月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「神様お願い」

「政治と宗教の話はするな」というのが、付き合いが浅い人間の間での鉄則、という。多分、アメリカ人が思いついたルールだ。
あの国では、自分の支持政党が共和党なのか民主党なのかはっきりしていて、主張し合うと最後はケンカになるのだろう。まぁ、日本にいる限り、政治についてはせいぜい政治家の悪口を言い合って憂さを晴らせばいい。
宗教については、ちょっと話しちゃおうかな。僕を含め、日本人に宗教と言ってもピンとこない。すぐにカルト教団に思い至る。
ちなみに僕は、政治、宗教の他に、昔のカノジョと、インボリュート曲線Jw_win座標ファイル形式またはDXF形式で出力できる歯車作成ソフトとかについても話したくない。
歴史を通じて、宗教ってのは政治に、金儲けに、社会的慣習に、教育に、とても便利に利用されてきた。もしかしたら、インボリュート曲線Jw_win座標ファイル形式またはDXF形式で出力できる歯車作成ソフトよりも便利かもしれない。
かいつまんで非常に乱暴な言い方をすると、宗教ってのは「欲望抑制装置」として発明されたと、僕は考えている。性悪説に基づいて話すことになってしまうのは本意ではないが、人間ってのは罰則がないと、働かないし、セックスばっかりしたがるし、地球を敬わないし、嫌いな奴は殺しちまうし、ホントにどうしようもない。
それを、「勤勉に生きれば天国に行ける」「神様が姦淫を禁じている」とかとか理由をつけて欲望を抑制させているわけだ。つまり、女子高生の娘に「なんで勉強しなくちゃいけないの?」「売春したって、ウチら人に迷惑かけなければいいじゃん」と開き直られた時に数千年前のお父さんも言葉に詰まったのだ。
で、「か、神様が見てるんだ」「天国に行けないぞ」と、そう言うしかなかったわけだ。
今の日本社会を見てみなさいな。宗教が(神の意識が)希薄だから、好き放題、スケベ天国じゃないか。その代わり、枷になるものがなーんにもなかったからこそ経済は飛躍的に発展した。スケベな欲望に突き動かされて……。
この社会はlust-drivenと思っていい。もはや人々を駆り立てるものは欲望しかない。
電車の中で騒ぐガキに向かって「ほらあの怖いおじちゃんに叱られるよ」とズルイ手を遣うバカな母親がいるだろう。神様は「あの怖いおじちゃん」だったりするのだ。
それぞれの民族に違う「怖いおじちゃん」がいて、地球上のいろんな場所で「こっちのおじちゃんは怖いぞ!」「いーや、こっちのおっさんが一番怖い。毛ボーボーだぞ」「アホー、こっちのおっさんなんか丸坊主だぞ」とか言い合って、意見が違うと殺し合っている。
死ぬまでやってればいい。僕は仕事や筋トレやギターの練習に忙しい。
でも、当のおじちゃんは車両の端っこで夕刊フジを広げて、
阪神、今年もあかんなー」
とか思っているのかもしれない。
そんなわけで、僕はやっぱり神は信じない。
そもそも、人間の形をしているところがインチキくさい。イスラム教偶像崇拝を禁じているから、拝むべき像はない。
「なかなかやるな」と思うが、人間の形をしている、人間の言葉で話す(とするならね)ことからして、「人間が創り出したもの」というのがバレバレなのだ。
子供に「さぁ、新しい動物を描きましょうねー」と、クレヨンを渡しても結局「犬と馬の合体」とか「カバの口に鳥の羽根が生えてる動物」とか既存のものの応用しか出来てこない。子供の自由な発想でさえそれが限界なのだ。神様にもせめて肉球くらい付けてほしかった。
とはいえ、僕にも神様にお願いした経験はある。
中三の二学期の期末テストでおなかが痛くなった。
……あん時ゃあ、さすがに神様に祈ったぜ。
「ちょ、ちょーっと待ってくれ、神様。頼むから、あと十分だから待ってくれー!」

(了)