月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

「なかなかしんどいワンダーランドへの旅③」

トレイルに入って3日目の朝、岳ちゃんは残りの三人よりも1時間ほど早く、8時半にキャンプ地を出て行った。
「トレイルから逸れたところにクレセント・レイクという湖があって、そこが絶景らしいんです。そこで竿を振るのが、僕の今回の一番の希望なんです」
と、釣り好きな岳ちゃんは話していた。そのためだけにわざわざフライフィッシングの竿を、バックパックにくっ付けて持ってきていたのだ。

「それは、トレイルからどれくらい離れてるの?」
「地図で見た感じ、片道30分て感じですね。行ってみますか?」
「……行ってきて」
ということで、僕は美しい湖には惹かれはしたものの、往復1時間を余計にかけて歩けるほど余力があるとは思えなかったのである。

 

【ハイク3日目】イエローストーン・クリフス → ファイア・クリーク

イエローストーン・クリフスは朝日に輝いていた。今日は、やっと雨や霧から解放されたみたいだ。

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小一時間歩くと、小さな湖というか、大きな池に出た。岳ちゃんがデポしたベアキャニスターが目印となって、そこからトレイルを離れたことがわかった。
池の向こうは丘になっていて、クレセント・レイクはそれを越えたところにあるのだろう。
滝下がバックパックをその場で下ろして置いたまま、身軽になって彼を迎えに行った。大谷さんと僕は、池の近くに残って、おやつを食べたり、おしゃべりをしたり、まぁ、完全にサボリを決め込むつもりだった。

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やや風が冷たかったが、ここ2日間の天気に比べたら快適そのものだった。

「そうだ! 濡れたテントをここで干しておきましょうよ」
「いいね!」
大谷さんの発案で、草の上にそれぞれのテントを広げた。

1時間が経過しようとしていた。池は僕たちが待つ場所の右手下方にあり、左手は針葉樹の上り斜面になっている。なにげなくそちらに目をやると……、
「おいおい、熊がいるぞ」
「え!」

斜面の中腹あたりに熊が姿を現していて、木の実でも探しているのか地面に鼻を近づけてウロウロしているではないか。
緊張が走る。

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中央の黒いのがクマ

「やばいな。どうしよ」
「こっちに気づくなよっ」
僕らは小声で相談した。距離は50メートルくらいあるが、熊が全速力で向かってきたら数秒でここまで来る。
「荷物を持って、とりあえずゆっくりと池の方に逃げましょう」
「オ、オッケー」
「滝下くんの荷物に気づかれたら終わりですわ。取られたらもうどうすることもできません」
「うーむ……」

滝下の荷物よりも、まずは自分たちの身の安全だ。大谷さんと僕は、なるべく物音を立てないように、静かに池の方へ下りて行った。しばらく観察していると、熊は斜面を水平に左方向へゆっくりと動いていき、やがて林の中へ消えていった。よし!

「それにしても、あいつら遅いな」
「ちょっと僕、見てきますわ」
大谷さんが池から丘を上がって、様子見に行った。が、彼はすぐに帰ってきた。

「ダメです。丘を越えたら湖があるのかと思ったら、まだまだ続いてて見えません。だいぶ奥っぽいですわ」

もうしばらく待っていると、滝下が一人で戻ってきた。ちょっと顔が引きつっている。
「どうした?」
「岳さんには会えたんですが、帰り道を別々のルートで行ったらはぐれてしまいました」

どうやら湖へは一本きれいな道があるのではなく、不明瞭なルートが何本もあるらしい。
「ちょっと、僕、もう一回行ってきます」
滝下は焦りを顔に浮かべて、また丘を上がっていった。大谷さんと僕のおっさんチームはできることがなくて、ただ岳ちゃんの無事を祈って再び待つしかなかった。情けないが、四人がバラバラになったら余計に大変だ。

「滝くーん!」と呼ぶ、岳ちゃんの声だけが丘の向こうから聞こえてきた。
こちらからも呼び返すが返事はない。呼んでいるということは助けが要るのだろうか……。

結局、はじめに滝下と別れたときから2時間半後に、二人は帰還した。
「すみません、一緒の道で戻ればよかったんですが、それぞれ来た道で帰ろうとして、ちがう道を行ったんです。どうせどこかで合流するだろうと思っていたら、しなかったんです……」
と滝下。
「いや、俺も、『あれ? 合流しない』とわかった時にそのまま一度ここまで来ればよかったのに、湖まで戻ってしまって……」
と岳ちゃん。

二人の思い込みと、咄嗟の判断が食い違ってしまったようだ。
しかも、滝下は湖ではしゃいで一眼レフカメラを水没させ、岳ちゃんはもっとはしゃいで湖底の岩で足の裏をケガしたという。君らなぁ……。

