訟、大企業の悪徳ロビー活動、グローバリゼイションという名のアメリカナイゼイション、成果主義に名を借りた馘首、富める者はより冨み、貧しき者はより貧しくなる社会の二極化、縮小する中産階級、そして、悪の枢軸であるネクタイ……。 あんまり欧米(特に米国)のマネしてもいい事ないんだけどな。

誰が悪いんだろう。イラクかな。

(了)