月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「よく見ても見えてこないから困るのだ」

通勤途中で、テレビクルーにインタビューされた。弊社は九時半始業なのだが、そのときすでに、お恥ずかしながら、十時を回っていた。だから、本当はテレビに映ってる場合じゃなかったのだが、なかなかない経験だし、「まさか生放送じゃあるまい」と思って答えた。
質問は「あなたは家でおしっこを立ってしますか? 座ってしますか?」というもの。
僕は立ってします。
「なんでですか?」、「座ってしようとは思いませんか?」等々、いくつかの質問をたて続けに投げかけられた。
以前にも、オランダの空港の便器を書いたときに述べたが、男はおしっこの的を外しやすいのだ。そして、特に背の高い人なんかは放射地点が高いから、着水した後、ビチビチと跳ねやすい。それでも、面倒くさいから僕はこれからも立っておしっこをする。
毎回面倒くさい思いをするなら、たまに失敗した時に掃除する方を選ぶ。
インタビュアーによると、最近奥さんに言われて座っておしっこする男性が増えているとのこと。
実を言うと、僕のおやじがそうなのだ。しかし、おやじは最近ではなく、僕が覚えている限り、昔からそうしている。おかんに言われてそうしているわけでもなく、自ら進んでそうしている。
こんなオープニングの仕方で始めるのもなんだが、今回はうちのおやじについて書かせてもらおう。
さて、いきなり困ったものだが、僕はおやじについてよく知らない。
いや、そういう意味ではなくて、間違いなく僕はおやじの子供だ。
間違いようのないほど、顔がよく似ている。だから、あまり並んで外を歩きたくない。アメリカのホテルにチェックインする際、カウンターに雁首並べて立っていたら、白人の従業員に「君たち、親子だな?」と言われた。アジア人はみんな同じに見えるアメリカ人からも見抜かれるほど、よく似ているようだ。
その時は、「ああ。意に反してね」と返した。
「おやじを知らない」の意味は、僕はどうもおやじという人間の片面しか見てきていないような気持ちがある、ということだ。
姿も、経歴も、人柄も、知っている。でも、あとはよくわからんのだ。
しかしまぁ、一般に「本棚を見れば、その人が分かる」というから、まずはおやじの書棚に二重に陳列され、さらに床にまでうずたかく積まれた、夥しい本のジャンルを見てみよう。
「アメリカ文化」から「マーケティング理論」から「経済」、「宗教」、「不動産」、「天皇」、「司法」、「老後」、「中世キリスト教史」、「映画」、「日本型資本主義」、「社会調査」、「出版界」、「戦争」、「脳科学」、「ハードボイルド」、「カントリーミュージック」、「マフィア」及び「やくざ」、果ては「UFO」……。
とにかく、なぜこれを読みたいと思ったのか不思議になるくらいおもしろくもなさそうで、おっさん、一体なにが知りたいねん、というくらい脈絡のないジャンルの書籍群が並んでいる。
僕は今でもいとこに、「お父さんはまだUFOの研究をしてるの?」と訊かれる。
……別に研究はしてないと思うんだけどな。どういう叔父だと見られているのだろうか?
いわゆるモーレツサラリーマンでいつも家にいないという、典型的な「ニッポンのお父さん像」とは逆で、僕が高校生くらいの頃までは、たいてい夕食は一緒に食べていた。
酒は飲まないので、酔っ払って帰るとか、駅で寝ていたとかいうことも全くない。宴会は大嫌いでいつも乾杯だけして帰ってきていたという。
僕の経験に照らし合わせば、これは想像よりも難しい行為だと思う。
帰ろうと思っても、ついつい長居してしまうのが、人の情というものだ。はっきり言って、かなり意思の強さ、別の言葉で言えば、ノリの悪さが必要だと思う。特に、組織で働く者としては。
大体夜七時を過ぎておやじが帰らないと、おかんが「なんかあったのかしら……」とそわそわし出す。小学四年生じゃないんだから、別にいいじゃねえか、と僕は思っていた。
高度成長期を駆け抜けた世代とは、まるで思えない。
夜、阪神戦の中継が終わると、十時には寝に行く。引退した今では、さらにひどくなって、朝九時起床、午後一時昼寝、夜十時就寝、という、うちのネコ並みの生活。
でも、本当は寝てると見せかけて、読書しているらしい。そうじゃなきゃ、あんなに読破できない。
小学生の頃、おやじに勉強を教わるのが苦痛だった。算数の図形問題で、補助線を自分で引かなければ解けない問題があったが、どこにどう引いていいのか、僕には全くわからない。
それで、おやじに「よく見てれば補助線が自ずと見えてくんねや!」と関西弁丸出しで叱られる。自然と見えてくるなら苦労はないが、見えんものは見えん。
机にへばりついて書くと「姿勢が悪い!」と叱られ、鉛筆の芯がボキッと折れて飛ぶと「そこらじゅうが黒くなる!」と、また叱られる。
当時から数字が苦手だった僕には「太郎くんが八時ちょうどに家を出て、時速四キロで十一キロ離れた駅へと歩き始めました。八分後に、お父さんが車で家を出て、時速三十六キロで同じく駅に向かいました。さて、お父さんは何キロ地点で太郎くんに追いつくでしょう?」などという問題は、どーでもよかった。
おやじはやだから、おかんに教わろうとすると、「お父さんが初めから太郎くんを乗っけていってあげればいいじゃないねえ。そうすればあと八分ゆっくりできたのに」と、全く問題外の解決法を教えてくれる。
我が家系の頭脳は、おやじから息子に遺伝される際に、おかんがすっかり「中和」してしまったと言われている。
「おれは野菜だけあれば生きていける」、「運動は体に悪い」など、おやじの発言集だけ書くと勘違いされるが、青白くて暗いタイプでは決してない。今でも僕は、おやじと殴り合いするなら(しないし、僕を殴ったことは一度もないが)、だいぶ本気でいかなきゃやばいな、と思っている。
大学時代はボクシング部だったらしいし。
僕が小さい頃、土曜日に家に帰るとおやじはいつも「お笑いスター誕生」を観ていた。夜は夜で、家族揃って「八時だよ! 全員集合」を観ていたから、クソマジメかというとそうではない。
結婚当時、おやじ三十の会社員、おかん十九才の花も恥らう大学生。とにかく、今月二十九になる現在の僕に、女子
大生と結婚する実力は、ない。それだけは確かだ。
おやじを知らないというか、よくわからんのだ、つまり。ホントによくわからん。
いつも家にいるくせに、あんなに知識を貯め込んでどうするのだろうか(UFOの研究も含めて)。死ぬ前に、僕の脳ミソにダウンロードしてってもらえないものだろうか(UFOの知識はいらんが)。
(了)