僕と大谷さんは見ていないクレセント湖

「こっちはこっちで、熊が出たんだよ!」
「ええ! マジですか」

なんだかもう、両チームともちょっとしたドッキリに遭った気分であった。

気を取り直して、再出発である。
「じゃー、大谷さん先に行ってください」

滝下は、僕と大谷さんとはじめて行ったカリフォルニアの山で、先頭を歩いている時に熊を見て以来、熊をとても怖がっている。
「なんでやねん、滝くん行きーよ」
滝下は、熊除けの鈴の代わりに、時折口笛を鳴らしながら先を行った。

道は下って下って、ひと山下りて、丸い石の川原に出た。
登りは息が苦しくてツラいが、下りは下りで膝関節と脚の筋肉全体に負担がかかる。

近くの滝で岳ちゃんが飲み水を汲みに行った間、僕はストレッチをして脚のあちこちを伸ばした。そして、大腿筋を揺すって回復を促した。テニス選手の足が攣った際に、トレーナーが脚を揺する。揉むよりも揺すった方がいいと、滝下に教わったのだ。

今日のルートは、距離はさほどない(地図上では10キロ強)ものの、またここから登りがはじまる。脚も疲労がたまっているし、下半身だけではなく、バックパックを背負う肩も腰も痛む。たまに首も痛むことがあって、ほぼ全身が悲鳴を上げはじめている。

森の中の上り坂を今日は2時間。昨日ほどのしんどさではないが、それでもキツいものはキツい。
クレセント・レイクの一件のために、時間をだいぶ食っていたので、日没も迫っていた。

木々に囲まれた薄暗いところにファイア・クリーク・キャンプの表示を発見したが、キャンプ場へは、そこからトレイルをはずれてさらに0.6マイル(1キロ)道を下らなくてはいけなかった。

そこはテーブルとして使える切株がある快適そうなテント場だったが、水場が不便だった。倒木が何本も、行く手を遮るようにあって、川へ行きづらいし、水がチョロチョロとしか流れていなかった。
いまからのメシに必要なので、水をコップに取って、2リットル入るポリウレタンのボトルに何杯も入れる、それからフィルターで濾して、飲み水や料理に使う。面倒くさいのだ。

ちなみに、トイレは快適(笑)

パカッ

その日の、山の中での最後の晩餐は、ヘッドライトを灯しながら暗闇の中で食べた。しかし、みんなで輪になって、ワイワイおしゃべりしながら楽しい時間だった。
岳ちゃんと滝下はまだ持っていたビールを、僕も少しもらった。


【ハイク4日目】ファイア・クリーク → サンライズ(元の場所)

キャンプ場をあとにして、しばらく山道を登ると展望のよい場所に出た。
やっと、最終日にしてはじめて、マウント・レーニアを拝んだ。快晴である。
そうだった、オレたちはマウント・レーニアの周囲を歩いてたんだよ。まったく見えないから、もう少しで忘れるところだったわ!

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孤峰Mt. レーニア

この日はなんの苦もなかった。最高であった。ご褒美のような一日、最後に相応しい絶景、山の神様の抜群の演出、疲れを癒すハイライトの連続であった。

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川のほとりがあまりに美しいので、岩の上でコンロでコーヒー沸かして休憩までした。

丘の上からどこまでもつづく北の山々の連なりを眺めた。
近くにいた男性に、
「カナダまで見えてますかね?」
と尋ねてみると、
「いや、カナダはもっと先だよ」

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僕たちはこの広すぎる国の、ほんの一部を4日間かけてたったの60キロほど歩いただけなのだが、しんどさにもよろこびにもヒイヒイいわされた。マウント・レーニアを一周するワンダーランド・トレイルは全体で150キロある。

トヨタシエナを停めてあったサンライズ・ビジターセンターへの最後の坂道を下り、ゴール。

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街にいると「自然はいいな」「山はいいな」と思い、山に入ると「人間界はいいな」「ビールほしいな」「ハンバーガー最高だな」「ふとんあったかいな」と思う。

だったらなんでこんなことするんだろ。シアトルに戻ってその後4日間ほどあちこち観光した折、岳ちゃんに訊いてみた。
「そうですねぇ。やっぱりすごい景色を見たいですね。そして、そこまで自分で歩いて行って、やっと見られるというのが好きですね……」

そう、大した答えはないよね。人が「へえぇ!」って驚嘆するような意外な言葉はないわ。
自分が生きる世界の「すごい景色が見たい」以外ないのだ。

岳ちゃんはもうひとつ付け加えた。
「山にいると、嫌な人間に会わないですね」

そもそも人に会わないんだからそりゃ当然なんだけど、すれちがう人、キャンプ地で会う人、レンジャー、どの人も言葉を交わすと穏やかでにこやかで親切で、いい顔してる。

僕たちもいい顔してただろうか。きっとしてたな、うん。

そういういい顔でいるために、たまに山を、森を、歩かなくちゃな。

(了)

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今回行ったルート図