月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。2003年より書いていた月イチコラム「月刊ショータ http://monthly-shota.jp 」をhatenaに転載しました。そのため、一部お見苦しい点があることをご容赦ください。

「叱られるのは分かっているが」

みなさんご存知の通り、金というものは権力そのものであって、この資本主義の社会においては、残念ながら、金を持てる者こそが正義になってしまうことが多々ある。日本とシナの関係だって、敗戦以降半世紀に渡って日本はペコペコ媚びへつらってきたわけであるが、ここ数年の中国経済の伸張が背景にあるからこそ、この期に及んでの反日運動に対して、日本はモノが言えない。
そういうマクロな次元ではなくて、我々サラリーマンのミクロな世界においても、発注側ってのはしばしば無礼で、無理難題を日常的に押し付けてくるものだ。受注側は常にストレスに耐えつつ、顔色を伺いつつ、時には自腹も切りつつ、がんばっていかなくてはいけない。
おかしいと思うんだけどね、僕は。
提供するサービスに対する対価としてお金をもらっているわけで、ギブ&テイクがある限り、関係は本来平等であるべきなのだ。
しかし、お金という最終カードを持っているかいないか、というその一点で、主従の関係は決定付けられる。
scarce resourceという表現があり、社会学用語だが、日本語訳で何というのかは忘れた。直訳すれば、「不足している資源」という意味で、「誰もがほしがるが、全員分はないもの」ということだ。通常、それはお金を指すことが多い。他にどういうものが当てはまるか考えてみると「セックス」もそれに他ならない。誰もがしたがるが、誰もが満足いく程度に享受できるものではない。
僕だって「いつでも、どこでも、誰とでも、すぐにつながるユビキタス」なセックスライフを夢見ている者の一人だが、世の中そうはいかない。NTT東日本、西日本、及びグループ各社には、さらなる企業努力をお願いしたい限りだ。
それにしても、お金と同じくセックスが権力である中で、男女の権力構造というものに焦点を当ててみると(この場合異性間のセックスに限定するが)、女性の持つ権力というものが明らかになってくる。男女平等などというものは欺瞞で、肉体的、医学的、または染色体上の違いに目をつぶったとしても、男女というものが社会的に平等であるはずはない。
殊、セックスにおける受発注のシステムというものは、なぜか入札制度にも似ていて、男性側が申し込み、女性側に選択権、決定権があることになっている。これは、女性が意識的、無意識的に行なっているかにかかわらず。
セックスというのは男女の共同作業なわけで、「させてもらう」ものでも「させてあげる」ものでも、断じてない。しかし、現実には権力を持てる者と持てない者の差が明瞭に生じている。
そもそも、最近女性と話す際に思うのだが、女性って、僕が女性をわかってない以上に男性を理解していない。知らな過ぎる。パートナーのいない男がどれだけ「したい」か、パートナーがいる男が「させてもらえない」ことがどれほどの恐怖か。
散々昂ぶった時点で「今日はダメな日なの……」とか言われても、ご発注いただいた後の変更はいたしかねますー! である。
「いやいやいやいや、ワタクシどもは今日は『ダメな日』はダメな日なのですー」と、再度、伏して、この通り伏して、お願い奉ることしかできない。
「したい」のもっと前段階として、単純に、どれほど「見たい」か。
○○○(お好きな言葉をご自由に入れて下さい)を見るために、男性一人がどれだけのお金と労力を注ぎ込まなくてはいけないか、あまりにも理解されていない。注ぎ込まなくては「いけない」のだ。男性のみに課せられた税金みたいなもんだ。
女性はどうやらそんなことはないらしいが、男というものは「見る」ことに興奮を覚えるために、その目的達成のために数々の探求を試みることになる。視覚的刺激に滅法弱いのだ。
「エロ本の墨消し部分に、マーガリンを塗ると消える」というまことしやかな噂が流布したり、「この機械を使えばアダルトビデオの煩わしいモザイクが…!」という広告に容易に騙されたりするのはそのせいだ。
人間誰しも、社会的な顔というものがあるから、普通の人は理性が働いて、まさか手鏡を持ってウロウロしたり、靴に小型カメラを仕込んで歩いたりはしない。いや、このところ、その普通の人たちが連日のようにワイセツ系の犯罪で捕まっているのが報道されているではないか!
あえて、普通の人と言わせてもらおう。ここが女性が理解していない根本の部分でもあるから。
「見たい」のだ。お金を払ってでも、手間隙かけてでも。
その境界線が「逮捕されてでも」まで行ってしまった人たちがグッバイになっただけで、男というのは元来その領海ギリギリを漂う魚のようなものと思っていただいて間違いない。
カッコよく言えば、限界に挑戦し続けるプロフェッショナルたちとお考えいただきたい。そのうちに「アサヒスーパードライ」のCM出演依頼が舞い込む可能性は誰もが秘めている。
その「見たさ加減」を女性が理解していないから、毎晩世界中のベッドで「電気を消す、消さない」の攻防が繰り広げられる。これは、平賀源内エレキテルを発明して以来の、長きに渡る男女間の闘争である。
はっきり言って、女性の要望を聞き入れて真っ暗にしてしまったら、僕が一緒にいるのは愛する人なのか、キム・ベイシンガーなのか、見えないから問題ではなくなってしまうではないか……。
僕の先輩の井端さん(仮名)のベッドには五段階調節機能付きのランプがあるそうで、それの三段階目で折り合うのか、二まで譲歩するのかは、非常に重要な問題であると、ある晩僕にそっと洩らしていた。
権力としてのセックスを女性が掌握している限り、男性は人質を取られているようなもので、メシ、服、靴、カバン、貴金属といった諸々のアイテムを身代金として献上する他はない。極限すれば、愛すらも上納金なのだ。こういうことを公言すると、叱られるのは分かっているが。
なんせ、本当のことが言えない世の中だ。
本気でケンカをすれば、男性が勝つに決まっている。ここでいうケンカというのは戦争と同義で、ルール無用の殴り合いである。
しかし、「女性にはやさしくしましょう」と教育されていたり、「スクールウォーズ」の松村裕基が「女は殴るもんじゃねえ。抱くものだ」とおっしゃるから(高校生役……)、そういうことは決してできない。
だから、人質を取られたままの僕らは、(宣誓!)健全なるサラリーマン精神に則り、これからも伏して、この通り伏す。
(了)