月刊ショータ

元電通コピーライター。ずっと自称コラムニスト。著書『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』、『カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で』

もうすぐ死ぬかのように生きること

一時間幸せになりたければ、酒を飲みなさい。
三日間幸せになりたければ、結婚しなさい。
八日間幸せになりたければ、豚を殺して食べなさい。
一生幸せになりたければ、釣りを覚えなさい。

という中国古諺があるらしい。

僕なら
一生幸せになりたければ、カントリーミュージックを聴きなさい
というだろう。

毎年一回くらいやるカントリーソングの紹介(和訳)である。

好きな歌手は何人もいるから、選ぶのは大変なのだが、Tim McGrawは、アルバムが出れば必ず買うアーティストのひとりだ。彼のことは過去にもここで紹介しているのだけど、ずっと好きなので仕方ない。

彼の曲から一曲選ぶのはさらに大変なのだが、”Live Like You Were Dying”という曲にしよう。

ティム・マグロウはメジャー・リーガーだったタグ・マグロウの息子であるが、婚外子であったため、十一才の時に自分の出生証明書を見つけてしまうまで、実の父親については知らなかった。タグはティムと会ってからも七年間、父親であることを否定したが、やがてこれを認め、父子としての付き合いをはじめた。
ティムがカントリー歌手として成功してからは、ビールのバドライトのCMで共演もした。

ティム・マグロウは、全世界で五千万枚以上のレコードを売り、数々のヒット曲を持つ、アメリカを代表する歌手のひとりである。以下の曲はビルボード誌による、「批評家が選ぶティム・マグロウのベストソング」としても挙げられている。

www.billboard.com


ソングライターのティム・ニコルズとクレイグ・ワイズマンの共通の知人が、ガンであると誤診されたことがあり、その時に二人が持った「もしそうなったら、君ならどうする?」という会話から生まれた歌なのだそうだ。
ティム・マグロウは父親を亡くした直後であったため、即座にこの曲に共感したという。

 “Live Like You Were Dying”

Said I was in my early 40’s
With a lot of life before me
And a moment came that stopped me on a dime

 人生はまだまだ続くと思っていた40代前半だった、と彼は言った
 その瞬間は突然やって来たよ

I spent most of the next days, looking at the X-rays
Talking about the options, talking about sweet time

 次の日からレントゲン写真ばかり眺めてすごした
 選択肢について話し合ったり
 楽しかったあの頃について語り合った

Asked him when it sank in
If this might really be the real end
How’s it hit cha, when you get that kind of news
Man, what cha do
He said

 沈黙がおとずれたとき僕は彼にたずねた
 もしもそれが本当に本当の終焉だったなら
 どんな衝撃だったかな
 そんな知らせを受けたとき
 なにをしたんだい
 彼は言った

*Chorus
I went skydiving
I went Rocky Mountain climbing
I went two point seven seconds on a bull named Fu Manchu
And I loved deeper
And I spoke sweeter
And I gave forgiveness I’d been denying
And he said someday I hope you get the chance
To live like you were dying

 俺はスカイダイビングに行ったよ
 ロッキー山脈のハイキングにも行った
 フー・マンチューって名前のブルに2.7秒乗れたぜ(※)
 それから愛する人をもっと大切にした
 あたたかい言葉で話した
 ずっと拒否していたけどあいつを許すことにした
 彼は言った
 いつか君にも もうすぐ死ぬかのように生きられる日が来ることを願うよ

He said I was finally the husband
That most the time I wasn’t
And I became a friend a friend would like to have

 ぜんぜんなれていなかった夫に俺はようやくなったんだ
 友人が望むような友人になった、と彼は言った

And all of a sudden going fishing wasn’t such an imposition
And I went three times that year I lost my dad

 突然釣りに行くことはまったく面倒でなくなったし
 親父が亡くなった年には三回行ったよ

Well I finally read the good book
And I took a good long hard look at what I’d do
If I could do it all again
And then

 やっと聖書だって読んだし
 俺がもう一度人生をやれるならなにをするか
 よくよく考えてみたんだ

*Repeat Chorus

Like tomorrow was a gift
And you’ve got eternity to think about
What you’d do with it
What did you do with it
What did I do with it
What would I do with it…

 明日が贈り物であるように
 時間が永遠にあるかのようによく考えた方がいい
 人生を使ってなにをするか
 なにをしてきたか
 俺はなにをしてきただろうか
 俺はなにをするだろうか…

Skydiving
I went Rocky Mountain climbing
I went two point seven seconds on a bull named Fu Manchu
And I loved deeper
And I spoke sweeter
And I watched an eagle as it was flying
And he said someday I hope you get the chance
To live like you were dying

 スカイダイビングに行ったよ
 ロッキー山脈のハイキングにも行った
 フー・マンチューって名前のブルに2.7秒乗れたぜ
 それから愛する人をもっと大切にした
 あたたかい言葉で話した
 イーグルが飛んでるのを眺めたよ
 彼は言った
 いつか君にも もうすぐ死ぬかのように生きられる日が来ることを願うよ
 もうすぐ死ぬかのように生きろ
 もうすぐ死ぬかのように生きるんだ…

Official Video:

www.youtube.com


※印をつけたところを少し解説する。
「ブルに2.7秒乗った」というのは、ロデオのことを指していて、ロデオの中のブル・ライディングのことである。これは、ロデオのメインイベントといえる、暴れ牛に片腕で乗る競技で、八秒間乗るとポイントがつくのである。
フー・マンチューというのは英国作家のサックス・ローマ―が創造した、長いヒゲを生やした(まぁ、要するにラーメンマンみたいな)中国人の悪党で、その後悪人キャラクターとして他の作品にもひとり歩きするようになった。さらに、ナマズヒゲのことが「フー・マンチュー」と呼ばれるようになるくらい定着しているようだ。

つまり、ここで登場するブルが、フー・マンチューと名付けられるような凶悪なヤツだということだ。

ロデオというのは、アメリカの映画や歌で、これくらい自然に登場するスポーツなのであるが、日本では「カウボーイ」の存在と同様、ほとんど知られていない。
アメリカに関する情報や知識が、あまりにも東西の両端、具体的には東海岸のニューヨーク~ワシントンDCと、西海岸のロスアンジェルスに偏っていることに歯痒さを覚えて、僕は『カウボーイ・サマー』を書いたのだが、ロデオのことも取材してこようと思う。

ひとりの日本人の若者が、この夏テキサスに渡り、ブルライダーとしての訓練に励んでいる。なぜそんな危険が伴う、無謀とも思えるスポーツに熱中するのか、アメリカ人はそこに何を見ているのか、日本人の初心者がどこまで通用するのかを、見届けてこようと思っている。

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※イメージです

明日出発して、帰国後に何回かの連載にまとめよう。おそらくnote上で珈琲一杯分程度の有料記事にするつもりである。

『カウボーイ・サマー』のスピンオフ企画、『ロデオ・サマー』にご期待ください。おもしろいの書きます。
これも、僕にとっての「もうすぐ死ぬかのように生きる」すべのひとつですので。
応援よろしくお願いします(乗るのはオレちゃうけど)。

 

後日談:
『ロデオ・サマー』、掲載しました。

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