月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「ただ今キャンペーン中」

仕事上で、AというプランにBという要素は含まれていないのか、と訊かれた時に、こんな答え方をする人がよくいる。
「えー、従来のBプランの中にはBは入っていたのですけどね、今回ご紹介させていただきましたAプランの方にはですね、申し訳ございませんが、Bはちょっと……なんですよ。すみません」
しかも、眉を寄せて、申し訳なさそうに首を傾げて、「ゆるちてチョ」と言わんばかりの笑みを浮かべて、今にもウンチ出そうな声色で。
なんやっちゅうねん。ちょっと……なんだというのだ。
はっきり言ってしまえば、質問を受けた後、相手が眉を寄せた瞬間に「あ、ないのね」と答えはもうわかっているのだ。 答えは即座にわかっているのに、相手が言葉を終えるまでじーっと、僕は待つ。待たせた挙句に、回答は「ちょっと……なんです」だ。
その間、お互いの人生が二十三秒間費やされた。
イエスかノーの質問をされているのに、それを文法的に的確に返さない人がいるものだ。日本語特有なのかどうか知らないが、そういうのが「丁寧」だと勘違いされている空気がこの国には、というかこの国の商業世界にはある。僕も働くまで知らなかった。
僕は「待つ」ということが嫌いで、結構単刀直入にモノを言ってしまう癖がある。もしかしたら、僕だったらこの質問には「ありません」と一秒で済ませてしまうかもしれない。
それであまりにとりつく島もないようなら「これは『A』プランなので『B』はないんですよ」と、当ったり前のことにもう一度認識を促してもいい。
それでたまに「お前は素っ気ないヤツだなあ」と言われることもあるが、だってだって「あるかないか」訊かれてるのだから「ありません」が最も正確で最も簡潔な答えじゃんかよ。逆の立場なら、そう言ってもらった方が僕は嬉しい。
万が一、「Bはちょっと(しかない)」と解釈されたらどうするんだ。
そういうふうに曖昧に進んでいく仕事が実際に多いのだ。それで後になって「AプランにBはあるのか」「BプランにAはあるのか」みんなよくわからない状態になって、「ないんでしたよね?」と確認して回ることになったりしたら、こりゃ最悪のムダではないか。
「やっぱり、Bはありませんでした。そして、実はウンチも我慢していました」では済まされない。ヘタしたら「ウンチを我慢していたからBはないのか」また確認するハメになったり、いつの間にか「プランBにはウンチがついていた」ことになっていたりする。
……これはウソだ。ここまでアホでは会社は成り立たない。
しかし、しかし、それにしても、以下を添削してみよう。
「事前に想定させていただきました○○に関しましては、我々といたしましてもある程度××という予測は立てさせていただいておりましたのですが、実際の作業に入ってみましたところトップの意向によって少々の微修正を加えさせていただきまして、こういう方向で進めさせていただきたく考えさせてもらいたいと思うのですが……」
なにをどうサセテイタダキタイのだ。これはこうでいいではないか。
「○○では××と予測していたのですが、実際は社長のご意見を活かしてこういうやり方にしませんか」
三行以上省いた。省かせていただきました。
日本人はこういう面倒くささに耐えて日々暮らしているのだ。
無駄な言葉の数々。空っぽな笑顔。
本当に笑えるようなことがあればいいのだがね。僕は笑った顔もあまり見せないらしくて、知り合ったばかりの人にはロボットみたいなやつだと誤解されることもしばしばである。
まぁいいではないか。本当におもしろい時には笑うのだから。
おもしろければ笑うし、おもしろくなければ笑わない。当たり前ではないか。
「スマイル〇円」とか「声の笑顔」とか宣伝する企業があるが、僕からしたら、あー気色ワル、だ。なんで笑わなきゃいけないんだ。
確実に言えることは、そういうヤツに限って、こちらが冗談を言っても通じない、ということだ。
笑いを売っているならジョークのひとつくらい言って当然だし、こちらのギャグにもちゃんと反応して然るべきではないのか。
「今でしたらプラス百円でビッグサイズにできますが、いかがでしょうか?」
「いや、いりません」
「では、ただプラス百円のみさせていただきまーす」
これくらい言えんか?
「では、三十万円のお借り入れということでよろしいですね」
「はい、どうぞよろしく」
「ご返済プランは、一回から十回のコースがございますが?」
「五回にします」
「ただ今キャンペーン中ですので、取り立ての厳しさをハード、ミディアム、ソフトからお選びいただけますが?」
「あ、じゃあ、ソフトめで」
こういう一つひとつのしょーもないやり取りが、回りくどい似非の丁寧さや、「させていただく」しかできない物腰よりも、遥かに世の中を円滑にすると、僕は思う。
(了)