月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「真実の話」

前回、「女性はなんだかんだ言っても男性の見た目が一番大事」というようなことを書いたら、女性から反論が来た。曰く「その傾向は男の子の方が強いはず。美女と野獣カップルはよく見ても、その逆はあまりない」とのこと。
まぁ、いいんだけどね。その通りだから。まずは見た目しか判断基準ねえもん。斉藤和義の歌で、♪性格なんてものは僕の頭で勝手に作り上げればいい〜、というムチャな歌詞があるが、とても意味深い。
個人的には、僕の頭で勝手に作り上げきれなくてうまくいかなかった経験があるからこそ「ムチャ」だとは思うが、恋愛の初めのうちの理想化、偶像化の中の気分を的確に表現していると思う。片思い中はその人のう○こだって食べられる覚悟だ。言っておくけどごくごくノーマルな、教養溢れるこのワタシでも、だ。
歌の中でよく女性は車に比喩される。忌野清志郎の『雨上がりの夜空に』しかり、ガース・ブルックスの『カウボーイ・キャデラック』しかり、ビリー・レイ・サイラスの『アンダー・ザ・フード』しかり……、どうせ誰も知らねえからいいや。
どんなに乗り心地が良くて、加速が良くて、内装がきれいな車でも、見た目が気に食わなかったら乗らないでしょ。そりゃ、女の人の顔だって見ますよ。顔だけじゃなく、おっぱいだっておしりだって脚だって二の腕だって見ますよ、本当のこと言っちまえば。
というわけで、今日は真実の話しかしない。
なんかの本で誰かが(こんな感じだから僕は学者になれなかった)、「男のすることは女もする」と言っていた。それの真偽はわからないが、まぁ一般に男ちゅうもんはセックスのために生きているから(でも、それで仕事をがんばるわけではない)、「あのコ、かわいいよな?」「そうかな?」とか「うん、メッチャかわいい」とかいう話をしては、徐々に他人のいわゆるストライクゾーンを計測し始める。
「じゃ、あのコはどう?」
なにがどうだって、つまり「彼女とHしたいか?」ということだ。そして、会話は下降線を辿り「したいか?」が「できるか?」になり、果ては「罰ゲームとして耐えられるか?」にまで堕ちてゆく。そこで全ての質問にYESで答えられる男には、一種の尊敬の眼差しが向けられることになる。
そして、「それなら、あいつは!?」と、とうとう最後のパンドラの箱が開けられる。
そいつは一瞬だけ逡巡の表情を見せた後、言葉を搾り出す。
「……軍手してなら」
そういう話をしている時、話題に上っている女の子は当然想像の中で裸にひん剥かれている。A子ちゃんもB美ちゃんも素っ裸だ。神が人間に与えた素晴らしい力である想像力、……の悪用。
しかし、「男がすることは女もする」のなら、僕だってA子ちゃんやB美ちゃんに一度や二度、脱がされたかもしれない。 その想像プラス四センチ、……それが僕だ。
今日は真実の話しかしない。
末席とはいえ、広告業界に身を置く者として、広告物には注意を向けて見るようにしている。「この広告のメッセージはなんだろう」「こういう発想はいいなぁ」とか。
しかし、よくわからないのが、お役所が作った駅貼りポスターの類。
上戸彩とか、菊川怜とか、いかにもお役人が好みそうな、毒にもクスリにもオカズにもならないタレントが出てるやつ。
上戸彩がアップで写り、「私は、やらない」とかのコピーが書いてある覚醒剤反対のポスターを見たことあるだろうか。
「お前がやらないのはわかったけど、だからなんやねん」ちゅうねん。
その隣に僕のアップのポスターを勝手に貼って、「おれは やる」と書いてやりたい。いや、やらんけどね。
最悪の例は、防衛庁自衛官募集のポスターに「モーニング娘。」を起用したということ。ポスターにはモー娘。のメンバー全員がいて、「一生懸命って、いい感じ GO!GO!PEACE!」のコピーがついているらしい。
一体、誰が考え出して、誰がこの案にOKを出したのだろう。
僕はそいつに面と向かって、襟首掴んで「マジか? マジか?」と問いたい。
正常な感覚がある人間なら、おぞましさすら覚えるだろう。
モー娘。を追いかけているような、はい、みなさんご想像されている通りの方々が、国民を外敵から守るのである。自国民の防衛ってのは、そんなファンタジックなものではないはずだ。
もし北朝鮮が攻めてきた時には、庭先にペットボトルでも置いておいた方がまだましだ。
企業や団体には広告予算ってものがあって、お役所が税金を無理矢理に使い切るように、費やされることもしばしばある。そういう棚ボタで我々のような人間が潤うこともあるから、あまり大きな声では言えないが、広告なんてしないに越したことはない。
データはないが、感覚的に、半分くらいは無駄打ちに終わっているような気がする。原因は様々だが、概して「素人が口を挟むから」だ。
広告はラーメンのようなもので「誰でも一言ある」。ここはああした方がいい、とか、この色はこっちの方がいい、とか。
これが例えば歯磨きを作るとしたら、素人がポリオキシエチレンアルキルスルホコハク塩酸の配合量について、口を出すだろうか?
だから、我々広告業界の人間は、リーチやフリクエンシー、GRPに始まり、色々ややこしい名前を付けて「よーわからんもの」にしたがる。そして、そういう用語が段々普及してしまうと、わけのわからんリサーチツールやら診断システムを作ってクライアントを煙にまく努力を続ける。煙にまくは語弊があるが、アメリカ式の「なんでも数値で検証」にはハナから無理があるのだ。クリエイティビティをどうやって数値化して評価しようというのだ。
これも、真実の一片の話である。
これ以上物事が複雑にならないといい。人間の心を持った人間にはついて行くことができなくなる。五時半に帰らせてくれ。頼む。
僕だって、会社帰りの七時に映画観たり、八時前にデパートで靴買ったり、九時過ぎにA子ちゃんとお食事したり、終電前にB美ちゃんを上目遣いで見つめたり、夜更けにC恵ちゃんに抱かれる生活がしたい。
(了)