月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「○○○はやたら大きいんだけどね」

新聞の投書欄を読んでいると、たまにとんでもないものがあって腹立たしかったり、呆れたりする。
「私はタバコについて喫煙者とは話し合わない。彼らは中毒者であり、病気である。コカインについて、コカイン中毒者と話し合うだろうか?」(四〇代 医師)
……あんたの方がよっぽど病気だと思うのだがね。
「テレビで閣僚の集会が映されていたが、弁当にはパックのお茶が付いていた。本来お茶は湯呑で飲むものであり、政治家ともあろうものがそういう文化を軽んじるのはけしからん」(六〇代 男性)
誰がお茶を沸かして、注いで、洗いものをしてくれるのだろうか?
あんたが給仕してくれるのか? こういう人は「茶!」と言えば、さっと茶が出てくるような生活を続けてきたのだろう。たいした身分だぜ。
どうやら人間、年を取れば取るほど、自分の立場から一方的にしか物事を見られなくなる。つまり簡単に言えば、自己中心的になる。おっさんにその傾向は強いように思う。
大阪信用金庫の調べによると、中小企業経営者のほとんど(八十六.四%)が、フリーターが増加する傾向を好ましくないと考えている。その理由は、競争力を弱める、年金制度を阻害する、不況を助長する、とのこと。
だったらもっと若者に職を与え、チャンスをやり、正社員として面倒みればいいと思うのだが、それでも回答社の二割はフリーターを雇っているのだ。
日本全体でも派遣社員契約社員の需要は伸びている。好んでそういう道を選んでいる人には失礼で申し訳ないが、そういう雇用形態は最も企業に都合よく遣われ、搾取の対象となる立場を増やしていくだけだ(著者註:その後二〇〇八年から〇九年にかけて、派遣社員らの年越テント村の問題が起こる)。
人にはそれぞれ違った顔があり、違った言い分がある。同じ人でも、会社では部長の顔があり、家庭では父親の顔があり、仲間の間ではボケ役の顔があったりして、その役割によって言うこと、言えることも変わってくる。スケベなおっさんとしては女子高生に金払って○○もさせてもらったり××もしてみちゃったりもするが、父親としては自分の娘がそんなことをしてたら勘当してやる! などと、どうしようもないほど自己中心的な考えの人だって中にはいるのだろう。
かくいう僕も、そういう矛盾に苛まれることってのはあるわけで、たとえば、普段は面倒くさくても不要な書類はいちいちホッチキスをはずしてリサイクルに廻し、たまにはゴミ箱の中の誰かが捨てた紙の束をわざわざ拾ってリサイクルに出したりもしている。家ではペットボトルを洗って、ラベルを切って捨てるし、牛乳パックは洗って乾かして、近所のスーパーのリサイクルボックスに入れに行く。
それなのに、普段は交通広告とか店頭POPとか、用が済んだらすぐゴミになるようなものを大量に作って喜んでいる。受注して制作するまでが僕の関知しうる範囲で、それらがその後どうなるかなんて知ったこっちゃないのだ、正直。
広告屋が嫌う、クライアントの発注の仕方に「バラ発注」というものがある。つまり、広告の制作、メディア(テレビCMの枠とか新聞の枠)の買い付けを別々の会社にさせることである。そのバラバラの程度も最近は細かくなっていて、ポスターのデザインと印刷を別々の会社にさせたり、プレゼントキャンペーンの賞品製作と告知物制作と応募事務局の運営をそれぞれ違う会社にさせたりする。
それにより、全ての会社にうすーい利益で小さい仕事をさせていくわけだ。その小さい仕事には当然のように猛烈に値引きの圧力がかかり、そうやって企業は自分の利益を少しでも多くする努力をしているのだ。
そっちから見たら努力。こっちから見たら搾取。
僕から言わせてもらえば、そのバラバラの作業を取りまとめて管理する広告主の担当者の手間や残業代やストレスを考えれば、一体どっちが安いのかわからないと思うのだが。
まぁ、そんなわけで僕としては、全てを弊社に任せてもらって、担当者は「ふんふん」と言っててくれるのが一番都合いいのであって、バラ発注みたいなケツの穴の小さいことはなるべくやめてほしいもんだ。
ところが、僕が発注する側に廻った際にはプロダクションに対し、同じようにムリを強いたり、値引きを要求しなくちゃいけない局面がある。
値引き交渉の電話をしなくちゃいけない時の、受話器を取る腕。あれほど重く感じるものはない。番号を押す前に溜息ついてしまう。
ショータ個人としては、支払い先にできるだけ多く払って、一軒多く飲み行ったり、その人が社内で褒められたり、喜んでもらいたいのだ。
でも、コーポレイト・ショータとしては、弊社の利益も確保しなくちゃいけないし、残業時間のわりに最近稼いでないからなぁ、と思い、なんとかしなくちゃならない。いつもそういう板挟みに遭って、「この際うちの利益を切ればいいじゃん」と安易に思う心をどうにか抑えて交渉にあたる。
ツライ。これしきのことが、ツライのだ。
そんな思いをするならいっそ、ウレシそ〜に「この値段なんとかならない?」と訊いて(強いて)くる、得意先のおっさんみたいに平坦な心の持ち主になりたい。
つくづく僕は、大競争時代に生きていけないし、二十一世紀型にできてないし、ブロードバンド時代に対応もしていないし、ユビキタス社会に適応もできそうにない。
つまるところ、金儲けにゃあ向いてないのだ。
耳たぶはやたら大きいんだけどね。クソの役にも立ったためしがない。
(了)
P.S. タバコをやめた今(二〇一〇年現在)、冒頭に医師の言葉には頷けるものがある……。ワタクシが間違っておりました!