月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「みんな許しちゃおう」

人間、年を取ると過去に疑問に思っていたいろんなことが、許せちゃうようなのだ。困ったことに、なのか、エライもんでなのかわからんが、成熟は人間の心をいい加減にさせていく。僕も最近、いろんなことが「どーでもいい」のだ。でも、A型の僕は「なんやわからんが、どーでもいい」という結論を自分で許せないところがあって、こじつけでも何でもいいから根拠を列記せずにいられない。

まず「なぜデート代は男が出すもんなのか」、これが僕には納得できなかった。だから青春時代はデートもせずに過ごした……。いや、これは別に理由があったとしても、デート代が若い男性を経済的に逼迫させていく現実は、僕の「次に生まれる時は女に生まれよう願望」をますます強いものにしていった。

とにかく「メシを奢ってくれるならデートしてあげる」なんてのは精神的売春同然であって、高価なプレゼントも同様である。バブル時代でもあるまいし、と思っていてもこういう女性は結構な数生存していると僕は個人的に思う。

しかし、まぁ、こんな僕でもたまには女性とお食事なんぞしていると、ふと感心してしまう。「このコ手間ヒマかかってんなー」と。 長い髪の毛をブロウしてだね、化粧水にファンデーションにアイライナーにリップグロスに、香水にアクセサリー……。別に僕がいつもギラギラと飾った女性を見ているわけじゃなくて、ごく平均的な女性はこれくらいのことをやっているわけだ。 多分。 それぞれが、やれ五千円、八千円、一万二千円というようなお金、もしかしたら僕の想像なんかには収まらない金額のお金がかかってて、つまりそれだけの原価をかけて僕の前にいるわけだ。 その存在自体がエンターテインメントだ。

それにひきかえ、わしらなんて原価タダみたいなもんだ。昨晩ちゃんと風呂に入ったかどうかさえ怪しい場合もある。 そんな0円の人間と14万3千円の人間が対峙しているわけだから、「ありがとう、メシ代くらい喜んで出させていただきます」ってなもんだ。 というわけで、メシ代くらいどうだっていいのだ。とりあえずは「視聴料」として僕が払おう。それに「お試し体験料金」も含まれると尚よい。たいてい別料金に設定されているが……。

はっきり言って、女性は納得のできないことの宝庫だ。メシの後にメールが来てて「また誘ってくださいね」とか言うとる。さらにハートマークなんかで文章を締めやがって、ハートの安売りをなさる。 「またメシ行きたかったら、お前から誘え!」と思うのだ。なぜいつも売り手側でいたがるのか? こっちはいつも買い手側であり、申込み側であり、志願者であり、挑戦者だ。向こうは赤コーナーで悠々と待っている。

しかし、まぁ、それもいいか、と思う。悔しいが女性はチャンピオンだ。僕は女性を尊敬してやまない。 なぜなら、女性は僕にできないいろんなことができるからだ。

毎朝の化粧にも耐えられないし、もちろん子供も産めないし、大抵の女性のように字もきれいじゃない。 そして、なにより……、

僕は男の○○を××したり、△△したりとかはできない。 絶対、いや!

(了)

P.S. 次回もお楽しみに(ハート)。

(c) 2003 copyright shota