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月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。2003年より書いていた月イチコラム「月刊ショータ http://monthly-shota.jp 」をhatenaに転載しました。そのため、一部お見苦しい点があることをご容赦ください。

「だってだって、だってなんだもん」

column
昨晩、深夜二時頃に先輩とゴハン食べていたら、隣の席にいた別の先輩男女から突然声をかけられた。
「なぁ、ショータ。男と女はどっちが尿道が長いと思う?」
何を深刻そうに話し合っていると思ったら、こんなことについて激論を交わしていたようだ。だが僕は怯まず、即座に答えた。
「男の方がオチンチンが付いてる分、長いはずですよ」
すると先輩女性の方が反論してきた。
「でもな、女性の方が一日にするオシッコの回数は少ないんやで」
僕は、大体決まった時間にオシッコするから数えてみた。
五回。
しかし、彼女は一日に三回しかしないという。そして、それを女性の方が尿道が長い根拠としていた。
「いや、それは女性の方が骨盤が大きい分、膀胱が大きいんじゃないですかね?」
と、僕は説明してみた。先輩男性の方が「せやろ。尿道の問題ちゃうわな」と賛成してくれたが、先輩女性の方はまだ納得いかない様子で何か言っていた。
だから、僕は言い放った。
尿道の長さに関しては、オチンチンのない人に負けたくはないですよ!」
オチンチンが付いている人が、尿道の長さでオチンチンのない人に負けるということは、カツラを被っている人が、被ってない人よりもまだ薄いというようなことで、カツラに対して「自分、役目果たしてへんやん」ということになる。つまり、オチンチンに対しては「どんだけ短いねん!」ということである。
しかし、僕が政治家とか大学教授で、公の場で「男の方が尿道が長いのである」と発言したら、その場にいる女性記者とか女性学者が憤慨して席を立ちかねない。そして、その後、僕の不信任案が提出され、罷免という事態に至るかもしれない。
というのも、ハーバード大学の総長が「女性の学術進出」というテーマの非公開セミナーにおいて、「数学や物理などのハードサイエンスの部門で女性が少ないのはなぜか? (女性の)固有の素質の問題だ」と発言して集中砲火を浴びたという。
まぁ、その発言は軽率であることに弁護の余地はないし、せめて、「科学、工学、技術分野で働く女性は二〇パーセントと、少ない」と、事実のみを述べるに留めるか、その上で「固有の素質なのか、社会的環境の問題なのか、今後も研究の必要がある」とかなんとか、学者らしくまとめておけばよかったのだ。
大体、セミナーのタイトルが「女性の学術進出」などというフェミニズミックなものなんだから、会場にはゴリゴリに凝り固まったフェミニストたちが集っているのは明らかだ。ここのところ便秘が続いているのも、ブスに生まれたのも、原油価格の高騰も、男性支配のせい、社会が悪い、というような連中だろう。もう少し理論武装して臨むとか、手はあったはずだ。
なーんて、ハーバードの総長様にエラソーに言っちゃってるけど、実際、「本当のこと」が言えない世の中なのだ。
研究によると、「男性は地理的な情報を、主に高速道路の数字(インターステイト九五号とか)などの数的要素で記憶することが多く、女性は風景で覚える傾向がある」という結果もある。
「幼児に様々なおもちゃを与えると、男の子は自ずとマシンガンやミニカーを手に取り、女の子は人形やぬいぐるみで遊び出す」という研究報告もある。そして、それが男性の攻撃性や女性の協調性が先天的なものであるという根拠のひとつと説明されている。
どこの大学の誰の何という研究だったか、全く思い出せないのが僕らしい。だから僕は大学総長になる心配はない。よかった。
中途半端なアタマに生んでくれた両親に、この場を借りて感謝したい。
アタマのよい人たちはともかく、僕のような平民からすれば当たり前のことだと思うんだけどね。男女が生まれつき違い、行動や能力に相違があるってのは。なんならオリンピックだって完全男女混合でやるか?
負けへんでー(僕は負けるかもしれんがな)。
固有の素質に違いがなく、ただオチンチンが付いてるかオ○○コが付いているかの差しかないのなら、世界はこんなに複雑ではない。
テレビなどの公の場において「オチンチン」という言葉は言えても、「オ○○コ」は言えないという、この複雑怪奇さ。そこからだって、この世界の深遠さというものは窺えるのだ。
と、まぁ、三〇手前になった今だからこそ、達観したかのようにこんなことが言えるが、僕はこの男女の固有の素質というものが理解できなかったからこそ、いろんな遠回りをして生きてきた。
小学生の休み時間にドッヂボールをして、女の子に思い切りボールを投げつけたり、女の子が牛乳を飲んでる時に笑わせて、その子が吹き出した後すごく泣いたのを、容赦なくからかったり……。
大人になってからだって、デートは割り勘が当たり前だと思っていた。
今でもそう思っている。以前、カノジョに対して「今は君はフルタイムの仕事をしていないから、恐らく僕の方が収入は多い。だから僕が多くデート代を払うが、収入が同等なら半々が当然だ」と、累進課税制度をモデルとした、実に真っ当な説明をしたところ、それが故でケンカしてフラれた。
ワタシが何かおかしなことを言っただろうか? お?
要するに、あくまでも「男女平等に」接してきたといえる。固有の素質を認めなかった。オレならあの球は受けられたし、牛乳吹いても「お前が笑わせるからだろ、バカやロー」ってなもんだ。
僕は高校の頃より、数学は「問一の(一)」しかできなかったので、「君たち女性は生まれつき科学ができない」などと、上段からモノを言える立場にはない。塾では、「A点からB点までの長さを求めよ」という問題など、本当に定規で計っていた。それがたまたま正解していたりして、途中の計算式が全くないを訝った先生に「これどうやって答えた?」と訊かれた。
正直に答えた僕は、「解き方が原始的なんだよ!」と叱られたものだ。
現在に至っても、女性がなんで同じような靴、服、カバンを際限なく買い続けるのかが理解できないし、肩を出しておいてひざ掛けしているのが不可解だし、論理的説明を求めると「だってだって、イヤなんだもん」としか言わないことに無力感を覚えるし、あれほど気持ちよさそうにしているくせに興味なさそうな素振りするのがよくわからない。
たまに腹立たしさすら覚える。
しかし、それでも、社会心理学的見地や、民俗学的な要素や、文化人類学的考察も包含した上で、総合的にこういった事象を検証していくと、僕は上目遣いで、ちょっと唇をつき出して、潤んだ瞳でじぃーっと見つめてから、こう述べざるをえない。
「でも、好きなの」。
(了)